第11話 遠足に期待をこめて

 校外学習というものは心浮き立つものだ。

 だが、しかし、健斗にとっては冷や汗ものの連続である。なぜならば、彼は紅色ヒーロー見習いであり、地球防衛戦線宇宙人対策委員会実戦部隊のアルバイト隊員であるが故に、朝から三度の呼び出しに出向き、一回目は毛むくじゃらの巨大生物を倒し、二回目は氷の世界を作り出していた雪女に襲われ、ブリザードの中から桃色に助けてもらい生還し、三回目は今さっき、乗り込んだ学校のバスをたこ足の小さな宇宙人の群れに襲撃されて、電気びりびり光線を浴びながら、黄色と共に撃退したばかりである。

 汗を拭きつつ、発車したバスの中で吐息をついた健斗は、宇宙人に襲われても日常を崩さないクラスメイトに、わずかに驚きつつ、健斗が戦隊に所属していても秘密にして知らんぷりしていてくれることに感謝した。

 バスの揺れで少し眠くなりながら、健斗は山道を行くバスの景色に目を奪われる。色とりどりの花が咲き乱れる草原を通っていったのだ。健斗に草花を愛でるような上品な趣味はないが、それでも、綺麗なものを綺麗だと思う。

 いいものを見た、と彼は思った。そしていつかの遠足を思い出す。小学校の頃だろうか、植物園に行った際に見た花畑が健斗の心をさらったのだ。そして、その花畑の中で食べたお弁当も遠足の思い出の一つだ。

 小学生の頃は遠足には決まって母親のおにぎり弁当を持っていったものだが、今回はクラスメイトの木田が用意してくれるという。重箱の弁当を毎日持ってくる事で有名な木田だが、料理ができるとは初耳だ。隣に座った木田の平和そうな顔を見ながら、ちょっとお昼が楽しみになってきた健斗だ。

「ねえねえ、健斗。こないだの試験どうだった?」

 木田が悪意のない顔で尋ねる。問われた健斗は顔色が悪い。

「ん?」

「赤点…」

 健斗の小声の返答に木田が一瞬わからない、という顔をする。健斗は成績優秀者の部類に入る方で、赤点とは無縁の存在、であるはずだが。

「人生で初めて赤点取った」

 健斗はうめき声に近い呟きをもらした。

「なんでそんなことになったわけ?」

 木田が不思議そうに問うが、健斗自身もわからない。

「答えはわかったんだ。それにちゃんと回答した記憶もある。なのに、赤点だった」

 もう聞かないでくれ、とばかりに彼は木田から顔を背ける。

「長い人生だし、たまにはそんなこともあるかもね」

 慰めの言葉が心に痛い。

 健斗は大学へ行く奨学金を狙っている。それには成績優秀なだけでなく、教師の推薦を得られる好人物でなくてはならないらしい。その辺は、まあ、可もなく不可もなくだろうが、成績に問題があるのは非常に困る。

「でもさ、国から補助とかないの?戦隊の一員なんだし」

 気楽な調子で木田は言う。彼は戦隊の会議室にちょくちょく遊びにくる変わり者である。機密やら守秘義務やらあるらしいが、そんなものをすっ飛ばしておタケさんの所研究室で遊んでいるのだ。本人に悪企みはないけれど、あなどれない人物だと健斗は思う。

「俺が優秀な隊員ならそういうこともあるかもだけど、俺って新人な上に油断ならない奴って思われているしなあ」

 命令違反をする。

 それは死をもって償え、と言われるほどの禁忌事項。健斗は一度それをした。

「おタケさんに聞いてみれば?」

「うん。お前は?大学受けるとこ決めてるんだろ?」

「俺は割と良かったよ。おタケさんのお陰かな。色々教えてくれるし。大学は志望変更することにした」

「へえ?」

「おタケさんの勧めで、地球防衛機構のブローケン大学に行こうかと思って」

 聞きなれない名前に健斗がもう一度聞き直す。

「ブローケン大学。宇宙学専門の大学。宇宙人の生態とか、まあ、武器の開発なんかも戦隊と一緒にやっているみたいだけど、俺も誰かの役に立ちたいと思ってさ」

 木田は健斗の見たことのない大人びた表情でそう言った。

 なんだか置いて行かれた気分である。

「お前すごいな」

 正直に言って、眩しいものを見るように目を細めて木田を見た健斗の目に、何かが映り込む。

「?」

 お互い目を見合わせて、異変に気が付く。

 バスと同時に走り、外で手を振っている人がいる。どこかの赤い服を着たヒーローがそんな足の速いキャラクターだった気がするが、あれはアメリカの話だし、そんな人物がいないことは百も承知だ。

