第8話 虹色ヒーロー

 素朴な疑問がある。

 健斗けんとたずねるか尋ねまいか、会議室のはしから端を行ったり来たりしながら迷っている。

 今日は地球防衛戦線宇宙人対策委員会ちきゅうぼうえいせんせんうちゅうじんたいさくいいんかいの会長である彦島ひこしまはいない。そのせいか、会議室の巨大モニターの前に陣取っているオペレーターたちの表情もくつろいでいるように見えるのは気のせいか。

 健斗たちは宇宙人対策委員会の実戦部隊所属じっせんぶたいしょぞくで、略して戦隊せんたいと呼ばれる。

 ますますヒーローっぽいなあ、と健斗はワクワクするが、時給の低いバイトの身としては、あまり浮かれていられない。

 安月給やすげっきゅうではあるが給料が支払われて助かっているが、先月分の給料はバイクのガソリン代くらいしかもらっていない。母親の誕生日が近いので、何かおくりたいのだが、先立さきだつものがない。できればもっとバイトを増やしたいところである。

 酒屋さかやのバイトは続けているが、もう一つ短期でバイトを増やそうと健斗が決めた時に、会議室にブルーのスーツ姿の石黒いしぐろが入って来るのが見えた。

「健斗君、待たせたかな」

 石黒は手に茶封筒を持っている。

「いえ、待っていません」

 十五分ほど待たされているが、それは石黒もわかっているはずである。何しろ呼びつけたのは石黒本人なのだから。

「君はなかなか処世術しょせいじゅつけているね。では、お待ちかねのお給料を渡そう。ハンコは持ってきましたか」

 石黒が給料袋と大きく書かれた茶封筒を健斗に手渡す。

「はい。これ、今ハンコついて返してもいいですか」

 健斗けんとは中身を財布さいふに移し、明細めいさいを確認しながら言うと、手早く茶封筒の五月欄ごがつらんにハンコを押した。

 ハンコがかわききらないうちに石黒いしぐろは封筒を受け取り、微笑ほほえんだ。黒縁くろぶちメガネの奥の瞳が優しく健斗を見つめている。

「何か、聞きたいことがあるみたいだけど」

「え、わかりますか」

 ドキドキしながら健斗が驚いた顔で石黒を見る。

「答えられることなら答えるよ」

 石黒のやんわりとした優しい言い方に、健斗はじゃあ、と質問してみることにする。

戦隊せんたいの人数って、どれくらいいるんですか。俺、桃色と黄色にしか会ったことないんですけど」

「ああ」

 言われてみて、石黒がなるほど、という顔を見せる。

「最初に説明しなかったね。まず、筆頭ひっとうはブルーです。本来ほんらいならレッドがリーダーだけど、十年くらい前に引退いんたいしてね。それから後継者こうけいしゃが決まらず、ずるずると不在のままだった。君が見つからなければ、今もレッドの候補者はいないままだったね。他にはグリーンとパープル、オレンジにホワイトとブラックがいます。このうちホワイトとブラックは宇宙圏の守りについているから、きっと会うことはないでしょう。地球にいる戦隊員は七人。虹色だね」

「少ない、ですよね?それって。俺、実はもっといるんじゃないかと思ってたんです。軍隊ってわんさか人がいるじゃないですか」

 健斗は会議室を見回しながら言った。ここのスタッフは大勢いるのだが、名前も知らないし、何の所属かも知らない。ただ、地球防衛戦線宇宙人対策委員会の仲間だということしか知らない。

「戦隊員は誰もがなれるという訳じゃないんだ。選ぶのは会長で、君は素質で選ばれた。だからランクがバイトから始めることになったけど、だいたいは後継者を育てて戦隊員にえるから、常勤の戦隊員ばかりなのが普通なんだ。今は特に後継者不足で高齢化が進んでいる。君も知っての通り、年配の桃色の力にも頼っている状況だから」

