第7話 花の色は

 健斗が勢いよく教室の後ろのドアを閉めると、背後で物凄い音がした。が、特に気にせずに彼は自分の席に座った。

 廊下が騒がしいが、健斗は自分が遅刻せずに登校できたことに満足だったので、寄って来たクラスメイトと他愛もない事を話しながらカバンから出した水筒の緑茶を一口飲んで喉を潤した。

 ピンポンパンポン。

 校内放送の合図が鳴り、校長の咳払いがまず響き渡る。

「えー、皆さん、おはようございます。ただ今の時刻は一時間目が始まろうかという時間ですが、校内で宇宙人の襲撃があり、避難指示レベル1が発令されました。事態が収拾されるまで教室で待機となります。尚、負傷者は奇跡的におらず、生徒の皆さんは安心して指示があるまで自習に取り組んで下さい。以上」

 ピンポンパンポン。

 妙に平和な放送のチャイムが鳴り終わると、生徒たちは自習になった解放感で息抜きに廊下に出ようとするが、鍵がかけられたのかドアは動かない。

 ドアの小さなガラス越しに人が動いているのが見える。防護服で作業を始める地球防衛戦線宇宙人対策委員会の処理班だ。

 健斗はぼんやりそれを見やって、大あくびをした。

 昨夜は遅くまでネットで注文のあったビーズアクセサリーを作っていた。手先が器用なことと、少し年上の幼馴染ケイのお陰でアクセサリー販売ができるくらいの腕になった。一応はケイの名前で販売しているが、男子高校生が製作者だと知られるのは売れ行きが心配になるので遠慮願う。

