その11 少女は証拠を突きつけられる

 翌日の教室は朝から騒然としていた。

 数人のグループがいくつもできていて、「マジだって」「やべえじゃん」という声が漏れ聞こえる。俺も席に着く前に声をかけられた。


「鷹野ぉ、例の試験問題の話、聞いたか?」

「いや、なにも?」


 平静を装って訊き返す。理乃はすでに動いたらしい。


「あれ、やっぱり流出してたらしいぜ」

「なんでわかったんだ?」

「昨日の夜、うちの学校にタレこんだヤツがいるんだって」

「誰だよそれ」


 とぼけて訊ねる。


「さあ、匿名だからわかんねえけど、学校の問い合わせ窓口に試験問題を添付したメールが届いたんだってよ」


 ――そう動いたか。これはちょっとまずいかもしれない。

 俺は話を切り上げると、喧噪に関わることなく机に突っ伏しているマトに話しかけた。


「ちょっと、聞いてるか?」

「なに?」


 眠りを妨げられ、末代まで祟るかのような憎悪の目つきで睨み付けるマト。傍らに置いた眼鏡をかけると、それはとろんとした愛らしい瞳になった。


 眼鏡すげえな。


「なんのこと?」

「先に動かれた。もう一悶着ありそうだ」

「西村さんのこと?」

「ああ」


「おはよー」


 そのとき、理乃が引き戸を開けてやってきた。みんなのざわめきがしん、と静まりかえる。理乃はその様子に気づかないのか、かまわずにつかつかと自席に向かう。

 いや、気づいていないはずはない。誰にも話しかけずに席に向かったのがその証拠だ。

 理乃は鞄からノートPCを取り出すと、すぐに俺たちのところに来た。


たすく、昨日はありがと。これ、お願いしていい?」

「タスク……?」


 マトが不思議そうに首を傾げる。


「あ、ああ。俺、たすくって言うんだ。下の名前」

「祐が理乃、って言うのにあたしの方だけ鷹野くん、じゃ変でしょ」

「さあ」


 マトの反応は薄い。ほんとにただ、祐という名前に心当たりがなかっただけかもしれない。それはそれでちょっと寂しい。


「それより、そのPCはどうしたの?」

「なんか、マルウェアに感染しちゃったらしいんだ、あたしのPC。それで祐が直してくれるって」

「ふうん」


 マトの声が冷ややかなのは気のせいだろうか。俺は焦って言う。


「そうじゃなくて、直せる人を知ってるからその人に頼むって言ったんだよ。ともかく、これは預かるね」


 俺がノートPCを受け取ろうとしたときだった。

 教室の前の引き戸ががらっと開き、担任が入ってきた。


「西村、いるか?」

「あ、はい」

「お、なんだお前。パソコン持ってきてるのか」


 担任は目ざとく理乃の手元のノートPCを見つける。そこまでうるさくは言われないものの、授業に不要なものの持ち込みは禁止されている。


「すいません、これはその」

「ちょうどいい、それ持って来い」

「え、あの」

「ほら、急げ」


 せき立てられるように理乃が教室を出て行く。クラス全員が固唾を呑んでその様子を見守っていたが、ぴしゃりと戸の閉まる音を合図にするかのようにざわつきはじめた。


「やっぱ西村が犯人かよ」

「みんなが真面目に勉強してるのにずるいよね」


 先日から今朝にかけての噂、そして異例とも言えるホームルーム前の教師からの呼び出し。理乃が重要参考人として呼ばれたであろうことは容易に推測できた。だが、真実はすぐに明らかになるはずだ。


 そのとき、俺はとんでもないことに気づいてしまった。あのPCを見られるとまずいんじゃないのか?