 石黒は大きなスクリーンに映し出される画面を見上げて言った。どこかに思いをせているような感じだ。健斗は石黒の苦労を想った。

「じゃあ、いつかグリーンとパープル、オレンジにブルーにも会えますか」

 健斗が控えめに聞いてみると、石黒は健斗に目を移して、また微笑んだ。

「じきに会えると思うよ。オレンジは外国籍だからすぐに会えるかどうかはわからないけど」

「外国籍?」

「地球防衛戦線だからね。本来ならもっと国際色豊かなものなんだ。能力のある者が日本に集中しただけのことだけど、私たちには都合がいい」

 一瞬石黒が見せる戦略家の顔に健斗がキラキラした目を向ける。

「ん?」

「石黒さんって、めっちゃ格好良いですよね。俺が女なら惚れてますよ」

「…」

 何とも言えない顔で石黒が健斗を見る。

「女ならって話ですよ?それじゃ、俺バイトあるんで、帰ってもいいですか」

 ほがらかに健斗が言い、石黒はこころようなずいて健斗を家に転送した。

 健斗はすぐに酒屋さかやのロゴ入りTシャツに着替えて、バイクにまたがる。酒屋は近所だが、帰りが遅くなるのでいつもバイクで行っている。他のバイトに行くときも急ぐときはバイクが便利だ。ちなみに家に一台しかないボロの自転車は母親が使っている。

 酒屋に着くと裏口にバイクを止めて、店の中に入る。

「お疲れ様です」

「おう、健斗。早速運んでってくれるか」

 社長が奥から顔を出す。この辺の民家以外にも飲食店に電話があればすぐに配達するから店は繁盛している。

 健斗は返事を返して相棒の社員の長瀬ながせけいのワゴンに乗り込んだ。

「カラオケバーみなみに2ケースと、海老町のさかいさんちに焼酎しょうちゅうね」

 長瀬は伝票を健斗に渡した。

「はい。引き取りも多いですねえ」

 今日も遅くなるかもしれない。

 健斗ははこび手なので一軒一軒回る間、ずっと荷物を運ぶ。長瀬は運転席から指示を出し、運転席から滅多めったに離れない。駐車違反を取られないようにだ。

「健斗、ほら」

 五軒目の引き取りを終えて助手席に戻ると、長瀬が缶コーヒーを投げて寄こした。

「大丈夫か」

「はい。ありがとうございます」

「よし、あと半分だ」

 車が重そうな音を立てて動き出す。

「なあ、お前彼女作らないの?」

 長瀬が赤信号をにらみながらたずねて来た。

「え、彼女ですか。俺、バイトで忙しいし、相手してあげられないから無理ですね」

即答そくとうかよ。まあ、大学行く資金貯めてんのは知ってるし、応援もしてるけどよ、彼女くらい作って息抜きしてもいいんじゃね?お前絶対モテるし」

 気遣うように長瀬が健斗を見た。

「そうっすかねえ?」

 健斗は照れたように笑った。正直、恋人を作るなんてことは考えたこともない。今の自分に余裕はないし、もちろん、健全な高校生男子として女性に興味がないわけでは決して、いや断じてないが、夢のまた夢のような存在に思えた。

「長瀬さんは彼女いるんですよね。彼女さん、結婚してくれるって言ってるんでしょ?」

「ああ。でもさ、責任重いよなあ。結婚って言うとさ」

 長瀬は青信号に周りを確認してアクセルをんで右折した。

 結婚、という言葉に健斗は現実感を持てない。母子家庭で育っているので、男女そろった親がどういうものかイメージがわかない。まして、父親になるなんて冗談かと思える。だから、高校生だとしても、恋人を作るのは躊躇ためらわれるのだ。いずれ、長く付き合っていけばそんな話になるかもしれない。女性への欲望よりも、そっちの方が大問題なのである。