健斗けんと、今日の弁当なに?」

 後ろの席の木田きだが日に焼けた顔を笑顔で彩りながら尋ねてくる。健斗は半身を後ろに振り返らせて「ない」と答えた。

「え、なんで?いつもうまそうなの、作ってくるじゃん」

「今日は寝坊ねぼうした。お前は?」

 コンビニのおにぎりをむき始めている木田はえっとね、と前置きしてカバンから風呂敷包ふろしきづつみを出す。

「サンドイッチと混ぜご飯のおにぎりと唐揚げと、野菜サラダかなあ?」

 とにかくよく食べる木田の弁当は重箱じゅうばこに入っていて、のん気な割に機敏きびんな動きをする彼の体を支えている栄養源えいようげんだ。

「お前何食食うの?」

 健斗はこの短期間で既に三つのおにぎりを完食した木田に感心しながら問う。

「俺?六食くらい?ねえ、このまま授業ないなら弁当食べてもいいかな」

 木田は重箱の包みを解いて、ふたを開ける。

「あ」

 健斗と木田の声が重なった。それぞれに違う意味での言葉だが、健斗は立ち上がってドアの方に駆け寄り、木田は目が点になっている。

 健斗はドアの向こうに彦島の気配を感じて移動したのだが、ドアは開かない。あきらめて席に戻ると木田が固まっている。

「ん?」

 見ると、健斗の座っていた席に抹茶色のゼリー状のものがべっとり広範囲にくっついている。

「なにこれ」

 健斗が木田を見ると、木田は重箱のふたを持ったまま首を横に振った。

「弁当開けたら出てきた」

 彼の説明は簡潔だが、意味がわからない。

「弁当箱に入ってたってこと?」

「俺は食べられる物しか持ってこない」

 当たり前の事を言って、木田は残念そうに空っぽの重箱を見ている。

「宇宙人の仕業なのか?」

 木田は溜息ためいきまじりに言って、重箱を風呂敷で包み直すとかばんに戻した。

「健斗、俺の弁当、誰に損害賠償そんがいばいしょうしたらいい?」

「さあ。でも、後で購買行くから、なんか買ってきてやるよ」

 健斗は哀愁漂う木田を慰めるように言って、席に張り付いたゼリーをツンツンと触ってみる。

「お前の弁当から出てきたんだろ?これ食ったら?」

「やだよ。っていうか、それえるの?」

「さあ?」

 健斗はどうしようか迷い、またドアまで行った。

 作業している処理班に声をかければドアは開くかもしれない。健斗はドアに向かって、ノックしてみる。すぐに反応があって、白い影が近寄ってくる。

「すみませんけど、開けてもらえます?」

 健斗の言葉に相手はちょっと待て、と言う風に手を挙げた。

 しばらく待つとドアは独りでに空いた。自動ドアみたいだ。いや、反対側から開けてくれたのだ。

「あ、おタケさん」

「おう。お前の学校か」

 白衣姿のおタケさんが、防護服の中に交じって気楽そうに言った。

「丁度良かった。俺の席に変なものがくっついてて」

 健斗はおタケさんを教室に入れて席に案内した。

「ほう、なんだこれ?」

 おタケさんは健斗に答えを期待して尋ねるが、健斗は明快な答えがおタケさんから返ってくるとばかり思っていたので面食らった。

「おタケさんでもわからない?」

「そうだなあ。分析装置に入れたら分かるだろうが、触るの嫌だな」

 冗談なのか本気なのか、おタケさんはにっこり笑って言うと、ポケットから「危険」マークのついた黄色い袋を出して健斗に渡す。

「入れといて」

「えー、俺が?」

「若いんだから何でも嫌がらずにすると、将来何かの役に立つぞ?」

 おタケさんの無茶苦茶な論理に健斗は難色を示したが、バイトの身でおタケさんには逆らえない。

 仕方なしに抹茶色のゼリーに手を伸ばすと、ぷにぷにした感触のゼリーが姿を変える。

「葉っぱ?」

 双葉の可愛い植物だ。おタケさんが興味深そうに見ているが、手は出さない。木田も不思議そうに成り行きを見守っている。

「えっと」

 健斗は気を取り直して、もう一度それに触れる。すると今度はぐんぐん茎が伸び、葉が生い茂る。

「うーん、これって触っていいやつ?」

 健斗がおタケさんに助言を求める。

「そうだなあ。お前が触ると成長するんだな」

 心当たりがありそうな言い方だ。

「おタケさん、割り箸かなんか持ってない?」

 素手で触れるのが怖くなって、健斗は情けない声で尋ねる。

「ないな」

 おタケさんはばっさり言い切って、健斗の次の接触を促す。

「健斗、俺の箸貸したげるよ」

 木田がごそごそとカバンからマイ箸袋を取り出した。

「サンキュ」

 健斗は木田のこげ茶の箸を受け取って、植物らしきものを掴む。今度は何も起こらない。

 用心しながら袋に入れておタケさんに渡す。

「ご苦労さん。ついでにこのまま出勤してくれる?」

「え、今ですか?」

「ああ。お前の手でなければ成長しないのか、他の人間でもいいのか実験したい。それから、さっきの廊下の宇宙人。お前の後ろを付いてきてたみただぞ?気をつけろよ?」

「ほえ?」

 宇宙人なんかいたっけ?

 健斗は実感のないまま、はい、と返事しておタケさんの後ろに続く。

「あ、健斗、俺の食糧」

 木田が呼び止めるのを健斗が笑って頷く。

「ちょっと待ってて」

 健斗はおタケさんに木田の重箱に宇宙人が入っていたことを話すと、おタケさんがニヤリと笑った。

「君、何でも食べられるか?」

「はい、好き嫌いはないです」

 木田の答えに満足して頷いて、おタケさんは木田を手招きした。

「君も付いて来い。弁当の代わりの食事を用意してあげよう」

 おタケさんの言葉に、木田が嬉しそうにして立ち上がる。

 かくして、健斗と木田は宇宙船に移送されたのだった。

 いつもと違って、サロンのような、食堂のような場所に出て、健斗は珍しそうに回りを見回した。木田もワクワクしているらしく健斗の後ろでキョロキョロと落ち着かない。

「適当に座っててくれ」

 おタケさんは言って、部屋を出て行った。

「あ、木田。箸ありがと。洗ってないけど返してもいい?」

 健斗は手に持ったままの箸を木田に返す。彼はズボンの後ろポケットに箸を突っ込んで、隅のほうのソファ席に座った。

「何食べさしてくれるんだろ」

 期待に満ちた木田の様子に健斗は微笑んだ。おタケさんのことだから、きっと得体の知れないものが出てくるに決まっているが、食いしん坊の前には何物も輝かしい食材になるに違いない。

