第3話 愛しのきみ

 健斗はモーゼのように海を二つに引き裂いて着地に成功した。右ひざを地面に着いて、左ひざは立ててある。回りの水は蒸発しているのか、キラキラと虹のようなものが飛び散っている。

「ほう、着地成功したか。言いたくはないが、様になっているぞ」

 彦島が耳元で言った。

 さっきから耳元で聞こえる声が不思議だったが恐らくこれが無線なのだな、と健斗は理解した。それから辺りを素早く確認する。

「敵ってどこなんですか」

「一キロ先だ。走って行け」

「…了解しました」

 と良い返事を返すが方角がわからない。海の水も元に戻ろうとしている。焦るが健斗にいい案は思い浮かばない。とりあえず、走ればいいんだよな、と彼は日頃新聞配達できたえた足をフル回転する。すると面白いくらいに水が除けてくれる。

「良いかんをしているな」

 おタケさんが楽しそうに言うのが聞こえた。

「そこから少し右にずれてみろ。そうだ。その方角に走って行けば仲間が戦っている場所に出るはずだ」

「はい」

 健斗は速度を速めて、陸に上がることができた。

 おタケさんの言っている場所はすぐにわかった。

 桃色と黄色のユニフォームを着た仲間が巨大クラゲのようなものと対峙たいじしているのが見えたのだ。

「初めまして。新入りの田中です」

 健斗はきっちりお辞儀おじぎして桃色ももいろ黄色きいろの間に立った。

「遅かったわね、新人君。道に迷った?」

 桃色のユニフォームの女性が色っぽい声で言った。

「えっと、コール三回で呼び出しに出なかったので…」

 よくわからないまま説明すると彼女は納得したようにうなずいた。

可哀想かわいそうに。新人なのにひどあつかいよねえ。海に落とされたのね。まったく意地の悪い大将たいしょうだこと」

 大将こと彦島ひこしまがニヤニヤしている様子が頭に浮かんで健斗は苦笑にがわらいした。そうか、これは意地悪いじわるなのか、と。

「それは置いといて、初めまして。黄色をつとめています山本マイケル道夫みちおです。今年から社員になりまして、常勤じょうきんで働いています」

 名刺でも差し出しそうな丁寧さで彼は頭を下げる。

「マイケルさん、とお呼びした方が?」

「あ、プライべートではみっちゃんでお願いします。今は仕事中なので黄色とお呼びください。あと、今日はどのような戦い方をするのか見ていて下されば、今後の参考になるのではないかと思われます。危険が迫りましたら、遠慮なく逃げて下さいね。命は替えがききませんので」

 そう言って黄色は健斗の前に立った。

「紳士ですね!黄色は」

「いやいや、滅相めっそうもございません」

 黄色は両腕を揚げ、片足をひざ丈まで上げ、独特の戦いのポーズを取っている。

「じゃ、私も見学組でいいかしら?今日は腰が痛いのよ。昨日激しすぎたのね」

「…」

 激しい、とは何ぞや。

 健斗と黄色がいらぬ妄想もうそうをかきたてているとクラゲ怪獣かいじゅう触手しょくしゅを伸ばして健斗に襲い掛かって来た。

「あ」

 健斗がいきなりかがんで地面に光るモノを手に取った。触手は健斗の向こうに突き刺さり、地面が裂ける。

「五百円拾いました。これは取得物扱いですか。それともポケットに入れても誰も文句言わない?」

 健斗がユニフォームのポケットを探している間に黄色がクラゲに攻撃を加えている。

「ブルーさん、後始末あとしまつすみません」

 黄色が無線で呼びかけると、今にもくずれそうな巨大クラゲは唐突とうとつに消えてしまった。

「すげえ」

 健斗が感嘆の声を上げる。

「さ、帰りましょうか」

 黄色が桃色と健斗をうながす。

「えっと、どうやって退げるんですか」

 健斗の質問に黄色が右の人差し指を空に向ける。

 合わせるように健斗が空を見上げると、空をおおう宇宙船がそこにあった。

「勝手に上に引き上げてくれます」

 黄色の答え通り、見上げた瞬間の恰好のままで健斗は先ほどの会議室の中に戻っていた。

「お疲れ様。健斗、タイムカードは石黒いしぐろが毎回押してくれるから、君は石黒の許可を取ってから退勤たいきんするように」

 彦島が先ほどの高い位置の席から足を組んで見下ろしながら言う。

「はい、わかりました。ところで着替えはどこでしたらいいんですか。更衣室とか用意されているんでしょうか」

 健斗が質問するとおタケさんがポンと手をたたいて彼の肩を捕まえる。

「オリエンテーリングしようか。色々便利グッズも説明したいし。桃色、先に昨日と同じように医務室に行っといてくれ」

 おタケさんが健斗の向こうの桃色に言うと、彼女はマスクをはずした。

 桃色の相手はおタケさん!と健斗が驚きを隠せないでいると彼女は自由になった髪をゆさゆさ振った。

「あんまり激しくしないでよね」

 桃色はきらめく金髪に白い肌、そして空を映したかのような水色の瞳を悪戯っ子の様に輝かせる。

 か、かわいい。

 健斗は思わず息を呑む。息を呑むが、おタケさんと彼女を見比べる。

 歳の差がありすぎるぞ。

「何文句言ってんだ。マッサージしねえと、そのポンコツの腰で立ってられねえだろうが」

 思わず悪態あくたいをつくような言い方になったおタケさんの視線の先で、桃色はお茶目に肩をすくめて見せる。熟女以上、と言っても過言ではない桃色だが、可愛いのに嘘偽りはない。例え目尻のシワが多くとも。

「年寄りはいたわってくれないと困るわ」

 桃色は大ぶりの銀の腕時計のボタンを押してユニフォームから着物姿の老女に変わった。薄紫の小紋にうぐいす色の帯を締めて、金髪なのに小粋な雰囲気だ。

「それじゃ、医務室にいますからね」

「おい、桃色。着物脱いでおいてくれ」

 おタケさんの指示に、桃色のつやっぽい目がこたえる。

「いやいや、深い意味はないから!」

 おタケさんは健斗と黄色の視線に気が付いて言い訳するように言った。

「マッサージ、してくれるのよねえ」

 桃色はそう言いながら、部屋を出て行った。

「それじゃ、私は筋トレルームに行ってきます」

 黄色のみっちゃんも言ってから腕時計のボタンを押してユニフォームからジャージ姿になった。健斗が想像していたよりもたくましい。どう見ても体育会系出身者のようだ。柔らかい雰囲気は声の通りだが、健斗の想像する背広の似合うサラリーマンという感じではなかった。おまけにアイドルのような綺麗な顔立ちをしている。

「健斗君、また後で」

 爽やかな笑顔を残して、みっちゃんも行ってしまった。

「あの、おタケさん。皆さん腕時計でユニフォーム着脱してますけど、俺は?」

「まだ設定してないんだ。こっちの研究室に来てくれるか?全部の機器の細かい設定をして調整するから」

「はい」

 おタケさんに引きずられるようにして健斗は部屋を出た。

 その後姿を見送りながら、彦島が渋い顔をしているのに健斗は気が付かない。

「良いスタッフが入りましたね」

 石黒の言葉に彦島はますます渋い顔になる。

「潜在能力が高いことはわかっていたが、あそこまでとはな」

 愛しいきみの忘れ形見だ。

 彦島は胸に思い浮かぶ女性に、心の中でそう声をかけた。

「強運の持ち主であることに加え、身体能力も高い。あかいユニフォームに相応ふさわしいです」

 石黒の思いやるような言い方に、彦島はふん、と鼻を鳴らした。






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