 だとしたら、相手は宇宙人だ。それも人型の。

 健斗は時計に手をやる。これは戦隊支給のユニフォームが内蔵されているもので、ボタンを押すと瞬時に着替えられるという画期的な代物だ。

 しかし、ボタンを押す瞬間は訪れなかった。

「な?」

 一瞬のことに、健斗の理解が追い付かない。今、この瞬間、彼だけが外へ連れ出されていた。バスは背を向けて遠くに走って行く。

 ぽつん、と道路に取り残された健斗は宇宙人と思しきものと対峙していた。

「初めまして。僕は雲海。こう見えて、結構歳いってます」

 さわやかな話し方で、彼は言った。人間だったならモテまくりの容姿にキランと光る眩しい白い歯。一昔前のコマーシャルの「芸能人は歯が命」という言葉が健斗の頭に思い浮かぶ。いや、そうじゃなく。

「あんた誰?」

 健斗が警戒心をかき集めて尋ねると、彼は首を傾げる。好人物にしか見えなくて、疑うにも苦労する。

「だから、雲海だよ。名乗ったじゃん」

 しょうがないなあ、と言わんばかりに彼は健斗に微笑んだ。

「俺のこと知っているみたいだけど」

「まあね。君がそうっていう確信がなかったから、今まで遠巻きにしか見てなかったけど、やっぱり君だ」

「?」

 雲海の話し方は健斗に用があると言っているようなもので、それは戦隊員としての用事なのか、健斗個人に対する用事なのか判別できない。そもそも宇宙人に関わることは紅色になるまでなかったので、戦隊員として用事があるとみていいだろう。

