その3 少女はアイドルになりたい
学校を出た俺とマトは二駅先の眼鏡屋に向かっていた。
度も合っているかどうか分からないし、少しばかりブリッジが広くてすぐにずり落ちてしまう。調整してもらうなら早い方がいいだろう。
俺がそう言うと、マトは「へえ、アフターサポート込みなんだ」とつぶやきながら、とてとてと付いてきた。さっき店で直してくれるからって言ったのに、何に感心してるんだか。
「電線に雀が五羽と、アレなんだろ、尻尾長いのが一羽いる」
「尻尾が長いんだったらまんまオナガじゃね?」
「へーそうなんだ。あ、ほらあの書店の日よけに書いてある電話番号、局番のところの3が後から書き足してある。古くからある店なんだね」
「そうだな」
電車を降り、商店街を歩きながら、マトはさっきから何かを指さしてはどうでもいいような発見を延々としゃべっていた。今までどれくらい見えてなかったんだろう。なぜ、今まで眼鏡をかけなかったんだろうか。
目が悪いのに眼鏡をかけない理由なんて、外見が嫌、ということくらいしか思いつかないけれど、マトにはそれは当てはまらなさそうだ。すぐに自分で買いに行こうとしたところを見ると金銭的な理由でもないらしい。
「なあ、どうして今まで眼鏡をかけなかったんだ?」
俺がそう訊くと、マトはんー、と人差し指を唇に当てて考えた。
「思いつかなかったから、かなあ」
「でも、親とか先生とかに言われたりしたでしょ。健康診断もあるんだし」
「ああそうね。そういうところで気づいたりするのか」
「そういうところでって、おま……」
「ねえ、あれは何をしているの?」
俺の言葉を遮ってマトが訊く。マトが指さす先には小さな公園があって、そこで一人のジャージ姿の女の子が踊っていた。
中学生くらいだろうか。耳にワイヤレスイヤホンを付けていて、どんな曲で踊っているのかは分からないけれども、素人の俺から見てもそのダンスはキレッキレだった。くるりと回転するたびに黒髪のツインテールが舞う。
「ダンスの練習だろうな」
「なんのために?」
「趣味じゃないの? ユーチューブでも踊ってみた、ってよくあるし」
「趣味? じゃあ、あれは誰に強制されているわけでもなくて、お金になるわけでもないってこと?」
そんなこと知るかい。
「なにかの大会を目指しているのかもしれないし、ただ単に踊るのが好きなだけかもしれない。そりゃわかんないよ」
「ふぅん。大会では賞金が出るの?」
「だからわかんないって。学校対抗みたいな大会だと出ないだろうし、一般向けだと出るかもしれないし」
「ああ、じゃあそういう賞金狙いなのね」
分かんないって言ってるのに、マトはなんだか納得したようだった。面倒くさくなってそれ以上は口を挟まなかった。
眼鏡屋は商店街の端にあった。店員にギフトチケットを見せ、視力検査からやってもらうと、今のレンズでは少し度が強めだということがわかった。マトは「これより見えなくなるんですか」と抵抗していたが、あまり強い度数だと頭が痛くなりますよ、と言われて渋々レンズ交換に同意した。
レンズ交換を待っている間、マトは店内に並べられた眼鏡フレームを眺めていたが、不意に俺の袖を引っ張って言った。
「ねえねえ、私のコレだよね?」
マトが示した丸眼鏡は、確かに俺がプレゼントしたモデルだった。細いブラウンのフレームで、色白で顔の小さなマトには似合うんじゃないかと思ったのだ。実際似合っているという自負? もある。
「そうだよ」
俺がそう言うと、マトは眉間に皺を寄せた。眼鏡をかけてないからガンを飛ばしているようにしか見えない。
「どうした?」
「この値段だと、契約料じゃ足りません」
ああ、そうだった、と俺は思い出した。マトには最初、秘密保持契約の契約料を返金ではなく物納する、と説明しようとしたんだった。俺にとってはマトを信じてあげられなかった不誠実の象徴のような金だったし、それをマトが受け取ってくれないのなら、せめてマトのために使ってしまいたかったのだ。
でも、契約料の五千円では買えるモデルは限られていた。だから、自分の財布から幾ばくか出したのだった。
結局、契約料の物納はマトに拒まれたから、それとは関係ないプレゼントなんだ、と無理筋な説明で押し切った。だから結果として契約料と金額が違うことは問題ないはずなのだけれど。
「最初、鷹野くんは契約料の代わりだって言いました。でも、これだと契約料以上になってしまいます」
「だからそれは契約料とは関係なくて、ただのプレゼントなんだよ」
「それはわかります。でも、経緯として契約料の代わりがプレゼントになったわけで、つまり、鷹野くんは当初はそれを契約料の代わりとして持参してきていたわけですよね」
あー、面倒くさいスイッチ入っちゃったよ。
「分かった、言いたいことは分かった」
俺は両手を肩まで上げてなだめるように言った。
「経緯に矛盾があるのは認めよう。で、どうする?」
「どうする……て」
「レンズ加工始めてるから、あれはもう世界に一つしかない衣川さんの眼鏡になっちゃった。返品は効かないよ」
「世界に一つしかない私の眼鏡……」
