その4 少女たちは嘘がつけない 

 理乃は週二でダンスレッスンとボイトレに通っているらしい。その間を縫うようにレッスン料を稼ぐためのバイトに勤しんでいるという。


「じゃあさっき踊っていたのは自主練?」

「うん、ちょっと時間があるときなんかはよくやってるんだ」

「芸能事務所に入れば養成所とかで練習できるんじゃないの?」


 俺がそう訊ねると、理乃は困ったような顔で笑った。


「その事務所が信用できるかどうか、わかんないもん」

「有名タレントが在籍しているような知名度の高いとこなら大丈夫でしょ」

「そんなところに入れるかどうかわかんないし、入ってもその他大勢モブみたいな扱いならチャンスなんか来ないよ」


 その他大勢モブにはチャンスなんかない――一般論なんだろうけど、その言葉はちくりと俺を刺す。


「だからと言って弱小プロダクションに入っても、事務所の力がなくて活躍できないかもしれないでしょ」

「かもね。でも、アイドル活動を始めるためのハードルはきっと大手より低いと思う。地下アイドルかもしれないけど」


 俺は「それがなりたいアイドル像なの?」と訊こうとしてやめた。理乃の淀みない答えは、そのことを何度も考え、何度も自問自答してきた証拠だろう。俺のような素人がムキになってその場で考えたことなんて、理乃はすでに考えているはずだ。

 こいつはバカなんかじゃない。俺なんかより、ずっと物事を考えている。


「ごめん、嫌なこと言ったな」

「ううん、気にしないで。そういうの慣れてるし」


 鉛のように、鈍く重たい言葉だった。前に進もうとする理乃の足にしがみつく、よくある考え、よくある言葉――それは俺のようなその他大勢モブが安全な外野からしたり顔で語る言葉だ。


「いけない、もうこんな時間だ」


 スマホの時計を見て、理乃はいそいそとバッグを手に取った。


「これからバイト?」

「ううん、今日は美和ちゃんに図書館で勉強見てもらうことになってるんだ」

「美和ちゃんって、委員長?」

「うん。美和ちゃんの予備校のない日だけ、なんだけどね」


 九重ここのえ美和――クラスの首席かつ委員長の優等生だ。学校では理乃と特別仲がいいようには見えなかったから意外だった。


「西村と委員長って仲良かったんだ。知らなかった」

同中おなちゅうだもん。じゃ、またね。衣川さんも」


 足早に去って行く理乃の後ろ姿を見ながら手を振る。


「頑張ってんだなあ、あいつ」

「ほんと、頑張ってる


 マトは理乃の後をずっと眺めていた。その表情はどこか悲しげだった。


    *


「おはよー」


 翌朝。理乃はいつものように元気よく教室に入ってきた。いつもの風景、いつものパッツンツインテール。

 だが、クラスの雰囲気だけがいつもとは違った。それまでのざわつきがすっと消え、誰もが目線を逸らす。

 理乃の笑顔は行き場所を失ったかのように、曖昧に消えた。


「え、どうしたの?」


 不安げに周りを見回す理乃。マトを見つけると、たたた、と駆け寄ってきた。


「衣川さん、おはよー」

「おはようございます、西村さん」


 昨日と変わらぬ様子のマトに、理乃はほっとしたような笑顔を見せる。


「ほんとに昨日のは衣川さんだったんだねー。あたし、あの後『あれは夢だったのかな』って思っちゃった」

「おはよ、西村さん」

「おはよー、鷹野くん」


 俺が話しかけると理乃はニコニコと返してきた。でも、その意識は俺よりも周りに向けられているようだった。


「ほんと、眼鏡かけると美人ってのもあるんだねー。そう思わない? 吉野くん」


 理乃はマトの隣の吉野に話しかける。吉野は「あ、うん」と眉をハの字にして答えたが、周りをきょろきょろと見回すと「鈴木ィ」と声をかけながら席を立った。理乃と話すのが嫌なのか、それとも話しているところを見られたくないのか、あるいはその両方か。

