1321年 チュリョーク山脈の大雨

 北方大陸の東部を縦断するように存在するチュリョーク山脈は、その近隣を領地とする各貴族領における水源が多数存在している。

 この年、そのチュリョーク山脈全域において年明けからすぐ異常な降雪量を記録し、初夏を迎える頃になるとそれは雨に変わったが半年のうちの約半数、降雪、または雨という異常気象に見舞われた結果、いくつかの貴族領において洪水や土砂災害が発生し村や農地に甚大な被害を与えてしまった。

 当然、その結果は単純なもので東部では少ない食料を求めて争い初めてしまう。

 貴族連盟の盟主であるスウォン9世もこの事態にマウントヒルで備蓄している食料を放出を決めるも焼け石に水であり、降雨被害が少なかった中央や西部に対して食料を要求する貴族と、元々生産量が少なかった西部の貴族との間に致命的な亀裂が生じてしまう結果となった。

 そして中央の貴族もそれらの争いとは無縁とはいかない。

 北方大陸でも最大の作付面積を誇り、収穫高も最も多いリューメイア領は既に大量の作物を供出しているのだが、東西双方の貴族から更に供出しろと北方貴族会議で追い込まれたのであった。

 リューメイア伯は盟主であるティルレイン公、そして北方貴族で最も武力が強いと言われているアイアス伯との關係が深く、特にアイアス領には食料を融通することで防衛力を借りるという關係であったため、他の貴族たちから様々な圧力を受けていた。

 連盟維持のためにもっと食料を供出しろという訴えに対し、リューメイア伯はこれを拒否。

 大雨の被害はなかったとは言え、北方大陸全体が異常気象に見舞われていたため、最大の穀倉地であり最新農法を導入しているリューメイア領とは言え不作を避けることはできなかったのだ。

 このことはティルレイン公の名で連盟全貴族に通達されてはいたものの、このままでは自分たち、貴族ですら干上がりかねない事態に対してまともな判断ができなくなっていた。


 ティルレイン領 マウントヒル


「それではリューメイア領に干上がれと言っていることになるのがわからぬのか、キアブレス伯」

 スウォン9世を中心に円卓のテーブルを埋める形で開かれた会議は各々の要求を突きつけるだけの各地貴族に対し、議長でもある盟主スウォン9世が最も声を荒らげていた貴族に対し忠告のような口調で言う。

「そうは言うがティルレイン公、このままでは連盟貴族の大半が干上がってしまう」

 キアブレスの言葉に呼応する形で何人かの貴族が同意を示す言葉をあげる。

「それも承知しているが……やはりマウントヒルの備蓄を解放するだけでは足りぬか、しかしリューメイア領の食料はアイアス領の分も含まれている、余裕があるように見えてその実ギリギリの量しか存在しない。此度の大雨の被害はなかったものの昨年よりも高い気温でいくつかの作物がダメになってしまったのは、私が直接視察していたからな」

「既に私の所領では節制を指示をして古い保存食から少しづつ消費するようにしておりますが……後々のことを見ると流石にこれ以上の供出は餓死者を出すことになってしまいます。それに相当量の民が難民として私の所領に流れてきているため、これ以上増えては備蓄など簡単に吹き飛んでしまいますよ」

 スウォン9世とリューメイア伯は今までの施策と現状を説明するが、訴えを行っている貴族たちは納得しない。

「確かに大雨で農地を失った民が一時的にしろリューメイア領に流入しているのは把握してはいるが……せめて西方大陸との貿易規制がなければまだなんとかなったものの前年のティルレイン公の奥方様が南方大陸で流行病に倒れられたことを理由にした貿易規制がなければ、な」

「キアブレス伯、貴公の言いたいこともわからないでもないが無能力者を排除せよと一番声を大きくしたのも貴公であることは忘れることのないように、我が妻はアレと共に行く事を妻自身が決めたことだ……西方大陸で様々な工作をしたものも居るようだが、非難するのならばその者ではないのか」

「お二方、今は北方大陸での大凶作への対策を行う会議です。無駄に不和を産むような発言はお控えください」

 アイアス伯が二人を嗜めるとスウォン9世のほうは引いたが、キアブレスは引かなかった。

「そうは言うがアイアス伯、このままでは北方貴族連盟の大半が飢えてしまう状況で、満足に貿易もできない状況をなんとかしようとしなかったのはティルレイン公なのも確かだ。昨年お亡くなりになられた奥方のことはお悔やみ申し上げるが、貿易關係まで簡単に受け入れる必要はなかったのではないか」