「待たせたかな」

 おタケさんは手ぶらで戻って来たが、後ろに白衣の研究員を連れている。

「健斗はこいつに付いて行って、さっきの植物もどきの実験してきて。俺はこの子とご飯してるから」

「はい。それじゃ、木田、後で」

「おう」

 健斗は研究員に付いて部屋を出た。てっきりおタケさんが実験をするものと考えていたが、木田の相手をしてくれるのなら安心だ。

「成田です」

 ほっそりした研究員が廊下を先導しなだら名乗る。

「田中健斗です」

「知っています。あなた、有名だから」

 成田が振り返る。

「あ、女の人」

 短い髪と平らな体の線のせいで男性かと思っていたが、振り返った成田はちゃんと柔らかい雰囲気がある。

「ふふ、よく男性と間違われます」

「すみません!」

 怒らずに微笑んだ成田にホッとしつつ、健斗は彼女の後ろ姿を注視している。

 どんなに変装していても男と女を間違えたことがあまりない健斗だったが、成田の中性的な雰囲気に一人唸っている。

 どうして間違えたんだろう。

 健斗はこれから思い込みには気を付けよう、と反省する。そんな健斗を気遣いながら、成田は第3実験室に入った。ここは3セクションくらいに透明な間仕切りで仕切られていて、他にも何人かの研究員が作業をしていた。明るいライトが照らす中、ガラスケースに入れられた植物もどきが待っている。

