第12話 紫色の憂鬱
大きな欠伸をひとつ、健斗は思いっきり口を広げてぶちかました。
朝早い時間なので通りに人通りは少ない。
このところ、地球防衛戦線からの呼び出しがないので、カフェのバイトを増やした上に、早朝から朝練のある美月の護衛の為に健斗はこうやって早起きしている。
「ごめんね、待たせた?」
美月は住居兼酒屋の店先に現れて言った。剣道部ということもあって、荷物が大きい。
「持とうか?」
健斗は言いながら、美月から剣道のカバンと竹刀の入った袋を取り上げて自分が持つ。彼女への敬語も忘れて、タメのように話してしまう健斗のことを美月は怒ったりしない。
「ありがと」
二人の後ろから黄色い自転車が通り抜けて行った。その後姿を見ながら、健斗は地球防衛戦線実戦部隊の面々を思い浮かべる。
いつになったら桃色と黄色のレベルに追いつけるだろうか。
「何か心配事?」
上の空の健斗を覗き込んで、美月が尋ねる。
「え、いや、ごめん。ぼーっとしてた」
「いいんだよ。私こそごめん。朝早く付き合わせて」
「全然!俺はもともと早起きだし。それより、この頃ストーカー出てこないよな?」
健斗が送り迎えするようになって、ストーカー宇宙人は出てきていない。
「うん。本当なら、もう付き添ってもらうことないんだけど」
窺うように美月は健斗を見上げる。
「俺は平気だって。何かあってからじゃ遅いんだし」
「ありがとう」
もう一度礼を言って、美月は微笑んだ。可愛い。剣道をしている時の凛とした佇まいも美人だが、朝はどちらかというと良い感じに気が抜けて可愛い。
この前の試合では見事優勝して、近々県大会に行くらしい。
他愛ない世間話をしているうちに校門に着いた。いつもそこで別れる。
「じゃ、また帰りに。部活終わったら電話して。今日は俺、美月ちゃんとこの酒屋のバイトはないけど、もう一個のバイトのカフェの方に行くからすぐには来れないかもしれないけど、絶対一人で帰るなよ?」
健斗は念を押して美月に言い、荷物を返した。
「わかった。電話するね。それじゃ」
美月は挌技場の方へ小走りに消えて行った。
健斗はその背中を見送って、また大きな欠伸をした。
「おい、少年」
目尻に涙を貯めていると、上から声がかかる。
「俺?」
健斗は辺りを見回して、人がいるはずのない場所だが、気配のする方を見る。
その人は健斗の上空にあぐらをかいて浮いていた。
「紫…?」
地球防衛戦線の紫色のユニフォームを着ている人物が、そこにいた。
「パープルだよ」
男か女かわからない声は渋くて、年季を感じさせる。
「あれ、紫色は修行中って聞いたけど」
「ああ。だからパープルだ。私は歳だから引退したのさ。今は新人に教えているとこ」
そう言って、パープルは地面に着地した。
「ユニフォーム持ち出しは罰金だけど、宇宙人が近くにいたら罪には問われないんだ。戦う為にね。覚えておくといい」
紫は健斗の近くに寄って来て言った。
「宇宙人がいる?」
「ああ。気配をうまく隠して、あの子の側にずっといる」
あの子、というのは美月のことだろう。
「俺にはわからなかったけど」
もし宇宙人が側にいて気が付かなかったのなら、とんだ間抜けだと健斗は焦る。
「そりゃ、新人のあんたにはまだわからんだろうさ。巧妙に隠されたモノが、そう簡単にわかってしまったら、それこそ、あんたはバイトじゃなくて高給取りさね」
パープルは健斗の顔をジロジロ見てから一歩下がった。
「見てな」
パープルは左手の人差し指を健斗の前に立て、それをクルクルと回した。すると疾風が起こり、何もない空間を切り裂いた。
とろん。
宙から黒い液体が漏れてくる。
「ちっ、逃した。まったく隠れるくらい弱虫のくせに逃げ足だけは早い」
パープルが毒づく。
「あんたにどういうことか見せようと思ったけど、逃げられた。きっとあの子が助けたんだね」
「え?」
「あんたに協力してもらえれば早く解決すると思ったが甘かった。あの子の方が
そう言って、パープルは地を蹴って上空に跳んだ。
「また会おう少年。その時説明する」
声だけ残して、パープルは消えた。
健斗は何もない上空を見て、大きくため息をついた。
「レベルが上がったら瞬間移動装置の使い方を教えてもらえるのかな」