 健斗はどう対処していいか迷ってしまい、隙が生まれたことに気が付かない。

「ほんとに、君は良い匂いがする」

 雲海が一瞬で間合いを詰め、健斗の腰を抱き、耳元で言った。

 ゾクリ、と鳥肌が立つ。

 健斗は命の危機と言うよりは、生理的に受け付けない感じの拒絶を示す。

「つれないな」

 雲海が苦笑して、健斗の首にかじりついた。痛みよりも、脳が真っ白になるのが先だった。有無を言わせぬ脳への介入が始まる。

 言葉も力も失くした健斗の体をがっしり受け止めて、雲海は健斗の血をすすりながら微笑んだ。

「あなたはちゃあんと、この少年の中にいるのですね」

 健斗の頭の中で雲海の声がする。

 クラクラする光が脳内を埋め尽くす。

 健斗の呼吸が早くなる。

「止めないか。胸糞悪い」

 健斗の口から低い声が出る。それは圧倒的力の持ち主だけに許された声音だ。

「陛下」

 雲海が健斗の首から唇を離し、恭しく膝をつく。

「どんなに私があなたを求め、長い時間お探ししたのか、おわかり頂けますか」

 感情を抑えようとしても歓喜に震える声は健斗の耳に届いた時点で彼の失笑を浮かばせる陳腐なものにしかならないと、雲海は気が付いた。

「俺の血を奪うとは、図々しい奴め」

 首を抑えながら、健斗は雲海を見た。それは冷たい闇の色だ。

 背筋に氷の刃を感じながら、雲海は頭を下げる。

「忠実なる僕へのご褒美と思って頂ければ」

「ふん。相変わらず口だけは減らないな」

 健斗は一瞬空を仰ぎ見て、雲海を見た。

「俺はどうしてここにいる。記憶が全くないのは何故だ」

「陛下は人間の攻撃に合い、木っ端みじんに吹き飛んだと記憶しております」

 雲海が答えると、健斗はそうか、と呟いて回りを見た。

「それで、人間になったと?」

「それが、どういう原理なのかはわかりません。田中健斗という人間になられたという事実しか我々にはわからないのです」

「そうか」

 健斗は呟いて、雲海の噛んだ傷跡をさする。今までの彼なら、すぐに傷口は閉じた。けれど今はまだ血が流れている。なんてやわな体だろうか。

 ふいに突風が吹いた。

 ざっと並んで現れた存在に、健斗が目を細める。

「これはこれは懐かしい。俺の帰還を歓迎してくれるのか、彦島」

 健斗は目の前に立ちはだかる彦島以下、戦隊の全色を見渡した。その後ろには地球防衛戦線の特殊部隊の制服に身を包んだ一個隊が並んでいる。

「君は帰還などしていない。君のその体は健斗のもので、今は君のものではない。返したまえ」

 彦島の冷静な声が響く。

「俺のものではないと?なんだ、それは」

 健斗は手に着いた血を見て、そして彦島を見た。

「最後に見たお前は俺の腕の中にいたな?」

 記憶を探るように健斗が言い、彦島に近寄って行く。

「なぜだ。俺は何をしようとしていた?」

 独り言のように言い、健斗は彦島に触れられる距離まで来て立ち止まる。

「お前はどうして敵方になった?」

 健斗の問いが宙に浮き、彼は彦島のデコピン一つで崩れ落ちた。

 地面に着く前に彦島が健斗を抱きとめる。

「会長」

 青色が進み出て健斗を受け取る。

「健斗の記憶を操作しろ。今の記憶は消し去るんだ」

「はい」

 青色だけがその場から消えた。

「さてと」

 彦島は雲海に向き直る。

「やっぱり出てきましたね、彦島さん。それにしても、相変わらず美人ですね。歳も取っていないし、あの頃のまんまだ」

 雲海は悪戯っぽく言い、彦島に敬礼する。

「だけど、いずれ僕があなたをおいしく頂きますよ。陛下の身も心も持って行ってしまったあなたに復讐がしたくて、今まであなたが姿を現すのをずっと待っていた。ダミーでもコピーでもない本当のあなたが目の前にいるなんて、光栄だな」

 雲海は今まで見せていた顔が嘘のように憎悪に満ちた目で彦島を睨む。

「でも、今じゃない。いずれ、また」

 そう言って、彼は消えた。

 戦隊員の間に安堵のような空気が流れたのを察知して、彦島は苦笑して振り返る。

「ここで気を抜くとは、皆、修行が足りないようだ」

 そう言いながらも、彦島は楽しそうだ。

「非常事態に集まってもらい、感謝する。際どい所だったと言えるな」

 彦島は優雅な動作で質のいいスーツの汚れを払った。

「今のところは戦争回避だ。ご苦労。解散してくれたまえ」

 彦島の言葉に、戦隊員が消えた。一個隊もいつのまにか消えている。

 一人山道に残って、彦島は空を仰いだ。

「健斗、私は二度も君を失うことになるのだろうか」

 彦島の呟きは風に持っていかれる。

 誰も見ることのない哀愁の目をした彼を、慰める者はここにはいない。


 健斗は横から張り倒されて目が覚めた。

 バスの座席で居眠りしていたらしい。隣の木田の容赦のないグーパンチに、自分の頬が腫れているのがわかる。

 なんて友達がいのある奴だ、木田って奴は。

「起きた?」

 天真爛漫に言われて、文句も言えずに頷く。

「ここで降りて周辺を探索してから弁当だって」

「探索?俺、散歩より、腹減ったんだけど」

「俺もそうだけど、楽しみは後ほどいいって言うだろ?」

 木田の浮き浮き感に、健斗もそんな気がしてくる。

「そっかな?んで、どこを探索するって?」

「滝を見に行くんだって」

 木田とバスを降りて、班ごとに並ぶ。結構な急斜面を行くらしく、女子は迂回路を行って無理のない行程らしく、最終的な目的地が違うらしい。女子がいないのは残念かも、と健斗は思ったがあえて言葉にはしない。

「楽しみだなあ」

 木田が言うので健斗もそうだな、と同意する。

「お弁当」

 木田が付け足した言葉に、健斗が脱力する。

「滝が楽しみなんじゃないのか」

「え、そりゃお弁当に決まってんでしょ。なんてったって、おタケさん特製のお弁当なんだから」

「え?」

「滝の近くでお弁当らしいんだけど、そこに届けてくれるって。楽しみだなあ」

 道理で木田の荷物が軽いわけだ。

 おタケさんは戦隊の瞬間移動装置でやってくる気なのだ。さすが、おタケさん。侮れない。

 必死こいて滝に到着したら、余裕な顔で待っているおタケさんがいるのだ。想像したら面白くて、こんな遠足も最高かも、と思った健斗だった。

 彦島さんは来ないかな。

 ふとそう思って、頭がクラクラした。

「健斗?大丈夫か」

 木田が横から健斗の腕を支える。体までふらついていたらしい。

「おう、何ともない」

 答えて、健斗は彦島の声を耳にした気がする。ふいにそれは確信に変わる。彦島がおタケさんと一緒に弁当持参で滝で待っている光景が思い浮かんだのだ。

「よし、行くか」

 木田が先に歩き始める。

「ん」

 健斗もそれに続いて、のんびり右足を前に出した。

 あれ?