マトはその言葉を噛みしめるように繰り返すと、黙り込んでしまった。
レンズ交換が終わって店を出るころには陽が落ちかけていた。マトは眼鏡屋の袋を胸に抱くと「えへへ」と幸せそうに笑った。眼鏡はかけてるから、その中にはケースしか入ってないんだけどな。
俺たちは来た道を戻り、駅に向かった。公園に差し掛かったところで、うちの制服を着た女子高生にぶつかりそうになった。
「ご、ごめんなさい!」
「いや……あれ、西村さん?」
「? 鷹野くん?」
同じクラスの西村理乃だった。
理乃は背丈が百四十ちょうどくらいしかないのに加え、切りそろえた前髪とツインテールという幼い印象を与える髪型をしている。ちょっと舌足らずなところがあって、可愛い妹キャラ、と言ったところだが、理乃のことをいいね、なんて言うと百パーセントロリコン認定されるから、男子の間では暗黙の禁句となっている。
「ひょっとして、西村さん、さっきここで踊ってた?」
「! 見てたの? うわ、恥ずかしい」
「どうして恥ずかしいのですか?」
不思議そうにマトが訊いた。
「公共の場である公園で踊っていたのですから、人に目撃されることは十分予想可能です」
「そりゃそうなんだけど……」
理乃が困ったように俺の方を見る。うん、わかる。俺は肩をすくめて理乃に同意した。マトは構わずたたみかけるように続けた。
「それに、あなたのダンスはとても素晴らしくて、恥ずかしがるようなものではなかったです。鷹野くんもキレッキレだって言ってました」
「あ、ありがとう」
不意にほめられて面食らう理乃。俺にすっと近づくと小声で訊いた。
「鷹野くんの彼女?」
「いやいやいやいや、違うよ。衣川さんだよ、よく見て」
「え?」
理乃はじーっとマトの顔を見つめると、びっくりしたように叫んだ。
「衣川さん!? うっそ!」
「?」
きょとんとした顔のマトに説明する。
「そんなに可愛いとは気づかなかった、てことだよ」
横で理乃がうんうん、と激しくうなずく。だが、マトは顔色を変えずに俺に訊いた。
「そうじゃなくて、この方はどなたですか? どうして私の名前を知っているのですか?」
そっちかー。
がっくりと肩を落とす俺と、「え? え?」と二人の様子を見比べる理乃。マトだけが平常心のまますっと立っていた。
*
「あたしね、アイドルになりたいんだ」
公園のブランコに座った理乃が言う。その隣のブランコにはマトが座っていて、俺はその二人に向かい合うようにブランコの柵に腰掛けていた。
「アイドルってどうやってなるの?」
隣のブランコのマトがなぜか俺に訊ねる。マトは傍若無人に見えるが、話す相手は選んでいるようにも感じる。ただのコミュ障かもしれないけど。
「よくわかんないけど、アイドルって事務所に所属するんでしょ? スカウトされたり、オーディション受けたりして。そっからデビューして、芸能活動を始めるんじゃないの?」
俺は自分の知っているイメージだけで答えた。
「一般的にはそうだと思うけど、あたしは最初っからは事務所に所属したくないんだ」
「そんなことできるんですか?」
「うーん、どうだろ。分かんない」
理乃は軽く地面を蹴ってブランコを揺らした。白いハイソックスにチェリーのワンポイントが宙を舞う。
「なにか理由があるの?」
「そんなに深い理由はないんだけどね。ほらあたし、バカだから」
「バカとその理由になにか関係があるんですか? 深い理由がなければ確実な方法を選べばいいと思いますが」
お前は言葉を選べ。
「あー、バカって言ったー。ひどーい」
「? でもバカと言ったのはあなたですよ? バカじゃないんですか?」
「お前がバカだ。バカと言う人がバカなんです、って習わなかったのか」
「そうすると再帰的にバカを定義することができるのはバカだけになります」
「三が付くときだけバカでいいじゃねえか」
「? 意味がわかりません」
俺とマトのやりとりを聞いていた理乃はあはは、と笑い出した。
「仲いいんだねー、二人とも。あたし、衣川さんがそんなに面白い人だって知らなかったよ」
「こいつは面白い人じゃねえ。ユーモアがあると思って接してるとびっくりすることになるぞ」
「そんなことより、バカとその理由の関係を教えてください」
ほらな。
でも、理乃はあまり気にすることなく話し始めた。
「あたしさあ、やっぱ子供なんだよね」
理乃はあまり子供っぽくない胸に手を置いて言った。
「子供って力は弱いし、世間を知らないし、頭も弱いから……だから、大人の」
「食い物になる」
理乃の台詞を継いだマトの言葉にぎょっとする。そこは「庇護が必要」とかだろ。相変わらず空気が読めないヤツだ。
「そう」
理乃の言葉に思わず「えっ」と声が出た。
「だから、あたしは練習して、勉強して、いろんなことを知って、強くならなきゃいけないの」
「その通りだわ。子供が大人の食い物にならないために、私たちは武器を持たなきゃいけない」
俺は意気投合する二人の様子をぽかんと眺めていた。
二人の言葉とは裏腹に、自分だけがひどく子供な気がした。
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