第六章 天正十一年十二月二十四日

第24話 予言

【顕如の日記】


天正十一年十二月二十四日


 昨日、津田村の外で斬り合いがあったそうだ。死んだのは忍びだという噂も立っている。こんな田舎に忍びを放って何がしたいのだろうか。もし秀吉公なら、根来に対する離反工作か。しかし一揆は武家とは違ってお家を大事になどしないからな。簡単には転ばないだろう。


 と言うか、秀吉公らしくない。秀吉公は常に力押しの戦をする。一揆相手に忍びを使ったからめ手など考えづらい。だとするならば、まさか徳川殿だろうか。いやいや、それは本当にまさかだ。しかし忍びと言えば暗殺も得意とするところ。一応戸締まりには気をつけたい。


 ◆ ◆ ◆




 岸和田城本丸の屋敷、奥の離れでは、雪姫が本願寺に移るのを明日に控え、用人や女房たちが慌ただしく荷物を抱えて、右へ左へと廊下を駆けずり回っている。それを知ってか知らずか、障子戸の固く閉じられた部屋の内側では、孫一郎が雪姫の話し相手をしていた。


「和泉の山はやさしゅうございますね。会津の山はもっとけわしゅうございます。磐梯山ばんだいさんという高い高い山がございまして、吹き下ろす風も冷とうございます。夏は涼しくて良いのですが、冬は大層厳しいのです。磐梯山の風が吹き下ろす先に、猪苗代湖いなわしろこという大きな湖がございまして、その西に我が主君、蘆名公がおられる黒川城がそびえております」


 話し相手と言っても、雪姫は聞く方が多かった。その方が楽なのだろう、時折質問をしては、孫一郎の話す事をじっと聞いていた。


「古川さまのお宅はその御城下にあるのですか」


「はい、今頃は雪に埋もれているやも知れませんね」


「話には聞きますが、家が埋もれるほどの雪というものを、私はまだ見た事がありません。……雪は厄介ではありませんか」


 雪姫のその問いに、孫一郎は惑う事なく即答した。


「はい、大変に厄介です。ですが」 そして笑顔を返した。「とても美しゅうございます」


「美しい」


 その答が意外だったのだろうか、雪姫は目を見開いた。


「はい、灰色にすすけた町が一晩で雪に覆われ真っ白になった朝、日の光に照らされる景色は、それはもう何と言ってよいやら、キラキラと輝いて極楽浄土もかくやという程に、それはそれは美しいのです。ただ白いだけの景色が何故ああも心を打つのか、それがしの凡庸な頭ではわかりかねるのですが、美しいのです。ただただ本当に尊く美しいのです」


 雪姫は照れたようにうつむくと、小さく微笑んだ。


「雪は嫌われていないのでしょうか」


「確かに冬の雪は大変です。ですが、雪が降らねば山は水を貯めません。山に水が溜まらねば川は流れず、川が流れねば田畑はうるおいません。我らが生きて行くために、雪はなくてはならないものです。雪には雪の役目があるのですから」




「こんな所で、クリスマスイブかあ」


「太陰暦の十二月二十四日を、クリスマスイブとは言わないと言えるね」


 ピクシーが視界の隅で踊る。


 海塚の家の裏手には小さな畑があった。もっともこの時期、植わっている物はないのだが、その何もない畑のかたわらでナギサは空を見ていた。今日は雪は降っていない。青い空が広がっている。その様子を背後から見つめている者が居る。ナギサは振り返ると、口の利けぬ少女に話しかけた。


「何故お城に行かないのかって顔だね。まあ確かに、孫一郎が居ないと心細いのは正直あるんだけど、お城で根掘り葉掘り聞かれるのも、イロイロと厄介なんだよ」


「……不思議な力の事?」


 と、少女は口にした。ナギサは驚くでもなく、当たり前のように微笑んだ。


「やっぱり、しゃべれるんだね。しゃべるのが嫌いな人が居るのは理解出来るけど、名前くらいは教えてくれてもいいんじゃないかな」


 少女はしばし躊躇ちゅうちょしたが、思い切ったように自らの名前を明かした。


「……みぞれ」


「みぞれちゃんか。綺麗な名前だね」


「綺麗なのは名前だけ」


「そんな事はないと思うけどな」


 みぞれはナギサをにらむように見つめた。


「あまり話しかけない方がいい」


「どうして」


 しかしナギサは笑顔を崩さない。


「みぞれが言葉を口に出すと、良くない事が起こるから」


「良くないって、どんな」


「いろんな悪い事。思い出したくない」


「じゃ何で今、話してくれてるの」


「あなたも不思議な力を持っているから。あなたくらい強ければ大丈夫かもしれない。でも他の人はダメ」


「なるほどね、だから他の人の前ではしゃべらないのか」


 ナギサは納得した。


「何もできない。誰のためにもならない。私にあるのはそんな力」


 苦しげに声を絞り出すみぞれに近付くと、ナギサは静かにしゃがみ込んだ。


「予言してあげようか」


「……よげん?」


 みぞれはその言葉に身構える。その肩にナギサの手が置かれる。


「もうすぐ戦国時代は終わるよ。羽柴秀吉が天下を統一するの。でも羽柴の天下は長くは続かない。秀吉が死んだら徳川家康が天下人になる。そして徳川の天下は三百年近く続く」


 みぞれは固まったように動かない。


「どう、ビックリした?」


 いいや、驚いてはいない。ナギサはそう見ていた。もし驚いているのだとしたら、それは自分だけが知っていたはずの事を、言い当てられた驚きに違いない。


「こんな力があっても、確かに今は役に立たない。けど、きっといつか役に立つ時代が来る。もしかしたら、この力で助かる人もいるかも知れない。私はそう思ってるよ」


 ナギサはみぞれの頬に手を当てた。柔らかい。この柔らかい頬を、この子は何度涙で濡らしてきたのだろう。


「みぞれには……」


「無理かどうか、決めるのはまだ早いって。まだまだ時間はたっぷりあるんだから。自分の力を信じてあげなよ」


 風が吹いた。身体を凍らせそうな冷たい風だ。だがこの冷たい風は、何処かで春と繋がっている。この風の向こうに、いつか必ず春はやって来るのだ。

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