第23話 死者対妖

 夕暮れ時。広い原野を白い影がひとつ走る。影はあぜ道の地蔵堂の前に至ると、高野聖の姿となり片膝をついた。


「たった今、みぞれを連れて津田村を出ました」


 地蔵堂の隣には、顔にまだ幼さの残る、瞳の大きな町娘。手甲脚絆を身につけ、頭に手ぬぐいを巻き、長い髪を背中で結んだ見た目は、ただの町娘に見えた。腰の立派な刀が大きな違和感を放っている以外は。


「みぞれは奪え。あとは殺せ。街道に出るまでに始末をつける」


 服部竜胆がそう口にするや否や、草むらから、茂みの中から、次々に黒い影が飛び出し津田村へと走って行く。冬の夕暮れ、街道までは距離がある。出歩くものの姿はない。走る影を見とがめる者は誰もいないのだ。


 やがて影たちの鋭い眼は、遠く暮れゆく空を背に、あぜ道を歩く四人の姿を捉えた。影たちが腰の刀を抜き放った、まさにその瞬間。先頭を行く影の額に衝撃が走り、もんどり打って倒れ込んだ。他の影たちの脚が止まる。その眼前に立ちはだかったのは、旅姿に顔を覆面で覆った二人組。一人は短めの刀を構え、もう一人は素手であった。



「何故あいつらを狙う」


 影たちに向けた甚六のその問いに、もちろん答える者はいない。刀を構えた与兵衛が一歩前に出る。右側の影が飛び出した。甚六は右手を振るった。何も握っていない――そうとしか見えなかった――その手が振られたとき、暗い宙に何かが放たれた。その小さな塊は緩やかな弧を描いて飛ぶと、影の額に吸い込まれた。うめき声を上げて影がうずくまる。


「つぶてか」


 別の影から声がした。そう、つぶてである。甚六は一見素手に見える、その両手の指の間に小石を挟み、それを投げつけているのだ。しかし、ただ投げているだけではない。小石はいびつな形状をしている。同じ形の物は二つとない。すなわち同じように投げても、同じ軌道で飛ぶ小石はないという事だ。なのに甚六は、そのすべてを思い描いた軌道で、狙った場所に投げる事ができた。誰にも真似のできない特技。故に『つぶての甚六』、同じ里の者はそう呼んだ。


 無論この状況、つぶてで敵を倒す事はできない。相手は見るからに手練れの忍びども、一対一なら勝ち目はない。だがそのための与兵衛の刀だ。常にこちらが二人で相手一人に対するようにすれば、何人かは倒せるかも知れない。少なくとも時間は稼げる。忍びは隠密を旨とするもの、人里に入れば一旦手を引くだろう。ならば守人としての役目は果たせる。そういう算段であった。けれど。


「何をしている」


 その声に、影たちは真ん中から左右に分かれた。そこに立っていたのは町娘。腰に刀を一本差した町娘が、暗い空を背に腕を組んでいた。娘は覆面姿の甚六と与兵衛を見やり、つまらなそうに、こう言い放った。


「また草か」


 その言い方が気になったが、それを確かめる状況でもあるまい。甚六は町娘に向かってつぶてを放った。固い音。そして地面に落ちる音。町娘は抜く手も見せず、甚六のつぶてを刀で叩き落としたのだ。


「へえ、面白いな。つぶてを使うのか。だがどうする。つぶてで私は殺せないぞ」


 そしてゆっくりと、甚六と与兵衛に向かって歩き出す。


「さっさと行け」


 町娘のその言葉に、影たちは再び走り出した。甚六がつぶてを放とうとした瞬間、その真正面に町娘が回り込んだ。


「おまえらの相手は」 刀を右手一本で振るう。「こっちだよ!」


 それを与兵衛の刀が受けた。もちろん両手で。なのに与兵衛は押された。その足は地面から浮き、尻餅をついた。甚六は、すかさず両手でつぶてを放つ。しかしすべてが弾かれた。そして町娘は、返す刀で甚六に斬り込む。


