その6 少年は覚悟を決める
「はぁ」
昼休み。屋上に続く階段に腰掛けた俺は、頭を抱えて深いため息をついた。
隣ではマトが俺が渡したプリントアウトをめくっている。そこに印刷されているのは大量の写真やツィート、投稿記事だ。
俺は夜を徹して自分の持っている情報に「意味」を探した。あのデマで俺が気づいたことは「問題を作成した教師の方にもなにかがあるかもしれない」ということだ。まずはデマにも上がっている数学の梅屋から調べることにした。
梅屋が独身一人暮らしの四十一歳であることは周知の事実だ。授業中、生徒に問題を解かせている間に運動場やプールの女子生徒を見ているとか、階段でふと後ろを見たら梅屋と目が合ったとか、そういう話も聞く。そんな生徒からの不信感もデマの一因なのだろう。
俺は公開情報であるフェイスブックの写真に写っている店や場所から、梅屋がいつ、どこにいたのかを特定してスケジュールを埋めていった。それと自宅の最寄り駅までの移動手段、移動時間を推定し、同時間帯に同じ場所でつぶやかれたツィートを検索していくと、マッチング率の高いアカウントがいくつか見つかった。それらのアカウントには平日・休日でマッチング率に変化がないものもあれば、休日のみ高くなるもの、その逆もある。
これらには梅屋本人のものだけでなく、本人と同じ行動をとっていた人物が含まれているはずだ。とすれば、平日は教師仲間、休日は友人や趣味の仲間である可能性が高くなる。
アカウントごとの情報をまとめ、共通するフォロワーを抽出していくと休日のアカウントにはいくつかのキーワードが浮かび上がってきた。
「それがカメラ、個人撮影会、ジュニアアイドルってことね」
「うん。デマの反証を見つけるつもりだったんだけどなぁ」
俺の言葉にマトは意外そうな顔を見せる。
「確かに、西村さんは中学生、下手したら小学生くらいに見えなくもないから、梅屋先生の好みなのかも。でも、それだけでしょ」
「梅屋の方だけだとそうなんだけど」
そう言いながら、俺はもう一枚コピー用紙を見せた。
それはオークションサイトで見つけたDVDのパッケージ写真だった。サブタイトルに「りさ 十歳」と書かれたジュニアアイドルのイメージDVD。ツインテールの幼い女の子が、かなり際どい水着姿で写っている。
「西村さんの写真で画像検索したらヒットした。ずいぶん幼いけど、三年前のDVDだから」
「確かに似てるけど……年が合わないわ」
「年齢を騙るのは珍しくないと思う。それよりここのほくろ」
左目の下に二つ連なる特徴的な泣きぼくろ。理乃のチャームポイントだった。
「確かに……西村さんかも」
「そう、だよなあ」
俺はまた、深いため息をついた。
結局、俺が徹夜でやったことは、あのデマの裏付け作業でしかなかったのか。
「それで、結論は?」
マトは資料から顔を上げて訊ねる。
「これから分かったことは、梅屋先生がジュニアアイドル好きらしいということ、西村さんが三年前はジュニアアイドルとして活動していたということ、なのよね?」
「うん」
「それだけでしょ。援助交際をして、その見返りに試験問題を受け取っていた、という証拠が出てきたわけじゃないんでしょ」
「そうだけどさ……」
それでも、信じたい、という俺の気持ちとは裏腹に「そういうことをやってもおかしくない」という事実は出てきたのだ。そう言うとマトは端的に一言だけ言った。
「そんなの事実とは言わないわ」
やれやれ、杓子定規なヤツだ。じゃあ証拠、と言い換えればいいのか。「そういうことをやってもおかしくないという証拠」――いや、証拠じゃないな。根拠? 根拠なのか? いや、それだって証拠と同じだ。じゃあなにが適切? 俺は何度も浮かび上がる「思い込み」という言葉を避けながら考える。
そんな俺を見ていたマトが唐突に言う。
「鷹野くんが話しやすい理由が分かった気がする」
「え、なんで?」
「私の言ったことをちゃんと考えてくれるから」
「そんなこと……」
俺が考えていることは、そんなにほめられるようなことじゃない。でも、マトの眼鏡の奥の瞳は柔らかくて、それを失いたくなかった俺は否定することができなかった。曖昧にうなずくと、俺はコピー用紙の束を受け取って腰を上げた。
もうやめよう。
そう思った。これ以上調べて、もっと確実な証拠を掴んでしまったら、俺はどうすればいい?
