その10 少女の真相 その2

 そのときスマホが鳴動した。メールの着信通知だった。


 ――おつかれさま、りさCHAN★ お兄ちゃんも大満足だったYO! 報酬のUSBメモリは駅のコインロッカーに入れておいてね。持ち帰ったらダメだゾ(はーと)


 千代からのメールは相変わらず気色悪い文体だったが、理乃は目を輝かせた。

 これはチャンスかも。

 コインロッカーに入れた後、物陰から隠れて見張っていればいい。もちろんすぐに取りには来ないだろうが、そこは根気比べだ。キーの受け渡しが必要ならそこでも押さえられるかもしれない。


 だが、メールには続きがあった。


 ――使うのは東口改札外のコインロッカーだYO。ここは荷物を入れるとQRコードのレシートが出てくるから、電車に乗って一駅以上離れてからそれをスマホで撮影、位置情報付きでインスタグラムに投稿してね(はーと)。


 犯人――千代も受け渡しのリスクは考えているらしい。

 仕方なく、理乃は駅に向かい、指示に従ってUSBメモリをロッカーに入れ、レシートを撮影して電車に乗った。せめてもの抵抗で、次の駅で逆方向の電車に乗り換え、発車と同時に投稿してみたが、元の駅に戻った時にはすでにロッカーは開錠された後だった。


 完敗だった。


 だが、それは犯人――千代が知力で理乃を上回ったからだとは限らない。千代には準備をする時間があったからだ。

 だから、理乃は千代に立ち向かう準備をした。次はしっぽを掴んでやる、絶対に諦めない――たとえそれが違法な手段であったとしても。

 理乃はそう決意した。


 あのUSBメモリの中に何が保存されているのか。それを知るため、次の撮影会ではPCを持ち込もう。そもそも男はPCを持ち込むことに寛容かもしれないが、そうでなかったとしても衣装を詰め込んだバッグにPCを入れれば気づかれることはない。あのレンタルスペースはスマホは圏外だが、クローゼットにWi-FiサービスのIDとパスワードが書かれていた。もしものために、コピーするだけでなく、そこからメールで自分宛に送っておけばいい。


 ――でも、そのファイルだけで千代の正体がわかるだろうか。


 例えば、千代のPCを乗っ取ることができれば、もっと情報を入手できるだろう。だが、理乃にはそんな技術はない。PCを乗っ取られてファイルが全部暗号化された、というような話を聞くことはあるけれど、それは遠い世界の話としか思えなかった。

 その認識を変えたのは、とあるIT系の記事だった。

 普段ならそんなサイトに目を止めることもなかったのだけれど、PC、乗っ取り、情報、窃取というような言葉で検索していたためか、検索サイトの方からお勧めコンテンツとして提示してきた記事だった。

 それはMWaaS-―マルウェア as a Service、サービスとして提供されるマルウェアという記事だった。記事によると、マルウェア――コンピュータの不正利用を行う悪意あるプログラムを作成する技術がなくても、簡単に利用することができるサービスがアンダーグラウンドで流行しつつある、という。

 それならば自分にも使えるかもしれない。理乃はそう思った。

 そして、理乃はダークウェブと呼ばれるインターネットの裏世界で、日本語のサービスを行っていたサイトから「USBメモリにマルウェアを仕込み、情報を根こそぎ奪いたい」というリクエストを出し、サポートに勧められるままマルウェアを購入した。

 そのマルウェアが届いたのは二回目の撮影会を強要するメールが届いた直後だった。荷物の中身はUSBメモリそのもので、てっきりダウンロードするものとばかり思っていた理乃は、そのUSBメモリの中にあったファイルをPCにコピーして撮影会に臨むことにした。


 初回の撮影会では期待を持たせることでなんとか二回目にこぎ着けることができた。だが、二回目の内容が期待外れとなれば三回目はない。かと言ってこれ以上、露出を増やしたりするとそれが新たな脅迫材料となりかねない。報酬のUSBメモリを受け取ったらそのまますぐに逃げればいいが、捕まってしまったらすべてが台無しだ。理乃は悩みながら当日を迎えた。


 今回もやはり同じ男が一人だけだった。男は上機嫌で理乃に話しかける。


「やあ、りさちゃん。いつもかわいいね」

「え、いつも?」

「あ、いや、いつもこないだの写真見てるってこと」

「えへ、恥ずかしいな」


 愛想よく答えながら、理乃は違和感を感じる。もしかしたら、この男とはどこかで日常的に会っているのかもしれない。だとしたら、ひょっひょっひょという不快な笑い声に聞き覚えがあるのも納得できる。

 だが、肝心なところが思い出せない。どこで聞いた? バイト先? 学校? ダンススクール? それとも図書館?

