第13話 手土産

【顕如の日記】


 天正十一年十二月二十一日


 昨日は旅人が本願寺を訪れたらしい。会津の蘆名家から丁寧な書状をいただいた。だがその旅人を卜半斎ぼくはんさいが帰してしまったという。会いたかったのに。あの男は優秀だが、こういう所で気が利かない。


 卜半斎といえば、今日は岸和田城まで出かけているとか。中村殿に失礼がないと良いが。中村殿への非礼は秀吉公への非礼に当たる。それだけは勘弁して欲しいところだ。


 ◆ ◆ ◆




 つい最近大坂城を見た孫一郎の目には、さすがにその石垣は素朴で小ぶりに見えた。岸和田城の正門の前、卜半斎了珍は足止めを食らっている。一人の痩せぎすな若い侍が、卜半斎の連れの顔ぶれに難色を示しているのだ。


「河毛殿、そう堅苦しく考えてばかりでは、肩が凝りましょう」


「そうはおっしゃいますが卜半斎さま、素性も不明な者を殿に会わせろというのは、いかにあなたさまのお言葉と言えど、その」


 与力職であるという河毛源次郎は、困り顔を浮かべながらも、卜半斎に失礼のないよう気を配っているのがわかる。だが気は遣うものの、素性の知れない者――主にナギサだ――を受け入れられないという意志は固く、妥協する気配はまるで見えない。駄目なものはとにかく駄目、という性格なのだろう。



 ナギサが門の奥に目をやると、そこからもう一人、丸顔の侍が姿を現した。ニコニコとした笑顔をこちらに向けると、スタスタ歩いてくる。昔の子供向けのヒーローに、こんな顔いたっけな、とナギサが考えていると、河毛与力に声をかけてきた。


「源次郎」


 河毛は振り返ると「次郎左か」と、少し驚いたような顔を見せた。


「同じ与力の佐藤次郎左衛門です。お見知り置きを」


 と河毛源次郎は卜半斎に佐藤与力を紹介した。源次郎と次郎左衛門でジローズだな、とナギサは何気なく思い付いた。


「先般中村さまが顕如さまにご挨拶に来られたとき、ご一緒でしたね」


 卜半斎の言葉に、丸顔の佐藤次郎左衛門は笑顔を変えず、河毛与力の隣に立った。


「これは卜半斎さま、私などを覚えておいでとは、もったいのうございます。それで本日はどのような御用でこちらまでお越しに」


「いや佐藤殿、こちらに控えておるのは本願寺の客なのですが」


 と、卜半斎はナギサと孫一郎、そして物言わぬ少女の三人をまとめて紹介した。本当なら少女は置いてくるはずだったのだが、どうしてもナギサから離れようとしない。仕方ないのでそのまま連れてきたのだ。


「ほう、客人でありますか」


「なかなかに面白い者たち故、是非とも御城主さまにお目通り願いたいと思いましてな」


 すると佐藤与力は、笑顔をますます輝かせた。


「おお、それはそれは助かります。我が殿も、このところ戦ばかりで疲れておられたところ。丁度良かった」


「おい待て次郎左」


 河毛が佐藤の腕を取る。


「どうした。何も問題はないだろう」


 平然と笑顔を返す佐藤に、河毛が詰め寄る。


「問題は大ありだ。こんな素性の知れない連中を殿に会わせて、万が一の事があったらどうするつもりだ」


「私が斬れば良いのではないか」


 即答だった。


「それは、そうだが」


「それで殿のお怒りが静まらぬとなれば、この腹をかっさばくしかあるまい」


 佐藤与力はさも当たり前のように腹を叩いて死を口にする。この時代の武家ならではの死生観であろうか。ナギサはちょっと薄ら寒い物を感じた。


「では卜半斎さま、案内いたします」


 佐藤次郎左衛門はさっさと城の中に入って行く。卜半斎も続く。河毛源次郎は一瞬二人を止めようとしたのだが、諦めて後ろに着いていった。ナギサたち三人も、その後に続く。


 城内には、槍や弓を持った鎧姿の侍たちが、ウロウロしていた。戦が日常的にあるのだろう。しかしそれをジロジロ見ている時間はない。急がねば卜半斎を見失う。曲がりくねった通路を進み、やがて本丸にある平屋の屋敷にたどり着いた。玄関から上がると、すぐに大広間が見える。



 玄関から屋敷に上がった一行は、大広間の向かって右端に固まって座った。城主はまだ来ていない。まあ当然か、と孫一郎が思った瞬間、廊下を踏む大きな音が奥から聞こえてくる。その足音の主が、勢いよく大広間に姿を現した。