「そこは今人道支援という形で調整し、貿易ではないことを強調することで融通していただこうと交渉中で……」

「リューメイア伯、その交渉が終わる頃にはどれだけの民が餓え死ぬと思っておられるのか」

「そ、それは……」

「今我々に必要な施策は超短期的な施策だ、何度も要請したにも関わらず人道支援の交渉しか行わなかったからこその今の餓える直前という状況なのだ」

「そこまで言うのならキアブレス伯、何か案があると思ってよいのだな?」

 アイアス伯が対案の有無を聞いたとき、キアブレスの口角が少し上がり。

「爵位持ちを減らして領地の統廃合をすればいい、その上で各領地にある食料を分配すれば良いのだ」

「キアブレス殿、流石にそれは……」

「良い、それでそれを行った場合共倒れをしないという保障はあるのか」

 キアブレスの提案にアイアス伯が苦言を口にしようとしたところ、スウォン9世はアイアス伯の言葉を止めてキアブレスの案に対して施策の穴がないかを問いた。

「そこまで考える必要はあるのか」

「ある、民の命は無限ではない。キアブレス伯の案ではおそらく民の食料に関してはあまり考慮されていないだろう」

「民草など放っておけば勝手に増えるだろう?」

 スウォン9世の指摘に対し、キアブレスはさも当然という態度で躊躇うことなくそう口にした。

 キアブレスのこの言動もこの時代では特に珍しいものではなく、多少の差はあれど北方大陸では奴隷制が認められていたためにむしろ普通の反応とも言えた。

 しかしスウォン9世はその普通の反応に対し顔をしかめ、更に苦言を呈す。

「増えぬよ、民が増えるのに必要なのは食べ物とそのほかに安定した生活が必要なのだ。それを作れぬものに人を使うに値しない。我ら貴族に必要なのはその状況、環境を生み出す能力なのだ」

 スウォン9世は、いやティルレイン家はハイブースター、ガイアスウォードを用い北方大陸の荒地を農墾に適した土地に変え、農民をこそ重用したからこそ発展した家であり、常備兵という概念を生み出したために武勲の上でも先端を走っていたために連盟の盟主となった。

 だからこそその農墾を行う民に対して敬意を持って接しているためにキアブレスのような多くの貴族の価値観に対してあまり寛大にはなれなかった。

 だがその価値観の違いが、未曾有の危機に陥っている今の北方貴族連盟にとっては致命的であったのだ。

「つまりティルレイン公は我らの分の食料を民に渡せというのか?」

「そこまでは言わぬが、少なくとも民に餓死者を出さぬ努力と施策は止めるべきではない。西方大陸との交渉はその施策の一つでしかない」

「やはり同じことではないか、我々も満足に食べることができず、その民も我々が口にする分を減らしたところで餓えがなくなるわけでもない。それでも連盟としては自助努力と寸断されている外部パイプの再構築のみでいいというのか。それでは何のための連盟という組織なのかわからぬではないか」

 キアブレスの言葉にも理はある。

 自助努力で対処できる領地であるのならそもそも餓えるという事態にはなっておらず、西方大陸との貿易も先のルドベキア死去における経済制裁で食品の取引が制限されている状態では、既存の、それも元々西方大陸との結びつきが希薄だった大陸東部の貴族たちにとっては絶望的である。

 そうなると頼りにできるのは北方大陸に住まう貴族なら確実に加入している連盟なのだが、その希望は今その盟主であるスウォン9世により断られてしまったのだ。

 頑なであったスウォン9世も今のキアブレスの言葉で配慮が足りなかったことは察しつつも、実際に全備蓄を放出したとしても連盟貴族の、いや北方大陸に住まう全ての人間を食べさせることはほぼ不可能と言っていいのは変わらない。

「……どちらの案にもリスクはある。少数が確実に生き残るという点は同じだが。キアブレス伯の思いも無下にするのは盟主として責任放棄に相当することもな」

 神妙な顔でスウォン9世がそう告げたことにより、この日の会議は終わりを迎えたものの、結局のところ備蓄の三割を東部貴族に配分することで妥協することとなったが、東部貴族たちはその三割を求めて争いを始めたのであった。

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