 健斗は首に手を当ててさすってみた。何もないが、変な違和感がある。

「どうした?蚊でもいた?」

「いや。何でもない」

 健斗は木田の差し出した黄金飴を受け取りながら答えた。

「お前って、渋い趣味だよな」

 黄金飴って、どうよ?

 健斗の言葉に木田はうまいだろ、と自信満々だ。

 こんな風に、笑いながらずっと過ごせたら。

 健斗は願いにも似た感情を覚えて、無意識に胸に湧いた違和感を心の隅に押しやったのだった。

「健斗、ここ登るんだって」

 木田に呼ばれて健斗が目を向けると、そこには道なき絶壁がそびえ立っている。

「お前、嘘もほどほどに…」

 言っている側から木田が岩肌に手を当てて登り始めている。

「木田、お前ロッククライミングやってたの?」

「ああ。お前も早く来いよ。なーんて。初心者はあっちだって」

 木田は垂直な岩肌に片手だけでぶら下がって、ゆるやかな山道を指差す。そこには他の男子たちもいて、そちらの方が通常のルートだとわかる。

「お前一人で登れる?」

「ああ、平気。上で待っているよ。のんびり上がって来なよ」

 木田はぐいぐい上へ登って行く。

「それ、俺にもできないかな」

 健斗は岩に右手をかけてみる。

 左手を少し斜め上に、右足は垂直に横に伸ばしてから少し左寄りにかける。左足はくぼみに。道筋が見える。

 無意識に近い状態で、無心に健斗は上を目指した。

「何だよ、アイツ」

 木田が面白そうに笑って後方にいることに、健斗は気が付かない。

 健斗は平らな地面に昇りきって辺りを見回しながら歩き出す。その後ろに木田が付く。

 彼はふと空を見上げた。

 空の透き通る青さが、体に降り注ぐような気がする。空が近いのだ。

「皆まだ来てないみたいだな」

 木田が声をかけるまで、健斗は天を見上げていた。木田は彼の隣に並んで、彼の髪についた枯れ草を取ってやろうと手を伸ばす。

「この空の向こうに、故郷がある」

 健斗が呟いた。

 彼の目は見えていないものを見ている。わずかに切ない色を宿したその瞳に、木田がハッとしたように動きを止める。

 健斗の目が紅い。

「ん?」

 木田の手に目を向けた健斗の瞳は薄茶色で、さっきのは居間違いだったかと木田が吐息をつく。

「びっくりさせんなよ」

 木田の呟きに健斗が目をしばたかせる。

「えっと、滝ってどっち?」

 健斗は無垢な笑顔で木田に尋ねる。

「もっと奥だろ。滝なんてもんはさ、もっとこう秘境みたいなとこにあるんじゃないか?」

 木田の答えに、最もだ、と健斗が頷いて、それから疑いの目を木田に向ける。

「もしかして、場所知らないのか?」

「ちっ、その通りだよ。何か悪いか」

 木田が悪びれずに答えると、健斗が大爆笑した。

「格好つけるとこか?たぶん、こっちだろ?」

 健斗がゆっくり歩き出す。木々の間の細い道を野生の勘とでもいうように迷いなく歩いて行く。

「お前、なんでわかるんだよ。合ってる?方向」

 木田が付いてきながらも尋ねると、健斗は天真爛漫に頷いた。

「道は知らないけど、なんか、わかる」

「そう言う言葉って、遭難者がよく口にするやつじゃないのか?」

「んー、そうかな?」

 健斗はえへへ、と笑って、どんどん進んで行く。

 木々は鬱蒼とし、とても滝へ向かう道には見えないが、健斗の足取りは確かで、嘘でも着いてしまうような気がする。そこが木田には恐ろしく感じるのだ。そう言えば、健斗は物凄く運が良い。落ちているお金を拾うこともしばしばだし、気まぐれに開いた教科書のページがテストに出る。それにバイトの面接も一発で受かるし、チャーハン食いてえって呟いていたかと思うと、通りすがりの商店街のくじでチャーハンセットを当ててしまうような男だ。昨日も移動教室で廊下を歩いていた時に急に立ち止まって忘れ物、と教室に引き返してく瞬間、彼が一歩進むはずだった場所に誰かの飲みかけのジュースが落ちてきた。危機一髪、と胸を撫でおろしたのだが、運が良すぎる。