「お前さ、社長の娘の美月みつきちゃん、どう思う?」

 長瀬がハンドルを切りながら聞いてくる。

 酒屋の社長には美月という健斗と同じ高校の三年生に娘がいるのだ。あまり顔を合わせないが、美人なのは知っている。

「美人、ですよね」

「おう。かなりな。頭もいいし、色っぽいしスタイル抜群ばつぐん剣道部主将けんどうぶしゅしょうだって言うから、運動神経もいいんだろうなあ」

「その美月さんがどうかしたんですか」

「ああ。それがな、ストーカーに付きまとわれてるんだって。で、お前が彼氏の振りして守ってやったらって思った訳。社長もそんなこと言ってたし」

「俺が、ですか」

「うん。本人もいいようなこと言ってた」

「まじっすか」

 健斗は面食めんくらいながら、次の客の店の前で車から降りた。

 重いびんビールのケースを三個重ねて車に運び終えると、また助手席に戻った。

「さっきの話の続き。店に戻ったら、社長に話聞いてみて」

「はあ」

 健斗は気乗きのりしない様子で答えた。

「あれ、うわさをすれば美月ちゃんだ」

 長瀬ながせが商店街を歩く美月を見つけて呟いた。車は商店街の入り口付近で赤信号の為に止まった。

「げ、ストーカーじゃなくて、あれ宇宙人じゃね?」

 美月の後ろをあやしげなものが付いて行っている。黒いコートを体に巻き付けているが、この陽気がただよう時期にコートを着ている人はいない。まして、ゼリーのようなものを引きずって歩く人間などいない。

「やばいんじゃねえか?宇宙人って人間食にんげんくうんだろ?」

 長瀬がうろたえて健斗を見る。

「俺、行ってきます。長瀬さん、配達一人で大丈夫ですか」

「ああ、俺は平気。美月ちゃんのこと、任せたぞ」

 自分ではどうしようもないが、健斗なら何とかしてくれるという安心感で長瀬が健斗を送り出す。

 健斗はすぐに車を降りて、美月の後を追いかける。

 通行人が宇宙人に気が付かないのが不思議だ。

 健斗は素早く宇宙人を通り越して美月の肩を叩いた。

「あの、俺、バイトの田中です。覚えてますか」

 振り返った美月に言うと、彼女は切れ長の目を細めて笑顔になった。

「ええ。お父さんがいつもめてる人でしょ。どうしたの?」

 美月みつきは健斗を上目遣いに見た。彼女は長い艶やかな髪を一つに束ねていて、後れ毛が細い首筋に少しからまっている。それを直してやりたくて、健斗の手が宙に浮いて止まった。

 いきなり触れられたら困るよな、と浮いた手で美月の背中を軽く押した。

「歩きながら話しませんか」

 健斗は先をうながしながら、背後の宇宙人を見た。

 今のところ攻撃を仕掛けてくるような様子はない。

「お父さんに何か言われた?」

 探るように彼女は聞いた。それがまた愛くるしい表情で、健斗はドギマギしてしまう。

「言われてないんですけど、長瀬さんに話聞いてて、ストーカーに付きまとわれているとか。俺で良ければ用心棒になりますけど」

 健斗の申し出に美月ははにかんだように笑った。

「ありがとう。そうしてくれると助かる。えっと、田中君、本当はとっても忙しいんだよね。ごめんね、変な頼み事して」

「いえ。俺で役に立つなら」

 健斗は後ろに注意しながら言った。宇宙人は消えていた。

「あれ…」

 健斗は立ち止まり、あたりを確認する。

「どうかした?」

 美月が不安そうに健斗を見た。

「いや、何でもないです」

 健斗は脅威きょういが今は去ったことに少し安堵あんどした。いざとなれば戦う覚悟だが、商店街で大っぴらに戦うのは気が進まない。見物人を巻き添えにして被害が大きくなっては元も子もないのだ。査定さていが下がって給料がもらえなくなる。我ながらせこい考えだと彼は思った。