 そしてその様子を遠巻きに見つめるクラスメイトたち。


「ねえ、鷹野くん」


 声を潜めて理乃が訊く。


「あたし、なにかした?」

「……ちょっといいか」


 俺はマトとアイコンタクトすると、先に理乃と二人で教室を出た。向かう先はいつもの屋上に通じる階段の踊り場だ。

 当然のようにマトに意図は伝わらず、俺は途中で呼びに戻る羽目になったけど。


「西村さん、事実だけを言うから」


 俺は壁を背に振り返ると、努めて冷静に、表情を変えずに切り出した。理乃はかすれた声で「うん」とうなずいた。


「例の試験問題漏洩事件、西村さんが犯人だって噂が流れてる」

「え」


 理乃の瞳が大きく見開かれる。


「うそ、あれってデマだったんじゃないの? なんであたしが……」

「出所はわからない。今朝、学校に来たらもう、そういう話になってた。もしかしたら昨日のうちにLINEの裏グループとかで流れてたのかもしれない」

「あたしじゃないよ。なにを根拠にあたしってことになってるの?」

「くだらない話だよ。数学の梅屋は西村さんのような娘が好みで、西村さんがそれを利用して試験問題を手に入れたって」


 本当は「理乃が梅屋と援助交際している」という話だったが、それをそのまま本人の耳に入れるのは憚られた。


「そう……」

「みんながそう信じてるわけじゃないよ。俺だってそんなこと思ってない」


 焦点の定まらない瞳で床を見つめる理乃に、慌てて弁明するように言う。つくづくつまらないその他大勢モブだ。


、あたしは試験問題なんかもらってないわ。本当」

「うん」

「教えてくれてありがと。もう行くね」


 理乃はパタパタと走り去っていく。俺はマトに話しかけた。


「あんなに頑張ってる理乃が犯人であるはずがないよ」

「私も犯人じゃないと思うわ」

「だよな」

「対価としてなにかを得たのなら、それが違法であっても慣習的に犯人という呼び方はしないわ」

「いろいろ台無しだな、お前は」


 そう言いつつも、俺は理乃の言葉の端々に妙な違和感を感じている自分も自覚していた。

 ぱん、と両手で頬を叩く。そうじゃないだろ。あの夜、人知れず夢に向かって頑張っている理乃を見て、お前はなにを感じた? そんな理乃が試験問題を不正に入手するために援助交際なんかすると思ってるのか?


 ……。


「不可能な物をすべて除外してしまえば、あとに残ったものが、たとえいかに不合理に見えても、それこそ真実に違いない」


 自問する俺に、マトがそらんじるように言う。シャーロック・ホームズの有名なセリフだった。


「そんなこと言うなよ」


 俺は自分が考えていたことを棚に上げて言った。だが、マトは顔色一つ変えずに首を傾げて訊く。


「どうして?」

「理乃は犯人じゃない」

「だから……」


 マトにはそういうのを期待するだけ無駄だ。そう思った俺は肩を竦めた。

 だが、俺はマトの言葉を完全に真逆にとらえていた。このとき、俺はこう言うべきだったのだ。


「そのとおり。理乃は犯人じゃない」




「それで、私をここに呼んだ理由はなんなの?」

「衣川はあのUSBメモリが誰のか、知ってるんだろ? それを明らかにすれば、理乃が犯人じゃないってことが分かるはずだ」


 俺はダメ元で言ってみた。


「ダメ。教えられない。守秘義務があるって言ったでしょ」

「そこをなんとか」


 マトは首を横に振る。昨夜の様子だとひょっとしたら、とも思ったんだけど、そんなに甘くはなかった。


「それに」

「うん?」

「あのUSBメモリが誰のか分かっても、西村さんが犯人じゃないことの証明にはならないから」

「ちょ、それどういう意味……」


 そのとき、予鈴のチャイムが鳴った。

 マトは壁のスピーカを見上げると、俺の言葉を待つこともなく、言葉を返すこともなく、ただ、すたすたと教室に戻っていった。

 一人残された俺は大きなため息をついて、もう一度両頬を叩いた。


    *


 昼休み、コンピュータ部の部室には細田の他にも二人の生徒がいた。二年の学年章を付けた俺の姿を見ると、ぺこりと会釈した。みんな一年生なんだろう。


「最近よく来ますね、鷹野先輩」


 モニタを横から覗き込んでいた細田が顔を上げて言う。


「悪ィ、ちょっと訊きたいことがあって」

「いえ全然。で、今日はどうしたんですか?」

「C2サーバってなんだ?」


 俺は昨日、マトが言っていた言葉を訊ねた。細田はぽかん、とした顔で訊き返した。


「どうしたんすか、ほんとこないだから。セキュリティに目覚めたんですか?」

「まあそんなところだ」


 適当に合わせて答える。細田は「へぇ」と言いながら体を起こし、反時計回りに指をくるくる回しながら言った。


「コマンド・アンド・コントロールサーバ、略してC2サーバ。頭文字を取ってC&Cサーバとも言うんですけど、乗っ取ったPCを遠隔操作するためのサーバです」


 なるほど。こないだのUSBメモリで乗っ取ったPCを、そこから操作するってわけか。くるくる回していた指は二つのCを表していたらしい。マトが言っていたのはそのサーバのアカウントをBANしたってことなんだろう。

 ……でも、どうやって?


「C2サーバのログイン権限を潰すにはどうすればいいんだ?」

「そんなことするより、サーバを停止させればいいじゃないですか。警察なんかがやるテイクダウン、てヤツです」


 でも、マトは確かに「ログイン権限を潰した」と言った。俺が難しい顔で考えているのを見て、細田はうーん、と言いながら続けた。


「C2サーバのシステムによると思いますけど、サーバを生かしておかなきゃいけないんだったら、アカウント設定を変更するか、削除するんでしょうね」

「どうやって?」

「サーバの管理画面か、コンソールからか。まあわかんないですけど、サーバの管理者なら簡単にできると思いますよ」

「それはサーバの管理者しかできないことなのか?」

「C2サーバ自体をクラッキングすればできると思いますけど、普通ならそんな回りくどいことするくらいならテイクダウンしますよ。要は使えなくすればいいんですから。もっとも、囮として管理者をあぶり出すってんなら別ですけど」

「でも、C2サーバをクラッキングするのは犯罪だよな?」

「どうですかね。なぜか知らないですけど、犯罪に使われるものしかC2サーバって言わないんですよ。サーバをクラッキングすること自体は犯罪でしょうけど、犯罪に使われているサーバ相手ならお目こぼしはあるんじゃないでしょうかね」


 嫌な予感がする。マトを――正確にはマトの倫理観を信じるのなら、C2サーバをクラッキングして管理者に気づかれないようにこっそり設定を変更した、ということになる。そうでなければ……。


 マトがそのC2サーバの管理者だということだ。


(参考文献:『シャーロック・ホームズの事件簿』/新潮文庫/延原謙訳)

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