おいしかった
顔の前に転がした果実に、人間が目を向けた。
「……?」
だが、それ以上何もしなかったので、改めて鼻先で押し付けてやる。
「うぷ。……くれるの?」
(好きにしろ)
先ほどまでの調子はどこへやら。一転静かになった人間が、身体を起こし、ゆっくりと果実を掴む。
しかし、口に運ぼうとはしない。
見ると、どうやら爪で果実についた土を剥がしているようだった。
(……ええい、まったく)
「あ」
顔を半ば突っ込むようにして、果実を奪い取る。
口の中を転がして、余分なものを舐め取り、人間の手の中に戻してやった。
「……ありがとう。けものさん、やさしい」
(ふん)
しゃり。
人間が果実を口に運ぶ。
一口かじって、少し驚いたような顔をして。
しゃぐしゃぐしゃぐしゃぐ。
息をつく暇もなく頬張って、止まらなくなった。
細い細い芯だけになるまで、夢中で食べ続けていた。
(………)
その様を、じっと見ていた。
「おいしかったー!」
芯からも果汁を吸い取るようにしてから、人間が大きな声をあげる。
騒々しさが帰ってきた。
「ふへへ~。ありがとうございます、けものさん」
真っ直ぐ向けてくる笑顔から、顔を背ける。
どうせ、また食べてくれとぬかすのだろう。
余っていた果実を分けてやるぐらいは気が向いても、食べてやる気にはならない。
「えっとねー、ユチ、けものさんにおれいをしたいので」
そら来た。
「うたをうたいます!」
……何?
ふっふっふー、と鼻から三音出してから。
「しあわせなら――」
パンパン!
(!?)
何事かと聴いていた耳に、突然破裂音が飛び込み、思わず身がすくむ。
「えへへー、じょうずでしょ。ユチねぇ、手ぇたたくのうまいんだよ」
人間が掌を叩き合わせると、その小さな体からとは思えないほどの音がしていた。
歌が再開される。
幸せならば。
手を叩こうと。
足を鳴らそうと。
呼びかける歌。
(……生憎と、打ち鳴らして響く手も足も、持ってはいない)
歌自体が人間特有のものではあるが。いかにも、ヒトのための歌だった。
(だが、)
悪くはない。
気まぐれで人の子の世話をした見返りとしては、まずまずだった。
食べてはやらないが。
「おわりっ! えへ、どう――」
感想の一つも言ってはやれないが、得意げな様だけでも見てやろうと目を向けた先で。
胸を張ろうとした人間が。
逆に背を曲げ、前に屈んで、ごぼお、と。
濁流の流れるような音とともに、吐き戻した。
二度、三度、小さな欠片と汁を。
おそらくは、先ほど食べた果実のすべてが、吐き出された。
「…ぁ……ごめん、なさい……」
「ごめんなさい……ごめん、なさい……」
怯えた目を向ける。
なぜだ。
そんな目は、おかしい。
食べてくれ、と請う時でさえも、お前はそんな目をしなかった。
なぜ、今そんな目をする。
「ごめ、なざ……」
その身体が、傾いで。
(――ユチ!)
湿った土の上に倒れた。|
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