「健斗くん、この穴から手を入れて植物に触ってくれる?」

 成田はカメラのスイッチを入れ、モニターの情報をチェックしながら言った。

「はい」

 健斗はガラスケースに開けられた穴に手を入れてみる。

 何で仕切られているのか、穴の回りは抵抗を感じる物質で膜を作っている感じがする。それを抜けると何の負荷もなく植物に触れられた。

 触ってみると、そいつは黄緑色のつぼみをつけた。内側は白いから、きっと白い花が咲くのだろう。

 ビクッと反応して、健斗は手を引っ込める。

「では私が触ってみますね」

 健斗と入れ替わりに成田が植物に触れるが、何の反応もない。

 成田は注意深く植物の細胞をプレートに取り、電子顕微鏡にセットする。

「細胞壁があって葉緑体がある。普通の植物だね」

 成田は顕微鏡から目を離して健斗に言った。

「それ、俺が触っても大丈夫かな?」

 健斗はガラスに挟まれた細胞を指差す。

「あ、ちょっと待ってて。ビデオ撮るから」

 成田はガラスプレートを顕微鏡から外し、スマホのカメラを起動する。

「では、どうぞ」

 成田の一声で、健斗はガラスに乗せられたものに触れてみる。

 沸々と沸騰したような振動があり、それは最初に見た時のような抹茶色のゼリーに変わり、増殖して健斗の手に溢れ出す。

「おいおい、おい」

 健斗は成田の指示を待ちながら増えすぎたゼリーを両手で筒みこみ、無言の成田を慌てて見たが、結局側にあったステンレスの皿に叩き落とす。

「成田さん、これ何?」

 健斗は机の隣に設置されているシンクに移動して手を洗う。

「まだわからないですね。今のは衝撃的でした」

 成田はパソコンに向き合い、カタカタとキーボードを打ち始める。

「俺、この後どうしたらいいですか」

 健斗はハンカチを持っていないことに気が付いて、控えめに手を空中でぷらぷら振りながら成田の次の指示を待つ。

「もしもし、成田さん?」

 まるで健斗のことを忘れたかのように成田は顕微鏡をのぞき、パソコンで資料を確認し、更に他の生体サンプルと思われるものと今の植物のサンプルを比べ始めた。

 健斗は手持ち無沙汰で渡りを見回し、近くの椅子に腰かける。

 しばらく成田の細い体が静かな動きをしているのを見ていたが、そのうちに眠たくなって、壁にもたれて居眠りを始める。

 その足元に、ゼリーが落ちていることに健斗は気付かない。

 じわりと忍び寄るゼリーは健斗の足を登り、量を増やし始める。健斗の足は見る見る間に抹茶色になった。

 健斗の膝から足元が次第に野原になり、やがて、白い可憐な花を咲かせる頃になって、やっと成田が気が付いた。

 ぎょっとしたように肩を揺らした彼女を鎮めるように、彼女の両肩に手を置いて椅子に押しとどめると、彼は健斗の足元に膝を折った。

「会長、申し訳ありません」

 成田の小声の謝罪に微笑みを返して、彦島は健斗の足元に咲いた花を手折った。

「いい香りがする」

 彦島はそれを握り潰し、射るような目で花々を見る。

「サンプルを残すつもりはないが、いいかね?」

 成田に確認するように言い、彦島は手を健斗の足を覆う植物にかざす。

 花が透明な炎に揺られて不思議な変化を遂げる。

 それは小さな少女だった。

 花々が熱により昇華され、本来の姿を現したのだ。

「思い残すことなく逝くといい」

 彦島の優しい言葉が彼女に届くと同時に、彼女は霧散した。

「会長…」

 成田が呆然と呟く。

 どう声をかけていいのか分からないと言った様子だ。

「君は記録を抹消したまえ。私の権限で、健斗に咲いた花は見えないものとなった。だから、あれこれ詮索せんさくはしないことだ」

「はい、会長」

「申し訳ないが、今の私は会長として来たのではない。今のはブルーとしての使命だ。君たちには世話をかけるが」

 彦島は申し訳なさそうに言い、成田の肩を叩く。

「後始末ばかりさせて悪いな」

「いいえ。会長のためなら何でもないことです」

 成田は彦島に陶酔とうすいしている一人だ。彼に言葉をかけてもらえるなら、何を差し置いても彼の意向に沿うようにする。

「健斗くんのお陰で、あなたに近づけました」

 正直に嬉しさを隠さずに言う成田を優しい笑みで包み、彦島は何も知らずにい眠る健斗に目を移した。

「健斗、油断すきだらけだな」

 彼の言葉が聞こえたかどうか。

 健斗は久しぶりに心地いい眠りの中に落ちていくのだった。

 陽も落ちて暗くなった頃に、ようやく目覚めて、健斗は大きく伸びをした。

「よく寝た」

 彼はいつの間にかベッドに寝かされていたことに首を傾げる。あの線の細い成田が健斗を運べるはずがない。

 周りを見回すと、石黒の部屋に似た作りで、若干散らかっている上にお土産品のような民族工芸品や鉱石など、あらゆる分野の物が書棚に並べられている。

 しまった。

 きっと戦隊の誰かがここへ運んでくれたのだろう。職場で寝落ちするなんて、減給ものじゃないだろうか。焦りと不安が体を蝕んでいきそうだ。

「健斗、起きたか」

 ドアをノックもせずにおタケさんが入ってきた。健斗は立ち上がり、頭を下げる。

「すみません、寝てしまって。ここはおタケさんの部屋ですか」

「ああ。狭くて悪いな。しかし、よく眠ってたな、お前」

 おタケさんはハンバーガーセットのようなものを二食分机に置いて、健斗を丸椅子に座らせる。

「腹減ってない?まずは食おうや」

 笑顔のおタケさんに逆らう理由もなく、健斗は有難くハンバーガーを口いっぱい頬張った。妙に後を引くおいしさだ。肉厚のハンバーグを挟むパンの外側はカリっと香ばしく中は柔らかい。何の野菜かわからないが、肉とパンの間にはいろどりの良い野菜も挟まれている。ファーストフードのハンバーガーしか食べたことのない健斗にとって、これは想像もしない高級食材に思えた。

「おタケさん、これ手作りなんですか」

 ハンバーガーも付け合わせのポテトやサラダ、オレンジジュースに至るまで満足に完食して尋ねた健斗の問いに、おタケさんがにやあ、と笑った。その笑顔の種類にはさすがの健斗も寒気を覚えずにはいられない。

