第14話 遭遇
甚六と与兵衛を助けたのは、久保村の松蔵という男であった。昨夜は出先から村に帰る途中だったという。松蔵に勧められ、甚六と与兵衛は深夜のうちに、小瀬の惣堂に戻った。村の決まりで余所者は泊められないが、惣堂にいる限りは食い物なら分けてやれると松蔵は言ったのだ。
「だがこの辺も
遠慮する甚六に、松蔵は怒っているのか笑っているのか、よくわからない顔でこう返した。
「飢饉になったからって、この世から米が消えてなくなる訳じゃない。ある所には、いつだってあるもんだ」
松蔵はそれ以上深くは説明しなかった。甚六も聞くのをやめた。甚六と与兵衛にはまだ果たすべき役目が残っているのだ。利用できるものは何でも利用しなくてはならない。
朝早く、甚六と与兵衛は貝塚寺内町に向かった。孫一郎の宿泊先は目星が付いている。家は路地の奥だが、何処かに移動するのなら、通りに出てくるはずだ。通りを見張っていれば見逃す事はない。目算は当たった。本願寺から来たと思しき小坊主が、通りから路地の奥に入っていったのだ。
しばらくの後、通りに小坊主が再び現れた。後に続いて孫一郎が、妙な格好の女が、そして二人に助けられた少女の三人が連れだって姿を現した。通りは真っ直ぐな一本道。甚六と与兵衛は、孫一郎たちから距離を置いて、静かに尾行を始めた。まだ通りに人影は少なく、見失う恐れはない。孫一郎たちは本願寺へと向かう角に差し掛かり、右に曲がっていく。甚六と与兵衛は足を速めた。だが、そんな甚六の足が不意に止まった。
通りの向こうに、目立つ人影が見えた。黒衣をまとい、毛髪は赤く、頭頂を丸く剃っている。異人だ。伴天連だ。大坂や堺ならわかるが、こんな所にまで伴天連がいるのか。甚六はそう思ったが、それは一瞬の事。すぐに気持ちを切り替え、意識を孫一郎たちに戻した。そのはずだった。
伴天連の背後には、刀を背負った長身の剣士がいる。朱色の着物に白袴。強そうだ。だが今は関係ない。それはわかっているのに、なのに甚六の目は、その視界の端に三人の姿を捉え続けた。三人。そう、もう一人いる。長身の剣士の向こう、菅笠をかぶった旅姿の男。甚六の見知らぬ着物を着た男の、しかし物腰に、歩き方に、笠のかぶり方に、間違いなく覚えがあった。
「親父?」
思わず声をかけそうになるのを、何とか抑えた。おかしい。あれが六衛門のはずがない。もしあれが六衛門なら、太助は何故ああも無残に殺されたのか。六衛門が太助を見殺しにする訳がない。そもそもあれが六衛門なら、何故ここを伴天連と歩いているのか説明がつかない。ならば他人の空似なのか。しかし甚六の記憶が心を激しく揺さぶる。
「甚六、どうした」
立ち止まっていた甚六に、少し離れた場所で草履を直しながら与兵衛がたずねる。甚六は迷った。何と説明すれば良いものか。だが逡巡する甚六の目が、そこに更なる異変を
伴天連たち三人のすぐ後ろに、頭に荷物を乗せた娘が二人歩いている。身なりからして近隣の娘だろうその様子に、特に不自然さはなかった。しかし甚六は、その娘たちの視線に殺気を感じ取っていた。目の前の三人に気を取られているらしく、甚六には気付いていない。
「与兵衛、あとは任せられるか」
与兵衛は草履から手を放すと立ち上がった。それが答だ。
「惣堂で落ち合おう」
甚六の言葉と同時に、与兵衛は孫一郎たちを追って角を曲がる。一方甚六は身を
服部
紅毛の伴天連の共連れ。菅笠をかぶった旅姿の男。笠の下に僅かに見える顔には、見覚えはなかった。だが、人は顔だけで他人を記憶する訳ではない。動作や仕草、声やニオイ、様々なもので人は誰かを記憶し、判別するのだ。忍びともなれば、尚更。
「間違いないのか」
片方の娘が相方にたずねる。
「何とも言えない。だがあの一番後ろの菅笠の男、どうしても
何処で出会ったのだったか。記憶を探っても出てこない。だがおそらく最近出会っているはずだ。いったい誰なのか。それにしても妙な男だ。まるで気配を感じない。あたかも死人が歩いているかのように。
朝の通りは人影がない。周囲に素早く視線を飛ばす。右、前、左、誰もいない。そして後ろにも歩いている者はいなかった。仕掛けるとするなら今だ。二人の娘は視線を交わし、足を速めた。前の三人が路地に入った。もしや気付かれたか。路地の入り口まで駆け寄り、少し間を置く。そして路地をのぞき込むと、人影が奥へと歩いて行く。
「追うぞ」
暗い路地へと数歩踏み込んだ。その瞬間、二人は同時に気付いた。前を行くのは伴天連と長身の剣士。菅笠の男が居ない。路地を挟む土塀の上で何かが動く。それは音もなく娘たちの背後に降り立つ。
降り立った人影に向かって身を翻し、二人はクナイを放った。それを両手でつかみ止める菅笠の男。男が前に出る。速い。路地には幅がない。二人は真後ろに飛び退った。だが男の方が速い。二人の忍びが次のクナイを
「
二人の娘の死体を思い出しながら、忠善は無表情にたずねた。
「刺客を放たれる覚えはございますか、司祭さま」
異人の宣教師は興味なさげに答える。
「心当タリガ多スギテ、ドウデモ良イデス。ソレヨリモ、コノ男ハ、本当ニ拾イ物デシタ」
視線を後ろに向ける。忠善の後ろを、黙々と六衛門がついて来る。
忠善はうなずいた。
「確かに強いです。ですが、この強い男が殺されたのもまた事実。ご油断召さらぬように」
「ソレハ大丈夫デス。死人ニ
宣教師はにんまりと笑って見せた。
「まったく、あなたという方は」
忠善は小さくため息をついた。三人は通りを南に向かっている。
三人は通りを南に向かっている。佐野にでも行くのだろうか。甚六は可能な限り距離を取り、人や建物の陰に身を隠しながら後をつけた。路地の奥で何があったのかはわからない。三人が路地から出た後、甚六は注意深く路地に進入し、痕跡を探したのだが何も見つからなかったのだ。二人の娘は跡形もなく消えてしまった。しかしかすかに血のニオイが残っていた。それは間違いない。
結局、あの菅笠の男は六衛門なのだろうか。理屈から言えば、そんなはずはない。だが、どうしてもそうとしか思えない。ハッキリさせるには、しばらく後をつけるしかなかろう。甚六は慎重に歩を進めた。この少し後、卜半斎に連れられた孫一郎たちが、北の岸和田城で中村一氏に会うのだが、このときの甚六はまだそれを知らない。
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