第5話 ある日の情景

「ちょっと、右に回ってみて」

 桃色ももいろに言われて、健斗けんとは全速力で疾走しっそうしながら右方向に進路を変える。

 右、とは言っても、荒廃こうはいした町の中にいきなり放り込まれて、右も左もよくわからない健斗だ。

 二人は地球防衛戦線宇宙人対策委員会の実戦部隊、略して戦隊の隊員だ。今は目前の敵を追っている、もとい、敵に追われているところである。

 少し時をさかのぼる。

 いつものようにスマホのベルが鳴ったのだが、学校にいた健斗は昼食のパンを購買部こうばいぶに買いに行っていて、もちろん、いつもならスマホを持ち歩くのだが、その時には忘れていて、教室に戻って気付いた時にはコールは三回以上鳴っていたわけで、健斗がスマホを手に取った瞬間移送された先には馬くらいの犬型の宇宙人が目前に迫り、慌てて走り出した瞬間には追いかけっこが成立していた、という訳である。走っているうちに、何でなのか宇宙人の後ろに健斗が回ってしまい、かと思えば宇宙人は後ろにいるという常識越え理屈抜きの追いかけっこになってしまっている。

 桃色は健斗を傍観ぼうかんしながら原付バイクでのんびり付いてきている。

「桃色、今日は黄色は休みですか」

 健斗が走りながら問いかけると、桃色は「ええ」と肯定した。

「随分前から休み申請しんせいしてたから、許してあげてね」

 桃色の優しい言葉遣いが彼女の優しい心根と共に健斗に伝わる。

「ヒーローにも休日は必要です」

 もっともらしく言う健斗に桃色が微笑んだ。もちろん、ヘルメットで表情は見えないが。

「ねえ、紅色あかいろ。どうやって捕まえる?」

 桃色の問いに健斗は走りながら首をひねる。

「これって何の目的で走ってるんすか?」

「さあ?捕まえるように言われただけだから」

 お互いに意図があるわけではなかったので、健斗は走りながらも状況を把握しようとあちこちに目を走らせる。

「どこかに誘い込むにしても、ちょっと崩れそうな建物ばかりですね」

 ヘルメットで地図を確認しても、いい場所がない。

「おタケさん、あいつの属性は?」

 ヘルメットの無線に問いかけると、むむうと言う返事が返ってくる。

「あれは俺の犬なんだが」

 その言葉に健斗だけではなく、桃色も驚きの声を発する。

「いや、もともとだぞ?散歩中にいきなり影みたいなやつに食われてしまって、それからああなったんだ。恐らく、電気系かなあって思っているんだが、うちの優秀なコンピューターにもわからんらしい」

 化学分析班の情報分析でもわからない、という答えだ。

「どうしましょうねえ」

 走りながら健斗は元犬をみやる。

「じゃ、待て、で反応するかやってみますか」

「おい、健斗、あれは犬じゃないぞ」

 おタケさんが止めに入る前に、健斗は疾走をやめた。

 馬並みの犬が迫ってくる。

 健斗は右手を挙げて、手の平を見せる。

「待て」

 よく通る声で言うと、犬は止まって、はあはあ、と舌を出しながら指示を待っている。

「おタケさん、止まりましたよ?」

「ああ、うん、そうみたいだな」

 犬は首をかしげて待っている。そして次の瞬間消えた。おタケさんの待つ宇宙船に移送されたのだ。

「終わった?」

 健斗はあっけない終わり方に疑問詞で確認を取る。

「ああ。任務完了。ご苦労」

 彦島ひこしまりんとした声が耳元でした。簡潔明瞭な、声。

 健斗はふう、と息を吐いて、桃色とハイタッチした。腕時計のスイッチを押して制服に戻ると、次の瞬間には学校の化学の授業中の教室に戻されていた。

 教室では健斗の突然の帰還きかんにも誰一人驚くことなく、いつもの時間が流れている。

 健斗は食べ損ねた昼食のパンをカバンにしまって、ぐうぐう鳴るお腹を恥ずかしそうにさすりながらノートを開いて板書を写す。

 気になるのは、今日の出動の時給は危険手当がいくらかだ。あれでは危険も何もなかったから、大した額じゃない。今月の貯金額はもう貯まっているから、余剰分で欲しいものが買える、かもしれない。高給取りになるまで買い物は我慢するべきだよな、と思い直して健斗は、ん?と窓の外を見た。

 空に浮かぶのは地球防衛戦線の宇宙船。そこに彦島がいる。

 健斗は彼がどんな顔してこの学校を見ているのか気になった。

 特に何もなかったように、宇宙船は消えた。

 たまに監視の様に宇宙船が来ることがあるが、意味はないらしい。隊員のいる地域には出没しゅつぼつするらしいと黄色に聞いたことがある。その程度だ。

 平和だよなあ。

 健斗はしみじみと思ったのだった。



 

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