第10話 正しいストーカーの在り方について

 朝練中の剣道部をぼんやり眺めながら、健斗けんとは大あくびをかみ殺した。

 格技室かくぎしつの床に近い窓は開け放たれ、外から見ていても誰も文句は言わない。地面から目線の位置に格技室の床があり、剣道部の裸足はだしの足が前へ進んだり、後ろに進んだり、よく動くのを見ていると、何か別の生き物のような気がしてくる。

 剣道部主将の美月みつきを学校に送ったあと、健斗は何気なしに彼女の練習を見ている。今日は日曜日。学校は休みだ。剣道部もこんなに早い時間から活動しなくても、と言いたくなるが、精神を引き締める為の朝練らしい。早起きは三文の徳、ということか。健斗にはよくわからない。それにもうすぐ大会があると美月が言っていた。自然に練習にも熱が入る事だろう。

 竹刀しないを振る美月を見て、健斗は夢見心地だ。彼女の綺麗な顔は毎日見ていてきないが、それを言うなら彦島ひこしまも綺麗だよな、と健斗はぼんやり考える。美人ってのはヒーリング効果があるのだろうか。側にいるといやされる。あ、表がいくら綺麗でも中身がないとそうは思えないのか、と取り留めなく考えて、健斗は自分が二人に対して失礼なことを考えていることに思い至った。顔が良いから癒されるなんて、自分が言われたら腹が立つ。

 今日は午後からカフェのバイトが入っている。それまでは試験勉強にいそしむ予定だが、気が進まない。だからこうしている、となるわけだが、今朝の彼はまったく覇気はきがない上に、やる気のボルテージが上がらない。

 授業がないので白いシャツにベージュの綿パンという軽い出で立ちの健斗はどう見ても部活動関係者に見えないが、美月が練習の合間に手を振ってくれるので、回りから見れば彼女の彼氏的立ち位置にいることに彼は気が付いていない。

 ストーカーも宇宙人も出てこないので、美月の護衛も平和そのものだが、油断大敵。いつ襲われるかわかったものじゃない。それだけは肝に命じている。慣れはミスを生むことを健斗は知っている。

 さてと。

 健斗は帰ることにした。途中で図書館に寄って試験勉強をして、それからコンビニで昼食用におにぎりでも買ってカフェのバイトに行く。だいたいそんなプランだが、妙な気配に彼は足を止める。

 辺りを見回して、何も警戒に値するものがないのを確認して、再び歩き出す。

 しかし、変な感じだ。

 健斗は思い出した。これは美月のストーカー宇宙人の気配だ。

 どこにいる?

 鋭い目の健斗に通行人が避けて通って行く。本人に自覚はないが、相当きつい目をしている。ふとその表情が緩む。まるで別人のような平和的な顔に緊張感はない。

 宇宙人の気配が消えた。

「出たり消えたり、面倒なやつ」

 彼は思わず独り言を言って、美月に注意するようメールしておく。何か違和感があればすぐに電話して、と添えて。

 健斗は図書館コースを変更して、早めにカフェに入った。美月の護衛の為に今日のシフトの変更をしてもらおうと思ったのだが、カフェのあまりの盛況ぶりに飛び入りで手伝う羽目になる。

 店長の三崎がすまなさそうに手を合わしている。困っているのを見捨てることはできない。まあ、三崎が良い人なせいなのもあるが。

「健斗君、厨房でまかない食べちゃって」

 小柄な三崎が健斗の耳に背伸びして小声で言うので、お客の引いた時期を見計らって厨房に入る。

 このカフェは女性が多く働いていて厨房も女性シェフがいる。健斗は男手として歓迎されていたせいもあるが、小まめに動くので厨房のスタッフからも頼りにされていて、まかないに色をつけてもらっている。

 大盛りナポリタンとおまけのクリームたっぷりパイデザート付きのまかないを有難く頂戴してホールに戻ると、あの気配がした。宇宙人だ。

 どこにいる?

 健斗は鋭く辺りを見回して、どこにも異変がない事を確認する。

 彦島さんに連絡するか?

 健斗は迷って、様子を見ることにする。

 カフェはまた混んできて、ホールで客をさばき、料理を運び、厨房の手伝いにも入る。取り立ててトラブルもなく、あっという間に夕方になった。

 夜の部はバーテンや男子スタッフも増えて人手が充実するので、健斗は用事がある旨を話して早上がりする。彼は学校に向かいながら、辺りに注意する。

 宇宙人の気配はずっと健斗に付きまとっているのだが姿は現さない。

 格技場に行くと、ちょうど練習終わりで剣道部員たちが瞑想しているところだった。

 しばらく外で待っていると、着替えた美月が外へ出て来た。

「健斗君、お待たせ」

 美月は長い髪をおろしていて、どこかのお姫様みたいだ、と健斗は思った。

 二人並んで行く帰り道だが、健斗は落ち着かない。宇宙人の気配はあるが姿は見えない。わざと気配だけ健斗に知らせているのだ。何もできない健斗をあざ笑っているかのようで悔しい。

