第2話 コールは三回目までで
春の陽気でウトウトしながら、田中健斗は五限目の数学を夢の世界で受けていた。
昨日は酒屋の配達の仕事で残業してクタクタになった。未成年だから夜遅くまでは働けないが、融通を利かせてくれる有難い社長の好意で、中学の頃から何かと世話になり働かせてもらっている。
あれから、というのは宇宙人に知らず遭遇してからの事なのだが、地球防衛戦線宇宙人対策委員会からの連絡はない。そもそも、雇い主の連絡先が貰った書類のどこにも書いてなかったばかりか、担当管轄の呼び名や担当者の名前も書かれていない。これでは実在する団体なのかどうかも怪しいと経験上知っている。政府機関なのはポスターがあちこちに張ってあるから確かなようだが、どういう活動をしているか誰も知らないのだ。ただ唯一確かなことは、ここ数年人類滅亡を企んでいるとか言って世間を騒がせている宇宙人がいて、そいつらと戦って地球人の脅威を取り去ってくれるヒーロー達がいるということ。それが世間一般の彼らへの認識だ。
教室の開け放たれた窓から柔らかい風が流れてくる。
健斗はとうとう頭を机にくっつけて堂々と居眠りを始める。今日は学校が終わったらまた酒屋でバイトだ。それが終わったら家でアクセサリーのハンドメイド作品を作ってネットで売る仕事も残っている。体を休めるなら今しかない。
ピロロロ、ピロロロ、ピロロロ。
小さな電子音が鳴って、三回目で切れた。
誰だよ、俺の眠りを邪魔するのは。
健斗はイラっとして頭を上げた。
「へ?」
全生徒の視線が健斗に集中しているではないか。
「何?」
健斗は言いながら、数学教師の斎藤が健斗のカバンを指しているのに気付いて自分のカバンを見た。
机の横に引っ掛けてあるカバンから、覚えのないスマホが覗いている。しかも、画面にはパトカーのサイレンが赤い光を放っている映像が、いかにも緊急事態を知らせるように堂々と流れている。
「これ俺の?」
健斗はスマホを取り出して、画面に触れた。
その瞬間。
彼は教室を出た覚えがないのに、見知らぬ会議室にいた。会議室と言うには語弊があるかもしれない。大型スクリーンにグラフや地図、ニュース映像などが映し出され、アニメの艦隊もので見たような宇宙船のコントロールルームのような様相を見せているそこを会議室と呼んでいいのなら、そこは確かに会議室だ。
「遅い、健斗。コールは三回までで出なさい。これだから若いもんはって馬鹿にされるぞ?」
見ると、一番偉い人の席だと思われる場所に彦島が座ってこちらを見ている。その場所が少し位置が高いせいで、健斗は彦島に見下ろされている形になっているが、嫌な気分はしない。彼の上等のスーツや物腰には威厳があって、人に命令をすることに慣れている人種なんだな、と健斗にいらぬ感慨を抱かせるからだ。
「早速だが、仕事だ。学校の方には特例措置で連絡を入れてある。まず初めに契約の話を補足しておかねばならないのだが、君は未経験だし、この先三か月は研修期間という事で給料は時給八百円だ。異議はあるかね?」
彦島の言葉に健斗が首を横に振る。すると、いつの間にそこにいたのか、石黒が彦島に耳打ちするのが見えた。
「すまないな、私としたことが。最低時給が上がっていたらしい。ここは奮発して時給九百円にしてやろう。どうだ、喜ばしいだろう」
「ありがとうございます」
酒屋のバイトはもっと時給が良いが、それは黙っておくことにして、健斗は素直に礼を言った。満足そうに彦島が頷いて、それから立ち上がってこちらに降りて来た。
「これ、君のユニフォーム。うむ、言いたいことはわかる。だが、似合うぞ」
健斗の手に押し付けられたユニフォームとやらは鮮やかな紅色だ。赤というイメージではなく、和の色の紅だ。
「これは?」
