第12話 死人の兵
「マーダ見ツカラナイデスカ。モウスグ朝ニナリマスヨ」
さっきから宣教師は、ぶつくさ文句を言っている。だが、ただでさえ闇の濃い牛滝の山中である。人手は五人居るとは言え、提灯一つの灯りで死体を探すなど、どだい無理な話に思えた。
「光が見えたのは、この辺りで間違いないのか」
忠善は提灯を左右に振りながら、熊のような裸の大男にたずねた。男の名は熊三という。まさに名は体を表すである。熊三は若衆から二人――利助と二吉という名だ――引き連れ、死体探しを手伝ってくれている。
「場所は間違いない。木が焦げたニオイがするだろう」
なるほど言われてみれば、確かに焦げ臭い。場所は間違いないようだ。
「ダッタラ、探セバ見ツカルハズデス。トットト頑張ッテクダサイ」
「そんなら、あんたも探したらどうだい、伴天連さんよ」
熊三は呆れた口調で宣教師に声をかけたが、相手は悪びれもせずにこう答えた。
「オーウ、小生ニハ向イテナイ仕事デスネ、残念ナ事ニ」
「ヌケヌケと良く言う」
熊三が苦笑したとき、提灯の灯りで上を照らした忠善が、声を上げた。
「ああ、これでしょうかね、司祭さま」
ブナの木だろうか、高い所に斜め上に張る太い枝があった。暗い提灯の灯りでも見て取れるほど、枝の上が黒く焦げている。その枝からダラリと腕が垂れていた。
「オー、ソレデス。オロシテクダサイ。今スグオロシテクダサイ」
宣教師は目を輝かせて駆け寄ってきた。
「そんなに慌てるこたあないだろう。死人が生き返る訳じゃあるまいし」
熊三たちは困惑したが、宣教師があまりに下ろせ下ろせと騒ぐものだから根負けし、とにかく枝の上から死体を下に落とす事にした。熊三が肩車し、その上に乗った利助が死体の腕を引っ張る事になった。
「ナマンダブ、ナマンダブ。化けて出るなら伴天連の所にしてくれよ」
利助はそうつぶやきつつ腕を上に伸ばした。無理もない。単に死体に触るだけでも、普通なら気持ち悪い。今は戦国の世だから死体は見慣れているが、だからといって触り慣れている訳ではないのだ。まして夜中である。提灯の灯りが一つあるだけで、周囲はほとんど真っ暗だ。闇の中から何かが飛び出てきそうな気がする。
その気持ちを何とか抑えに抑えて、利助は枝の上の死体の腕をつかんだ。冷たいし固い。ええい、ままよ。利助がぐいと腕を引っ張ると、枝の上に横たわっていた死体は簡単に動いた。砂袋が落ちるような音を立てて、死体は頭から落下した。だが所詮死体である。誰も心配などしない。
「言う通りにしてやったぞ。これで良いんだろ」
利助を下ろした熊三が、宣教師に確認を取った。宣教師は大きく満足そうに、うなずき微笑む。
「ハイ、ヨクヤッテクレマシタ。有リ難イデス。デハオ礼ニ、トテモ珍シイモノヲ見セテアゲマショウ」
「珍しいもの?」
熊三たちは顔を見合わせ、次いで忠善の方を見た。しかし忠善は闇の中に置かれた人形のように、無表情で立ち尽くしている。
宣教師は、服の胸ポケットからガラスの小瓶を取り出した。目の高さに持ち上げ、中身を確認するように小さく振る。液体が入っているようだ。勢いよく瓶の栓を抜く。
「コレヲ、死体ニ振リカケマス」
宣教師はその液体を死体の頭から順番に、少しずつかけていった。そして足の先までかけ終わったとき、両手を組み、天を仰いだ。
「コノ地ニ生マレシ者ニシテ、コノ地ニ死セル者。魂ヲ天ニ返シ、
謎の言葉を唱え終わると、宣教師は晴れやかな顔で熊三たちに向き直った。
「儀式ハ上手ク行ッタヨウデス。アナタ方三人ニハ、心ヨリオ礼申シアゲマス」
「いや、お礼はいいけどよ、いったい何の儀式なん……」
熊三がその疑問を言い終わる前に。動いた。死体がその上半身を起こし、膝を立て、そして宣教師の背後に立ち上がったのだ。
「そ、そりゃ何だ、おい、それ、死んでたんじゃないのかよ!」
「ハイ、ソウデス。死ンデマシタ。今デモ死ンデマス。ダカラ、小生ノ自由ニ動カセマス。トイウ訳デ」
驚き当惑している熊三たちに、宣教師は腰のポケットから、何か小さな物を取り出して見せた。小型のナイフ。それを自分の背後の死者に向かって差し出し、宣教師は託宣の如く言葉を下した。
「三人トモ、殺シナサイ」
