第3話 ハワド面接②

 面接の話の続き。


 ある日の夕方、私はバイト先である本屋のレジカウンターに入っていた。

 手元のデジタル時計には『PM17:54』と表示されている。会社や学校帰りの客が入ってくる時間帯だ。徐々に客が増え始め、レジも忙しくなり始める。


「いらっしゃいませ! ポイントカードはお持ちですか?」


 私はいつものように商品のバーコードをスキャンし、ビニール袋で包む。高校生ながら作業スピードには自信のある方だ。客を次々と流し、レジに並ぶ列を消していった。


「それでは次の方どうぞ!」


 もう少しでバイトのシフトも終わる。

 今日は上がったら、お風呂入って、それから借りていたDVDでも観よう。


 そんなことを考えていたときだった。


「妹よ」

「お兄ちゃん?」


 凛とした低い声。

 レジカウンターの前に現れたのは、私の兄だ。

 長袖の白いシャツに、深緑のチノパンという恰好。


 そして、手にはイヌのぬいぐるみ。

 ハワドだ。


 私はハワドを見て、しばらく顔が引きつっていた。


 何で本屋にまでハワドを連れて来るのよ!

 客の視線を集めてるから、早くどこかに置いてきてよ!


 と、大声で説教したかったが、ここはバイト先。店員として、なるべくソフトに客を扱わなければならない。身内とのやり取りも静かに済ませるべきだ。

 商品を汚すとか万引きするような連中なら私も怒鳴るのだが、兄は手にハワドを持っているだけ。店に深刻な被害を与えているわけでもなく、どう彼を扱えばいいのか対応に困る案件だ。


 そんな辟易とする私を他所に、兄は私を真剣な目つきで見つめ続ける。


「今すぐ店長を呼んでくれないか?」

「な、何でよ……?」

「18時30分からバイト面接の予約があるんだ」

「は?」


 いやいや!

 ハワドを抱えたままの兄を店長に見せられるわけないでしょ!


 すでに多くの客から視線を集めているが、店の関係者だけには彼が私の兄であることを認知されたくなかった。どうにかして彼を店から消し、バイト面接の予定をなかったことにできないものか。

 彼の姿をよくよく見れば、ハワドと一緒に「履歴書在中」と印刷された封筒を抱えていた。兄がまだ履歴書を持っていることからして、おそらく彼の詳しい素性は店側に伝わっていないのだろう。


「す、少しお待ちくださいね」


 私は『レジ休止中』の札を立て、店長が仕事をしている倉庫へと足早に向かった。

 倉庫は店の奥にあり、レジからは棚が死角になって見えない位置にある。私は兄から離れて倉庫の前に辿り着くと、ノックをして扉を開けた。倉庫の奥では店長がパソコンに向かい、売上実績を表作成ソフトに打ち込んでいる。


「店長……?」

「お、どうしたんだね?」

「あの、これからバイト希望者の面接が入っていませんか?」

「そうだけど? もしかして、レジに来たの?」

「いえ、違うんです!」


 あんな兄を店長に会わせるわけにはいかない。

 手にハワドを抱えている男が自分の兄だと知られれば、バイト先に顔を出すのが恥ずかしくなる。ここは自分の尊厳を保つためにも、兄を引き返させなくては。


「実はさっき、連絡があって『来れなくなった』って」

「ああ、そうなんだ」


 私は嘘を吐いた。

 店長から兄への印象は悪くなるだろうが、どうせ兄が面接に受かるわけがない。絶対に落ちる面接なんて、最初から受けない方がいいだろう。彼が面接を受けることでそのダメージは私へ飛んでくるのだ。時間の無駄以上の損害を周囲へ及ぼす。


 私は踵を返してレジへ戻り、再びハワドを抱えた兄と向かい合った。

 店長とのやり取りは兄に見られていないはず。今度は兄を早急に帰宅させなければ。


「店長は休みだった」

「ええ?」

「面接の日付けを間違えていたみたいで、『申し訳ないけど、今日は中止にしてほしい』ってさ」

「ふん、予定管理の杜撰な店め。こんな店、俺からも願い下げだ」


 兄は不機嫌な顔になり、手元のハワドを見つめる。


「こんな店、さっさと出てってやるよなぁ、ハワド?」

「……」


 ハワドはうんうんと頷き、兄に優しく撫でられた。


 良かった。

 これで帰ってくれる。


 私は安堵の溜息を吐いた。全身から力が抜けてカウンターへ寄り掛かる。


 そのとき――


「あれ、もしかしてバイト希望者?」

「何だ、名札に『店長』って書いてあるじゃねぇか」


 奥で作業しているはずの店長は、レジの様子を確認するため倉庫を出てしまった。

 兄が抱えてる大きな封筒に気付き、首を傾げる。

 そして兄も、店長の名札に気付いた。訝しげな表情で、ハワドと一緒に店長の顔を凝視する。


 あああああああああああああッ!

 最悪だ!

 店長はそのまま倉庫に閉じこもって在庫の整理でもしておけばよかったのに!

 なんで出てくるんだよ、このクソ店長オオオオォ!


 私の頭は真っ白になり、レジに並ぶ客をそっちのけで店長と兄の姿を呆然と眺めていた。


「店長は休みだと聞いたんだが」

「いや、今日は出勤だけど……それより、君のぬいぐるみは何だい?」

「ハワドだ」


 もちろん、兄がバイト面接に合格することはなかった。「なぜ落ちたんだろうな」と不思議がる兄。そんなの、ハワドのせいに決まっている。

 そして、あの変人が兄であることを知られてしまい、店長や同僚からは距離を置かれたのだった。

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