「木田君だっけ?健斗のお友達」

「はい。木田が何か…?」

 健斗は不安を顔に出しておタケさんを見る。

「彼もこのハンバーガー気に入ってくれたんだ」

「ああ、確かに、これ、おいしいです」

「そうだろう?」

 おタケさんは自信満々に言い、健斗に顔を寄せて真剣な目になる。

「お前、倒した宇宙人がどうなっているか知っているか?」

「え?」

「基地に軟禁されているとか思ってないよな?」

 おタケさんの表情に影が混じる。

「あの、俺、そこまで考えたことないんですけど」

 移送された宇宙人についての情報を、どこかで聞いたことがある気もするが記憶にない。

「宇宙人はな、こうやって俺たちの口に入るんだよ。パンも野菜も肉も、みんな宇宙人の生体組織からできている」

 おタケさんの言葉に健斗の喉がゴクリと鳴る。

「うまいし、問題ないんじゃ?」

「まあな。脂質は少ないくせに栄養価が高いし、最高の食材だな」

 おタケさんはにっこり微笑んだ。

「見た目が人間に似ている奴を調理するのは気が進まないが、こんなにうまいもんを野放しにしておくなんて勿体ないだろ?せっせと捕まえて来てくれよな。健斗」

 おタケさんの言い方に健斗は手を握りしめ、その汗ばんだ手の平の感触に、我知らず、全身汗をかいていることに彼は気が付いた。いつの間にか信用に足る人だと思っていたおタケさんの人柄に疑問が生じたことに、健斗はうろたえている。もちろん、食べられるものにケチをつけることはしない。御大層な理念もない。更に言うと健斗はそこまで倫理観を大事にするような家庭に育っていない。人に迷惑をかけない限り利用できるものはとことん利用してしまいなさい、という教えに従って生きている。だから、宇宙人の利用策が食材なら、それはそれで仕方のないことなのだと思う。思うものの、相手に知性があり、見た目も人間と変わらないとなると、これは単に利用できるからする、という話から遠ざかる気がしないでもない。

 健斗はおタケさんを真っ直ぐに見つめる。彼は健斗の言葉を待っているようだ。

「俺は、食べられるのなら宇宙人でも食べますけど、緊急の、必要もないのに宇宙人を狩って食材にすることはできません」

「ふむ。命令ならするか?」

「命令ならします。戦隊は地球を守る為にあるから」

 健斗は言い切った。

 おタケさんが満足そうに頷いた。

「よし、それでこそ紅色だ」

 おタケさんの信頼が健斗には痛い。

「あの、ハンバーガーっておタケさんが宇宙人を解体して作ってくれたんですか」

「いんや。というかイエス?作ったのは確かに俺だ。そして宇宙人という部分は冗談だ。あ、違うな。食材になる奴もいるが、それを喰えるのは限られた者だけだ。許可を得るには会長にその資格があるかどうかを判断してもらう。お前の場合は、まだ許可は下りないだろうな」

 悪気も何もなく、おタケさんは言いいながら棚からブランデーを出してコップに注いだ。

「健斗は俺を信用してるんだな。嬉しいけど、あんまり人を信用しすぎると痛い目みるぞ?特に俺は研究者だからな。お前の意向を無視して酷いことをやらせるかもしれない。そんな時、お前は断るすべを持たないといけない」

 おタケさんはグラスを健斗に掲げて中身を一気飲みした。

「俺、本当言うと、さっきのおタケさんが怖かったです。いつものおタケさんじゃないって思って。でも、俺がおタケさんの何を知っているかって考えると、何にも知らない。ただ、この人は俺を裏切らないって、そんな直感しかなかったから」

 健斗は自分の思いを言葉にするのが難しい、というように朴訥と話す。

「たぶん、これからも俺はおタケさんを信用するし、信用するのは俺の勝手で、おタケさんには責任ないって言うか。俺の願望押し付けて勝手に失望するのは俺も嫌だし、おタケさんはおタケさんの考えがあるから、俺はそれを理解するために努力する。そうしたら、きっとうまくいくんじゃないですか」

 精一杯の気持ちを言葉にできて、健斗はあからさまにホッとした顔で年上の顔を見つめる。おタケさんは健斗にとっては同僚と言うよりも友人に近い親近感を持って接していたから、彼は友人を失くさずにすんだと思って安心したのだ。

「お前って、ほんと、どうしようもない良い奴」

 おタケさんは健斗の頭をぐりぐりと力強く撫でて、照れ隠しにした。

「お前の信頼にこたえられる大人でいたいもんだな」

 おタケさんはしみじみ言って、もう一度健斗の頭を撫でまわした。







 


 


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