大きくなりたい

「ねーーえーー」


 顔がわずかに、左に引っ張られる。


「なーーんで食べてくーれなーいのーー」


 ぐいぐいと、遠慮なく毛を引っ張りながら、人間が揺れる。


「どーぉーしーてー、なーぜでーすかー」


 左右の手で毛を掴んだ人間が、しだいに節と抑揚のついた声とともに踊りだす。


 猿の鳴くような声とともにはしゃぎ始められてわずか、不意に顔が正面に戻る。


 毛が抜けた。


 人間は尻餅をつき、だらんと垂れ下がった両手の毛を見て、泣きそうな顔をしている。


(やめろ、戻らん)


 抜けた毛を押し付けてくる人間を、小さく首を振って払った。



 十中八九、もう来ないものと思っていた。


 この森も、この山も、人間が軽々に立ち入れる場所ではない。ましてやこんな子どもが、だ。


 だが一夜を明かしてから間もなく、再び人間は現れた。


 そして、昨日と同じ要求をしている。


「わるいことをしたので食べてください……」


(なぜそうなる)


 人間が口に近づけてきた頭を、軽く鼻先で突き放し、一息つく。


 のけぞった人間が、負けじと今度は両腕で、鼻の辺りを包み込んでくる。


 わずかな間じっとして、少しずつ、人間が身体を預けてくる。


「……ユチはねー、大きくなりたいんだぁ」


 呟くようにしながら、鼻先を撫でる、やわらかな手つき。


「ユチはあたまもよくないし、気もきかないし、力もちじゃないし、ばかだからー」


 ぎゅ、と抱き締められ。


「でも、けものさんに食べられたら、けものさんといっしょになるからー、大きくなれるでしょー」


(――捕食とは、奪うことだ)


 細めた目の中で、人間は無防備に身体を晒している。


(生き残るために、他の生き残ろうとするものから奪う行為だ。差し出された命をついばんで生きるほど、落ちぶれてはいない)


「……そっか、だめかー」


 ゆっくりと人間が離れる。


「おなかすいたら、食べてね。けものさん」


 ふわふわとした足取りで、人間が去って行く。


 鼻先に残った暖かさが消えるまで、しばらくの時間が必要だった。

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