「遅いな!」


 甚六は、その一太刀をかわした。かわし切ったはずだった。だが顔の覆面は切り裂かれ、右肩に痛みが走った。立ち上がった与兵衛が、渾身の突きを放つ。


「てやあああっ!」


 けれど下から跳ね上げた町娘の一刀は、与兵衛の手から力尽くで刀を奪うと、すっかり暗くなった空に向かって飛ばした。


「こんなものか。あっけない」


 町娘が上段に構えるのが見えた。もうかわせない。次の瞬間には甚六か、それとも与兵衛か、どちらかが死ぬのだ。二人がそう思ったとき。町娘の表情が変わった。そして慌てて飛び退いた。


 そこに中天から稲妻の速度で落ちてきたのは、刀。おそらくは与兵衛の刀。地面に深く突き刺さるそのつかには、しっかりと握る手があった。菅笠をかぶった後ろ姿。甚六には覚えがある。


「親父……なのか」



 服部竜胆は、菅笠の男に右手で切っ先を向けた。そして首をかしげる。


「おかしいな。おまえ、何処かで会ったよね」


 菅笠は無言で刀を地面から引き抜くと、正眼に構えた。竜胆は横目で二人の草を見る。


「まさか、あのときの草か。だが死んだはず……」


 言い終わる時間は与えられなかった。菅笠は上段から竜胆に打ち込んでくる。早い。竜胆は刀を水平に受けた。右手一本で。だが押し込まれる。やむなく左手を添える。均衡した。力だけなら互角というところか。


「おかしいな。こんなに強くはなかったはずだけど」


 竜胆は菅笠の腹を蹴って飛び下がった。しかし菅笠は体勢を崩しながらも追いすがった。右、左、右と切りつける。それをいなし続けながら竜胆は下がった。その耳に絶叫が届くまで。


 それは自分の配下の声に思われた。一つではない。二つ、三つとどんどん続いていく。何かが起きている。竜胆は足を止めた。打ち込む菅笠の刀を受けると、それを左に流し、体をするりと入れ替えた。そして振り返ると、まだ空に明るさの残る西へと向かって走り出す。その視界に立つ黒い人影。配下の影どもとは、また違う黒衣に身を包んだ異人。紅毛の伴天連。


「悔イ改メナサーイ!」


 竜胆は迷わず斬りかかる。だが一瞬の銀光。伴天連の背後から、左耳すれすれを通って長い長い刀の突きが放たれた。竜胆は刀の腹で受ける。その身体は後ろへと弾き飛ばされた。


「オーウ、ちゅーぜん、手ヲ抜キマシタカ」

忠善ただよしにございます」


 伴天連の向こうから、長身の剣士が現れた。朱色の着物に白袴。


「司祭さまのお言葉といえど、心外にございますな」

「オヤ、本気ダッタノデスカ」


「今のは一撃必殺の突き。これまで、かわされた事などございません」


 普段は鉄面皮であろうその顔に、いささか焦りの色が見える。


 一方、吹き飛ばされて膝をついていた竜胆は身体を起こした。


「ああ、なるほどね、やっとわかった。噂には聞いていたよ、伴天連にも外法師はいるのだと」


 そして歯を見せた。


「おまえ、死人使いか」


「コチラモ理解シマシタヨ」


 伴天連はにんまり笑う。


「ほう、何を」

「ウチノ六衞門ガ急ニ騒ギ出シテ、何カト思ッタノデスガ」


 そう、彼ら三人が水間寺から岸和田へ帰る途中、津田村に近付いたときに、突然六衞門が落ち着きを失い、あぜ道を狂ったように走り出したのだ。


「……アナタ、六衞門ヲ殺シマシタネ」

「だとしたら?」


 伴天連はまるで、それで相手が喜ぶかのようにこう言った。


「アナタ、使イ道ガアリマス。小生ノ手駒ニシテアゲマショウ」


「それは軍門にくだれという事か。それとも殺してから使ってやろうという事かな」


「モチロン後者デス」


「人でなしっぷりが気持ち良いな。嫌いじゃないよ」


「オ互イサマデ……」


 最後まで聞かず、竜胆は前に出た。忠善の長刀が振り下ろされる。竜胆はそれを受けながら、さらに一歩踏み込む。忍び寄る夜の闇に火花が散る。いつの間に迫ったか、竜胆の背後から菅笠の男、六衞門が斬りかかる。振り返りもせず、身体の捌きだけでかわす竜胆。


