第49話 サヨナラの空

「ピクシー、ドローンの消火剤充填は」


「三分で終わると言えるね」


 ナギサの操るオクタゴンは、一揆勢を岸和田の外にまで追い払っていた。まあ実際には一揆勢だけではなく、岸和田方の侍たちまで逃げ出したのだが、それはやむを得ないだろう。町の入り口辺りは、かなりの面積が焼かれていた。板葺き板張りの家々はよく燃え上がっている。放っておけば町全体が丸焼けになるに違いない。


「充填完了と言えるね」


 ピクシーの報告にナギサはうなずく。


「ドローン全機発進、消火剤散布」


 オクタゴンから七機のドローンが発進し、火の上を飛び回った。それを見た一揆勢が、より一層のパニックに陥ったのは言うまでもない。


「ああそうだ、ドローンって言えば」


 ナギサは岸和田の浜で回収され、寺に奉納されたドローンを思い出した。


「あれは回収できるのかな」


 ピクシーがうなずいた。


「今、起動を確認した。もうすぐ戻ってくると言えるね」


「戻ってきたらメンテナンスチェック、すぐ飛ばせるようなら消火剤充填して」


「キミは機械使いが荒いと言えるね」


 と、そのとき。


「あっ」


 みぞれが小さな声を上げた。


「どうしたの?」


 のぞき込むナギサに、みぞれは怯えたような顔を見せる。


「竜胆が死んだ」


「……そっか」


 ナギサはしゃがみ込み、みぞれを抱きしめた。


「それじゃ、みんなの所に戻ろうか」


「うん」


 オクタゴンは、元来た道を戻り始めた。




 意識を取り戻した雪姫に、これといった外傷はなかった。昨日から今日まで何があったのかも覚えていない。中村一氏は人目もはばからず、声を上げて泣いた。そこに、巨大なタコが戻ってきた。



 タコの化け物が戻ってくる様子を、甚六と忠善は少し離れた所で見ていた。


「あんたの事は忘れちゃいねえ」


 そう言う甚六の方を見ず、忠善は「そうか」とだけ答えた。


「だが恨みやしねえよ。草だからな。ただ感謝もしねえ。草だからな。それだけは覚えておいてくれ」


「忘れるまでは覚えておこう」


 忠善は答えると、背を向けて歩き出す。何処に向かうのか、甚六はたずねなかった。



 あんぐりと口を上げて一同が見上げる中、オクタゴンは脚を折って地面に降着した。そして一本の脚が頭の上に伸び、ナギサとみぞれを乗せると、地面にまで下ろす。


「これは……これは法力……なのですよね」


 やけに遠慮がちな孫一郎の問いに、ナギサは複雑な顔を見せた。


「うん、まあそういう事にしといて」


「でも助かりました。法師殿が一揆勢を追い返してくれなかったら……」


天晴あっぱれである!」


 中村一氏が飛び出すように前に出てきた。ナギサを抱きしめかねない勢いであったので、思わず孫一郎は間に入る。しかしそんな事など知らぬ顔で、一氏は鼻息も荒くナギサに両手を伸ばした。


「此度の働き、見事であった。望む褒美を取らせよう。如何様いかような事であっても構わん、申してみるが良い。侍大将になりたいか、それとも町か村が欲しいか、それとも銭か。何でも申せ。今すぐ申せ。どうじゃ、何が欲しい」


「ああー、いや、そういうのは結構なので」


 ナギサは満面の作り笑顔で拒否した。しかし一氏は納得しない。


「何故じゃ、褒美がいらんと申すのか。それとも何か気に食わぬ事があると申すのか」


 しかしナギサは静かに首を振った。


「ご褒美なら、孫一郎たちにあげてください。私は……もう居なくなるので」


 孫一郎は、ハッとナギサを見上げた。


「居なくなる?」


「うん」


 ナギサは笑顔でうなずいた。


「イロイロ考えたの。考えに考えて、でもずっと結論が出なかった。たとえばね、孫一郎の嫁になるっていうのも選択肢としてはあると思う。自分でも悪くないと思うよ。だけど、今日こうやってオクタゴンに乗ってみて思ったんだ。私、まだやりたい事がある。それを諦めて生きていたくない」