「見習い期間中は紅色で通してもらう。元々和の色で統一するはずだったんだが、石黒に言われてな、やめたんだ。和のネーミングでは呼び辛いそうだ。戦闘中に群青、危ない!とか言うと緊張感がないらしい。ここは現場の意見を取り入れてランクアップすれば幼児の呼びやすいレッドとかブルーとかにすることになったのだ」
残念そうに言う彦島に健斗は申し訳なさそうな顔になる。
「俺、色の事はよくわかりませんけど、赤でしょ、これ」
「そうだ。ヒーローと言えば、君は何色を思い浮かべる?」
「赤です」
「そう、紅だ」
健斗の答えに彦島は満足げに頷いた。
「では、仕事だ。宜しく頼む」
「?」
彦島は言って、元の席に戻って行った。
それを見送る間もなく、健斗は白衣を着た集団に制服を脱がされ、赤いユニフォームを着せられる。薄くて伸びのある軽い生地だが、ぴったりフィット感には恥ずかしいものがある。おまけに、すっぽり被せられたヘルメットは装着した途端頭にくっつき、マスク状に変化した。慣れない視界に3Dの中に放り込まれた気分になる。
「私は君たちのアシストをする化学分析班の班長武田だ。みんなおタケさんと呼ぶ。このスーツは防火防水防塵に優れ、空気を内蔵しているから宇宙空間でも多少は戦える。聞いて驚くな、このヘルメットは飛行機に突っ込まれても頭を守る堅固なデザインで、今目に見えているのはコンピュータが解析している画面だ。君の脳波を受け取って、見たいものを見せてくれるぞ。ほら今、温感センサーが反応しているだろう」
おタケさんの言った通り、健斗の目の前にはエアコンの宣伝に出てきそうな温度別に色分けされた映像が広がる。その脇には妙なグラフが現れた。
「それは人の波長を解析して個別に判断できるグラフだ。今見えているグラフはブルーの波長だ。ついこないだまで青色って呼んでいたのになあ。カタカナに昇進だ」
まるで健斗の質問がわかっているかのようにおタケさんが説明してくれる。
「ブルーはどこにいるんですか」
「隠れている」
「は?」
「特殊な力を持っているから、あいつは最終秘密兵器みたいなもんなんだな。気にするな。さて、我々は今沖縄上空にいるわけだが」
「はい?」
いつの間にそんな場所へ移動したというのだろう。健斗は足元を見て愕然とした。宙に浮いているではないか。眼下には透けるように青い海が広がっている。
「これはカプセルの中にいるから見える光景だ。実際はもっと輝度の高い青色をしている」
健斗の驚きが別の意味に伝わったらしい。おタケさんは海の色を説明してくれたが、取りあえず、ここがカプセルというものの中なのだと健斗は理解した。
「ここから敵のいる場所へ放出されるから、着地を見事に決めるように」
「着地?」
「ああ。失敗したら…」
おタケさんの目に凄みが増す。健斗は思わず唾を飲んだ。
「失敗したら?」
「格好悪い事この上ない」
真剣に言って、おタケさんは健斗の肩を叩いた。
「ヒーローは格好良くてなんぼだろ?」
「はい、確かに」
健斗の同意を得て、おタケさんはニッと笑った。
「じゃあな。がんばれ若者」
サポートは任せろ、とおタケさんの声が遠くに聞こえた。
「え?」
宙に放り出されたようだ。
降下していく体は物凄い摩擦を受けているはずなのに、軽い。これもスーツのお陰か。ユニフォームと聞いていたから別のものを想像していたがこれなら良い。
しかし。
健斗は周りを見回した。
なんて綺麗な海なのだろう。
見とれている場合ではなかった。うっかり着地に失敗したら彦島辺りに給料を減らされるかもしれない。そんな気がする。
そこで彼は気が付いた。
着地する地面はあるのか?
「言い忘れていた。緊急呼び出しコール三回で出ない者には罰ゲームだ」
彦島の音声が耳元で告げる。
着地に不向きな場所を与えられるのだと健斗が悟ったのは随分後のことだった。
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