第13話 ブルーな休日

 コンコン。

 病室の扉がノックされて、中から不機嫌な声で返事をする声が聞こえた。

「失礼します」

 健斗は扉を開けて中へ足を踏み入れた。

 真っ白なカーテンが窓際で揺れている。開け放たれた窓から彦島が外を見ていた。彼は空を映したような水色の浴衣をきちんと着こなしている。

 健斗は辺りを見回した。

 他の病室と比較にならない大きな窓、奥にソファやミニキッチンのあるリビングダイニングを備えた高級仕様は彦島が特別な患者であることを意味している。

「彦島さん、具合どうですか」

 健斗は見舞の品のバターケーキの入った紅いリボンにかかった籠をベッドサイドのテーブルに置いた。

 これは最近増やしたバイト先のカフェで売られている自慢のケーキだ。

「気を使わずともいいんだぞ。健斗、この前の出動で手柄を立てたと石黒に聞いている。よくがんばっているとな」

 彦島は穏やかな目で健斗を見た。

 健斗は思わず目を逸らした。彦島は気にとめず、健斗の持ってきたケーキを覗いた。

「これが噂のケーキだな」

 彦島は言って、今度は悪戯っぽい目で見つめてくる。

 今度は健斗も目を逸らさなかった。

「この前、助けて下さって、ありがとうございました」

 朴訥と言いながら最敬礼でお辞儀して、健斗はしばらくそのままの姿勢で動かなかった。

「大したことじゃない」

 彦島は健斗の前まで来て、彼の頭に手を置いた。

「具合が悪いのはこの前の事が原因じゃないぞ?石黒の買って来たおにぎりが腐っていたのだ。まったく、あいつは減給だな」

 冗談なのか本気なのか、彦島は真面目に言って、それからベッドに腰掛ける。

「すまないが、横にならしてもらう」

 彦島の言葉に健斗は顔を上げて、彼の体に薄くて肌触りの良いかけ布団をかけてやる。

「ずっと寝不足でな。看護師が寝かせてくれんのだ。美人なのはいいが、時間構わず上にまたがれては、こちらがもたん」

 彦島は目を閉じて冗談には聞こえない冗談を言った。彦島の美貌ならあり得る。しかし、当人は本当に眠そうである。

「すみません、お邪魔して。俺もう行きますから」

 健斗が踵を返そうとした時、彦島に腕を掴まれる。

「っ」

 急に思ったよりも強い力で腕を掴まれて、健斗が驚く。

「邪魔とは言っていないだろう。健斗、しばらくいろ」

 彦島にそう言われて、健斗は彼に向き直る。

「彦島さん、俺、そういう趣味ありませんから」

「俺にも選ぶ権利はあるぞ」

 目を開けて、彦島が笑って言った。健斗もやっと笑顔を見せる。

「この時間はバイトじゃないのか?いつもならカフェのバイトだろう?」

「今日はカフェの定休日です。二週に一度、水曜が休みなんです」

「そうか」

 カフェが休みの時は酒屋でバイトをしていたが、美月のことがあって、彼は酒屋を辞めたのだ。今はカフェとスーパーの品出しのバイトを掛け持ちしている。

 彦島はまた目を閉じた。その顔は美しい置物のようだった。

「彦島さん」

「ん?」

 健斗の呼びかけに目を閉じたまま彼は応えた。

「あの、俺、宇宙人とは戦えても、人間とは戦えない」

 その言葉に、彦島が目をカッと見開いて起き上がった。

 その強い眼光を受け止めて、健斗は彦島の手を取った。

「これ、お返しします」

 彦島の手には地球防衛戦線のスマホがあった。

「お世話になったのに、期待に添えなくてすみません」

 健斗は一礼して、逃げるように病室を去った。

「生意気な真似をして」

 彦島は呟いて、手元のスマホを見た。それから寂し気に微笑んだのだった。

 健斗は彦島の病院を出ると、背後を振り返る。

 病院とは思えない洗練された外観の建物の中に彦島がいる。健斗を背にかばって倒れた彦島がいる。いつも上から目線な彦島が、いる。

 健斗は思いを断ち切るように前を向いて、そこから立ち去った。

 とぼとぼと家に戻ると珍しく母親の加奈子がいて、ちゃぶ台の上に大きな大福と湯気の上がるお茶を置いていただきますをしているところだった。

「健ちゃん、おかえり。一緒にどう?」

 加奈子は返事を待たずにお茶を淹れに立ち上がった。

「母さん、家にいるなんて珍しいね」

 看護師で忙しいのに加えて、ボランティアで児童館で読み聞かせなんかをしていて、夜は夜勤以外では勉強会を開いているか、夜間の大学の聴講生になっている。健斗が自分のことができるようになってからはあまり顔を合わしていない。自分の信じた生き方をしている加奈子の姿を見ているから、健斗も自分の生きたいように生きるために努力することを覚えた。だから、加奈子の存在は「親」というよりも「師」であると認識している。

