その8 少年の信じた真実
(――いた!)
俺は図書館の自習スペースで理乃を見つけた。真ん中でぴっちりと分け、綺麗にまとめられたツインテール。何度も開いて小口の広がった参考書を傍らに置き、頭を捻るたびに毛先が揺れる。
その隣には委員長こと九重美和がいた。すっと背筋を伸ばし、姿勢を崩さずに黙々と問題を解いている。ひょい、と理乃の方を覗き込むと、一言二言伝えてすぐに自分の勉強に戻った。理乃はそれから数秒遅れて「そっか!」と明るい表情を見せる。
俺の頭では、今ある情報だけでは真実にたどり着けない。だったら情報を増やすしかない。
でも、俺にはマトのようにPCを乗っ取って捜査をするなんてことはできない。
だから、本人に直接訊くつもりだった。どうせもう嫌われているんだ。これ以上嫌われてもなにも変わらない。
「にしむ――」
俺は理乃に話しかけようとして、途中でやめた。委員長が理乃に人差し指を唇に当てるゼスチャを見せたからだ。
この静かなスペースで伝えることではない。それに、勉強の邪魔をするのも悪い。
俺は読書室で待つことにした。幸い、ここにはたくさんの本がある。退屈はせずにすむだろう。
気が付くと閉館の時間が迫っていた。
慌てて自習室に戻ったものの、すでに理乃たちの姿はなかった。
(今日はメイド喫茶でバイトだったはず――)
俺は踵を返して駅に向かった。
秋葉原に着くと、メイド喫茶の前でバイトが終わるまで待つことにした。高校生だから十時には上がりになるはずだ。
だが、待ち始めてから一時間ほどで俺はその場を離れなくてはならなくなった。メイド喫茶のスタッフが「誰かとお待ち合わせですか」と丁重に声をかけてきたからだ。どうやらメイドの誰かのストーカーと思われたらしい。実際大差はない。
仕方なく駅のそばに移動して待っていると、思った通り十時過ぎになって理乃が姿を現した。だが、声をかける間もなく理乃は電車に乗り込んでしまった。
慌てて電車に飛び乗り、理乃の乗った車両を目指す。電車は意外と混みあっていて、三車両移動するのに二駅ほどかかってしまった。
(――いた)
理乃はつり革につかまり、参考書を開いていた。電車が揺れるたびに体が大きく揺れる。
「西村さ――」
俺はかけた声を途中で飲み込んだ。理乃は参考書を開いたまま、うつらうつらと眠ってしまっていた。
付箋のたくさん貼られた参考書、つり革に体重をあずけてゆらゆらと揺れる細い腕、折れてしまいそうな華奢な腰――その小さな体で懸命に頑張っている理乃のわずかな休息を奪うことは憚られた。
車窓に映った理乃は疲れ切っていて、桜色の唇が軽く開いていた。
もういい。
論理的な推理なんか知ったことか。俺は理乃が犯人ではないと信じる。それが真実だ。真実にしてみせる。理乃が犯人でなくても成立する図を考える。
考えろ。考えろ。考えろ。考えろ。
やっと一つ思いついても、すぐにその二倍の反証を思いつく。
それでも、考える。
結論ありきの思考の歪み、そんなことは構わない。たった一つでもいい。「ありうる」可能性を見つけられればそれでいい。たとえいかに不合理に見えても、それが可能な物であれば真実であるかもしれない。
駅が近づいてきて、パチンコ屋の派手なモニタが目に入った。そこに映し出されているのはアニメのキャラクタばかりで、気を付けてみないとパチンコ屋のものとは気づかない。以前はアニメとパチンコはあまり関係なかった、と聞くけれど、あまりピンと来なかった。ただ単に玉を入れるだけのパチンコ台を想像してみたけれど、それはなんだか牧歌的な縁日のようで、むしろ微笑ましい風景に思えた。
とは言ってもパチンコは日本でもっとも普及している賭博だ。確か、三店方式というシステムで法規制を免れていると聞いたことがある。パチンコ屋は客に玉を売り、客の玉と交換で景品を渡す。そして景品交換所は景品を売りに来た客から景品を買い取る。そうやって仕入れた中古の景品をパチンコ屋に卸す――。
まてよ。
もし、この試験問題漏洩事件でその三店方式が使われていたら? 犯人は理乃からなにかを受け取る。それを梅屋に渡し、試験問題を受け取る。そして理乃は梅屋になにかを――。
だめだ。成り立たない。
だが、三店方式の考え方は俺にとって目新しいものだった。俺は今回の事件で犯人と梅屋だけが登場する図ばかりを考えていた。だから理乃が犯人かそうでないか、という二元論になる。
もし――もしも、この図の中に梅屋と理乃、そして犯人がいたとしたら。あるいは――援助交際と、USBメモリを使ったクラッキング、この二つが別々の事件だったら――。
(ひょっとして――)
気が付くと電車は停車していて、俺は人の波に流されるようにホームに押し出された。きょろきょろとあたりを見回すと、隣のドアから出てきた理乃と目が合った。
理乃は一瞬、驚いたような顔をしたが、すぐにぷいっと顔を背けて足早にエスカレータに向かった。
俺は後を追いかけた。
「なにか用?」
エスカレータを降りたところで理乃が振り返る。
刺々しい視線と低い声。普段の甘い舌足らずな声が作られたものだと気づいて怯みそうになる。
「俺は、西村さんを信じる」
「好きにすれば。ほっといて」
理乃はくるりと背を向けて立ち去ろうとする。
怯むな。くじけそうになる自分を叱責する。
「理乃」
理乃の歩みが速くなる。俺は小走りに追いかけながら理乃の背中に話しかける。
「理乃が俺を敵だと思っても、俺は理乃の味方をやめない」
「……なんでよ」
「理乃は……すげぇからだよ」
唖然としそうな語彙力のなさだけど構うもんか。
「ボイトレにダンス、勉強にバイト――それを手も抜かずにやってる」
「……」
「
「……」
「事務所を通さないオーディションを狙ってるのは、もう悪徳業者に騙されないためだろ」
「……」
「もう騙されないように、いっぱい勉強してるんだろ。そんなにすり切れた参考書は試験問題を盗むようなヤツの参考書じゃない」
「……」
「だから、俺は全力で信じる――理乃の人生は梅屋や脅迫犯のようなくだらねえヤツが関わっていいモンじゃない。もう報われなきゃいけないんだ」
理乃の足がぴたりと止まった。
「脅迫されるなんて自業自得だとは思わないの?」
「まさか」
「……きっと軽蔑するよ」
「あり得ない」
「……ほんとに、助けてくれるの?」
「ああ」
「じゃあ……もう……あんな嫌な……こと……はしなく……ていいのね?」
嗚咽にまみれた声はかすかな希望にすがるようにか細かった。ああ、と俺が答えると、堰を切ったように理乃の大きな瞳から涙が溢れ出した。
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