第一章 絳焰の試練 その2

「ん……元宵団子、美味しい」

 こめを油と水で練った白い。茹でたてはぷるぷるでもちもちだ。くだけたかんそう果実の混ざる甘くしたざわりのいいあんがみっちりとめられ、一口かじるとあふれてくる。あわててこぼれかけた餡をすくうようにして口をつけてほおった。

 今日は朝から後宮のだれもが浮かれている。元宵団子も作られて、お願いするといくらでも追加を持ってきてもらえる。お腹にまりそうなので、いくつか包んで先の旅路に持っていこう。

「……はー、たくさん食べた。そろそろ行こうっと」

 指をめてから立ち上がった。ゆるゆるとしずんでいく。

 暗くなり始めると、よくわかる。翠星宮のこうろうから城市ののきさきに連ねられたちようちんかざりをのぞむことができた。ぽつぽつと火がともされ出している。

 また、本格的に陽が壁の後ろに落ちていくのを見計らうように音楽がかなでられる。

 わたしは待った。お祭り気分がみんなの頭の芯までわたるのを。

 全てが夜やみに覆われて数刻、わたしはようやく動き出し翠星宮を出た。

 とうじゆている場合ではないのだけれど、少しだけけいうんもんの外に見えた。

 金細工で造られた木には、無数の燈籠や枝葉の代わりに玉をくわえた銀のほうおうが飾られていた。

 お祭り騒ぎをり切り廟へ急いだ。おそらく廟は無人だった。真っ暗だ。

 燈籠をくらやみかかげて目当ての荷を捜す。神仙像までやってくると、後ろに置いておいた包みを引っ張りだし、みようごたえに首をかしげながら中をかくにんし──きようがくした。

「え? なんで!」

 逆さにひっくり返した包みから出てくるのは、首をもがれた枇杷の白い花だけ。

「──どうして荷物が消えてなくなっているのか、気になるの?」

「朔耀様!? なんでここに……?」

 気づくと朔耀様が廟の入り口に立っている。

 朔耀様は、手に持つ燈籠だけが理由ではないかげに顔を暗くしながら言う。

「くだらない用事だよ。翡翠が昨日ここへ来た時、荷物を忘れていったようだったから、ぼくが拾って持っていってあげようと思ったんだ。供え物かもしれないとも思ったけれど、大事そうにいていたものが出てきた時にはなかったから、もしかしたらと思って」

 朔耀様のざとさにはうすうす気づいてはいたけれど、の当たりにすると舌を巻く。

「こんなもの、何に使うの? ──まるで、町人に変装するための道具みたい」

「……そう、町人にまぎれて、元宵節を楽しむために用意しました」

「翡翠のうそき! ぼくに噓を吐かないで! ぼくには噓吐きがわかるんだから!」

「朔耀様、わたしは──」

「行かないで、翡翠」

 朔耀様はを言わせない口調でこんがんした。

 これまでに見てきた可愛らしい朔耀様と同じ方なのかとおどろくほどにするどい目をしている。

「朔耀様、お願いします、逃がしてください。……わたしは本当は、公主なんかじゃありません。つい最近までかた田舎いなかの山奥で暮らしていただけの、ただのしよみんなんです!」

 朔耀様はしようのいい子だからきっとわたしをあわれんでくれるだろう。

 きらわれるのをかくで庶民でしかないという正体も口にした。

 優しい彼にじやけんにされるのはこたえるけれど仕方がない。

 朔耀様はよくもだましたな、さっさと出ていけとおこりはしても、引き留めはしないだろう。

 ──つらつらと考えたわたしのもくは外れた。

「そう、だから翡翠は兄弟の顔を見たことがないんだね。噓みたいな話なのに翡翠は噓を吐いていないから、少し驚いたんだ」

 朔耀様はわたしの話を聞いているのかいないのか、たんたんと言った。

「人を呼ぶ。追っ手も放つよ。どうせ逃げられないから、あきらめて」

「朔耀様! やめてください!」

「あなたはぼくのものだよ、翡翠」

 静かなこわだというのに、ふつふつとえたぎる湯のような熱さを感じた。

 団子を包んだしきにぎる手に冷やあせが伝う。ここでとうぼうに失敗したら、確実に警備が厳重になる。今きようこうとつするしかない。けれど朔耀様に乱暴はしたくない。

 まるで幼いころの母様に甘えるわたしみたいに、彼はわたしを信じている。

「ぼくとふうになるんだ。絶対に大切にする。絶対に幸せにする。ぼくはがんるよ。どんなことでもするよ。あなたのほかきさきは持たない。しようも持たない。仕事より、何よりあなたを大事にすると約束する、だから──っ!」

