05.死霊魔術は成功したらしい

 どす黒い欲望のような光に包まれたネルとダイヤは、お先真っ暗な中歩くことも叶わず、ただ周囲を警戒していた。

 ダイヤはしれっとネルの胸元に収まっていた。


「初めて使った死霊魔術でしかも本もないのでは、失敗もやむを得ませんわね」

『結構大事な場面でミスるよね、ネルって』

「万能超人よりも欠点がある方が魅力的に映るんですわ」

『モノは言いようだね』


 ひとりと一匹が言い合っている間も、暗黒は晴れる様子もない。

 周囲で聞こえていたはずの燃え盛り爆ぜる音も、気が付いた時にはなくなっていた。

 

 音がしないなんて、おかしい。


 異常事態に、ネルも恐怖を覚え始めた。ダイヤを抱く腕が粟立つ。

 その背後でゆらりと動く気配に気が付いたネルがハッと振り向いたところを何者かに抱き寄せられた。


「はぁぁぁ、マイスイートハニィィィ!!」


 ネルを上回る身長の何かに抱きつかれ、嫌な予感で胃のあたりがムズムズするのを感じつつ見上げたネルの視界には、死んだはずの巧みなオネエ語を操るあの男が映った。

 ちょび髭の生えた顎で、薄い唇を三日月に曲げ、ややつり気味の目を大きく開け、生気の全くない白を通り越した青い笑顔でネルを見下ろしていたのだ。


「成功しましたわっ! ってぜんっぜん嬉しくないのですけども!」

「あらやだ、ご主人様ったらいけずぅ~」


 男はネルを持ち上げ頬ずりをした。じょりじょりの感触が頬といわず全身を駆け巡りネルは絶叫しそうになった。


「もう、ご主人様ったら、そんなに僕のことが気に入っちゃったのぉ? あぁ、もぅ、可愛くって食べちゃいたいくらいだわ~」

「気持ち悪いですわ! この変態!」

「あぁ、イイ! もっとナジッテ!」


 暴言に身をくねらせて快感に浸る男に、ネルはドン引きだった。

 嫁入り前の身を拘束され、頬摺りをされ、しかも変態中年だ。もう嫁に行けないと動揺で目の焦点が合わないネルの胸元でダイヤが暴れだした。


『ちょっとそこの変態君。ネルが壊れちゃうからやめてよ』

「あら、僕を変態だなんて失礼ね。れっきとした紳士よ?」

『どう見ても変態にしか見えないね』


 ネルを間に挟んだ言い合いに、終止符を打ったのは彼女だ。抱きすくめられている隙間から腕を引き抜き男の顔をガキッと掴んだのだ。そのままメリメリと軋み音をそよがせながら笑顔で「離しなさい」と叫んだ。


「あら、身体が勝手に?」


 泥だらけになた漆黒の執事服のお腹をから青白い皮膚を覗かせた男は、ネルの言葉通りにその腕から解放した。


「……死霊魔術自体は成功したようですわね」


 額に玉の汗を浮かべ、息を荒くしたネルは威厳を保つように背筋を伸ばした。紫紺のドレスはお腹が丸見えになっており、スカートもびりびりで艶めかしい白い足を扇情的に覗かせている。侯爵令嬢とは思えない様相だ。


「死霊、魔術?」

「えぇ、貴方は一度死にました。貴方の雇い主を聞き出したくって、このわたくしが甦らせたのです」


 きょとんとしている変態執事に、ネルはえへんと豊かな胸を張った。

 失敗したけどね、というダイヤにはネルのつま先が飛んだ。


「蘇らせてまで僕を求めていたのねぇ~。もぅ、感激で泣いちゃいそう~」


 胸の前で手を組み祈りのポーズを見せつけてくる変態執事に、ネルの頬がピクリと波打つ。

 だが彼は急に居住まいを正し、びしっとした見事な立ち姿を見せた。


「僕の名はスペード。魔法のきかない殺し屋にして貴女の下僕で最愛の男よ」


 スペードと名乗った男は右手を腹の位置で横に曲げ、深々と頭を下げた。流れるような動作はこの事態でなければ見とれてしまうほど見事なものだった。


「最愛は余計だわ」

「あら、照れちゃって、もう。か・わ・い・い」


 座りきった目で見つめるネルの殺気にもスペードはびくともしない。我が道をゆく解釈で身を捩っていた。


『人選失敗だね』


 ダイヤの嫌味にも、ネルは返す気力も無くなっていた。

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