「家まで送ります。明日も学校の行き帰り、送りますね」

 健斗は仕事のように言い、美月の物足りない顔に気が付かなかった。

「それじゃ、毎日お願いね」

 彼女は健斗の腕に自分の腕をからませて、年上らしく余裕の態度を見せつけるかのように、にっこり笑って言ったのだった。

 健斗は腕に触れる美月の柔らかい肉の感触にドキドキしながら、目を泳がせる。

 一瞬、背後から射るような視線を感じて振り返ったが、睨んでくるような人物はおらず、気のせいだと思い直す。

 美月は何が楽しいのか上機嫌で、家まで送ると丁寧にお辞儀して礼を言った。

「それじゃ、明日は朝練の時間に合わせて来ます」

「うん。早起きさせるけど、ごめんね。待ってるから」

 美月の笑顔が玄関の奥に消える。

 彼女の家の裏が酒屋なので、健斗はそのままぐるりと塀を回って酒屋に戻る。

 店にはもう長瀬が戻っていて、心配そうに健斗の帰りを待っていた。彼は健斗を見つけると嬉しそうに健斗の背中をバンバン叩いた。

「俺さ、心配になって戦隊に電話したんだ。そしたら現在の脅威はありませんって言われて、不安になってたんだけど、お前の顔見たら安心した」

「電話してくれたんですか」

 地球防衛戦線宇宙人対策委員会のポスターはあちこちに張ってあるから電話番号はすぐにわかるが、警察や救急車を呼ぶより抵抗感があると言われている。宇宙人の襲撃は確率的には身近であるものの、実際には自分には関係のない世界、と言えなくもないのだ。

「電話はしたけどよ、脅威がないってわかるくらいだから、どこかで監視でもしてんのかね?」

 無事で良かったけど、と言って長瀬は在庫確認の為に伝票を持って倉庫に行ってしまった。

 長瀬には言えないが、戦隊員が現場にいたのだから、脅威はないと言われて当然だったのかもしれない。しかし、戦隊員とは言えバイトの身分の健斗は複雑な思いがしているのも事実だ。一人で宇宙人を撃退しろ、と言われたら自信がない。

「あ、健斗。配達の続き、一緒に行ってくれるか」

 やっぱり配達は終わっていなかったらしい。

「はーい」

 返事をしながら、健斗は時計を見た。二十時を十分ほど過ぎたところだ。

 帰って課題を終わらせて、少し地球防衛戦線のことを調べようと思っている。美月の朝練に間に合うように起きるとすると、二十二時には帰りたいところだ。

 長瀬がワゴンから空のビールケースを降ろして、新たに炭酸ガスのボンベや生ビールを積み込むと、健斗に合図した。

 彼らは暗い道に車を走らせ、繁華街へ急いだ。

 常連の店にビールなどの注文品を届けているうちに、時計は既に二十二時を指してしまった。

「あー、腹減ったな。帰って彼女のうまいご飯食うぞ」

 長瀬が運転席で言うと、なんだか可笑しくて健斗は笑った。

「なんだよ、健斗」

「いや、長瀬さん、幸せなんだろうなって思って」

「当たり前だろ?可愛い彼女が家で待ってんだ。幸せ以外の何物でもない」

 上機嫌で長瀬が言う。

 少しだけ、彼が羨ましいと健斗は思った。

 家に誰かが待っていて、温かいご飯が用意されている。母親が忙しくて暗い家に帰ることが多い健斗には童話のような話に思える。もし、健斗にも恋人がいて、家で美味しいご飯を作って待っていてくれるとしたら。

