その14 エピローグ

「それで?」


 昼休み、いつもの階段。俺の話を聞き終えたマトはノートPCのモニタから目を離すことなく訊いた。十本の指が滑らかにキーボードの上で踊る。


「それでもなにも、それでおしまいさ」


 マトの指が止まり、傾げるように顔を上げる。


「どうした?」

「西村さんには言わないの?」

「ああ、まあそうだな。俺としては――真相が分かればそれでいいのかも」

「かも? ずいぶん曖昧ね」


 そうかもしれない。

 あの後、委員長はすべてを告白した。


 この学年の中で、理乃と委員長はただ二人だけの同じ中学出身だった。正確に言えば、理乃は一度転校をして、高校で委員長と再会した、という形だ。

 中学時代、理乃はジュニアアイドルとして過激な水着姿のDVDを出していたことが学校側の知るところとなり、大問題となった。だが、それは両親の離婚、そしてそれに伴う転校という形で幕を引くことになった。意外にもDVDに娘を出演させていたのは母親の方だった。そのことを知らなかった父親は激怒して、妻に離婚届を突きつけて娘を引き取ったのだという。

 高校に入り、理乃は委員長との再会を無邪気に喜んだ。だが、委員長はそのことを素直に受け止めることはできなかった。中学のときから勉強一辺倒だった委員長にとって、男に媚びるような痴態を晒していた理乃は蔑視の対象だったからだ。

 しかも、理乃の転校先はちょっとした進学校で、その環境によるアドバンテージだけで自分と同じ高校へ入学してきた。第一志望校の受験に失敗し、滑り止めで入った高校とはいえ、勉学のみにすべてを捧げた自分が理乃と席を並べることは屈辱でもあった。唯一の同一中学出身としてなにかと慕ってくる理乃に表面上は仲良くしつつも、そんな暗い感情は少しずつ堆積していった。

 それが一線を越えたのは、理乃がアイドルになりたい、ということを恥ずかしげに告白し、そして時を同じくして委員長が入学以来維持していた学年首席の座を明け渡してしまったときだった。

 自分の足元がぐらぐらと崩れていく恐怖を覚えた委員長は「試験問題さえ事前に分かっていれば安心して試験を受けられるのに」という思いにとりつかれた。最初は教師に色仕掛けで迫ることを考えた。教師が皆、聖職者でないことは分かっていたし、特に女生徒をいやらしい目で追う梅屋のことは噂になっていた。

 だが、それは一瞬で却下された。そういうのは自分の体を晒して、男に媚びるような売女ばいたがやるようなことだ。

 そしてそのとき、委員長の中で理乃を梅屋に差し出し、その代償として試験問題を入手する、という絵が浮かび上がった。梅屋のことを調べ上げ、ジュニアアイドルマニアのコミュニティに参加していることを知り、同好の士を装って理乃のジュニアアイドル時代のDVDを提供した。理乃は決して売れていたわけではなく、梅屋も知らなかったようだったが、「個人的に知っているからマンツーマンの撮影会できますよ」と言うとすぐに食いついてきた。

 あとは概ね、俺の推理したとおりだった。


「俺も自分がどうしたいのか、わかってないのかもな」


 マトにそう答えながら、天井を見つめて考える。

 委員長が犯人だ、と伝えたら、理乃はどう思うだろうか。絶望するだろうか。怒るだろうか。悲しむだろうか。

 なんにしても、その引き金を俺が引くことはできそうになかった。そんなことをしてなんになるのだろうか。それとも、俺はこれから先、親友の仮面をかぶった脅迫者ブラックメーラーと昼食を食べ、図書館で勉強し続ける理乃を見続けることを選ぶのだろうか。

 俺にはどうすればいいか分からない。

 ただ、俺は真相を知ることができただけで、たぶん、満足しているのだろう。

 俺が成りたかったヒーローは、こんなときどうするのだろうか。


「私は、祐と同じことをすると思うわ」

「簡単に同じくくりにすんなって。理乃はお前からマルウェアを買って、『うまく動かない』なんてメールを職員室のネットワークから送ったんだろ」

「にゃにゃにゃにゃんのことです?」


 噛んでるし泳いでる。途端に冷静さを欠くマトに俺は続けて言う。


「アフターサービス込みでマルウェア as a Serviceをやっていたお前は、サポート宛てに来たメールがうちの学校の職員室から送られていることに気づいた。さすがに自分の学校でそんなことやられたら、なにかあったときに自分のところまで手が延びる可能性がある。返金してでもサポートを打ち切り、USBメモリを回収しなければならなかった」

