第一章 絳焰の試練 その1
「
ここは神仙に守られた国、華燁国。
数千年前、華燁国の最初の皇帝となる男、
この男は神仙と出会ったのだという。そして試練を課された。
なんとか試練を乗り
それ以来、天宗の血を
──とまあ、そんな国に嫁いできてしまったわたしなんだけれども、一応公主という
毎日少しずつ、逃げ出すための準備を進めている。
「翡翠様、朔耀様がいらっしゃいました」
「うわっ、はい! どうぞ!」
「翡翠! ……ご
少年が元気いっぱいに部屋に飛び込んできた。わたしの夫という触れ込みの朔耀様である。
金の瞳はわたしがこれまで
「ひ、翡翠? どうしたの?」
「あっ、ごめんね」
わたしを
綿のたっぷり入った錦の襖を羽織っているのに、寒さのせいか真っ赤になった
彼は第三皇子だ。かなり上位に思える。でも玉座に
何故なら皇后に
上の二人は朔耀様を憎む陳皇后の子どもだ。陳皇后は必ずや自分の子を皇位に就けようとしているし、難しいことではない。宮中におけるもっぱらの
「本当は勉強なんて
不満そうに唇を尖らせる朔耀様に、わたしは母様のように言い聞かせてやらなければならないという使命感を覚えた。
「たぶん……それは朔耀様がここで生きていくために必要な知識なんでしょう。理由はいつか理解できます。まずは足を
先達が必要だと言うのであれば、ここで生きるためには、湯に
山を行く時、人の
わけがわからなくても、教えてあげるから、やってくれないと案内人としては困る。
──わたしは、
今わたしがいる華燁国と緑閃華国の間にある山で、お金をもらってこっそり国境門を通らずに二、三人の道案内をする仕事で生計を立てていた。見つかったらお上に怒られるような仕事ではあったけれど、少人数で国境を抜けると十中八九は
道中の山道は、山賊と
「うん……今はよくわからないけれど、翡翠がそう言うのなら
聞き分けのいい
わたしは本来皇子と
緑閃華国が田舎娘に公主という
都市部で
なので、緑閃華国は豊かな華燁国に
ただし、わたしの公主という看板が完全に
どういう
父である王は母様を側室にしようとしたらしいが、母様は
どうして母様が嫌がったのか、本当の理由はもう永遠にわからない。
母様はわたしが八歳の時に妖魔に襲われ亡くなったからだ。
そもそも緑閃華国の王が本当に父なのかすらもわからない。
というか、わたしは王に会っていない。
「今日は翡翠とたくさんお話しできるかな? でも翡翠、出かけるの? 服を
「
「わっ、いいの?」
「はい、
「……ごめんね、翡翠。
確かに、わたしが二ヶ月も放置されているのは朔耀様への嫌がらせではあるのだろう。
それを朔耀様が自覚してしまっているのが心苦しかった。
「朔耀様が悪いわけではありませんよ」
「相手がぼくでなければ、翡翠はこんな風に
「皇后様が朔耀様に嫌がらせをするのは、皇后様の気持ちの問題で、朔耀様は関係ない」
朔耀様は金の瞳を丸々と大きく
「翡翠……皇后陛下をそんな風に言ってはいけないよ。聞かれたら大変だよ。でもありがとう。そんなことを言ってくれる人は
わたしは早晩この国から逃げ出すつもりだから、怖がる必要がないだけだ。
「ええと、朔耀様、道案内をしていただけませんか? もしよければ」
「いいよ! ぼくがどこでも案内してあげる!」
暗かった朔耀様の顔がぱっと
「それじゃ
わたしが帷帽から垂れる長い
その笑みに胸が痛んだ。逃げるのがわたし一人なら、どうにでもなる。
何しろわたしが
けれど、そもそもわたしは山育ちの
付け焼き
「異国の客人としてここにいる間は難しいけれど、春になったら城市に
この育ちのいい無邪気で気品のある皇子様が、どうやったら世間に
いくらか想像してみたけれど、
そもそも、朔耀様は少なくとも
口にできない言葉を飲み込んで、朔耀様と
わたしは
門を通り、すぐ左手の
「あの廟に立ち寄りたいです、朔耀様」
柱は木のまま、壁は純白。屋根に石のままの色をした
天高くに存在するという
朔耀様を外に置いて、廟を詣でるふりで中に入る。ひと気はない。
供え物をする
朔耀様はわたしを見て目を丸くしていた。終えるのが早すぎたのかもしれない。
それ以降は、朔耀様が案内してくれるままに外朝を見て回った。
有力な貴族の貴公子たちや、科挙を受けて全国から集まった
衛士は困ったように笑いながら、朔耀様が
「朔耀様は顔が広いのですね」
「ぼくも皇子だからね。顔を知らない者はいないよ」
「なるほど……そうなのですね」
「翡翠の国では皇子は臣に顔が知られていないの?」
王子や臣のことなんて知るはずもない。けれど理由を朔耀様に言うわけにもいかない。
わたしは蔑ろにされていた公主まがい。あなたはそんなものをあてがわれたのだ、なんて。
ただ、この
「ええと、少なくとも、わたしは拝見したことはありませんね」
「そうなんだ! 兄弟の顔も? ……ええと、その、変わってるね」
朔耀様はわたしの言葉を信じてくれたばかりか、気を
──
「ああよかった! ちゃんと
「はい……朔耀様、寒そうですね」
銀糸で玉が、金糸で
朔耀様は
華燁国の北にある山奥で
遠目に立ち働く青年が湯気の立つ湯を飲んでいた。小刻みに
「朔耀様、お茶をいただいてきました。ついでにできたての
「
「いけないんですか?」
わたしはさっそく口をつけてしまった。
口の中いっぱいに熱い
「毒見をしてもらわないと食べてはいけないと……でも、翡翠も飲んでいるから、ぼくも」
朔耀様の
「翡翠に毒見をさせるつもりなんてなかったのに!」
「
わたしは身体が丈夫なので、朔耀様にとって絶対に安全とは言いきれないけれど。
じっと玉杯を見つめていた朔耀様はやがて意を決した様子で茶を飲んで、真っ赤になった。
「あ……熱かっただけだからね!」
「そんなに熱いでしょうか? あと、そこからはわたしが飲んだので紅がついてしまっていますし、他のところから飲んだ方が──」
「そ、そんなのわかってるよ!」
朔耀様が首筋まで赤くしたのを見て思わず
「こんなに熱いものを飲むのは初めてなんだから! 少し
すぐに少しも
熱いものを食べたことがないのは、毒見されるうちに冷めるからだろう。
毒を飲まされる心配をしなくてはならないなんて、やはり
だから母様だって山奥に隠れたのだろう。こんな場所は早々に後にするべきだ。
夜行の禁が解かれ、坊城の
わたしもその騒ぎに乗じて宮殿を
「あの、翡翠。聞きたいことがあるんだけど──いや、なんでもない」
「朔耀様?」
「本当になんでもないの」
朔耀様がそう言うのであれば聞かないでおく。
どうせ、明日には今生のお別れをすることになるのだから。
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