それから


 十年の歳月が流れた。


  ***


 ある山の奥、ある深い深い森の中。


「いたぁーーーーーーーーーーーーっ!!」


 少女は、ふたたび獣と出会った。


 中原なかはら結智ゆち、十六歳の夏のことだった。



 十年前とまったく変わらない。いや、わずかに毛並みの色つやが鈍くなったような気がする。でもさすがに、そんなに鮮明に覚えているわけではない。記憶のほうがあやふやなだけかもしれない。


 そんなことを考えながら、まったく怯えることもなく、結智は獣の傍らに腰を下ろした。


 獣はと言えば、わずかに目を開けて結智を見たものの、ずっと草の上で身体を丸めたままでいる。


「もーう、ほんとさー」


 結智が話し始める。


「高校生になるまで一人で外出はダメーって、言われててね。いや、本当は高校生でもあんまりダメなんだけどね、ちょっとお目こぼしをもらえるというか」


 背中に、獣の温かさを感じながら。


「施設の人たちも優しいんだけどね、決まりを守らないとすごく怒られるから。3年前、中学の時にも一度挑戦したんだけどね。たどり着けなくて、夜遅くになっちゃって、見つかってめっちゃ怒られたの」


 ぽす、と頭を毛皮に預けて。


「でもね、忘れなかったんだあ」


 獣は静かに耳を立てている。


「ずっと会いたかったから、けものさんに」


 わずかな木漏れ日が結智と獣の姿を照らして。


「夢だったんじゃないか、って思うこともあったよ。いろんな人にそう言われたし。でも絶対夢じゃなかったって、あの時私を助けてくれたのは、けものさんだったって、そうずっと信じてたから……だから私は、ここまで来ました」


 結智が身体をひねって、獣の首に抱き着く。


「大きくなったでしょ」


 獣は結智を拒まない。


「髪も伸びたし、身体も成長したし。それも全部、けものさんのおかげです」


 少し上ずった声で、結智は話し続ける。思いつくままに口を動かす。


「勉強は、苦手です。部活は卓球をやってます。へたっぴだけどね。ちょっとでも運動部で体力つけないと、って思って。この山、登らないといけなかったし。

 あとは何かあるかな。あぁ……ママは、病院と家を行ったり来たり、してる、みたい。あんまり会うのも良くないらしくてね。もう何年も会ってないや。あ、新しいパパになるかもしれなかった人がいたっけ。あの人はあの後一回も見てない。

 私は保護されて、施設に行って、うん、それなり。それなりに暮らしてきました」


 そして、返事を待つかのように、一度言葉を止めた。


「……あの時は、けものさんとお話ができていた気がするんだけどなぁ」


 耳を当ててみる。


「今は、聴こえないなぁ……」


 結智が目を伏せる。影になって、その表情はうかがえない。


「…………ねえ、けものさん」


 ほんのわずか、獣を抱く腕に力がこもる。


「今なら、私のこと」


 呼吸が止まる。


「――食べてくれますか」



 風すらも止まったかのように感じていたのは、どれほどの間だっただろうか。



 獣は口を開けると、


 大きなあくびをして元の態勢に戻った。


「……だめかー」


 結智は両手を伸ばして地面に転がる。


 その顔には、穏やかな笑みが浮かんでいた。


「でも、これで場所は覚えたからね」


 すっくと上半身を起こすと、獣に指を突き付けて。


「また会いに来るから!」


 立ち上がった結智に、獣が目を向ける。結智は晴れやかな顔をしていて。


「食べたくなったら、食べてね!」


 獣が目を閉じる。


 肯定と受け取って、結智はその場を後にした。

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けものさんと食われたがり少女 風谷閣下 @miriora

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