別に犯人捜しをしたいわけじゃない。ただ、無責任に流れたデマで理乃が孤立するのを見ているのが嫌なだけだ。はっきりとした証拠もないのに、犯人扱いしていることに納得がいかないだけだ。
だから――だから、理乃が犯人だという結論が出るような調査をしても意味がない。それよりも俺は、俺が理乃を信じることの方が大事じゃないか。
教室に戻るとすでに半分くらいの生徒の姿が見えなくなっていた。グラウンドでサッカーに興じる者、部室で友人とだべるもの、図書室で読書に勤しむもの、さまざまだ。
理乃はまだ席にいた。委員長と席をくっつけて控えめに談笑している。
本当に理乃は梅屋と援助交際をしているのだろうか。マトの言うとおり、分かったことは梅屋の性癖と、理乃の過去、それだけだ。別にジュニアアイドル――それも健全とは言いがたい方の――をやっていたからといって、それが理乃の意思とは限らない。たとえそれが理乃の意思だったとしても、今、援助交際をするようになっているという理由にもならない。
それはただ、俺がイメージで結びつけているだけだ。
「あ、鷹野く――」
俺の視線に気づいた理乃が話しかけてきた。その言葉が終わらないうちに表情は固まり、言葉は立ち消えていった。
俺はコピー用紙の束をぎゅっと握りつぶしながら、親指で廊下を示した。何を話そうとしているのか、自分でも分からなかった。ただ、信じている、と伝えようと思った。
先に教室を出て、特別教室棟に続く渡り廊下の方に向かう。振り返ると理乃がちょうど教室を出るところだった。
がらんとした渡り廊下で理乃が追いついた。
「……そうだよね、人に見られるとまずいよね」
ぼそっと言う理乃の言葉に、頭を殴られたような衝撃が走った。
理乃が俺に話しかけてきたとき、俺はどんな顔をしてた? 人前で話しかけるなよ、という顔でもしてたのか?
そうじゃない。俺はただ、人に聞かれるとまずい内容だから、余計に疑われることになるから、だから、連れ出しただけだ。
俺はコピー用紙の束を強く握りしめた。こんなの、見られたらヤバいだろ? 俺は理乃のためを思って――。
いや、嘘だ。
そういう思いがなかったわけじゃない。でも、それがすべてじゃない。
だって俺は、何を話すか、決めてなかったじゃないか。
そうだ。
俺は普通だ。嫌になるくらい普通で、そして、仲間はずれやカーストを作るのはそういう普通のヤツなんだ。普通すぎて、そういうことをしている意識すらないんだ。
保身のためにリスクを取らずに生きてきた。理乃のことだって、偶然知って助けたい、と思っても裏に回ってこっそりとやるだけだ。自分の身にリスクが及ばないところでしか、俺は人助けもできない。
普通すぎて嫌になる、と言いつつ、普通であることの恩恵は手放したくない。その一方で、理乃にもいい顔をしたい。だから連れ出した。
マトに対してだってそうだ。
ウイルス? 入りのUSBメモリ、C2サーバ――あいつがなにかヤバいことをしているのは分かっている。でも、それを見なかったことにしてきたのが俺の処世術だ。中途半端に近づいて、ヤバいと思ったら距離をとる。根拠のないデマに手のひらを返す、クラスメイトたちと何の違いもないじゃないか。
「俺だって……ヒーローに憧れてたんだ。一人で戦うヒーローに」
「え? なに?」
俺はコピー用紙を見せた。そこには三年前の理乃がいる。
理乃は大きく目を見開いた。
「これ、西村さん?」
「……そうよ」
理乃は泣きそうな顔で答えた。それを聞いて、俺は「そうでなければいい」という想いを持っていたことに気づいた。
がっかりとうなだれた俺に理乃が言う。
「だからなに?」
「え……」
理乃はうつむいたまま続ける。
「それをネタに何をさせたいの、あなたは」
「いや、ちが……」
「最っ低」
走り去る理乃の背中を見るだけの俺はヒーローなんかとはかけ離れていた。
*
最低の気分のまま放課後を迎えた俺は、いつもの屋上に続く階段にマトを呼び出した。
「今度はなんの用?」
鞄を抱えてあきれた様子のマトに意を決して訊く。
「C2サーバの管理者、お前なんだろ?」
「にゃ、にゃんのこと?」
