その9 少女の真相 その1
*
ある日、理乃の元に一通のメールが届いた。送信元に心当たりはなかった。
本文にはユーチューブのURL。クリックするとランドセルを背負って、振り向く三年前の自分がいた。
ジュニアアイドル「りさ」のイメージビデオだった。
さぁっと血の気が引いた。すぐに停止ボタンを押す。
「なんなの一体――」
一体どれくらいの人がこれを見たのだろう。だが、再生数はわずか一桁。理乃はほっと胸を撫でおろした。
今、削除要求を出せばほとんど見られずに済むかもしれない。
でも――でも、もし、このユーザがあたしをターゲットにしているのなら、捨てアカでいくらでもアップし直すことはできる。
アップロードユーザのアカウントはいかにも適当につけました、というような文字の羅列だった。そして説明文には「個人撮影会開催のお知らせ」と書かれていた。
――あれから三年。当時の可愛さそのままに、エッチに成長した『りさCHAN★』 衣装持ち込みOK!
「なにこれ――」
メールをもう一度見直す。URLの下にはメッセージが続いていた。
――遅刻厳禁だYO★ 理乃じゃなかった、りさCHAN(CHU!)
ブッチとか遅刻しちゃうと、公開処刑だからね(はーと) アイドルになりたくって、学校でもぼっちになりたくない理乃たんはそんなことしないって信じてるYO!
気色の悪いメッセージ。だが、その内容が「撮影会に来なかったらジュニアアイドルをしていたことを学校はじめ広く暴露する、という脅迫であることは明らかだ。
理乃は悩んだ挙句、取引に応じることにした。相手が誰だかわからない気持ち悪さよりも、相手が特定できる危険の方を選んだ。
中学時代の制服、体操服、スクール水着――指示のあった衣装をバッグに詰め、理乃は指示のあった都内のレンタルスペースに向かった。指定された部屋は地下にあって、明るい照明は付けられているものの、逃げられないという恐怖心が煽られる。スマートフォンも圏外だ。
もしかしたら意図的に圏外のところを選んだのかもしれない。
覚悟を決めてドアを開けると、すでに一人の男がいた。ニット帽にマスクで顔を隠したその男は「ほんとにりさちゃんだなあ、かっわいいなあ」と感激したように言う。やや腹の出たTシャツにカーゴパンツといった格好は年齢が分かりづらかったが、声は中年のものだった。
「あの、今日の参加者は――」
撮影機材をセッティングする男に理乃が訊く。男は「ああ、ボクだけだよ」とあっさり答えた。
理乃はほっとした。単独犯なら勝ち目はある。
手元にあったガラス製の灰皿を取り、背中を向けている男にこっそりと近づく。
「報酬はこれでいいんだよね?」
くるりと振り向いた男は小さなUSBメモリを差し出した。
「え? 報酬って――?」
理乃は慌てて灰皿を背中に隠しながら訊く。
「あれ? 千代ちゃんから聞いてない?」
「はい――」
千代? 誰のことだろう。理乃が首をかしげていると男は「ま、いいよ」と軽く肩をすくめて見せた。
「ボクは千代ちゃんから『報酬はUSBメモリでりさちゃん本人に渡してください』って言われたんだよ。ともかく渡したからね」
「あのっ、千代ちゃんって誰ですか?」
「え、知らないの?」
男は驚いたように言う。
「――まあ、そういうのもアリなのかもね。ボクもネットでやりとりしてるだけで、会ったことはないんだ。さ、時間ないからさっさと準備しようか、りさちゃん。まずは制服で。一応、そっちが更衣室だけど、ここで着替えてくれてもいいからね、ひょっひょっひょ」
「……」
その気持ち悪い笑い声はどこかで聞き覚えがあった。
「そこの更衣室使います」
「冗談だよ冗談、ひょっひょっひょ。千代ちゃんに怒られちゃうからねー」
上機嫌の男と対照的に、理乃はぞっとする嫌悪感を覚えた。更衣室代わりのウォークインクローゼットで中学の時の制服に着替える。
――まだ大丈夫。我慢できる。
理乃はそう自分に言い聞かせた。あのメールの差出人は千代と名乗る人物。そして、千代はこの個人撮影会の報酬としてこれを指定した。
理乃はUSBメモリをつまみ上げる。一体何が入っているのか。今持っているスマホでは見ることができない。
この男をどうにかしても、千代にたどり着くことはできない。でもこれが手掛かりになるはず。
だから、今大事なのは自分の身の危険を回避すること、この撮影会で新たな脅迫のネタになることは避けること――そして、あまり考えたくないけれども、今日だけで手掛かりが足りないときのために次回につなげることだ。
「お待たせしましたぁ」
「おお、りさちゃんかあいいね! なんか不機嫌そうだったから心配しちゃったよー」
男はカメラのファインダーから顔を上げるとうれしそうに言った。
「てへへ、やっぱ着替えるとテンションあがるよねー」
「天性のアイドルだねー」
「だからぁ、えっちな目で見ちゃだめだゾ?」
吐き気をこらえて作られたキャラを演じる。男は何度もセクハラまがいの言葉を理乃に投げかけてきたが、それを笑顔で受け流した。
「じゃあ、ボクが持ってきた衣装に着替えてくれる?」
「あー千代ちゃんに聞いてないですかあ? 初回は持ち込み衣装ダメなんですう」
バッグの中から紐のような水着を取り出した男に、考えておいたセリフで返す。
「え、さっき千代って誰って言ってたじゃん」
「あれはぁ、『千代ちゃんってどんな娘ですか』って言ったんですよぉ。あたしも会ったことないから、もしかしたらお兄ちゃん会ったことあるのかなあ、って」
喉が渇く。
「あーそかそか」
「もー、りさの言うことちゃんと聞いてたぁ?」
掠れた声が不自然に聞こえなかったか、不安になったが杞憂だった。スクール水着は避けられなかったものの、なんとか流出しても問題ないレベルの写真だけで終えることができた。
「ねえお兄ちゃん。次ってあるのかな?」
機材を片付け始めた男に声をかける。
「え、そりゃあできれば……」
「なんかね、りさ、お兄ちゃんのような人もいるんだ、てびっくりしちゃった」
「ぼ、ボクのような人って……」
「だからぁ、もし次があったらもうちょっとだけ、りさは勇気を出せるかも!」
ぱたぱた、とそのまま部屋を出る。そしてドアからもう一度顔を覗かせて一言。
「またね、お兄ちゃん!」
エレベータを待たずに階段を駆け上がり、店を出て裏路地に折れる。
「おぇっ」
道路標識につかまり、背を丸めると堪えていた吐き気が胃の底から湧き上がってきた。焼けるような不快感が食道のあたりを走り、じわりと涙がこぼれた。
――負けるもんか。
理乃はハンカチを口に当てると、涙目で虚空を睨んだ。
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