 いっそのこと、マスクを引きはがしてしまうか。

 でも、この閉鎖空間がそんな強硬手段を躊躇させてしまう。


「じゃあ報酬を先にもらってもいい?」


 理乃が手を出すと男が「それなんだけどね」と頭を掻く。


「別にりさちゃんを信用しないわけじゃないんだけどさ、やっぱ前払いってのは良くないかなーって」

「えー、でもりさ、こないだ前払いだけどがんばったよぉ」

「うん、確かにそうなんだけどさ、その」


 男は言いにくそうに言葉を濁す。


「前払いだと、りさちゃんの勇気が出ないかもしれない、でしょ?」


 理乃は心の中で舌を打った。この男は「自分が満足できる露出度の恰好でなければ報酬は渡さない」と言っているのだ。


「ええ、でもぉ……りさやっぱり恥ずかしくて……こんなのくらいしかできないかも」


 そう言って理乃は制服のスカートの裾をめくりあげる。ちらりと水色と白のストライプ柄が露わになった。


「おお! りさちゃんわかってるぅ!」

「やだ、お兄ちゃん、喜びすぎい。でも恥ずかしいからあ、見るだけで撮影はダメ、いい?」

「えー撮影会でそれはないでしょー」

「じゃありさもうやんない」


 ぷい、と拗ねて見せると、男は「しょうがないなあ、りさちゃんは」と渋々了解した。理乃は下にワンピース水着を着こんできて正解だった、と胸を撫でおろす。だが、それでもぞわっとした寒気が背筋を這う。見ると両腕に鳥肌が立っていた。


 着替えのためにクローゼットに入ると、理乃は手早くPCを立ち上げた。そこに貼られたWi-Fiアクセスポイントに接続してパスワードを入力する。キータイプの音が出ないようにスクリーンキーボードを表示して、タッチパッドから入力する。数字とアルファベットの無意味な羅列は入力しづらく、何度か認証エラーが出たものの、無事に接続することができた。


(あとは報酬をもらったら……)


 PCのカバーをたたむと、理乃は体操服に着替えてクローゼットを出た。


 撮影は前回と同じように進んでいったが、前回よりも遠慮のない視線を纏わりつかせてくる気がした。カメラのシャッター音がまるで自分を包む薄い皮を雑にこそぎ落としていくようで、おかしくなりそうだった。

 理乃には心を閉じてしまいたいという気持ちも、堕ちてしまった方が楽になる、という気持ちも両方理解できた。

 それでも、理乃はどちらも選ばなかった。男の目が自分を食い物にする大人そのものだったからだ。二度と食い物になんかならない、そう決意した理乃は、それは自分が自分であり続けてこそ意味があることだと思っていた。


 撮影会と言う名の鑑賞会が終わり、報酬のUSBメモリを受け取った理乃は急いでクローゼットのPCに接続し、メールで送信する。だが、なかなか送信ができない。仕方なくデスクトップにファイルをコピーし、用意しておいたマルウェアをUSBメモリにコピーする。


 前回と同様、駅でコインロッカーにUSBメモリを放り込むと、今度は指示通りにQRコードをインスタグラムにアップしてそのまま帰宅した。このまま千代がUSBメモリをPCに挿せば、千代の正体にたどり着ける可能性はぐっと高まる。電車の中でPCを立ち上げ、報酬USBメモリの中にあったファイルを開こうとしたが、暗号化されていて開くことができなかった。第二の矢としてマルウェアを用意しておいてよかった、と思った。


 帰宅して、ノートPCを立ち上げ、マルウェアサポートから言われたとおりにC2サーバに接続する。すでに感染したPCが一台あった。しかもオンラインだ。動悸を鎮めながらデスクトップをライブ表示しようとすると、急にPCの動作が重くなって落ちてしまった。何度やってもデスクトップのライブ表示ができない。