 同じだ。孫一郎は思った。


「国に帰るという事ですかね」


 海塚の問いにナギサはうなずく。


「うん、帰るべき所があるから、帰る事にしたの」


「それはそれで良いでしょう。で、その子はどうするんですか」


 海塚が指をさす。みぞれは視線を下げ、ナギサのコートにしがみついている。ナギサはしゃがみ込み、みぞれと視線を合わせた。


「みぞれちゃんはどうしたい?」


「みぞれは」


 言いたい事はある。だが言い出せない。そんな顔だった。その両目をしっかりと見つめて、ナギサは言った。


「私は、みぞれちゃんと一緒に行きたい」


 みぞれの目が、大きく見開かれる。


「一緒に、行って良いの?」


「ちょおっと待ってえ、ナギサちゃん」


 オクタゴンの外部スピーカーから間の抜けたような声が聞こえた。ソマ計測員だ。孫一郎たちはビックリ仰天しているが、ソマにはそれに構っている余裕はない。


「それを勝手に決めちゃ駄目でしょ。そんな事したら、パラドックスが発生するじゃない」


「ここが並行世界なら、タイムパラドックスは発生しません。そうですよね、博士」


 一瞬の間があって、今度は博士の声がした。


「その通り。並行世界間にはタイムパラドックスの発生する理由がない。だが」博士も逡巡している。「その子の面倒は誰が見るのかね」


「もちろん、私が見ます」


 ナギサの即答の後、しばしの沈黙があった。そして博士の声は、小さなため息とともにこう言った。


「我々はこの世界の存在を知ってしまった。ならば我々の世界は、この世界と交流をせずにはおれないだろう。我々には水先案内人が必要だ。この世界の人類も我々と同じ人類である事を科学的に証明し、我々に倫理的基準を提供し得る存在が必要とされるのだ。良いだろうナギサくん、その少女を歓迎しよう」


 みぞれはキョトンとしている。ナギサはうなずいた。


「一緒に来て良いってさ」


 みぞれは一瞬笑顔を見せると、すぐに顔をくしゃくしゃにしてナギサの首にしがみついた。それを寂しげな顔で孫一郎は見つめていた。見つめ返すナギサと視線が重なる。


「どうする。孫一郎も一緒に来る?」


「行きたいです……でも」


「でも?」


「法……ナギサ殿」


「うん」


 そのナギサの嬉しそうな顔。


「それがしにも、やらねばならぬ事があります。そこから目を背けて、生きては行けません」


「そうだよね」


 孫一郎の頬に、冷たい物が触れ、溶けて流れた。はらはらと小雪が舞っている。


「ここで、お別れになるのでしょうか」


 ナギサはみぞれと手をつないで立ち上がった。


「そう、ここでお別れ。ご免ね、勝手で」


 孫一郎は困ったように笑った。


「本当に勝手です。でも、ありがとうございます」


「こっちこそ、ありがとう」


 ナギサはほんの少し、声を詰まらせた。


 ナギサとみぞれは、再びオクタゴンの脚に乗った。脚はゆっくりと持ち上がり、艦橋側面のハッチが開く。二人はその中に消えた。


 そして、風が吹いた。緩やかな、春を思わせるような暖かい風が。オクタゴンは静かに浮上する。舞い散る雪を巻き上げながら、音もなく、名残を惜しむような素振りもなく、ゆっくりと回転しながら灰色の空へと昇って行く。その姿が見えなくなるまで、孫一郎は身じろぎ一つしなかった。


 だがやがて、孫一郎は歩き出した。孫一郎の旅はまだ終わらない。会津に帰る旅が続く。いや、帰り着いても旅は続くのだ。ずっとずっと、生きるという長い旅が。

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