 そんな想像をするのは、意外にも心躍るものだと彼は知った。

「あれ?」

 長瀬の呟きが健斗を現実に引き戻す。

「どうしたんっすか?」

「アクセル踏んでるのに前に行ってなくない?」

「?」

 健斗は助手席から回りの景色を見てゾッとした。

 暗い池の中に放り込まれたような感覚だ。

 浮いている。

 暗いから見えないのではない。回りに何もないから闇しか見えない。

「ちょっと、落ち着け、俺」

 長瀬が頭に手をやって、蒼白な顔を健斗に向ける。

「状況を確認しよう」

「長瀬さん、戦隊の番号、覚えてます?」

「お、おう。スマホの履歴にあるはずだ」

 そう言って、長瀬がスマホを出した。震える手でリダイヤルを押し、電話に出た男性係員の事務的な声に若干安心しつつ、状況を説明する。

「そのまま、慌てずにお待ちください。すぐに隊員を救助に向かわせます。それから、お連れの方に電話を代わって頂けますか」

 長瀬の通話の声を漏れ聞いて、健斗はすぐに彼からスマホを受け取る。

「もしもし?」

「紅色ですね。今回はあなたが隊員であることを隠していて下さいと石黒さんからの指示がありました。レベル5の危険度ですので、一般市民として、隊員に救助されて下さい」

「わかりました」

 健斗は電話を切ると長瀬に返した。

 長瀬は取り乱してもおかしくないくらい緊張と不安で無言になっている。きっと漏れて聞こえたに違いないさっきの電話の内容まで気が回っていないようだ。

「長瀬さん、戦隊の人、すぐ来るって言ってました。待ちましょう」

「あ、ああ。俺は大丈夫だぞ」

 強がって言うが、体が震えている。

 健斗はレベル5の危険度というのがどれくらいなのかわからないのだが、足手まといになるくらいなら大人しくしていようと心に誓う。

「どうやって降ろす?」

 外で声がする。色っぽい女性の声だ。聞き間違えない。これは桃色の声だ。

「どういう原理で浮いているのかが問題ですね」

 これは黄色の声だ。

「あの」

 窓を開けて、健斗が顔を出す。すると二人は手を振って再会を喜んでくれたようだ。状況が状況でなければ、世間話が始まりそうな気安さなのだが、長瀬はそんなことも目に入っていないらしく、健斗の腕を掴んだ。

「戦隊の人、何だって?」

「いや、まだ何も」

「そ、そうか」

 それっきり長瀬は黙った。

「あの、これって宇宙人関係あるんですか」

 再び外に顔を出して健斗が尋ねると、桃色が肩をすくめる。ただそれだけなのに、その可愛らしい仕草に健斗の顔がだらしなく緩む。相手が熟女以上とわかっていても、桃色は色っぽい。

「凄く貴重な体験をされていると言っても過言ではないのではないでしょうか。私が常勤になって初めてのレベル5です」

 黄色が興奮した様子で教えてくれるが、良い事なのかと思いきや、絶対に悪い事なのだと健斗は気が付いた。それだけ、強い相手が敵だという事なのだ。

「俺たち、帰れますよね?」

 長瀬がやっと口を開いて桃色と黄色に問う。

「もちろん。安全にご家族の元へ帰します」

 黄色が断言してくれる。なんと心強い言葉なのだろうか。

 救出される側になって初めて、嘘でもそう言わなければならないのだと健斗は学んだ。

「よし、健斗。お前先に救出されろ。俺は年上だし、お前の上司だ」

 長瀬が意を決したように言った。

「長瀬さん、俺は大丈夫ですよ。高い所も平気だし、割と幽霊系も平気なんで。俺としては先輩に先に助かってもらわないと、格好悪いって言うか」

「それマジかよ」

 複雑な心境を顔に出して、長瀬が情けない声で言った。

「激マジですから。と言っても、今救出方法について相談中みたいですけど」

「だな」

 桃色と黄色は迂闊に車に近寄れないらしく、深刻そうな話をしているのが目に入った。

「早く出してくんないかなあ」

 長瀬の不安が大きくなっている。

 健斗はシートベルトを外して、ドアを開けた。

「お前、馬鹿か」

 長瀬が必死になって健斗の背中をつかんでいる。外にいる桃色と黄色も慌てた様子で手を差し出してくる。

「なんでかわかんないんですけど」

 前置きして、健斗は外に足を踏み出した。

「!」

 長瀬の顔が恐怖に歪む。桃色も黄色も言葉を失くした。

「浮いてますよね」

 健斗は空気の上を歩いている。

「なななな、なんだ?」

 長瀬が呆然と健斗を見て、彼はにっこり笑った。

「何でかな?」

 健斗は呟いて、ふと美月に付きまとっていた宇宙人の気配を感じた。

「俺に、用ってこと?」

 辺りを見回して、健斗は実感した。

 見られている。

 車を見ると、長瀬がぶるぶる震えているのが見える。その下には町があって、車ごと落ちては被害が拡大しそうだ。だから桃色も黄色も手出しするのをためらっていたのだろう。

「言いたい事あんのなら、さっさと言ってくんないかな?」

 健斗の低い声に、桃色と黄色が訝し気に彼を見る。普段の真っ直ぐな彼らしからぬ暗い気配が彼を包んで行くのがわかる。

「健斗君、落ち着いて」

 黄色が声をかける。その声が届いていないのか、健斗の表情が変わっていく。古い絵図に描かれているような鬼神や夜叉のような存在に見えてくる。恐いような、魅惑的なような、目の離せないその姿に、戦隊員であっても目を奪われている。