 春の遠足の時もそうだった。嵐が近づいてきているというのに、その日は何故か晴天で、意気揚々と出発したら健斗が具合を悪くしてレストハウスで休憩することになり、彼がいなくなると急に暴風雨になってひどい目にあった。健斗の具合が回復して外へ出てくると晴天に戻り、結局、健斗だけが雨に濡れずにいた。

 思えば変な奴なのだ。

 木田は健斗の背中を見ながら途方に暮れたような気持ちになる。

「健斗、お前ってさ、何か隠していることあるだろ」

「え?」

 健斗が木田を振り返る。

「あ、ばれた?キスくらいしたことあるって言ったけど、あれ、無理やり男にされただけなんだ。しかも宇宙人でさ」

 なんでかわかった?と健斗が悔しそうに言う。

「それだけ?」

「?」

 健斗は一生懸命考えている顔で記憶をたどっている。

「ま、いいけど」

 木田は彼の隣に並んで、肩を叩いた。

「お前は、お前だよな」

「ん?ああ」

 訳が分からないまま返事だけして、健斗は木田の満足そうな顔を見た。

「ってか、まだ着かないの?俺、腹ペコ」

 木田は言いながら、駆け出している。

 ガサガサと薮の中に入ってしまい、木田が一瞬消えてしまう。

「おー」

 彼の歓声が聞こえる。

 健斗が後を追うと、視界が明るくなり、岩場の向こうに滝が現れる。先程まで水音など聞こえてこなかったというのに、ゴウゴウと飛沫を上げて滝が落ちる様は圧巻だ。落ちた水からできた小川は健斗たちのいる場所とは反対の方向に流れていく。

 木田が何かを見つけて走り出す。

 健斗はとりあえず後に続いて、滝の近くに備え付けられたデッキに行くと、おタケさんが立っていた。彼らに気付くと、おタケさんは微笑みを浮かべた。

「よう、お疲れさん」

「おタケさん、到着早くないですか」

 木田が嬉しそうに言う。彼はおタケさんによく懐いている。

「そうか?腹減っているだろうと思って、遅れないように来たんだが、本隊はまだみたいだな。お前らだけ別ルートか」

「はい。崖登って来たんで、だいぶ短縮ルートだと思います」

 弟子が師匠に答えるように木田が言い、得意げに胸を張る。

「それは凄いな。本隊が来るまで待っているか?点呼とかもあるだろうし」

「えー、俺もう腹が減って動けません」

 一転、情けない声で木田が言う。

「そうか。じゃ、俺たちの陣取っている場所に来るか?その代わり、点呼が始まったら群れに戻れよ」

 おタケさんは苦笑して言い、右手を合図するように掲げた。

 瞬間、滝の上のごつごつした岩場に移送されて、健斗たちは危うくバランスを崩すところだった。

 水音も凄いが、水が一点に集まって急流になって流れ落ちる地点を見る場所は普通なら自然の驚異と呼ばれる場所のはずなのに、屋台が出て、お祭りのような雰囲気の中、いつも健斗が会議室で見る面々が所狭しとくつろいでいる。

 これは何なのだ。

 健斗が呆然としていると、おタケさんがピクニックテーブルとイスのあるスペースへ手招きする。滝の水源から少し離れた草原のような場所だ。

「弁当箱に詰めてきたけど、一緒に食べるなら屋台で良かったな」

 おタケさんはとんでもない段数の重箱を木田の前に並べる。

「健斗も木田に負けないように食えよ。育ちざかりに遠慮いらんからな」

「はい、ありがとうございます」

 きっちりお辞儀して健斗は礼を言い、早速マイ箸を出して重箱を空にしていっている木田の隣に座った。

「あの、おタケさん。彦島さんは来てます?」

「ああ。あっちだ」

 おタケさんの差した方向には別世界が広がっていた。

 赤い毛氈が敷かれ、日よけの紅く広い傘と茶店のようなテーブルのような椅子がその上に置かれている。琴が鳴り、抹茶と着物の婦人が出て来そうな雰囲気だが、そこに座っているのはクリーム色の仕立ての良いズボンと白シャツに黒のサスペンダー姿の彦島だ。彼はズボンと同じ色の上着を脱いだのだろう。側に置いてある。

