第25話 確信
「甚六は私を守ってくれるの?」
それは八歳の椿の姿。そのとき甚六は十二歳。古川の屋敷で、初めて出会った日の光景。薄氷のように儚げな椿は、甚六の手を取ってそうたずねた。
「お守り致します、椿さま」
それは嘘ではなかった。命を賭けてお守りすると、甚六は心に誓ったのだ。
「でもね、甚六」
「はい」
「私はもう守らなくてもいいの」
「……椿さま?」
いつの間にか椿は十四歳になっていた。
「私を守る代わりに、兄上を守って欲しいの」
「椿さま、何を」
「お願いよ、約束よ、甚六」
甚六は叫んだ。手を伸ばした。だがそれも届かず、椿の姿が闇にかき消される。
◆ ◆ ◆
「甚六、大丈夫か」
その声に、甚六は目を開けた。暗い。しかし扉の隙間から薄明かりが差し込んでいる。小瀬の惣堂か。きっと外はもう日が高いのだろう。
「与兵衛……か」
「おう、随分うなされてたな。傷は痛むか」
傷? そうか、肩を斬られて。甚六が右肩に手をやると、布が巻かれてあった。
「松蔵さんが手当てをしてくれた。もう血は止まってるし、熱も下がったようだ」
「また松蔵さんか。あの人には世話になりっぱなしだな」
「握り飯もあるぞ。食うか」
「いや、まだいい」
さすがに食欲はまだなかった。
「なあ与兵衛」
「ん?」
「俺がうなされてるとき、何か言ってなかったか」
「いいや、別に何も言ってなかったが」
「そうか、それなら良い。もうしばらく寝る」
「ああ、そうしろ」
甚六は目を閉じた。また椿さまの夢を見るだろうか。それでも構わない。夢であっても会えるのなら。ただそんな甚六の耳には、あのとき逃げ出す寸前に聞いた、あの声がいつまでも残っている。
――ウチノ六衞門ガ急ニ騒ギ出シテ
親父。あれは親父だ。だがおそらく、もう自分の知る親父ではない。どうする。そんなヤツを放っておいては、いつか古川の家に災いが降りかかるのではないか。俺が何とかしなくては。何とか……睡魔は疲れ切った甚六の意識を、眠りの沼へと引きずり込んで行った。
◆ ◆ ◆
初めてオクタゴンに乗ったのは、もう半年前になるだろうか。
艦橋には上から下まで観測機器が詰まっていた。一つ一つはシミュレーションで触れた物と同じだが、これだけ揃うと圧倒される。私はその機械の群れの中に人が居る事に、しばらく気がつかなかった。
「博士のえこひいきで入ってきたそうね。足だけは引っ張らないでくれる」
おかっぱ頭に四角い眼鏡をかけた女が、初対面で第一声、いきなり吐き捨てるように言った。私が愕然としていると、小柄で赤髪の女性がお腹を押さえて大笑いしだした。
「大丈夫大丈夫ナギサちゃん、サエジマはツンデレだから」
そして右手を差し出す。
「アタシはソマ。こいつはサエジマ。二人ともオクタゴンの計測員。よろしく」
「あ、はい、よろしくお願いします」
私が緊張して頭を下げながら手を握ると、今度は観測機器の陰から男の声がした。
「固い固い。ここは体育会系の組織じゃないぞ。もっと柔らかく柔らかく」
見ると筋骨隆々で短髪で浅黒い、どう見ても体育会系の三十前後の男がいた。
「トガワ技師長がそれ言っても、説得力ないんスよねえ」
ソマが苦笑する。
「何でだよ。俺はソフトでカジュアルだろうが」
「言葉の使い方、何か変じゃないスか」
そのソマの言葉を受けて、サエジマが吐き捨てるように言った。
「気持ち悪い」
「ガーン」
漫画のような擬音を口から吐き出しながら、トガワ技師長は落ち込んでしまった。
そこにドアが開き、博士が入ってきた。ブツブツと何か言いながら、手にした書類を見つめている。私の方を見ようともしない。そして突然顔を上げてこう言った。
「試験航行を開始する」
「いやいやいやいや」ソマ計測員が慌てて突っ込んだ。「まだ準備中ですから。準備終わったら声かけますって何度も言ってるじゃないスか」
すると博士はちょっとムッとした顔をしたかと思うと、返事もせずにクルリと背を向け、艦橋から出て行ってしまった。
「家でもあんな感じなの」
サエジマ計測員の口にしたそれが、私に向けられた言葉だと理解するのに数秒かかった。
「……えっ、ああ、だいたいあんな感じですね」
「そりゃあ大変だ」
トガワ技師長が笑った。ソマ計測員もうなずく。
「でも良かったよ、来てくれたのがナギサちゃんで。博士がどういう人か、いちいち説明しなくても済むし」
「やっぱり説明するの大変ですか」
大変なんだろうなあ、と思う。自分だって長年一緒に暮らしていなかったら、博士を理解するのは難しいだろう。
「まあ説明が大変というより、合う合わないで言えば、合わない方が圧倒的に多い人だから。そっちの方が大変」
サエジマの言葉にも苦労がにじみ出ている。きっと今までイロイロあったのだろう。だが言い換えれば、ここにいる四人は皆、何だかんだありながらも博士を理解し受け入れた、博士と合う人間であるという共通点を持つのだ。そう考えると急に親近感が湧いてきた。大丈夫、ここでやって行ける。私はそう確信したのだった。
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