 その時、ぱたりと音がした。朔耀様の背後からだ。外にいた誰かがびようとびらを閉めた。

「なんだろう? いや、今はそんなのどうでもいい。それより翡翠──」

「いいえ、どうでもよくないです朔耀様! ……油のにおいがします!」

「油? 団子をげているのかな……あっ、だよ翡翠、行かないで!」

 きょとんとした顔をする朔耀様のすきいて扉に手をかけたけれど、開かない。

「扉が動かない……! じようされた!」

「え? どうして──」

「朔耀様、こちらへ!」

 問答しているひまはない気がする。いやな予感に背筋がふるえた。走って裏口を探す。

 裏口は、ちょうどちようつがいが音を立ててきしんでいるところだった。

 そしてわたしの前でぴたりと扉がざされる。それどころか、くぎを打つ音さえ聞こえてきた。

「板を打ち付けてる! そこまでする!? どうして!」

「翡翠……? 何が起きてるの?」

 先ほどまでわたしをおどしていたのとは打って変わって、朔耀様は不安げな表情をかべた。

 わたしたちは木造の廟に閉じ込められた。外からは、大量の油の、胸の悪くなるような臭いがただよっている。どうして伝えられるだろう? これはわたしをねらったものではない気がする。

「なんでもありませんが早くここから出た方が──」

うそだ!」

「ええ噓ですよ! なんでもなくはありません! ですがここにいるのがよくない、というのは本当ですよ? 早急にここを出ましょう」

「……翡翠、さっき、油の臭いがすると言ったね?」

 自分のかつな発言をのろいながら、鋭いどうさつ力を持つ朔耀様の小さな手を無言でつかんだ。

「誰かが何かを燃やそうとしていて……ぼくたちは、ここから出られないんだね」

「すぐに出られます」

「うん、そうだね。ああ……火がつけられたみたい」

 朔耀様は恐らくわたしの噓に気づきながらも淡々と言った。

 子どもだというのにあまりにもどうようしないので、気味の悪さすら感じてその顔を見下ろした。

【画像】

 朔耀様の金色のひとみにはなみだが浮かんでいた。くちびるを、真っ赤になるほどみしめている。

 ……混乱しそうなのを、すさまじい精神力でおさえ込んでいるだけなのだ、この少年は。

「巻き込んでごめんね、翡翠」

「いえ、朔耀様が悪いわけでは──」

「ぼくを置いていこうとするから、ばちが当たったんだ」

 わたしを涙目でにらんで朔耀様は毒をいた。

 きようれつな毒気にくらりとしたけれど、腹は立たなかった。ただ朔耀様をすごいと思った。

 こんなじようきようで泣きさけばないなんて、すごい。その上に毒まで吐けるなんて、とんでもない。

 子どものわたしは、ただ震えながら声を殺して泣くことしかできなかった。

 思わず抱きしめると、朔耀様は可愛かわいらしい悲鳴をあげた。

「な、なんなの翡翠!? こんな時に!」

「こんな状況でそのにくまれ口がたたけるなんて、朔耀様はすごいね。大したものだよ」

「……翡翠? いつもとことづかいがちがう」

「わたしは育ちが悪いから、これが本当なの。あなたみたいな子は大好き」

「っ、さっきから、どうしてこんな時にそんなことを言うの!?」

「だってそう思っちゃったんだよ」

 ──どうやら、入り口と裏口、どちらからも火がつけられたらしい。

 表からも裏からも火が木をめるようにてんじよういながらおそってくる。

「ねえっ、翡翠! あそこはどう? あの上にある明かり取りの窓!」

「明かり取りの窓か。……そうだね。あれなら出られそう」

 朔耀様が指差したのは、しんせんびようまつられた部屋のかべまる、小さな円い窓だった。

 確かにあそこから出られそうだ──小さくて線の細い朔耀様なら。

 まず神仙像を無理やりかたで押して、壁にたおした。しようげきで壁がこわれてくれればよかったのだけれど、そう都合よくはいかない。階段状になった像をみつけるのを躊躇ためらう朔耀様をうでかかえて上っていく。わたしがかたぐるまで背をかさ増しすると、ちょうど朔耀様はまどわくに手をかけられた。

「翡翠! 通れそう!」

 下から足を押しあげてやると、どうにか朔耀様は廟の外にだつしゆつできた。

「次は翡翠の番!」

「わたしじゃこの窓は通れない。肩も通らないしね。わたしは別の出口を探すよ」

「翡翠!? 他の出口なんてないよ! どこも全部火がつけられてる!」

「探せばあるよ、だいじよう。わたしはけ道を探すのが得意だから……さっさと行って、朔耀様」

「翡翠を置いてげられない!」

「わたし一人ならどうにでもなるから、お願いだから行って。そうしてくれないと、朔耀様が心配でわたしはここから動けないよ」

 しばらく無言で見つめあった。

 わたしが燃える火の中で本当に動かないのを見て、かしこい朔耀様は顔をゆがめた。

 その美しい月のような瞳からぽろぽろとしんじゆの涙がこぼれ落ちる。

 許せない、と思った。朔耀様に、こんなにも可愛い子にこんな顔をさせる彼のままははを。

 わたしは陳皇后を、決して許すことはできないだろう。

「……翡翠。ここから出たら、しよくてんり行おうね。だれじやをされても絶対に。今度は誰にも延期なんてさせないから。ぼくといつしよになると約束して!」

「そうだね、約束だよ、朔耀様。忘れないでね」

「ぼくは翡翠とは違って噓は吐かない!」

 激しい口調で言うと、朔耀様は姿を消した。続いてかわらの上を転がるような音が聞こえた。

 これでやさしい朔耀様がわたしを助けるために窓からもどってくることはないだろう。

「けほっ、げほっ」

 けむりせて姿勢を低くしつつ、辺りをわたした。

 火は目に痛いくらい明るいのに、煙がもうもうと立ちこめるせいで視界が悪い。

「でも、風の流れが、ある?」

 倒した神仙像のあしもとに這いつくばってみると、下からすずしい風を感じた。

 まさかと思ってほこりはらうと、戸板が外れるようになっていて、下に続く入り口があった。

「抜け道? ……出口はなくて、火に追いめられるだけかもしれないけど」

 とはいえ後は火を突っ切るなんてせんたくくらいしか残されていない。

 戸板を外した先はぼんやりと明るい。火が回っているというには明るさの質が違う。

 すすよごれたくつで歩くのが申し訳なくなるような、白い壁に沿って白銀の階段を下りていく。

「なんだか、まぶしい……?」

 地下の空気はみようんでいる。

 さいおうの部屋には四神がえがかれていた。部屋の真ん中に、とうろうが天井からり下げられている。

 それは青、赤、黄、白、黒のさいあざやかな光をともきよだいな燈籠だった。

れい……」

 思わず火を見るために近寄ると、燈籠に下げられたなぞかけに気づいた。とうべいだ。

「なんでこんなところに灯謎が……解いたら何かもらえるの?」

 出口らしきものは見当たらない。ここは行き止まりだった。

 城市の辻につるされるげんしようせつの灯謎は、謎に正解すればほうしようあたえられるけれど……。


 王がべる土地のそうを食せば可能性の火を得る国

 王につらなる者がようあやつる力を持つ国

 王に連なる者にやしの力をあたえる国

 王が統べる土地にある者たちすべてを守る国

 この世にはしんせんの加護を受けた国が四つあるが、なにゆえこの国が一番すぐれているのか?

 答えを見つけたあかつきにはその血に星宿を背負う権利を与える


 達筆すぎて読みにくい。けれど褒賞が脱出路ではないのはわかる。

「星宿ってなんだろ……って、うわ、まずい、引き返さなきゃ!」

 そんなひまはないのに、気づくと全文を読んでしまった。五彩のほのおの灯る燈籠に現実感がないせいだろうか。頭をってこの道からの脱出をあきらめ、階段をのぼった。

 そこで信じられない光景を目にした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る