1310年 脱出

 継承の儀から一週間、ガイアスウォードを起動できなかったスウォン10世は、元は農民である新興貴族であるリューメイア領に身を寄せていた。

 元は西方貴族である母ルドベキアの伝手を使い、西方大陸に向かうこともルドベキアは考えたものの、自らがティルレインに嫁いだのは政治上のものであり、夫であるスウォン9世のことも愛していたため彼女にそれをすることを躊躇わせた。

 しかしスウォン10世が無能力者であることは直ぐに北方大陸全土に知れ渡ることとなる。

 継承の儀に参加していた貴族は、統治上領地を離れるわけにはいかない者を除いて出席していたため、現在の北方貴族連盟の体制を快く思わない貴族が流布したのである。

 ティルレイン公爵家に心酔とも呼べる忠誠を誓っているリューメイア伯は二人を庇うように火消しに走るものの、スウォン9世がスウォン10世を自らの領地から遠ざけたという事実は民草や他の大陸の人間にまでそれが本当のことであるという証明となってしまい、既に二人が平穏に暮らせる環境ではなくなっていた。


「リューメイア伯の好意に甘えておりましたが……流石にこれ以上のご迷惑をお掛けするわけには」

「ルドベキア様、スウォン様……いえ、スウォン9世は決して貴女方を完全に嫌っているわけではないのです。今の状況はむしろ貴族連盟内部の膿を出すために利用しているものかと……」

「それでもです。この大陸ではあの子のような無能力者にはとても厳しい場所、このいつ終わるともしれない館の庭に出ることすら叶わない状況は父親に存在自体を否定されたあの子にとって、決して良い環境とは言えませんし……何より無能力者を排斥しようとする過激な者がここを襲撃してこないとも限りません。そうなってしまえばリューメイア伯、貴方の身も危険に晒されてしまいます」

「私のことは良いのです、父に爵位を与えてくださったティルレイン公のお役にたてるのなら……」

 リューメイアがその次の言葉を紡ぐより早く、ルドベキアが声を荒げる。

「命を落として何が役に立つですか!その身を盾にしても守れるものは自己満足だけです、生きていなければ、誰かを守るなどできはしないのですよ!」

「で、ですが……私は戦いに関しては非才の身です、ルドベキア様とスウォン様の御身をお守りするにはそうするしか……」

 狼狽えたリューメイアはそこまで言葉にしたところで、何かを思いついたかのようにルドベキアに詰め寄る。

「……そうです、私は戦うことはできない。それならば私のできることでお二人を救う手段として取れるのは戦わないという手段もあるということ!」

 そこまで言って、あまりにルドベキアとの距離が近づいたことに気づいたリューメイアは慌てて離れて、軽い咳払いを一つしてから続ける。

「そうなのです、私にできること……ルドベキア様、せめてこの情勢が落ち着くまでの間北方大陸からお逃げください。その道は私がご用意いたしますので」

「リューメイア伯、貴方はそれで後悔なさらないのですか」

 真剣な眼差しでルドベキアは見つめる。

 リューメイアはもう一度、自身の中で迷いが無いかを確認し、改めて言葉にする。

「はい、今私がこの場に居られるのは父のことを高く評価していただいたスウォン8世様……当時のティルレイン公のおかげなのです。そして何より、ルドベキア様のことも尊敬しているのです。尊敬をしている方をお助けできることはとても得がたい名誉であり……今私がすべきことだと信じております」

 リューメイアの言葉、表情をまっすぐ見つめたルドベキアは一度目を瞑り。

「分かりました、我が夫もリューメイア伯の様々な新しい農法に高い評価を出しておりましたし、昨今の不作続きにおいても貴方は例年以上の収穫高で貴族連盟の土台を支えているのです、悪いことにはならないでしょう」

 目を開き、ルドベキアはまっすぐリューメイアの瞳を見つめて。

「リューメイア伯、私と息子を北方大陸からの脱出の手助けを命じます」

 ルドベキアの言葉にリューメイアは自らの喉元に拳を置き、片膝をついて腰を曲げる敬礼を行い、ルドベキアを見上げる形で答える。

「この身にできることであれば、喜んで拝命いたします!」


 この時より半月後、ルドベキアはスウォン10世を連れて自らの生まれた西方大陸に逃れることとなる。

 リューメイア伯はアイアス伯の助けも借りて二人を逃がしたことにより北方貴族連盟から非難を受けることとなったが、スウォン9世はこの二人の貴族に対し罰を与えなかったことから、スウォン9世はあまり二人に対して負の感情を持っていなかったのではないかというのが、後の歴史家達の定説である。

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