 加奈子が大福と湯のみに氷の入ったお茶を持ってきてくれる。

「健ちゃん猫舌だもんね」

 彼が熱々のお茶が飲めないのは親しい人なら誰もが知っている事実だ。

「ありがとう」

 健斗は加奈子の向かいに胡坐をかいて座った。

「あら、何?友達と喧嘩した?」

「え?」

「元気ないじゃない」

 加奈子は大福を頬張りながら言った。

「そうかな」

 健斗はお茶を一口飲んだ。

「甘いもの食べたら、元気が出るよ」

 加奈子がそう言って微笑む。

 健斗は頷いて大福を頬張った。一緒に無言で大福を頬張っていると、なんだか子供の頃を思い出す。まだ父親が生きていた頃は、加奈子もそれほど忙しく仕事をしていたわけではない。こうやって一緒におやつを食べ、父に隠れて外食もしていた。

「懐かしいな」

「え、何が?」

 健斗の呟きに加奈子が餅を手から口へ伸ばして問い直す。

「小さい時、毎日おやつの時間あっただろ?」

「ああ、そうね。おやつは母さんの楽しみだからね」

 そう言って、加奈子は大福を完食した。

「健ちゃん、ずっとバイトばっかりしてるから、一緒にお茶しようにも家にいないんだもの」

 拗ねているのか、口調が非難めいている。家にいないのは加奈子もおなじなのだが。

 健斗はまじまじと加奈子を見て、微笑んだ。

「白髪、増えたね」

「こら、笑顔で言うことないじゃない。私も染めようとは思っているんだけど、面倒なのよ。それにあんまり若く見えたら、ナンパされて困るじゃない?」

 自分をいくつだと思っているんだ、と言いたかったが、健斗は黙って頷いておいた。

「あ、ナンパと言えばね、鈴木さんって知ってるでしょ?母さんの同僚の。その鈴木さんが目撃したんだけど、病院の若い医師で、かなりモテる人がいるんだけど、その先生、実は宇宙人で、若い患者さんやら看護師の血を吸ってたんですって!で、鈴木さんったら最初は精神疾患だと思って、精神科の先生と警備の人とでその先生のとこに行ったら、くそ地球人がって罵声を浴びせられて、慌てて政府の何とかって言う機関に電話して来てもらったんだって。恐いと思わない?宇宙人が地球人のふりして側にいるんだもの。宇宙人って私たちを餌にするって言うじゃない?どうやって宇宙人って見分けるのかしら?同じ姿してたら、もう、何を信じたらいいのかわからないよね」

 加奈子の話に、健斗は持っていた湯のみをちゃぶ台に置いた。

「それって、地球防衛戦線の人が来た?」

「ああ、そんな名前だった。ピンクの制服着てる人。なんか腰さすってたから痛めてたのかもしれないわね。丁度病院だから診察受けて帰れば良かったのに、そのモテモテ医師を捕まえたと思ったら、一緒に消えちゃったの」

「へえ。それで事件解決?」

「まあね。鈴木さんもショックだったみたい。ニュースでは見るけど、宇宙人が身近にいるなんて思ってもみなかったから」

 加奈子はお茶をずずっと吸って、はあ、と吐息を漏らした。

「ひと昔前に比べたら、宇宙人関連のニュースばかりだものね。弱肉強食だと言われればそれまでだけど、人類は生き残りをかけて戦わなくてはならないし、それをみんな自覚しなければならない時代なのよね」

 政府が宇宙人の襲撃を隠さなくなる以前から、一体どれだけの犠牲が出ているのか、健斗には想像すらできない。ちょっと前の自分でも、宇宙人に遭遇するなど思ってもみなかった。彦島が健斗の前に現れて、健斗の日常が変わったのだ。

 その彦島の元へは、もう戻れない。

「宇宙人ってさ、人間食べるだけなのかな。女の子ナンパして、血吸って、それだけ?」

 どこを見ているのかわからない健斗の言葉に、加奈子はふふっと笑った。

「ペットにする気かもよ?」

「そうかもね。愛情が湧くこともあるかも、だし」

 健斗は美月の事を思い浮かべる。

 宇宙人を抹殺することに健斗は今まで疑問を持たなかった。そうしなければやられるからだ。でも、同じ人間を攻撃することは、どうなのだろうか。相手が攻撃してくれば、反撃せざるを得ないのか。戦うことしかできないなんて、悲しすぎる。

