その12 少年は対決する

 理乃が職員室のネットワークに侵入? どういうことだ?


「なあ、衣川」

「マト」

「ああ、マト」

「なに、たすく


 このやりとり、いつまで続けるんだよ。今そんな場合じゃないってのに。


「理乃が職員室のネットワークに侵入してるなんて、そんなことあり得るのか?」

「侵入という言葉が適切かどうかはさておき、接続はしてるわね」

「なんで、そんなことを……」


 愕然とする俺に、マトは涼しい顔で答える。


「別に驚くことじゃないわ。だって、職員室のESSIDが登録済みだって言ったじゃない」

「ESSID……あっ、Wi-Fiのことか」


 思い出した。初めてC2サーバを見せてもらったとき、マトはこのPCには職員室のWi-Fiが登録されている、と言っていた。あのときはそれが理乃のPCかどうかわからなかったから、職員室のネットワークに侵入した犯人のPCじゃないか、と言ったけれど、それが理乃のPCだと判明した今となっては意味がわからなくなった。

 理乃は試験問題漏洩事件の犯人じゃない。試験問題は千代と梅屋の取引に使用されたものだから、そもそも犯人自体が存在しないはずだ。あえて言えば梅屋自身が試験問題を漏洩させた犯人、ということになる。


『し、知らない! どういうことかわかりません!』

『とぼけるな、これが動かぬ証拠じゃないか。校長先生、ネットワークに入りさえすれば攻撃方法はいくらでもあるんです』

『梅屋先生、職員室のネットワークはそんなに簡単に入れるんですか?』


 ひとり、冷静な校長の声が聞こえてくる。


『普通は無理です。ステルス設定しているので、無線の接続先自体見つけることができません。こいつは相当、詳しいですよ。見かけによらないもんだ』


 マトがぷっ、と吹き出す。俺がきょとんとしているのを見て、マトは可笑しそうに言う。


「じゃあどうやって先生たちのPCはつないでんのよ、って話よ」

「どうやってって……あらかじめ登録しておけばいいんじゃないの?」

「その登録したESSIDにつなぎに行くんだから、PCの方は『お客様の中になんちゃらかんちゃらというESSIDの方はいらっしゃいませんか』と大声で探し回るわけよね」


 医者を探すキャビンアテンダントの真似をするマト。まだピンとこない俺に重ねて言う。


「うちの教室にいろんな人がやってきて繰り返し『祐いる?』って訊いてきたら、クラスメイトの名前を覚えていなくても、うちのクラスには祐って人がいるんだな、って分かるでしょ」

「そりゃね」

「ステルスESSIDも同じ。アクセスポイント自身がアナウンスしなくても、周りからばれる。全然セキュリティの役には立たないわ。そもそも、ESSIDなんていくらでも――」


 マトは早口でWi-Fiの認証の仕組みについて説明した。普段なら半分聞き飛ばすところだが、理乃が被告席に引っ張り出された今となっては少しでも「武器」がほしい。細かいところまでは理解できなかったが、無線ネットワークは開けっぱなしのドアで安全を守らなければならないものだということが分かった。


「なるほど。やれやれ、ほんとに梅屋って名ばかりのコンピュータ部顧問なんだな」

「さあ、どうかしら」

「え?」


 マトは居住まいを正して向き直り、眼鏡をくいっと上げた。


「梅屋先生の狙いは明らかだわ。西村さんが不正アクセスをして、自分のPCから試験問題を盗んだ。西村さんが凄腕のクラッカーだからできたことで、自分に落ち度はない。そう言いたいわけよね」


 俺はうなずいた。


「セキュリティインシデントを起こしたところは大抵そう思いたがる。『自分たちはできるだけのことはやっていた。相手がそれを上回る凄腕だっただけで、自分たちに責任はない』とね。だから、本当は大きな穴が開いていたとしても、それを認めたがらない」

「でも校長先生のような上の人だと、梅屋に『お前の責任だろ』と言えるんじゃないの?」


 マトは首を横に振る。


「ずっと昔だと『部下のせいなので、首にしました』がまかり通ったみたいだけど、今は監督不行き届きってことで上司にも責任が問われるのが普通。だから、上司も部下も思惑が一致してるのよ。『ボクのせいじゃない』と言って責任逃れをしたい部下と、『お前は悪くない。だから、俺も悪くない』と言いたい上司とね」


 なるほど。非を認めたくない部下と、部下に非を認めてもらいたくない上司、ということか。梅屋はそれを分かっていて、校長にたたみかけているわけだ。


「つまり――」

「時間はない、てことだな」


 マトはこくん、とうなずいた。俺は二段飛ばしで階段を駆け下りた。


    *


「失礼します!」


 俺はノックもせずに校長室に駆け込んだ。

 はっとした顔で振り向く梅屋。その横には泣きそうな顔の理乃。

 二人は校長室の豪奢な机の前に立っていて、その二人の間に校長が見えた。校長は痩せた初老の女性で、机に両肘をついて組んだ両手の上に顎を乗せていた。


「祐……?」

「誰ですか?」


 理乃の顔にはただただ困惑だけが広がっていた。ぱぁっ、と希望の光が差すことを夢想していた俺は、自分がお姫様のピンチに駆けつける騎士ナイトではなく、登場タイミングを間違えた哀れなエキストラであることに気づいた。


「あ……いやその」


 歴代校長の肖像画も、毛足の長い絨毯も、豪奢な優勝旗も、俺が場違いだと言わんばかりの存在感で迫ってくる。その他大勢モブの俺には華やかなスポットライトは当たらない。


「なんだ? いきなり。勝手に入ってくるんじゃない」


 梅屋の呆れたような顔の向こうに、校長の無表情な顔が見えた。気圧されるように一歩下がると、悲しげに睫毛を伏せる理乃が目に入った。俺がなにか言ったところで、聞いてもらえない、「分かったから出て行け」と言われる近い未来が容易に想像できた。

 それほど、この部屋には法廷のような重みがあった。マホガニーの重厚なテーブルの前はまるで、被告席のようだった。

 俯くと理乃のハイソックスが目に入った。あの夜の公園で見た、子供っぽいチェリーのワンポイント。大人の食い物にならないために、理乃が必死で足掻いていることを知ったあの日――なのに、俺は相変わらずその他大勢モブを演じ続けるのか。


 くそ。モブだって、一人しかいなけりゃその他大勢にもなれない。だったら気張るしかないじゃないか。

 俺はふぅ、と息をつくと校長に向かって言った。


「すいません、校長先生。西村さんと同じクラスの鷹野です。威圧的な教師と生徒を二人並べて詰問するこの状況が適切だとは思えません」

「詰問じゃない、事情聴取だ」


 梅屋が口を挟む。校長は俺の顔をじっと見て、静かに言った。


「梅屋先生、それも違います。私はただ、あなたの報告を聞いているだけです」

「……失礼しました。言葉の綾です」


 梅屋は悔しそうにこちらを睨み付ける。校長は俺の方を向き直って同じ口調で言った。


「ですので、もし、あなたがなにか私に伝えたいことがあるのなら、それは後でお聞きします。大人同士の話に割り込んでくるのは非常識です」


 校長の言葉に一転して勝ち誇ったような顔を見せる梅屋。無表情な校長の瞳が鉄壁のようだ。だが、ここで引くわけにはいかない。この機会を逃したらもう終わりだ。

 俺はふぅ、と一息ついて言った。


「オレオレ詐欺に引っかかって振り込みをしようとしている人に話しかけるのは非常識ですか?」

「……」

「ばっ、なに失礼なこと言ってるんだ、お前は」


 もう行っちまえ!