「卜半斎殿! 久しいでござるな!」


 これが席に着くより前の一言である。さすがの卜半斎も、少々気圧されている。


「お久しゅうございます。本日は土産を連れて参りました次第」


 明るい柿色の着物を羽織ったナマズひげの城主は、早速孫一郎を見つけた。


「余が羽柴秀吉公配下、中村一氏である。今年からこの岸和田城を任せられておる。そなた、名前は」


 まさか城主に先に名乗られてしまうとは思わなかった。呆気に取られながらも、孫一郎は慌てて頭を下げた。


「あ、会津守護、蘆名家家中、古川孫四郎が一子、孫一郎と申します」


 言ってしまってから、大丈夫か、と思った。中村一氏さまと言えば、羽柴秀吉公の家臣団の中でも最古参の一人と言われている。対する会津蘆名家は、羽柴公とは敵対こそしていないものの、あまり覚えめでたい大名ではない。機嫌を悪くしないだろうか。そんな杞憂は一瞬で吹き飛んだ。


「孫一郎! 良い名ではないか。余の仮名けみょうは孫平治である。中村孫平治一氏じゃ。孫同士であるな!」


 一氏は豪快に笑った。年の頃なら三十五、六にしか見えないのだが、大広間に集まっている古強者たちの誰をも迫力で黙らせられるであろう威圧感、それでいて、不思議と他人を惹き付けてやまない魅力がある。なるほど、一国一城の主を任される男というのは、こういうものなのかと孫一郎は思った。


「ん。はて」一氏は中空を見つめた。「会津の古川とな」


 そして何かに思い至ったのかニヤリと笑い、再び孫一郎に目をやった。


「もしや兼定かねさだか」


 その一言に、孫一郎は恐縮し、深々と頭を下げた。


「恐れ入ります」


「良い良い、恐れ入らんでも構わん」


 またひとつ豪快に笑うと、その目をナギサに向けた。


「変わった格好をしとるのう。女だてらにかぶいておるのか」


「いや、そういう訳でもないのですが」


「そなた、名は」


「はい、テンショウジ・ナギサと」


「そうか。とりあえず我が上様の前には出ぬことだ。取って食われてしまうぞ」


 もしかしたら、それは一氏なりの褒め言葉だったのかも知れない。


 そして次に、一氏は口を利けぬ少女に目をやった。場違いと言えば、この子ほど場違いな存在も居ない。少女は一氏を、恨みでもあるかのようににらみつけている。


「あの、この子は」


 そう言いかけたナギサに、一氏はニヤリと笑った。


「良い良い。子供は神に近しい者だ。一人くらい紛れ込んでも構わん」


 そしてようやっと一氏は座った。与力の河毛源次郎と佐藤次郎左衛門がその背を守る。



 中村一氏は卜半斎に目を向けた。


「貝塚はよろしいですなあ。何が良いと言って、根来に攻められる心配がない。岸和田は、常に根来が百姓どもをそそのかさぬかと、気に病まねばならぬのです。いや、嫌味ではござらんぞ。それもこれも本願寺顕如殿のご威光と、卜半斎殿の手腕あっての事。余は戦しかできぬ阿呆ですからな、城にもってまつりごとなどというのは性に合わんのです」


 根来とは紀州の根来寺の事。根来寺は岸和田以南の和泉国に強い影響力を持っていると、ナギサはピクシーから聞いている。自分の部下たちが根来に対してピリピリしている事を知りながら、この場において唯一根来と親交のあるであろう卜半斎に対して、平然とこんな言葉を投げつける。デリカシーもへったくれもない男である。


 ただ、そこに悪意や底意が感じられないのもまた事実だ。そしてそんな一氏の言葉に対し、当の卜半斎は顔色一つ変えずこう返した。


「では羽柴さまにそうおっしゃってみてはいかがですかな。中村さまのお言葉なら、羽柴さまも耳を傾けましょう」


「何の何の。そんな事を上様に申せば、首を飛ばされてしまいます。話になどなりませぬよ」


 そう一氏は笑い飛ばした。


「して、本日の土産とはその者たちですかな。食って美味そうでもないようですが」


 と、一氏は今更言って見せた。それに卜半斎が応える。


「はい、このご時世に珍しく遠来の客でありますからな。雪姫さまの話し相手にいかがかと思いました次第」


 これがナギサたちに寝床を用意する卜半斎への対価だった。城主へのご機嫌伺いの土産にされてしまったのだ。


「おお、雪に」


 だがその効果は覿面てきめんであったようだ。


「それは有り難い。城の中はむさ苦しい侍ばかりで、妹には不自由をさせております。卜半斎殿のお眼鏡にかなったのであれば、間違いはありますまい。どうぞ話し相手をお願い致す。源次郎、すぐに案内を」


 さっきまでの豪快さは何処へやら、一氏の顔は妹を溺愛する兄のそれへと変わった。細身の与力、河毛源次郎が立ち上がる隣で、丸顔の与力、佐藤次郎左衛門はやれやれと渋い顔である。しかしそんなものは目に入らないのか、一氏は腰を浮かして早う早うと皆をき立てる。妹が最大のウィークポイントなのは丸わかりだな、とナギサは思った。


 卜半斎が立ち上がり、ナギサと口の利けない少女も立ち上がった。ふと隣の孫一郎を見る。孫一郎も静かに立ち上がっていた。だがその表情は、何だか複雑そうに思えた。

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