噛んだ上に目が泳いでいる。分かってはいたけど一目瞭然だった。
マトは「悪事を阻止するためにUSBメモリを回収する」と言った。そして、その悪事を働くために必要なC2サーバはマトが管理している。その矛盾はただの想像では理解できない。
「C2サーバを見せてくれ」
「なんで? 鷹野くんはこっちの人じゃないでしょ。それともあっちの人?」
こっちとあっちが何を指しているのかわからない。そう訊くと、マトは「こっちは私。あっちは私の敵」と答えた。
こっちでもあっちでもない――今までの俺なら。
「こっちの人だ」
「ふうん、そっか」
マトはそれ以上は訊かず、鞄からスマホとノートPCを取り出してなにやら操作しはじめた。
「ほんとは有償だけど、眼鏡代の代わり」
ノートPCの画面にはブラウザが立ち上がっていて、そこに文字や数字が整然と並んでいる。
「あのUSBメモリでpwnしたのはこの一台だけ。今はオフラインだからすでに取得している情報しか取れないわ」
pwnがどんな意味なのかはわからないが、多分、乗っ取った、とかそういう意味なんだろう。マトが指さす先には「NOTEPC-6BJRD8」と書かれたリンクがあった。コンピュータの名前だろう。その前にはグレーのボタンが表示されている。
「このノートPCは誰のものなんだ?」
「今の情報だけだと分からないわ。教師のものだとは思うけど……」
「どんな情報がある?」
「ハードウェア情報、ユーザアカウント情報、アプリケーション情報、それにデスクトップのキャプチャと一部のファイルコピー」
マトは操作しながら答える。画面は次々と切り替わって情報が表示されているようだが、意味はよくわからない。理解できたのはデスクトップのキャプチャだけだ。ぽつん、と日付を付けたファイルが置かれている。
「これ、圧縮ファイル?」
「うん。コピーもあるわ」
マトが操作するともう一つ別のウィンドウが立ち上がった。エクスプローラのようなその画面を操作して圧縮ファイルをダウンロードする。
「これ、PCの中の全部のファイルがあるの?」
「ううん、あるのはpwnした後に操作したファイルだけ。この圧縮ファイルは暗号化されてるから中身を見るにはちょっとかかるわ」
「え、でも見えてるじゃん」
俺は圧縮ファイルの内容一覧を指さす。
「暗号化していてもファイル名までは分かるの。中身は見えない」
「そんな仕組みでいいのか?」
「私は使わないから問題ないわ」
「……これ、やっぱ試験問題なのか?」
ファイル名は『2018-1_中間試験数学.jhd』。試験問題だとしてもおかしくないだろう。
「中身がわからないから断言はできないけど、拡張子もそれっぽいわね」
「拡張子って、このjhdのことか? これ、何のファイルなんだ?」
「花子。グラフィックソフトの一つだけど、数学の図形が描きやすいのと、一太郎との連携がしやすいから試験問題作成でよく使われてる」
俺は腕組みして考え込んだ。犯人はウイルス? 入りのUSBメモリを使って教師のノートPCの操作を奪い、そこから試験問題を窃取した――今俺たちがやっているように。そのことが明らかになれば理乃が援助交際をして、その見返りに試験問題をもらっていたというデマを覆すことができる。
「おかしいわね……」
マトのつぶやきに意識を戻される。
「どうした?」
「ほら、さっきのファイルをこのPCで作ったんだとしたら、花子が入っているはずでしょ? でも、このPCに花子はインストールされていないのよ。花子ビューアもないから、このPCで開くことすらできないはず」
「え、それってどういうことなんだ?」
「このPCは問題を作成した教師のものではなくて、なんらかの方法で試験問題ファイルを手に入れた人のものかもしれないってこと」
「つまり、このPCの持ち主は被害者ではなく犯人、ということか?」
マトは「かもしれない」と言ってうなずいた。
訳が分からなかった。
なぜ、被害者ではなく犯人のPCが乗っ取られているんだ?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます