その5 だから少女は疑われる
昼休み。
理乃はいつもと同じように仲のいい友人たちと弁当を食べるために、机を寄せようとした。だが、そこでなんらかのやりとりがあったのだろう。理乃は「ううん、気にしないで」と、両手を振って寄せかけた机を戻した。
俺はなんだかいたたまれなくて席を立った。
かわいそうだとは思うけれど、男子の俺がそこで手を差し伸べたところで何かが好転するとは思えない。むしろ「ああやって男をたらし込むのね」と、余計に悪くなることだってあるだろう。できることは加害者にならないことくらいだ。
同性だったらやりようもあるだろうに、とマトの席を見たが空席だった。
そういえばあいつはお昼、どうしてるんだっけ?
友達がいないから、誰かと一緒に食べることはないものの、かといって席で一人で食べているところを見た記憶もない。
せっかくなら理乃と食べればいいのに。
俺はマトを探しに教室を出た。便所飯か、屋上に続く階段の踊り場の二択だろう。便所飯だとどうしようもないから、必然的に向かう先は階段だ。そして、思った通りマトはそこにいた。
「いつもここで食べてたのか」
マトは階段に座り込み、膝に小さなノートPCを乗せていた。傍らにはグミの袋がある。俺が話しかけてもまるで反応せず、一心不乱にキーを叩き続けている。
「おーい」
カタカタカタカタ。タイピングの音は止まらない。
俺は聴覚に頼ることを諦めて、ノートPCのモニタの横で変顔待機した。マトの目線のすぐ隣に俺の顔があるのに、マトは動じることもない。
眼鏡にモニタの反射が映り込み、その向こうでは大きな瞳が左右に忙しく動いていた。ブラウンの光彩に大きな黒い瞳孔。だが、その瞳が俺を捉えることはない。からかうつもりでじっと見つめていた俺だったけれど、いつの間にかその瞳に魅入られていた。
タン、という音でタイピングが止まった。
「ふぅ……ひぃッ!?」
「うおう!?」
突然の悲鳴に俺は二、三段ずり落ちる。
「ななななななんですか誰ですか……って、鷹野くん!?」
「よ、よう……」
「何してるんですか」
「まったく何してるんだろうな」
マトの冷たい目に反論する余地はなかった。
「すんげえキーボード打つの速いんだな」
俺はマトの隣に座りながら素直な感想を言う。
「そんなことないわ。遅くてイライラする」
マトはグミを口の中に放り込みながら、心底うんざりしたように言った。
「嘘だろ、そんなスピードで打てるのに」
「頭の中ではもうできてるのよ。でもその速さにキータイプが追いつかない」
「できてる、て、ああ、これプログラムなのか?」
マトの隣でモニタを覗き込む。真っ黒な背景に緑色の文字が浮かんだウィンドウがいくつも重なっている。何をするプログラムなのかは分からないけど。
「それで何か用なの?」
「ああ、そうだった。衣川さんってさ、もうお昼食べた?」
「今食べてるところだけど?」
そう言ってマトはグミの袋を持ち上げて見せた。
「これがお昼ご飯なの?」
「うん」
グミの袋には「完全食」と書かれていた。栄養バランスも考慮されているのだろう。まあいい。何を食べようが、今は関係ない。
「せっかくだからさ、お昼西村さんと食べたら?」
「なんで?」
ま、そう来るよね。
「今朝のデマのせいで、西村さんちょっと孤立しちゃった感じなんだよね」
「孤立?」
「みんなよそよそしい感じで、関わり合いになるのを避けてる感じなんだよ。いじめとかしかととか、そこまではないんだけど」
「それで、どうして西村さんと私が一緒にお昼を食べることになるの?」
「だってほら、かわいそうじゃんか」
「誰が?」
「西村さん」
「どうして?」
「だからさぁ」
俺は少しイラッとしながら繰り返した。
「孤立しそうなんだよ、このままだと」
「だから、かわいそう……?」
「うん」
マトは少し考え込むように首を捻った。
「鷹野くんは私のことをかわいそうだと思ってた?」
「あ、いや」
予想外の返しに思わずうろたえる。それを知ってか知らずか、マトはたたみかけるように続けた。
「じゃあ、どうして私はかわいそうじゃないのに、西村さんはかわいそうなの?」
「だって衣川さんと……」
だって衣川さんと西村さんは違うでしょ――そう言いかけたけれど、その後を続けることはできなかった。
なにも違わない。同じ境遇でも、この子はかわいそう、この子はかわいそうじゃないなんて、そんなことを決めるほど俺は尊大か?
「いや、そうだね。ごめん」
「? どうして謝るの?」
頭を下げたまま考える。
なんでだろう。
マトと話をするようになってから、自分の普通さがやたらと鼻につく。自分の行動原理が、考え方が、感じ方が、どれもこれも薄っぺらい借り物に思えてしょうがなかった。
「鷹野くんはすごいよ。私が気づかないことをいっぱい気づくし」
マトの言葉に驚いて顔を上げる。ひゅっと、手を引っ込めるのが見えた。
――もしかして、俺を撫でようとしてたのか?