「失礼を承知で申し上げますが、たとえば校長先生、職員室の無線接続を探すのは相当なハッカーじゃなければできない、という大嘘を見抜くことができますか?」

「なにを……」


 梅屋が言葉を飲み込み、沈黙が続く。盗み聞きしていたのか、という言葉はその場の誰からも出なかった。梅屋が苦々しげに口を開く。


「……校長、ちょっと言い過ぎたかもしれません。少し詳しければできるでしょう。でもそれは、西村が相当なハッカーではないかもしれない、というだけの話で、西村がネットワークに侵入したという事実に変わりはありません」


 校長が言葉を促すように俺を見る。

 俺の目が輝くのが自分でも分かった。校長は意識的か、無意識か、会話の輪に俺を含めたのだ。

 俺はゆっくりとうなずいてから話し始めた。


「実際、それが難しいかどうかは大した問題ではないのです。職員室の無線ネットワークに接続するために必要な情報はIDとパスワード、この二つだけです」

「それは当たり前の話ではないですか? IDとパスワードでログインすることは普通だと思いますが」

「ええ。でも、そのIDって一人一人に割り当てられますよね。でも無線ネットワークの場合はアクセスポイントごとにみんなが同じIDを使っています」

「今、そういう技術的な話をしてもしょうがないだろうが」


 梅屋が割り込んでくる。まあそう来るだろう。これから梅屋にとっては都合の悪い話になっていくのだから。俺は校長の興味を引くために、ESSIDという言葉も避け、平易な説明を続けた。


「そして、このIDは管理者――家庭で無線ルータを買った人でも自由に付けることができます。なので、この職員室と同じIDを持ったアクセスポイントを作ることもできるわけです」

「そうするとなにかいいことがあるのですか?」

「例えば、職員室と自宅の無線のIDとパスワード、両方を同じにしておけば、なにも設定を変えず、シームレスに両方に接続できるんですよ。学校のPCを自宅に持ち帰って仕事を続けるときなんか便利でしょうね」

「PCの持ち出しは禁止されているはずですよね」


 校長がちらりと梅屋を見遣る。


「その通りです。禁止されています」

「不可能ということですか?」

「……まあ可能かと言われれば可能でしょう。あくまで規則で縛っているだけなので」


 梅屋はむすっとした様子で答える。


「で、ここからが本題です。もし、職員室と同じID・パスワードのアクセスポイントがあったとして、もしそこに西村さんが接続したことがあったとしたら、どうでしょうか」

「そんなの机上の空論だ。どこにそんなアクセスポイントがあるっていうんだ」

「あれ? 言ってもいいんですか、


 梅屋の息を呑む音が聞こえた。面白いように顔の表情が硬直していく。

 ふーみんは梅屋の裏アカのハンドルネームだ。


「たとえば、どこかのクローゼットに『フリーWi-Fi』と、IDとパスワードを書いて貼っておけば、それを見た西村さんが接続してもおかしくないでしょう」

「そういうことか……」


 理乃が合点がいった、というような顔でつぶやく。二度目の個人撮影会で、理乃はクローゼットに貼ってあった案内に従ってPCをアクセスポイントに接続した。考えてみると不自然だった。フリーWi-Fiなのに入力しづらいパスワードは職員室のものと同じにしていたから、接続できているのにメールの送信ができなかったのは圏外だったからだろう。


「梅屋先生、モバイルルータをお持ちですよね。ESSID見せてもらっても?」

「……」


 梅屋は答えなかった。答えなくても明らかだった。


「梅屋先生、ふーみんとか、クローゼットとか、突然不自然な単語が出てきて私は混乱しているのですけれど、後で説明をしていただけますか。それから西村さん。あなたにもお話を聞かなければならないようですが、もし、女性のカウンセラーが良ければおっしゃってください」


 校長は俺の言葉からなにやら察したようだった。技術には明るくなくても、さすがは校長だと素直に感心した。

 俺と理乃は校長に頭を下げると校長室を後にした。梅屋は俯いたまま、こちらに恨めしげな視線を向けていた。


「ほんとに助けに来てくれるとは思わなかった――ありがと、祐」


 理乃は俺の右手を両手でぎゅっと握って何度も繰り返した。

 この後、理乃と梅屋にどういう処分が下るのかは分からない。だが、少なくとも理乃は学校から見たら巻き込まれた被害者だし、悪くてもせいぜい口頭注意で済むだろう。梅屋はどこまでばれるか次第だろうが。


 俺たちはすでに授業が始まっていた教室に戻り、事情を知らない国語教師に怒られながら席についた。マトはちゃっかり先に戻っていて、俺と目が合うとにっと笑ってサムズアップしてみせた。似合ってはいなかったけれど、俺も同じように返した。


 そして、俺は千代を呼び出した――。

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