ナイフを奪うようにつかんだ死者は、風の如く走った。背の低い若衆、二吉の首筋がパックリと割れる。提灯の灯りの中、愕然とした顔で血を吹き上げ倒れていく二吉。
「ひ、ひぃっ!」
利助が悲鳴を上げたとき、死者の手のナイフは、すでに利助の胸に突き立っていた。軽々と引き抜かれるナイフ。仰向けに倒れる利助の体。
「てめえ、どういうつもりだ!」
身構え吠える熊三。しかしその突き出した両手の指に痛みが走ると、ポトリと地面に落ちた。死者の手の中で、ナイフの刃が妖しく輝く。
「コノ国ニハ、良イ言葉アリマス」
宣教師は、にんまりと微笑む。
「冥土ノ土産。アナタガ見タ秘術、使エル者ハ滅多ニイマセンネ。見ラレテ幸運デシタ。トテモ素晴ラシイ、冥土ノ土産デス」
「ふざけんなあっ!」
熊三は指を失った血まみれの手で、宣教師につかみかかる。だがその背後からまとわりつく冷たい腕。それが横に引かれたかと思うと、両目が真一文字に切り裂かれた。
「がっ……」
悲鳴を上げようとした喉がえぐられ、ひゅうひゅうと笛のような音が鳴る。顔と喉を押さえ、力なく膝をついた熊三の脳天に、固い音を立ててナイフが突き刺さった。それが引き抜かれると、熊三の体は前のめりに倒れた。
暗い山中に手を叩く音が響く。
「良クデキマシタ。サスガ、変ナ死ニ方シタダケノ事アリマスネ」
三人を殺した死者は呆然と立っているように見えた。
「何ヲシテマスカ。サッサトヒザマズキナサイ」
そう命じられ、宣教師に向かって膝を折る……と見せかけて、死者は低く地を蹴った。金属音が響く。宣教師の鼻先数センチの所で、死者の握るナイフと忠善の長刀がせめぎ合っていた。力押しは互角、いや、死者の方がやや優勢か。左手に提灯を持ち、刀を右手一本で振るう忠善は押されつつあった。
生命を失った冷たい顔と、眉一本動かさぬ鉄面皮。どちらが生者が知れたものではない。次の瞬間、忠善は刀を斜めに傾け、体ごとスルリと抜けた。力の行き場をなくした死者は、バランスを崩し前のめりになる。そこにすかさず忠善の峰打ちが、唸りを上げて振り下ろされる。だがその場所に死者の姿はない。前のめりのまま真後ろに跳んだのだ。
死者が再びナイフを構えようとしたとき、闇の中から飛んできた紐状の何かが、その手に絡まった。紐の先には、十字に交差する黄金の光。宣教師の投げたロザリオだった。それが腕にふれたとき、死者は叫び声を上げた。まさに地獄の底から響くが如き絶叫を。
「マッタク、
叫ぶ死者は腕に貼り付いたロザリオを
「オマエハ主ノ
苦痛に震えながら、死者はうなずいた。
「ヨロシイ。デハ、オマエノ名前ヲ教エナサイ」
「ろく……えもん」
六衛門の死体からそれを聞き出すと、宣教師は満足げな顔で近付き、ロザリオを剥がし取った。痛みから解放された六衛門は、その場に倒れ込む。
「よろしいのですか、司祭さま」
忠善はいまだ右手に刀を握ったままで、警戒を解いていない。だが宣教師は平然とロザリオを修道服のポケットに納めた。
「名前ヲ知ルトイウ事ハ、本質ヲ掌握スルニ等シイノデス。コノ六衛門ハ、小生ニ名前ヲ知ラレマシタ。
「そんな理屈が、死人に通じるでしょうか」
「コノ世ノ理屈ハ、常ニ神ト共ニアルノデス。ソレトモちゅーぜんハ、六衛門ガ気ニ入ラナイノデスカ?」
宣教師は大げさに驚いたような顔をした。
「そういう問題ではありません。この男は強い。これまで司祭さまが動かしてきた様々な死体と比べて、桁外れに強いのです。油断しては大怪我をします」
「強イカラコソ、値打チガアルノデショウ」
忠善は剣を鞘に戻すと、一つため息を吐いた。口ではかなわない。宣教師は満足そうにうなずくと、六衛門を見やった。
「小生ニ従エバ、オマエガコノ世ニ残シタ恨ミヲ、晴ラス機会ヲ与エテアゲマス。立チナサイ、六衛門」
その言葉に従い、六衛門は立ち上がった。
「この三人の死体はどう致します。また動かすのですか」
忠善の言葉に、しかし宣教師は、死体に目もくれずにこう言った。
「雑魚ヲ動カシテモ意味ガアリマセン。放ッテオケバ、誰カガ埋メルデショウ。行キマスヨ」
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