「あとね、えーと、えーと、ね」
目を泳がせて必死に言葉を探すマトに、思わず苦笑する。
「いいよ、無理しなくても。ありがと」
「そうだ、鷹野くんはなんか、話しやすい」
ストレートに来るなあ。緩みかけた口もとは咳払いをして誤魔化した。
そうだ。俺がすべきことは「理乃がお昼を誰かと食べるように仕向けて、孤立感を緩和する」ことなんかじゃない。俺はマトに訊いた。
「USBメモリは誰から回収したの?」
「言わない」
「だよね。じゃあC2サーバのログイン権限はどうやって潰したの?」
「……」
マトの表情が固まった。しばらく目が泳いだあと、マトは観念したように言った。
「企業秘密」
なんだそれ。守秘義務の次は企業秘密ときた。
「クラッキングしたの?」
「まさか」
「テイクダウン?」
「違うわ」
「じゃあ、衣川さんが管理者?」
「……どうしてそう思うんですか」
相変わらず分かりやすい。
「俺はさ、西村さんは無実だと信じてる。そして、衣川さんはそれを証明できるんじゃないかと思ってる」
「私にはできないわ」
「どうして?」
「私が持っている情報では西村さんの無実は謳えないから」
以前にも聞いた台詞だった。
「それより、鷹野くんはどうして自分が持っている情報を使わないの?」
「え、俺? 俺はなにも持ってないよ」
俺の持っている情報があればさっさと出している。だが、マトは鼻で笑った。
「あれだけいろんなことに気づく鷹野くんが、なにも情報持ってないなんてあり得ないわ」
「いやいやないってば。そりゃあアイドルを目指してるとか、週二のダンスレッスンとボイトレに通ってるとか、そういう情報ならあるけどさ」
「ほら、持ってるじゃない」
「それは衣川さんだって持ってるでしょ」
「私は情報を持っていても、人間相手だとなかなかその意味に気づけないから」
「意味?」
情報と意味――。情報を持っていても意味に気づかなければ、それこそ意味がない。それは分かる。でも元々の情報を持っていなければどうしようもないんじゃないか。
待てよ。
マトは俺のことをどうしてこんなに「いろんなことに気づく」と言うんだ? いつ、そう言われた?
俺は記憶を辿る。そうだ、マトに眼鏡をあげたときだ。
俺はなぜ、マトには眼鏡が必要だと思った? マトの目つきが悪かったからだ。でもそれは睨んでいるのではなく、目を細めて必死に焦点を合わせようとしていたのだ、ということに気づいたからだ。
マトの目つきが悪いことはみんな知っていた。でも、そこから視力が悪い、という結論を出した者はいなかった。マト自身もそうだ。
そうか。
これが、情報の「意味」ということか。
「ありがと、衣川さん。ちょっと調べてみる」
俺はマトに礼を言うと教室に戻った。
教室では理乃と委員長が向かい合わせの机で弁当を広げていた。机の位置を見ると委員長の方が理乃の席にくっつけたようだった。
(ほんとに仲良かったんだな、あの二人)
俺はちょっとだけほっとした。
*
帰宅した俺は、しばらく電源を入れていなかったノートPCを引っ張り出した。
高校の入学祝いにもらったもので、最初のころは自分のものということが嬉しくていろいろ使ってみたりしたけれど、そのうちカバーを開くことも少なくなった。俺がPCでやる大抵のことはスマホでできることに気づいたからだ。
俺はエクセルを立ち上げると、過去の校内テストの成績を一つ一つ入力していった。校内テストの成績はすべて開示されるようになっているが、名前が公表されるのは上位20パーセントまで。ただし、順位とともに前回順位も記載されているため、一度でも名前が公表されれば辿っていくことは可能だ。
もし、数学の試験問題を入手している生徒がいたら、そいつは急に数学だけ不自然に成績が向上しているはずだ。漏洩した科目が数学と決まったわけではないが、さすがに全教科ということはないだろう。
過去四回分の試験結果を入力し終えたのは四時間後だった。それから前回順位と順位を紐付けて並べ変える。生徒全員の「名寄せ」をして数学だけが急に上昇した生徒がいないかを確認した。
「さすが委員長だなあ」
結果を確認していた俺は思わず声に出していた。四回分のテストでは全科目合計で一位、二位、一位、一位。コンスタントに全教科に渡って好成績で弱点らしい弱点が見つからないくらいだ。特に数学は二回も満点がある。
マトの名前は出ていなかった――つまり、一度も上位20パーセントに入ったことはなかったが、前回の数学で満点を取ったことは知っている。見てみるとかなり下位の方に数学だけは毎回ほぼ満点、という生徒がいた。きっとこれがマトだろう。国語が壊滅的なのもその裏付けになりそうだ。
問題の理乃と言えば――直近の中間テストで急激に数学が伸びていた。数学ほどではないにしろ、他の科目もじりじりと上がってきている――と、言えなくもない。
「委員長に教わって頑張ってるから、だもんな」
俺は言い訳のように呟いた。
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