「ねえ、今日はイライラしてる?」

 美月が健斗の顔を覗き込んで言った。可愛らしい仕草で髪を耳にかけて、彼女は微笑んだ。

「健斗君が迷惑なら、もう護衛もしなくても大丈夫だよ?」

「いや、そんなんじゃ決してなくて。だから、今まで通り送り迎えするから。正直言うとさ、俺、誰かの役に立つようなことできているのかなって思って、ちょっとへこんでたって言うか、拗ねているっていうか」

「なーんだ、そんなこと?全然気にすることないよ」

 美月はにべもなく言って、健斗の背中を優しく叩いた。

「健斗君はさ、優しいから人助けしたいって思ってくれてて、私はそれで凄く助かっているの。もしもよ?もしもストーカーに健斗君が負けたとしても、私の為にしてくれていることは事実として私の心の平安に役立っているわけだし、味方に付いていてくれるだけで、勇気が出るの。それって、凄いことでしょう?」

 美月の優しい言い方が健斗の焦りを溶かしていく。

 新人の紅色ヒーローでも、できることがあるのだ。

「俺も、勇気づけてくれてありがとう」

「どういたしまして」

 美月はうふふ、と笑って答えた。

 ありのままの、大して強くない健斗でもいてくれて勇気が出るなんて言われたら、それはもう最高の誉め言葉だ。

 ふいに宇宙人の気配が消えた。

 きっと美月の笑顔の威力に宇宙人も参ったのだろうと楽天的な解釈をして、健斗は美月を送り届けて自宅に戻った。

 そもそも、この宇宙人のストーカーは付きまとい行為だけで、ほとんど美月に害を及ぼしていない。無言電話もなければ、盗撮した美月の写真を送りつけることもしない。それって、正しいストーカーの在り方じゃないのかと思えたりする。彼女を怖がらせるのは意に反する、とでも言っているようだ。

 宇宙人は美月に恋している?

 それはかなり正解に近い真実ではないだろうか。他の宇宙人は有無を言わさず、人間を食べようとしてきた。しかし、食糧に恋をするのか?たぶん、しない。じゃあ、何か別の原因があるのか。

 わからない。

 何もわからないのである。新人アルバイトには戦隊の先にある国家の思惑も、彦島の思惑も、宇宙人の真の目的もわからないのだ。こんな時は考えても悩んでも仕方ない。

 健斗は気を取り直して、夕食用に残り野菜を刻み、これも余り物のひき肉とオイスターソースで炒めて春巻きの皮で包んで油で揚げる。ちょっと物足りないのでシャンタンで中華スープを作り春雨を入れて出来上がり。ご飯は冷凍してある分を電子レンジでチンした。

 食パンのシールを集めてもらった白い皿に余り物春巻きと冷蔵庫に常備してあるサニーレタスを盛って、丼ぶりにご飯と春雨スープをぶっかけにして食べ始める。母が見れば汁かけご飯は止めなさい、と目を吊り上げて怒るところだが、今はいないのだから良しとしよう。

 健斗はものの数分で食事を終えると、片づけをしてから短時間でシャワーを浴びる。戦隊に入ってから、すること成すこと早く終える癖がついてしまっている。いつ何時呼び出しがくるかわからないので、ゆっくりしていられない。

 布団の上に寝転んでまどろんでいると、いつの間にか母親が帰っていたらしく、ビールの缶を開ける音が聞こえてきた。健斗の睡眠の邪魔をしないよう音を抑えているあたり、気遣いのできる人である。

 健斗は寝たふりをしたまま、人がいる音に耳を傾ける。家族がいなくて、たった一人、というのは耐えられない。ふいに、そう思った。例え一人暮らしをすることになっても、親が生きていてどこかで暮らしていると思えば、それなりに頑張れる気がするのだ。もしも独りになてしまったら、それこそ生きる気力が湧かない。友達はいる。戦隊の同僚も信頼している。でも、家族ではない。

 これはまだ親離れしていない証拠だろうか?高校生にもなって、もしかしたら恥ずかしい事のなのかもしれない。それでもいい。誰にだって堂々と言える。母親が大事です、と。父が早くに死んでから、育ててくれた人なのだ。

 恋愛というと未だに実感がわかないが、誰かを大事に想う心はわかる。だから、もしも美月のストーカー宇宙人が彼女の事を大事だと思っているのなら、それはそれで全否定できないな、と健斗は思った。

 彦島さんは俺の事甘いって言うかな。

 健斗はそう考えて、確信した。あの人は冷徹になりきれないのなら辞めろと言うはずだ。わかっている。でも、心あっての人間ではないだろうか。何もかも抹殺できるはずがない。それでも、兵士は命令に忠実でなければ組織として機能しないのだ。果たして、自分は彦島の命令通りに動く駒になりきれるのだろうか。

 そこまで考えて、健斗は寝返りを打った。

 考えるのは止めだ。

 彦島に従うと誓った。

 それはつまり、地球を救うという事。

 戦隊の願いは地球の、誰かの幸せを守る事。

 ストーカー宇宙人に同情は禁物だ。

 健斗はふう、と息をついて眠りについた。



 

 




 




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