「……」


 マトはなにも言わない。


「そして、理乃にはおそらく、期限を切ったり、返品方法になんらかの制限をかけたりしてUSBメモリを学校に持って来させるよう仕向けた。期日までに返送するためには平日に直接郵便局に持って行かなければならないとか、そんなところだろう。そうすることで相手が誰かを確認しようとしたんだ。そうして、体育の時間を狙って全員の荷物を調べ、自分の取引相手が理乃であることを知った」

「――大したものね」


 マトは眼鏡を外すと、石化の魔法のような眼光で俺を睨み付けた。


「それで、私はどうすればいいのかしら? 個人撮影会をしても構わないのだけれど、あいにく私のは一般受けするフォルムじゃないわ」


 そういうとマトは右手でとんとん、と胸骨のあたりを叩いた。つい、その方向を見てしまい、慌てて目を逸らす。


「――とりあえず眼鏡をかけてくれ」

「あーいたいた! ごめんねー遅くなって!」


 階下から声をかけてきたのは理乃だった。両手に持った弁当箱を掲げて見せる。


「いや、俺たちもちょうど今来たとこ。じゃ、行こか」

「ちょっと、どういうこと?」


 なにやら抗議するマトを促して屋上のドアを開ける。追いついた理乃が「うまくできたかどうか自信ないけど」と言いながら差し出した弁当箱を受け取り、俺たち三人は屋上に出た。


「うわ、暑っつー」

「そっちの陰の方行こうぜ」

「……なんのために屋上に出たの?」


 給水塔の陰に陣取って弁当を広げる。


「状況が理解できないのだけれど……」

「あのね、今回祐があたしを助けてくれたのは、マトっちの手伝いがあったからできたことだって」

「マトっち……」

「それで、お礼っていうほどのもんじゃないんだけど、一緒にお昼どうかなって思って、いっぱい作ってきたんだ」


 そう言いながら弁当の蓋を開ける。ミートボールに唐揚げ、卵焼きにウインナー。そして綺麗に並べられたおにぎり。冷凍食品を併用し、適度に手を抜いたおかずが逆に手慣れていることを示している。

 そうか。理乃は多忙な中、きっと家事もしているのだろう。そんな一生懸命生きている娘を食い物にするような世の中が正しいわけがない。

 でも。

 でも、俺はなにができるのだろうか。なにをしたいのだろうか。


「さ、食べて食べて」

「いただきます! まずはおにぎりから……と。お、うめぇ」

「……いただきます。うん、おいしいです」

「な、みんなで食べるとおいしいよな」


 ポテトサラダを味わっているマトに言う。


「いや、一人で食べてもおいしいと思うわ。味は変わらないもの」

「そうじゃなくてだな……」


 そんなマトを見て、理乃はあはは、と笑う。


「でも、みんなで食べると楽しい気分にはなるわね」

「それをおいしい、と言えばいいじゃねえか、めんどくさいヤツだな」

「おいしいと楽しいは違うでしょ」


 マトは意味がわからない、という顔で首を傾げた。


    *


 放課後。


 俺はコンピュータ部の部室にいた。入部するかどうかはさておき、少しでもマトのやっていること、考えていることを分かりたいと思ったからだ。

 あいつがマルウェア as a Serviceなんて商売をしていることは間違いない。梅屋や委員長のように明確な犯意を向けたターゲットがいるわけではないかもしれないが、その先にはきっと被害者がいる。ナイフで人を刺殺した殺人犯がいたとしても、その凶器となるナイフを作った人も、売った人も責任を問われることはないだろう。でも銃だとどうだろうか。銃刀法違反は殺人とは別の扱いだ。じゃあ、サリンを作ったら? VXガスを売ったら? マルウェアをサービスとして提供したら――?


「衣川マト、か」


 俺はぽつりとつぶやいた。それを耳ざとく聞きつけた細田が言う。


「どうしたんすか、鷹野先輩。コロモガワ・マトなんて、ほんとセキュリティに目覚めちゃいましたか」

「ん? どういう意味だ? なんで衣川のことを知ってる?」

「え、そりゃセキュリティを少しでもかじった人なら誰だって知ってますって」


 俺はがたん、と椅子から立ち上がって細田に詰め寄った。


「どういう意味だ? なんで知ってるんだ?」

「え、知らなかったんすか? 日本人とおもわれる『コロモガワ・マト』。日本でもっとも有名なバグバウンティハンターですよ」

「バグバウンティハンター……?」


 有名もなにも、まるで知らない言葉だった。


(第1話 試験問題漏洩事件:完)

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