 せっかく千代のPCにつながっているのに、どうして見られないのか。


「ひょっとして、また……」


 信じたくない考えが頭をよぎる。アンダーグラウンドショップで購入したマルウェアに騙された、なんて、人に言ったら「当たり前でしょ」と言われるような話だ。

 ダメ元でサポートに連絡をしてみたところ、意外にも状況を確認させてくれ、などと丁寧な対応だった。だが、ある時のメールをきっかけに「返金するのでUSBメモリを返送してくれ」と、サポートをしてくれなくなった。


 仕方なく、学校帰りに郵送しようと学校に持ってきていたところ、いつの間にか紛失してしまっていた。ただ、返金自体はきちんと行われて騙されたというわけではなかったようだった。


 試験問題漏洩事件の噂が流れ、ひょっひょっひょという笑い声が梅屋のものだということに気づいたのはその翌々日だった。


    *


「話してくれてありがと」


 俺は小さな手でカプチーノのカップを握りしめる理乃に言った。二十四時間営業のファミレスのテーブルで、俺と理乃は向かい合って座っていた。時刻はすでに二十三時近く、こちらをちらちらと見る店員の目も穏やかではない。


「結局、あたしがうまく立ち回ろうとしてしくじっただけ」


 理乃は淡々と言う。確かに理乃自身、事情はあるにせよジュニアアイドルの過去、教師との個人撮影会、マルウェア(ようやくウイルスに限らない、悪いプログラムの呼び方が分かった)での攻撃という、隠したい行いがたくさんあった。だから、事実よりも悪い援助交際や試験問題の不正入手という疑いに対して堂々と否定することができなかったし、状況も非常にまずいことになっていたわけだ。


「つまり、真犯人である千代は理乃の弱みをネタに撮影会を強要、それを梅屋に紹介してその見返りとして試験問題を要求した、ということか」

「たぶん、梅屋先生はあたしのDVDを見たことがあるマニアなんだと思う。そうでもなければ試験問題の横流しなんて、そんな危険なことはしないと思うし。でも、あたしがその本人であることには撮影会のときまで気づかなかったみたい」


 あり得る話だと思った。いくらなんでも「もしかしたらうちの生徒の中に元ジュニアアイドルがいるかも」なんて考えにはまず至らないだろう。ある意味、それも先入観だ。先入観は人の目を曇らせる。それに理乃の場合はサバを読んでいたということもある。


「それからマルウェアの件だけど、話を聞いてようやくわかった」

「なにが?」

「マルウェアに感染したのは千代のPCじゃなくて、理乃のPCなんだよ」

「え、どうして……?」

「あのマルウェアは中に入っているファイルじゃなくて、USBメモリそのものなんだ。だから挿しただけでマルウェアに感染するし、逆に中のファイルをコピーしても感染しない。あのUSBメモリを挿した時点で、理乃のPCが感染したんだよ」


 詳しいことは分からないが、感染した自分のPCのデスクトップを自分のPCに表示させようとしたら無限ループに陥って落ちてしまうのは理屈にあっている気がした。


「うわ、あたしってほんとにバカじゃん……。じゃああたしのPCってどっかから丸見えの状態になってるってこと?」

「大丈夫。俺に心当たりがあるから、その人に頼めばきっと綺麗に除染してくれるはずだよ。明日、学校に持ってきてよ」


 あとはマルウェア as a Serviceをやっていたマトが、どうして手のひらを返したようにサポートをやめてしまったのか、そして返品させるはずのUSBメモリをどうして自ら回収したのか――そこまではマトを問い詰めればわかりそうだ。

 ただ、千代のことは――。


「それで、どうする?」


 俺は理乃に訊ねた。


「この事件を終わらせる――それは約束する。でも、千代のことはどうしたい?」

「どうしたいって――?」

「復讐したいのか、しかるべきところに突き出したいのか、それとも正体が分かるだけでいいのか――」


 理乃は少しだけ肩をすくめて、眉をハの字にして笑った。


「もういいや。話したらなんだかすっきりしちゃった。もう全部ぶちまけようと思ってる。信じてもらえないかもしれないけど、あったことを正直に話す。梅屋先生には都合の悪いことになるだろうけど」

「そっか――」

「まずは美和ちゃんに相談してみる。あーあ、美和ちゃんに怒られちゃうなー。どうしてそんな大事なことを最初に私に相談しないの、って」


 それが理乃の選択なら、それは俺がとやかく言うことではない。

 でも――俺の選択が理乃の選択と同じでなければならない法はない。


 ――逃がさねえから。


 俺は理乃に笑顔を向けたまま、脳裏に浮かぶ千代の眼鏡姿に誓った。

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