第7話 夕餉

 暗い寺内町の路地を、奥へ奥へと歩いて行く。灯火が腰の二本差しをゆらゆらと照らす。提灯を持って先導する海塚信三郎の後を、ナギサが、そして孫一郎と名前も知らぬ少女が、手を繋いで歩いていた。


「キミたちは付き合わなくても良かったのに」


 申し訳なさそうなナギサに、孫一郎は笑顔を返した。


「いえいえ、せっかくですから。旅は道連れ、ですよね」


 ナギサたち三人は海塚信三郎の家に向かっていた。当座の宿を借りるのである。最初はナギサだけが泊まるはずだったのだが、口の利けぬ少女がナギサと離れるのを嫌がった。それを見た孫一郎が、三人で泊まれないものかと提案したのだ。


 やがて提灯の明かりが、路地の奥に壁を映し出した。寺内町の周囲を囲む土塁である。その壁の手前に板葺き屋根の家があった。海塚が振り返る。


「うちは狭いですから、その点は覚悟しておいてくださいね」


 そう言いながら、家の引き戸を開けた。


「ただいま帰りました」


「遅い!」


 家の中から響いてくる怒鳴り声に、ナギサたちの足が止まる。


「こんな時間まで何処どこをうろついているのですか! いい加減にしなさい!」


「母上さま、仕事ですよ。子供ではないのですから」


 呆れたような海塚の声を聞きながら、ナギサたちはそっと家の中をのぞき込んだ。


「おまえのような青二才、子供と何処が違うのですか! だいたい要領が悪いから仕事が早く終わらないのです! 恥ずかしいと思いなさい!」


 家の中には囲炉裏があり、その向こう側に老婆が座っていた。老婆と言ってもヨボヨボ感はない。元気すぎるくらいに元気だ。


「四十を過ぎて、青二才もないでしょう」


「黙らっしゃい! アタシから見ればおまえなど、いつまで経っても青二才のハナタレ小僧です!」


「今日はえらく不機嫌ですね。何か変な物でも食べましたか」


 海塚は奥から出てきた女性にたずねた。海塚の妻であろうか。腰の刀を受け取ると、笑顔でこう答えた。


「逆ですよ。家長のあなたが戻らないと、晩ご飯が食べられないでしょう」


「まったくノロマな息子に融通の利かない嫁だこと! 母を飢え死にさせる気ですか!」


 老婆が怒り狂う。しかし海塚は意に介さない。


「晩ご飯なら昨日も食べましたよ」


「それくらい知っています! アタシは毎日食べたいのです! ま・い・に・ち!」


「やれやれ、飢饉の広がるこのご時世に、贅沢な事をおっしゃる」


 そうため息をつきながら囲炉裏端に腰を下ろし、振り返った。


「何をしているのです。早く入って戸を閉めてください。寒いですから」


 するともう一人、男の子が奥から走り出てきた。孫一郎より少し年下なくらいか。


「お客さまですね、さきほど卜半斎さまからお使いの方がいらっしゃいました。どうぞお入りください」


 弾ける笑顔がまぶしいくらいだ。海塚の息子だろうか。父親にまるで似ていないな、とナギサは思った。


 おずおずと三人が家の中に入ると、海塚の妻が囲炉裏に招いた。


「寒かったでしょう。火に当たってください。たいしたものはありませんけど、鍋が煮えていますから」


 こちらも笑顔がまぶしい。なるほど息子は母親似なのか。


「あ、ありがとうございます。私の名前は」


 ナギサは名乗りかけたのだが。


「そんな話はいいから、さっさと座りなさい! いつになったら食べさせる気なのですか!」


 老婆の怒声に、ナギサたち三人は慌てて囲炉裏端の板張りの床に座った。海塚の妻が鍋の蓋を開く。味噌の香りが広がった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る