 六衞門の刃が届きそうになり、忠善が半歩下がった。その隙を逃さず、竜胆は押し込む。しかし忠善は身体をくるりと回転させ、竜胆を受け流した。だが素直に流されたように見えた竜胆の刃の向かう先には伴天連が居る。それが狙いか。


 忠善が吼える。その長刀はレの字を書いて、地から天に向けて駆け上がり、竜胆の背を襲った。天を指し、真っ直ぐに振り上げられる長刀。その先端に、まるで風にたなびく幟旗のぼりばたの如く、何かがまとわりついている。竜胆が左手で長刀の刃を掴んでいるのだ。


 振り仰ぎ愕然とする忠善に向かい、竜胆が落下する。その真横から斬りかかる六衞門。金属の打ち合う音。そして地面に二つ、落ちた音。一つはそのまま走り去った。残ったもう一つ、六衞門が立ち上がると、首筋に大きな刀傷。生者ならば死んでいたところだ。



 宣教師は大きなため息をついた。


「イヤア、怖カッタ怖カッタ。びっくりシマシタネ。アンナ人ガ居ルトハ」


「あれは……あの娘は人なのでしょうか。もしや妖の類いでは」


 そう言いかけて、忠善は気付いた。自らの刀の刃に血がこびりついている。


「人ではあるようですね」


 ようやく余裕ができたのか、宣教師は周囲を見回した。


「ソウ言エバ、アノ娘ト戦ッテイタ者ガ二人ホド居タハズデスガ」


「あれもまた何処かの忍びなのでしょう。正体がバレないうちに姿を消したのではありませんか」


「オーウ、恩知ラズデスネ。御礼クライ言ッテモ良イト思ウノデスガ」


「そんな事をする忍びは居ないと思いますよ。それよりも」


 忠善は自分たちが来た道の方を指さした。


「さっき斬った忍びが、七人ほどいるはずです。使えるようにした方が良いのではありませんか」


 しかし宣教師は不満げに口を尖らせた。


「エエー、面倒臭イデス」


「今の娘ともう一度相対あいたいすれば、次は司祭さまをお守りできないかも知れません」


「脅スノデスカ。ちゅーぜんハ、コノ小生ヲ脅ストイウノデスカ」

「どういたします?」


「モチロン動カシマストモ!」


 宣教師は元来た道を走って行った。忠善と六衞門も後に続く。周囲はもうすぐ闇に飲まれる。




 ◇ ◇ ◇


 もしアナタが目的のない散歩をしていたとしよう。その途中、道が左右に分かれる場所に出た。右か左か、どちらを選ぶ?


 アナタが右を選んだとする。その世界のアナタは、右を選んだアナタであり続ける訳だ。だが左に向かう可能性だってあった。何せ目的のない散歩なのだから、左に行かない理由はなかったのだ。


 ここで世界は分岐する。つまり、アナタが右の道を選択した瞬間、アナタが左の道を選択する世界が、この世の何処かに生じるのである。これを並行世界、パラレルワールドと言う。


 並行世界は、遠い過去から遠い未来まで、無数の理由で無限のタイミングで発生する。その隣り合う世界は、きっと何処かに存在すると、理論的には大昔から主張されてきた。


 そして二十四世紀、軍立次元物理研究所のドクター・ボルシェヴィキの研究チームが、その実在を確認する実験を行った。いわゆるオクタゴン実験である。しかし実験は失敗した可能性が高い。第四次実験開始から一ヶ月が経過した現在、参加した研究員は潜宙艦オクタゴンもろとも全員が行方不明、いまだに生存者は発見されていないのだ。

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