呟きに答える者はいない。
きっと瞬間移動装置は高額だからバイトの健斗には使う許可が下りないのだと彼は思っている。
それ以前に美月の側に宇宙人が常にいたという事実を思い出して、彼は慌ててスマホを手に取った。あまり自分からコールはしないが、知り合いに危険が迫っているかもしれないのだ。健斗は登録されている地球防衛戦線を呼び出した。
ワンコールで相手は応答した。
「待っていろ」
用件も聞かずに彦島の声が言って、電話は切れた。
ツー、ツー、となるスマホを見て、健斗はどうしたものかと画面を見る。今はみんな忙しかったのか?彦島が電話に出るなど、今までないのだが。
健斗はいきなり肩を叩かれて、後ろを振り返る。
「待たせたか」
見ると彦島がそこにいた。涼し気な淡い水色のシャツの第一ボタンを開けて、仕立ての良い淡いグレイのズボンと洒落たこげ茶の細身の紳士靴という出で立ちでそこにいる。いつものようなカチッとしたスーツ姿ではなく、上着を羽織っていない。その分、堅苦しさが消えて、同年代のちょっとお坊ちゃんの友達といるような気分になってしまう。
「あの、今どこにいました?」
健斗が尋ねると、彦島は右の人差し指を上に向けた。
「それで、どうかしたか」
彦島に問われて、健斗は本来の目的を思い出した。
「あの、知り合いの子に宇宙人のストーカーがずっと張り付いているみたいなんですけど、俺には宇宙人がどこにいるのかわからなくて、その子に危険が及ぶ前にどうにかしたいんですが、どうやったらいいのかわからないので助けてもらえませんか」
「ふむ。その子は恋人か?」
「違いますけど」
健斗が即否定する。彦島はふっと笑った。
「そう力説せずとも。話はわかった。例の送り迎えしている女子高生だな。それで、健斗はどうしてストーカーが宇宙人だとわかった?」
彦島は健斗を促して歩き始める。
「最初はストーカーに付きまとわれているから護衛してくれっていう話だったんですけど、たまたま宇宙人に付けられているのを目撃したんです」
「そうか」
校門を入って生け垣を越えると、五段ほど下がって運動場がある。その運動場を見下ろすような形で細長く第一校舎が建てられ、校舎の玄関と反対側に格技場がある。体育館はその奥にあり、第二校舎と渡り廊下で繋がっている。
校内には朝練の運動部がチラホラ来ているだけだが、活気にあふれている。
健斗は彦島と格技場に向かった。
「待て」
彦島が校舎の玄関を見て立ち止まった。
「こっちだ」
彦島に言われるがまま、健斗は校舎に入った。彦島が土足で上がろうとするのでストップをかけ、職員用の靴箱の方を指差す。彦島は逆三角形の意地の悪い目をしたが、素直に職員用の下駄箱の隣にある客用のスペースに移動した。
健斗は自分の靴箱で上靴に履き替え、客用のスリッパに履き替えた彦島の後を追う。
彦島は暗い廊下を迷いもなく進んでいる。
「さて、どういう
彦島の悪意を含む言い方に健斗は戸惑った。健斗の知っている彦島はこんな影のある言い方をしない。いつもストレートで、例え言葉尻が悪くとも、その温かい心が伝わる人柄なのだ。健斗は彦島の知らない一面に、彼の姿から目を離せなくなる。健斗が見知る彦島以外の彼は一体どういう人物なのだろう。
健斗の戸惑いに気付いたのか気付かないふりをしているのか、彦島はニヤリと笑って理科実験室の扉を開けた。
朝の弱い光しか入らない教室は薄暗く、誰もいないようだった。
彦島はずんずん中へ入って黒板の前に立った。健斗も彦島の後を追う。
宙に右手を挙げて、彦島がパチンと指を鳴らす。すると空間が裂けて、その向こうに暗黒が見える。
「彦島さん、これって」
「宇宙だ」
健斗の問いに彦島が答えた。
「宇宙って」
健斗は空間の切れ目を見ながら鳥肌が立った。これは現実なのかと隣の彦島を見る。彼は鋭い目で宇宙を見ている。
ポトリ、と何かがそこから落ちて来た。その直後に裂け目が閉じる。
「御対面、だな」
彦島が健斗を見て言った。
「宇宙人…」
確かに美月の後ろにいた黒い宇宙人だ。
「力技とは、あなたらしくない」
宇宙人はどろどろした体を隠すこともなく立ち上がり、人型を取る。波打つ黒髪に青白い顔。スッとした鼻筋は外国人にいるような顔立ちだ。彼の大きな瞳が彦島を憎々し気に見ている。どうやら二人は知り合いらしい。