「どう、したのよ?」

 桃色も怯えたように健斗を見ている。

 ややあって、闇に同化している気配が健斗の背後に現れた。

「まずは、そこの人を助けてやってよ」

 健斗が闇に向かって言うと、そいつは実体を取り始める。

 黒い髪に黒い瞳、目は海を写したかのような濃い藍色だ。肌は白くて、どこかの雑誌に載っていそうなさわやか系のイケメンである。

「助ける?その必要があるかな?」

「ある。俺と話をしたければ」

「そうか。ならば、いいだろう」

 男はふっと笑うと、桃色と黄色を見た。

「お前らも車に乗れよ」

 男は言いながら不敵に笑った。それは有無を言わさない命令だ。

「残念ながら、お前の言うことを聞く道理はない」

 彦島の声がした。

 その瞬間、彼らは地上にいて、黒髪の男は消えていた。

「全く」

 桃色が言って、健斗の額をデコピンした。

「会長が怒っていないといいですね」

 黄色が気遣うように言って、二人は消えた。それと入れ替わりで処理班が到着した。よく見ると、ここは健斗の高校の駐車場で、学校関係者はいないようだ。

 処理班が長瀬を車から外に出し、健康チェックをしている。車は処理班のレッカーに引かれて行った。

「長瀬さん、大丈夫ですか」

 健斗が側に寄ろうとして、制止される。その腕の先を見ると、彦島だった。

「なんか家に送ってくれるらしいから、健斗、先行くな」

 長瀬は力なく言って、処理班の乗って来た車に乗り込んで行ってしまった。

「それで?」

 彦島が健斗を見下ろす。

 背は同じくらいのはずなのに、彦島の方が十数センチ高い気がするのは何故だろうか。

「それで、というのは?」

 健斗は恐る恐る彦島を見上げて問い直す。

「石黒の伝言を、君は聞かなかったのかと聞いている」

 淡々と彦島が尋ねる。

「ああ、そう言えば。一般市民として何とかかんとか」

「ふうん?聞く為の耳は持っていたんだな。それで、君は一般市民は勇気を振り絞って、空に浮いている車から外に出るのが普通だと言うつもりなのかね。救助してもらうはずの一般市民は宇宙人相手に交渉するのが当たり前だと私に知らしめたいのか」

 怒っているらしい。

 健斗はあの時の自分がどういうつもりでいたのか、何故そうなったのか自分でもわからないのだから、彦島に納得のいく説明ができるはずがない。

「…すみません」

 謝る事しかできない。彦島が心配していたのがわかるからだ。

「命令違反は厳罰に処す」

 彦島の声は耳に心地良い音を発するのに、言葉の内容は冷たすぎる。

「あの、厳罰って、どんな?」

 健斗は聞きたいような、聞きたくないような気持ちで彦島を見上げて尋ねる。彼はじっと健斗を見た。

 健斗は彦島の眼差しの中に複雑な感情が入り乱れるのを感じた。

「石黒が追って沙汰する」

 それだけ言って、彦島は立ち去った。

 きっと本当は冗談とは思えない意地悪を言ってはぐらかすつもりだったに違いないと、健斗は彼の背中を見ながら思った。しかし、彼の背中は健斗を拒絶する。

 何が彼の気に障ったのだろう。もちろん、命令違反をしたのは悪かったと思うのだが、それだけであんなに怒るものだろうか。

「健斗君。君、死ぬところでしたね」

 いつの間にか音もなく石黒が近づいてきて言った。

「死ぬ?」

「命令違反は死をもって償え、と言われませんでした?」

「え?」

「冗談です」

 石黒が冗談を言うとは思わず、健斗が怯む。

「それくらい、会長の命令は絶対なのですよ。まあ、あなたはバイトで新人だから我々の規則を会長は適用はしないでしょう。たぶん、虹色の戦隊員全員に挨拶に行け、とか、そう言った類の罰を口にしようと思ったのでしょうが、それでも、理性が感情に負けてしまった。それくらい、あなたの存在が会長にとって大きいと言える。罪な子ですね」

 石黒は健斗を見据えて言った。

「昔、会長の命令を無視した仲間が、暴走の末、宇宙人に酷い殺され方をしました。それは異常犯罪者など可愛らしい子どもに見えるやり方でね。以来、命令を聞かない者、命令系統を乱す者には厳罰が下ります。気を付けてください」