「なあ、衣川」

「マト」

「なに言ってんだよ、衣川」

「マト」


 マトはぷい、と横を向いたまま繰り返す。ああ、もう。


「あー、マト」

「なに、たすく


 くるりと向き直ったその目が冷たい。なんでだよ。


「悪い、ちょっと来てくれ。あれも一緒に」

「あれって?」

「持ってきてんだろ?」


 俺はキーボードを叩くゼスチャをしてみせる。マトはうなずいて鞄を取った。


    *


 俺はいつもの階段でマトに昨日あったことを早口で話した。理乃が脅迫されていたこと、梅屋からUSBメモリを受け取って脅迫者に渡していたこと、マルウェアを購入したものの、扱いを誤って自分のPCに感染させてしまったこと――。


「そういうことね」


 マトはノートPCを開いてC2サーバに接続した。前回と同じPCがオンラインになっているのを確認して接続する。スピーカアイコンをクリックすると音声が流れてきた。


『確かにこれは私が作成した問題です』


 梅屋の声だった。驚いてマトを見ると、マトは「西村さんのPCのマイクをONにした」とこともなげに言った。

 なるほど、ある意味盗聴器のようなものだ。これで今、なにが起きているのかわかる。


『西村さん、あなたはこのファイルに見覚えはありますか?』


 今度は校長の声だ。どうやら校長室のようだ。


『わからないです……けど、あたしは取ってません。あたしは、その、梅屋先生には』

『私はなにも関係ないですよ、西村とは。教科も担当してませんし』


 梅屋は理乃の言葉を上書きするようにかぶせてくる。


『でも、この問題は西村さんが手に入れたもの、という告発があったのですよ。関係ないのならどうしてあなたの名前が挙がるのでしょうか』

『わかりません……でも、梅屋先生は誰かに試験問題を渡していました』

『誰か、てそういうあやふやなことを言って言い逃れするんじゃない! お前はボクのファイルを盗んだんだろ?』

『盗んでません!』

『校長先生、ハッキングって言ってですね、今、コンピュータを使った犯罪はすごく増えてるんです。それも、そういうことをするハッカーってのは西村くらいの年の連中がいっぱいいるんですよ。私もコンピュータ部の顧問をやってるから知ってるんですが』


「梅屋はコンピュータ部の顧問だったのか。見たことなかったけど」

「名ばかりなんでしょ。ハッキングとクラッキングの区別もつかないなんて」

「そ、そうだな」


 内心の焦りをごまかしながら答える。マトはどちらなんだろうか。


『ハッキングとかやるやつはサイコパスが多いんです。息をするように嘘をつくから、ほんとびっくりするようなこと言い出したりするんですよ。でも、西村のPCを調べれば証拠が残っているはずです』

『あっ……待って』

『ほら、パスワードを入れろ。変な真似はするなよ』

『ちょっと、待って。待ってってば!』


 理乃も気づいたようだ。以前に見たときのままだったら、デスクトップには試験問題の圧縮ファイルがある。


『だめだ。なにか隠すつもりだろ? ほら、校長先生。PCを見られそうになった途端に急にこんな様子ですよ』

『西村さん、あなたがそういう態度を取ると疑わなければならなくなりますよ。あなたが見られたくない情報もあるかもしれませんが、私は口外しませんから』

『いや、その……』


 マトのノートPCに新しくウィンドウが開き、梅屋の顔が大写しになった。


「カバーを開いたからインカメラが有効になった」

「へえ、すげぇ――って、そんなこと言ってる場合じゃない!」


 かち、かち、というクリック音が続く。


『どうですか、梅屋先生』

『見えるところには……ないですね。でも、見てくださいこれ。このゴミ箱にゴミが溜まってますよね。これを開けば消したファイルも見られるんです。ほら、今年の一月からずっと残ってますから、証拠隠滅しようとしても……あれ?』

『ありましたか?』

『いや、ないですね……』


 俺はふぅーっと一息ついて額の汗を拭った。間一髪、デスクトップに残したままだった試験問題の圧縮ファイルを、遠隔操作でゴミ箱を経由せずに削除したところだった。


「本来なら復旧できないように完全削除したいところだけど、仕方ないわね」


 マトは不服そうにぼやく。


「それより、ちらりとしか見られなかったから自信はないのだけれど……」

「なに?」

「西村さんのPCって、SIM対応だったかしら」

「え、どういうこと?」

「どうして今、オンラインなのかな、と思って。SIM対応だったらそれ自体が携帯電話みたいなものだから理解できるんだけど……今、彼女のPCってどこにつながってるのかしら」


 そのとき、スピーカから梅屋の得意げな声が聞こえてきた。


『よく見てください、このPCからネットワークを開くと職員室のすべてのPCが見えているんですよ。つまり、このPCは今でも職員室のネットワークに侵入しているんです! これが動かぬ証拠です!』

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