「私らしい、とはどういう事かな。
「どの口がそんなことを言うのですか」
彦島に如水と呼ばれた宇宙人は忌々し気に顔を歪めた。それから健斗を見た。
「しかし、今はあなたに捕まるわけにはいかない。あなたは私を
そう言って、如水は両掌を健斗に向けた。健斗が身構える間もなく、黒いドロドロが健斗めがけて噴水の様に放たれる。
健斗は思わず目を閉じた。
しかし、何も体にかかってはこない。
恐々目を開けると、目の前に彦島の背中があった。両腕を広げ、健斗を守るように立ちはだかる。その体には湯気をあげる黒い物体がねっとりとまとわりついている。
「彦島さん!」
健斗が彼の体に触れようと手を伸ばすのを制止するように彦島が前方に跳んで倒れた。
「触れればお前の体が溶け出すぞ」
低くくぐもった声が緊張感を増している。
「悪いが、シャワーを浴びてくる。話はそれからだ」
顔中黒いドロドロに覆われて、彦島の表情は見えないが、彼はそう言いおいて消えた。
彼のいた場所がドロドロと床ごと溶けてきている。
健斗は息を呑んだ。もうあの宇宙人もいなくなっていた。我知らず、歯を食いしばり脇に冷や汗をかいていることに気付いて、健斗は深く吐息をついた。
彦島が心配である。
ピロロロと地球防衛戦線専用のスマホが鳴った。健斗はすぐに応答をスワイプする。
「石黒です。すぐそちらへ処理班を向かわせます。君は大事ないですか」
電話の向こうから気遣うような響きが伝わってくる。
「俺は平気です。彦島さんが守ってくれたので」
「そのようですね。会長は無事ですよ。安心して」
健斗の不安を見透かしたように石黒が言った。
「それじゃ、会長が
石黒は通話を切った。
そしてどかどかと多人数の足音が響いて、理科実験室に防護服を着た集団が入って来た。外には黄色と黒の進入禁止のテープが張られている。
「ご苦労様です。戦隊の紅色ですね。私は化学分析班の金井です。主に後処理をしています。宇宙人の痕跡物を回収し、現場の修復をしています」
金井は防護服の奥から挨拶し、名刺を差し出した。健斗はお辞儀して受け取り、それをポケットにしまうと、彦島にかかった黒いドロドロを指した。今は回収されているところだ。
「あれは何なんですか」
「体液、といいましょうか。人類には害になりますね。会長は免疫があるので溶けたりはしませんけど、あれだけ大量にかけられたら、しばらくは安静にしてもらわねばなりません。まあ、研究所に行けばすぐ元に戻ると思いますけど、あなたにかからなくて本当に良かった」
金井はそう言って、健斗の肩を叩いた。何となく、おタケさんに雰囲気が似ている。
「それじゃ、後は私たちに任せて、あなたは授業に行って下さい」
その言葉に送り出されて、健斗は重い足取りで自分のクラスに向かった。何人かの生徒たちが物珍しそうに化学分析班の仕事ぶりを見ていたが、健斗のことに気を留める者はいなかった。
健斗は自分の机に突っ伏して、さっきの彦島の背中を思い出す。
黒い液体を一滴たりとも健斗にかけまいと、体を張ってた彦島。
見た目は自分と同じ歳なのに、責任感も態度も、ずっと大人な対応ができる彦島。
どこまでも自分よりも上にいる彦島。
「くそっ」
健斗は何の役にも立たなかった自分に腹立ちを隠せず、机の脚を蹴る。
自分が宇宙人に対して何も知らなさすぎるのだと気が付いて、大きくため息をつく。戦隊員は命がけなのだ。早く見習いを卒業しなくては時給も上がらないばかりか、他の隊員にも迷惑がかかる。それに、救いたい人たちを守れないのだ。
今まで意識しなかった地球防衛戦線の責任の重さに、健斗はまた溜息をついた。
彦島は大丈夫だろうか。
「少年」
背後から呼びかけられて、健斗はハッとして起き上がった。クラスメイトの注目を浴びながら、パープルが後ろの席に座っていた。
「どこ行ってたんですか」
「紫色のところだ。話をつけてきた。君に状況を説明すると言ったろう?聞きたくないか」
パープルは机に肘をつき、両手を組んで健斗を見ている。
「聞きたい、けど…」
健斗は伏し目がちになる。聞いたところで自分は役に立つのだろうか。