 石黒はそう言って、彦島の背を追いかけるように足早に去って行く。

 健斗は厳罰が何かを聞こうとして、やめた。既に石黒は遠くにいたし、今のところ見逃してもらった、というのが正解のようだし、水を差して処罰が重くなっては困る。

 そう自分に言い聞かせて。

 健斗は、そこで自分の考えに蓋をした。まるで自分は悪くないと言い訳しているようだったからだ。

 いつか、彦島の信頼を勝ち得た時に、命令違反ではなかったのだとわかってもらおう。そうしなければならない必要性があったのだと、彼なら理解してくれる。

 健斗は空を見上げた。

 真っ黒な空は星を宿さず、何もかも飲み込んでしまいそうだ。

「おっし、帰って宿題やるか」

 言葉に出して、自分を鼓舞する。

 そうしないと、自分の中の何かが崩れていきそうなのだ。

 あの宇宙人の様に暗黒に同化してしまいそうだ。

 健斗はとぼとぼと帰路についた。

 アパートの部屋に戻ると、灯がついていた。珍しい。母親が帰っている。

 玄関を開けると、おかえり、と言葉がかかる。

「母さん、帰り早くない?」

「そう?」

 母親は風呂上がりのビールを堪能しながらテレビを見ている。

「健ちゃん、ご飯は?」

 テレビから目を離さずに健斗に尋ねて、彼女はちゃぶ台の上にある焼きそばを健斗の方向へ差し出す。

「作ったの?」

「ごめん、違う。貰い物。でも、美味しいから取っといた」

 彼女はテレビの漫才師がオチを言ったところで満足そうに微笑んで、それから立ったままの健斗を見上げる。

「あら、仕事でミスした顔ね」

「え、わかるの」

 健斗は少し緊張して、母親の隣に座った。

「そりゃあね。毎日たくさんの人を見ているからさ」

 看護師である母親は看護だけでなく、後輩の指導をすることも多い。人の心の機微には敏感だ。

「ボスに怒られた。俺もどうしてあんなことになったのかわかんないんだけど」

「してしまったことの原因を探して次に生かしなさい、と言うのは簡単だけど、私は違うアドバイスをするね。ミスをすることが既に決まっていると考えて、その為に失われるものの価値を思い出すといい。そうすれば、どうしたらいいのかわかってくるから」

 禅問答のようだと健斗は思った。これは本当にアドバイスなのだろうか。

「お子ちゃまには難しかったかな」

「かなり」

 健斗は難しい顔で答え、おすそ分けの焼きそばに手を伸ばす。

「こう言った人がいる。『あらかじめ私が問題を起こすことは既に決まっていた。それを慌てふためいて挽回するよりも、受け入れて次に何を成すのか考えて、事態を少しでも良くするように私は動く。』そう言って、その人は未曽有の大事件を起こして、だけど事態をうまく収めた。それって凄くない?私はその人のことが大好きで、応援したいと思っていたから、少しは手伝ったんだけど、その人の行動を起こす力に眩暈がするほど惚れ惚れしたわ」

 どこか遠い目をして母親が言うので、健斗はそれが父親の話かと思った。

「いつか、あなたに会わせてあげたい」

 母親が慈しむように健斗を見た。

「親父の話じゃないんだ」

「あら、全然違う人。そもそも、女の人だから」

 母親は意外そうに言い、健斗に笑いかけた。

「さて、健ちゃんは次にどう動く?」

 そう言われて、健斗の頭に彦島が思い浮かんだ。

 命令違反で怒った彼は健斗の命を心配したのだ。だったら、生き抜いて大丈夫だと示すしかない。それも、彦島の安心する方法で。

「俺は俺のやり方でって言いたいけど、回りに迷惑かけちゃいけないんだな」

「当たり前じゃないの。社会人の常識」

 母親の言葉が胸に突き刺さる。

「俺のやれる範囲でやるしかないけど」

 ため息交じりに呟くと、母親がグラスにサイダーを入れてくれた。

 光に反射して、透明な液体が虹色に見えた。

「虹色ヒーローの一員だし」

 健斗の小さな独り言は母親の耳には聞こえていないようだった。




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