第20話 死者の挨拶
【顕如の日記】
天正十一年十二月二十二日
昨夜は岸和田で酷い夜襲があったそうだ。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。根来の門徒の仕業だと岸和田では言われているそうだが、本当だろうか。秀吉公を無闇に刺激するのはやめて欲しい。巻き込まれる者の身にもなってもらいたい。
今日は雪が降っている。寒さもひとしおだ。雪と言えば、岸和田城の雪姫さまが本願寺で静養されるという。卜半斎が勝手に決めて来てしまった。こんな大事な話、一言相談してくれないだろうか。
そういえば、寺内町で
◆ ◆ ◆
昨夜の襲撃は、岸和田城に衝撃をもって伝えられた。浜に残された舟から、佐野辺りの漁師の仕業であるとの推測が早々に流れ、佐野村を仕置くべしとの声が上がるのを、与力の河毛や佐藤が抑えて回らねばならないほどだった。
そんな中、徳松という名の浜の民の代表者が、朝から岸和田城に呼ばれた。小雪の降る中、三人の
「はい、間違いはねえです。あのままなら、俺ら男は皆殺しにされてたかも知れねえ。それを助けてくださったのは、こちらの方々です」
城主中村一氏の前で、徳松はそう言った。侍たちに取り囲まれ、緊張した面持ちではあったが、それだけはハッキリと言い切った。
「うむ、わかった。この大変なときに大義であった。次郎左、見舞いの品は」
一氏の背後の佐藤次郎左衛門が答える。
「すでに馬にて村に運んでおります」
一氏は徳松から目を離さず、大きくうなずいた。
「良し。徳松、良く聞け。
徳松は答えず、無言で平伏した。精一杯の反抗であったのだろうか。
「源次郎、徳松を門まで送ってやれ」
「はっ」
河毛源次郎が立ち上がり、徳松を導いた。二人が出て行くと、広間の真ん中に残ったのは
「此度の活躍、大義であった。領民に代わり礼を申す」
「イエイエ、御礼ヲ言ワレルヨウナ事ハ、何モシテオリマセン。タダ、難儀シテイル人々ヲ、放ッテ置ケナカッタダケナノデス」
伴天連は両手を合わせてそう言ったのだが、その様子がまた胡散臭い。さっさと追い返したい、一氏のその気持ちは顔いっぱいに出ていた。
「とにかく褒美を取らそう。何を望む。申してみよ」
「左様デスカ。ソレデハ、遠慮ナク申シ上ゲマス。町ヲ一ツ頂キタイ」
伴天連は、にんまりと笑った。
「町を一つ、だと?」
一氏の視線が鋭くなる。
「ハイ、デキレバ海ニ面シタ、港ガアル村カ町ガ良イデス」
「図に乗るな!」
周囲の侍たちから怒りの声が上がる。
「殿を愚弄する気か!」
「待て」
しかし一氏の鋭い一声に、広間は静まりかえった。
「確かに、お主らのした事は立派だ。余も城主として、礼をしたいのはやまやまである。なれど、町や村を丸ごと一つ与えよと申すのは、いささか欲が深すぎるのではないか」
一氏は明らかに何かに気づいていた。それ故の持って回った言い回しである。
伴天連は二つ大きくうなずいた。
「左様、小生ノ従者ガ昨夜シタ事ニ、ソレ程ノ値打チハアリマセン。アレハ挨拶ノヨウナモノデスカラ」
「挨拶、か。何のための挨拶だ」
「実ハ、オ殿サマニ見セタイモノガ、ゴザイマス」
一氏の表情は変わらない。変わらないはずなのだが、目の鋭さだけが増したようにも見える。
「良かろう。見せてもらおう」
「ちゅーぜん」伴天連は振り返る事なく命じた。「六衞門ノ胸ヲ貫キナサイ」
待て、城内での抜刀は御法度である、と佐藤次郎左衛門が口にするより先に、忠善は片膝を立てて鞘から長刀を抜き、迷う事なく六衞門の胸を貫いた。広間に集まった歴戦の強者たちも、この早業には驚いた。だが、本当に驚くのはこれからであった。
忠善は刀を引き抜く。けれど六衞門は微動だにしない。傷口からは血が噴き出す事もない。平然とした様子の六衞門に、さしもの侍たちも言葉を失った。
「六衞門、オ殿サマニ傷口ヲ見セナサイ」
伴天連に命じられた六衞門は、音もなく立ち上がると一氏の前に進み出た。佐藤次郎左衛門が思わず刀に手をかける。しかしそれを無視するかのように胡座をかくと、着物の前を勢いよく開いた。胸には小さな刀傷。それだけ。
一氏の表情はなおも変わらない。驚いた様子すらない。だが少し口元が緩んでいるかのようにも思える。
「どういう仕掛けだ」
「一度死ンダ者ハ、二度ト死ニマセン。簡単ナ理屈デス」
伴天連はヌケヌケと言ってのけた。
「言えぬと申すか。
ここで初めて、一氏はニヤリと笑って見せた。
「それで。お主に町を一つ任せたらどうなる。まさかこの者を余に差し出すなどという事ではあるまい」
「オーウ、残念ナガラコノ六衞門ハ、小生ノ言ウ事ニシカ従イマセン。タダ」
伴天連はまた、にんまりと笑った。
「モシ町ヲ下サレバ、同ジヨウナ死人ノ兵ヲ、沢山作レマス」
「沢山とは何人くらいだ。十人か、百人か」
「千人デモ、二千人デモ」
一氏は、己の心が揺らいでいるのを感じていた。この伴天連の言う事が真実であったとして、もし本当に千人単位の不死の兵団を配下に抱える事ができるのなら、町の一つくらいくれてやっても惜しくはない。一氏が考えねばならない事は、根来雑賀の一揆勢についてだけではないからだ。いずれは徳川との決戦もあろう。羽柴さまのため、天下国家のため、これは喉から手が出る程に魅力的な申し出と言えた。だが。
「貴公らは何処に泊まっておる」
突然、一氏の質問の風向きが変わった。伴天連はキョトンとしている。
「ハア、岸和田ノ旅籠デスガ」
「では、しばし逗留を続けよ。間もなく正月である。餅も振る舞われようし、ゆっくりと旅の疲れを取ると良い。用向きがあるときは、こちらから人を出す。しばらくはのんびりされよ」
そう言ったかと思うと立ち上がり、伴天連たちを広間に残して立ち去ってしまった。
「話に乗ってくると思ったのですが」
雪の舞い散る岸和田城の門の外、何とも惜しげに言う忠善を、宣教師は鼻にしわを寄せて振り返った。
「しぶちんデスネ。一国一城ノ主ガ、アンナニしぶちんダトハ思イマセンデシタ」
「ですが逗留しろと言っているのです、まだ望みはあるのでは」
「望ミアッテモラワネバ困リマス。別ノ売リ込ミ先ヲ探スノ、大変ナノデスカラ」
「紀州に行くという手もありますが」
「紀州ハ、根来寺ト高野山ノ勢力強スギマス。与エラレタ町ヲ拠点ニ、周囲ニ布教スルトイウ目的ガ果タセマセン」
忠善はちょっと意外そうな顔を見せた。
「存外真面目な事を考えていらしたのですね」
「当タリ前デス。我ガ野望ハ、コノ国ニくりすちゃんノ王道楽土ヲ建設スル事。モチロン王サマハ小生デス」
「言ってるそばからそれですか」
忠善は小さくため息をつく。その後に無言で続く六衞門。宣教師は二人を引き連れ、旅籠街へと向かった。
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