「新人は大義の為に死んではならない。それだけは覚えておくといい。無理をすればどこかに綻びが生じ、取り返しのつかないミスをする羽目になる。今は自分の力を磨くことだけを考えるといい。その為に君をサポートする者達がいるのだ」
落ち着いたパープルの言葉は落ち込む健斗の心を溶かしていく。
「俺、みんなを守れるようがんばります」
「君ならできるさ、少年。自分を信じることも大事なことだ。さて、紫色の話を聞いてくれるか」
改まった口調で言って、パープルは健斗を見つめた。
「宇宙人のストーカーがいるという話をしていたろう?その宇宙人だが、如水という名でな。我々と関りが深い宇宙人なのだ」
「え…」
彦島を襲った如水という名の宇宙人がパープルの口から出てくるとは思いもよらなかった。考えてみれば当然の話で、健斗は彦島に宇宙人ストーカーをどうにかしたいと助けを求めたのだから。そしてパープルはその宇宙人を追っていた。
「如水は我々の協力者だった。昔は健康な体で、会長の手足となって動いていたのだ。それが、二年前に病気になり、あの体になってしまった。ドロドロと溶ける体を止めるには人間の生き血がいるらしい。そこで、紫色が名乗りをあげた。生き血を与え、彼を元に戻すと言う。しかし、それは却下された。紫色は怒っていたよ」
「紫色が?」
「そうだ。私の後継者として、幼いころから地球防衛戦線に出入りしていたからな。如水のことを慕っていたのだ」
「それは…」
恋人だということなのか。
「察しの通り、彼らは恋に落ちていた。面倒なことにな」
「面倒?」
自由であるべき恋愛なのに恋愛関係になることが面倒だと言う根拠はなんなのだろう、と健斗は棘のある言い方になってしまった自分の口調を少し後悔した。話をよく知らない者が正義を振りかざそうとするのは良くない、と思い至ったのだ。
パープルはかすかに笑った。
「君は若いからな。力もあるし、未来もある。希望もあるだろう。しかし、宇宙人との恋愛は面倒なのだ。異種である者達が恋愛するとどうなるのか、その目で見るといい」
そう言って、パープルは地球防衛戦線のスマホを取り出して画面を見せる。画面には美月が如水と映っている写真があった。
「これは?」
「見ての通り紫色と如水だ。彼らはストーカーと被害者じゃない。恋人同士だ。裏で画策し、地球を脅かそうとしている」
「え…」
困惑を隠せない健斗に、パープルは頷いた。
「信じられないだろう。私もそうだった。如水は地球人に害を及ぼす存在になった。だから地球防衛戦線の牢に閉じ込められることになっていた。もちろん、本人の同意を得てだ。病気の研究の為に会長の組織する研究所が彼を軟禁することになっていたのだが、彼はそこを破壊し、そればかりか、そこにいた研究員たちを喰った。何の為か?紫色に会いにいくためさ。ドロドロの体では会えないと思ったらしい。紫色も修行中だが、戦隊員だ。その行為の意味は知っている。地球人に仇名すものは抹殺するのみ」
「待って。生け捕りにするやつもいるのに?」
「ああ。少年、君は人間型の宇宙人を見ているだろう。あれらは危険なのだ。人間を根絶やしにしようとしている。詳しい事を発言することは私には禁じられているから、会長から話を聞くといい」
そう言ってパープルは初めて人間らしい苦悩を見せる。
「紫色はあろうことか、君を餌にしようとしていた。如水の餌ではないぞ?君が
会長のお気に入りだとどこかで嗅ぎつけたらしい。君を危険な目に合わせれば会長が出てくる。会長を殺せば、地球防衛戦線の痛手は大きい。その上、地球も手に入るとあれば一石二鳥だ」
彼らは地球をどうするつもりなのだろうか。
健斗は沈痛な表情を見せる。彦島の研究室にいれば、いずれ解決策が見つかったかもしれない。それが待てなかった如水。如水を助けるために仲間を捨てた紫色。
彼らに未来はないように思える。
「そこで、私は紫色を破門した。敵とみなし、抹殺する」
「え…?」
「君もそのつもりで。いいか、敵は手強いぞ。美月は幼いころから英才教育を受けているのだから」
パープルは突如消えた。
思わぬ現実を突きつけられて、健斗は目の前に暗闇が広がっていく気がした。そして、美月が紫色であるという事実が、なんだか納得のものであることに溜息しか出ないのだった。