 白いティーカップを右手に、左手にソーサーを持って優雅にお茶を飲んでいる。とても滝の上の足場も危ういところにいるとは思えない。

「慰安?研修?こういうの、何て言うんだろうな」

 おタケさんが健斗の言いたいことを察して先回りして言う。

「ピクニックじゃないですか、これ」

 健斗は苦笑して言った。

「ま、たまには戦艦から出て、みんなくつろがないとってことでな」

 おタケさんも苦笑している。

「よくあるんだ。秘境でフレンチを食べるプランとか、洞窟でたこ焼きパーティとか。会長のサプライズだ」

 あの彦島がそんなことを考えるとは健斗には意外だった。

「彦島さんって、騒ぐの嫌いな人かと思っていました」

「そうか?ま、ああ言う立場にいるから仕方ないか」

 おタケさんは健斗の肩をポン、と叩いて彦島のいる方に行ってしまった。

 健斗はそれを目で追った。彦島がおタケさんに言われて健斗を見る。片手を軽く挙げて、彼は健斗に挨拶代わりとした。健斗も目礼を返す。

 しばらく見ていたが、彦島がおタケさんと話し始めたので、テーブルに目を移すと、もう重箱の中身はほとんど空だった。

「おい、俺の分は?」

 木田に強い口調で尋ねると、木田は申し訳なさそうに肩をすくめる。

「つい夢中になって…」

「お前、よく食べるもんな。もう心置きなく全部食え」

「え、いいの?」

「ん。なんか腹の虫も治まったし、水さえあればいいかな」

 健斗は言って、腹の虫が治まるのは怒りが溶けた時か?と自分の間違いに気が付く。しかし、まあ、意味は伝わっているだろう。

 健斗はペットボトルの水を飲み干した。

 ふと、視線を感じて滝の方を見る。

 まさかな。

 彼はこんなところに誰かがいるなんて思わず、手の中の柔らかいペットボトルの感触に意識を戻した。

「こんな時に敵襲か」

 彦島の呟きが聞こえた気がした。距離があるから空耳だろうか。

 健斗が彦島の方を見ると、彼は水流の降り口を見ていた。

 いるんだ、宇宙人。

 健斗は山道を登って来るクラスメイト達に危険がないか考えを巡らす。

 どんなタイプの宇宙人か?

「黄色が対応する。健斗、動くな」

 彦島の声が耳元でする。ヘルメット無しの状態なのに、どうして彼の声が聞こえるのだろうと健斗が不思議に思いながらも、頷いた。

 屋台の奥から黄色が颯爽と出てきて、健斗に手を振る。

 手を振り返して、健斗は息を呑んだ。

 滝が膨れ上がっている。

 滝の水流が竜の様にうねり、こちらを睨んでいる気がする。

 健斗は時計に手を振れたまま、動かない。彦島の命令待ちなのだ。

 見ていると黄色が竜のような水流にダイブした。美しいラインを描く黄色の肢体に思わず十点と拍手したくなる。しかし、これは体操の試合ではない。

「凄いな、あの人」

 隣でデザートのブドウを食べながら、木田が黄色を応援している。

 竜は黄色を吐き出そうと暴れているが、黄色は水流の中から光を手元にため込んでいる。

 これはまるで、あれだな。

 昔アニメで見た必殺技を思い出して、健斗は興奮した。

 案の定、黄色はアニメヒーローと同じ形で光線を放出した。水しぶきが上がり、幾筋もの虹が現れた。美しい。健斗たち見物人は思わず拍手し、黄色の勝利を祝う。

 黄色は水しぶきの中、小さなカエルのようなものを手に持って帰って来た。どうやら、それが竜の正体らしい。思っていたより小さな宇宙人だな、と健斗は思った。

「さすがです、黄色」

 健斗が言うと、黄色は照れて頭をかく。謙虚なところも黄色の美点である。

「それじゃ、会長のところへ報告してきますね」

 黄色は言って、ボスのところへ行ってしまう。

 平和が戻った。

 出る幕もなかった。

 健斗は少し残念に思って、時計から手を離す。

 誰かを守れる存在になりたい。

 健斗は強くそう思った。

「おい、学生諸君、本隊が到着したみたいだぞ。点呼に行って来い」

 おタケさんが彦島の所から叫んでいる。

「はーい」

 二人で声を合わせて返事をするとおタケさんは笑った。

 パッとクラスメイトの前まで移送されて、健斗たちは何事もなく遠足の輪の中に戻ったのだった。





 




 

 



 

 

 

 


 




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