「愛情か。種を超えて、星を超えて、愛を育むことができれば、きっと争いなんかなくなるのに、出会ったのが獲物とハンターでなければ良かったのにね」

 加奈子の言葉は今の健斗の重い気持ちを言葉にしてくれたようだ。どうしようもなく揺れる気持ちが健斗の胸の中を占めていて、身動きが取れない。

「そう言えば、健ちゃん、志望する大学決めてる?お母さんだって少しは貯蓄しているんだから、学費くらい出せると思う」

 加奈子は微笑んで言った。健斗がバイトに励んでいるのは大学へ行く為だとわかっている。母子家庭になって最初の頃は、息子に気苦労をかけてしまっていることを加奈子が心苦しく思っているのは健斗も感じていた。だから、目標の為に自分で頑張っていることをバイトする事で伝えたかったのだ。

「助かる。志望校は決めてないけど、学費の足りない分は相談させてもらうよ。甘えて悪いけど」

 健斗は素直に言った。

「ううん。それは甘えじゃない。当然の権利。だから応援させて」

 加奈子はシワの増えた笑顔で健斗の頭を撫でる。

「やめろよ、ガキじゃないんだし」

「いいじゃないの、私は健ちゃんの母なんだから」

 久しぶりに聞くセリフだった。

「さてと、夕飯のお買い物してくるね。何食べようか」

「パスタとかでいいけど」

 健斗は立ち上がった加奈子を見上げて言った。すると彼女は首を大きく横に振るのだった。

「せっかく一緒に食べるんだもの。何か美味しい物作らなきゃね」

「いいよ、そんなの。母さんだって疲れてるだろ?」

「何言ってんの。まだまだ若いんだから、母さんだって」

 疲れている、を老化現象の意味に取られて、健斗は苦笑した。

「じゃあ、炊き込みご飯して。それと肉。あとはお任せで」

「肉!じゃ、プレスコ行ってくるわ。健ちゃんは受験勉強でもしてなさい」

 近くのスーパーの名前を出して、母はいつものお出かけバッグを肩にかける。

「行ってらっしゃい」

 母を座って見送って、健斗は吐息をついて寝転んだ。

 明るい母のお陰で、なんだか心の雨降りに虹が出た気がするが、根本的に自分が解決できなかった問題はそのままで、健斗の心に重しをつけている。

「これで良かったんだって」

 健斗は自分に言い聞かせる為に声に出して言った。

 最初はバイトを増やせると思って軽い気持ちで参加した。いずれ高給取りになれると思うと、がぜんやる気が出た。常に上から目線の彦島に認めてもらいたくなった。そして、彦島の誇りになりたかったのだ。自慢の戦隊員がいると、彼に思ってもらいたかった。彼が同年齢の見た目の割に落ち着いていることも、政府の高官たちに命令できることも、健斗には重要ではなかった。彼がどんな人生を送ってきたのか、気にはなるけれど、彼が側にいて見守ってくれているなら、知らなくてもよいことだった。どうしてそんなに彼に惹かれるのかわからなかったが、人間として一番尊敬していると堂々と言えたのだ。

 その彦島の元を自分から離れた。どうしても、美月を殺すことなどできそうにないから。彼女と一緒に過ごした時間は短いが、彼女が真っ直ぐで健気な女の子だと知っている。頑張っていることを褒めると困ったように眉を寄せて恥ずかしがる姿も、きっと如水の為にすべてを捨てる覚悟をした時に泣いたことも、健斗は知っている。好き好んで人類を陥れようとしているなんて思ったことはない。

 彦島と美月を選べと言われれば、彦島を選ぶことができる。しかし、だからと言って、殺せと言われて殺すことは、やっぱりできない。

 堂々巡りになる思考に、健斗は嫌気がさして目を閉じた。

 もう忘れたい。

 そうできれば、どんなに楽か。

 ピロロロ、ピロロロ、ピロロロ。

 どこかで聞いたことのある着信音が聞こえてきた。そんなはずはないと思いながら、ハッとしてズボンの後ろポケットに手を伸ばす。

「どうして」

 地球防衛戦線のスマホが鳴っている。三回以上、鳴ってしまっている。

 胸が苦しくなってくる。

 健斗は応答をスワイプした。

「もしもし」

「健斗。心の準備などできなくていい。今はお前の力が必要だ。どうか私に力を貸してくれ」

 彦島の声だった。彼はそれだけ言うと、電話を切った。

 たった数秒の繋がりだったのに、健斗はもう自分が彦島に逆らえないことを悟った。さっき会ったところなのに、もう会えないと思っていた彦島の声に涙が出る。

 恋愛してたって、こんな想いにはならないだろうと健斗は思った。

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