それからの授業の記憶が健斗にはない。美月や如水、彦島の事が頭から離れないのだ。何をどうすればいいのかもわからないけれど、このままでは美月は仲間に殺される。でも、こちらも殺されるかもしれない。
そんな関係になるとは健斗は夢にも思わなかった。
放課後になっても、動こうとしない健斗に、木田が背中をツンツンと人差し指で押してくる。
「健斗ってば」
「え?」
「そこ、美人の三年生が来てるよ」
木田に言われて教室の扉を見ると、美月が立っていた。手には大きな荷物と剣道の竹刀袋を持っている。
健斗はどういう顔をすればいいかわからないまま、扉の前の美月の所へ行った。
「健斗君」
美月は相変わらず可愛らしい笑顔で彼を見上げる。
「あの、俺、実は」
どう切り出していいのか分からず、締まりのない話しかけ方になって、健斗は困った顔で美月を見る。彼女は頷いた。
「わかってる。師匠から話を聞いたんでしょ?私、謝ろうと思って来たの」
「え?」
「私は健斗君を利用してたの。ずっとね。でも、苦しめようと思ってた訳じゃない。これは本当。ただ、会長のやり方を批判したくて、会長のお気に入りに手を出せば、こっちの言い分を聞いてくれると思ってたのよ。でも、それは間違いだった。会長は冷酷だし、あなたのことも切り捨てるかもよ?その前に戦隊から離れた方がいいわ。会長に心酔しているようだけど、あの人の本性を知れば考えも変わると思うの。でも、ここでこうやって話していることが見つかれば、私達も危ないから、今はもう行くわね。送り迎えしてくれてありがとう。とても楽しかった。だから、あなたを傷つけたくないの。いい?戦隊から離脱してね。お願いよ」
美月は早口でそう言って、健斗に背を向けて駆け出した。廊下の先にブラックホールのようなものが現れ、美月を飲み込んで行く。彼女はわかっていて中に入ったのだ。きっと如水の作り出したものなのだろう。
健斗は消えた美月のいた空間を見ながら、途方に暮れて立っている事しかできない。
「健斗、お前平気か?なんか顔色悪い上に、ぼーっとしてるし」
木田がわざわざ健斗の側に来て、彼の額に手を当てて熱を見る。
「あ、いや、うん。大丈夫」
健斗はそれだけ言って、微笑もうとしたが、できなかった。
もう事態は動き出してしまっているのだ。
美月も如水も、彦島の敵だ。そして人類の。
「大丈夫じゃないだろ?送ってこうか?俺、なんも用事ないし」
木田の心配そうな顔が目に入り、健斗は首を振る。
「平気。ちょっとさ、頭がパンクしそうで。ごめんな」
「俺に謝る必要ないけど。ま、気を付けて帰れよ」
「ああ、そうする」
木田はなおも心配そうにしていたが、健斗の背中を優しく叩いて彼から離れた。
健斗は自分のカバンを持って、教室を出た。美月の護衛があったから学校に内緒のバイク通学を止めていたが、明日からはバイクだな、と漠然と考える。
なんだか、胸に穴が空いたみたいだ。
美月の裏切りのせい?いや、そもそも裏切りと呼んでいいものかなんて、わからないのだ。
健斗は堂々巡りの考えを何度も頭に抱えながら、学校を出て歩いて行く。
そんな彼の様子を木田が少し離れた所から見ている事に、健斗は気が付かない。木田の眼差しは鋭く、獲物を追う緊張感に満ちている。
健斗は寄り道せずに家に帰った。カバンを置いて着替えると、スーパーのアルバイトへ出かける。品出しの仕事だから、何も考えなくても手が動く。
短時間のアルバイトだが、おばさんパートの多いスーパーの中で、健斗は可愛がられていて、いつもと様子が違うことに非常に心配されながら、ミスすることもなく仕事を終えた。まだ明るいうちに家に再び戻った健斗は、もやもやしている考えを決断する勇気が出ず、座ったまま天井を見上げたままだ。
ふと、洗濯ものが干しっぱなしになっているのに気が付いて、健斗はベランダに出てから空を見上げる。
ピンクを通り越して紫色の夕焼けが空一杯広がっている。所々夜の藍色に変わっていて、幻想的だ。
健斗は紫色である美月の苦悩を想った。
そして、決断した。
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