第2話 ハワド面接

 ある日の夕方。


 どこかに外出していた兄が家に戻ってきた。彼は鞄をキッチンの自分の席に置き、机にノートを広げて勉強していた私と視線を合わせる。


「ただいま」

「お兄ちゃん、お帰り。どこに行ってたの?」

「バイトの面接」


 兄はこれまで自分で働いて稼いだ経験がない。高校生の私ですらバイトして小遣いを貯めているのに、大学生の兄が何もしてないなんておかしな話だ。

 何年か前まで兄はニートになりたいのかと思っていたが、自主的にバイトの面接に行くことからして働く意志はあるらしい。だが、意志があるだけでは食っていけない。面接に合格して働き続けなければ何の意味もないのだ。


 兄は私とテーブル越しに向かい合うように座り、冷蔵庫から取り出した麦茶をゴクゴクと飲み込む。私は頬杖をつき、疲れを癒す兄の姿をぼんやりと眺めていた。


「ふぅ……疲れた」

「それで、面接結果はどうだったの?」

「またダメだったよ」

「えぇ……」


 何となく結果は察していた。兄はこれまで一度も面接に合格したことがない。書類審査は通過するのに、面接が鬼門となって立ち塞がる。


「これでもう何回連続でダメだったのか覚えてる?」

「うーん、7回くらい?」

「私の記憶では70回くらい連続で落とされてる気がするけど……」


 バイトの採用条件って、最近は厳しいのだろうか。私は本屋でバイトしているが、面接を受けたときはすんなり合格できたのに……。


「正社員の採用なら厳しくて落とされるのも分かるけどさ、バイトでこんなに落とされるってヤバくない?」

「そうかなぁ?」

「きっと、お兄ちゃんには根本的な原因があるんだよ。何か思い当たる原因はある?」

「何もないなぁ……」

「じゃあ『志望動機は何ですか?』って聞かれたら何て答える?」

「その店の募集傾向から推測して、『人と接するのが好きだから』とか、『反復作業が得意だから』とか、そういうのを答えればいいんだろ?」

「うん……そうだね」


 そういう計算をしっかりできるのに、落とされるなんておかしい。

 何か別の理由があるはずだ。


「面接中の態度は大丈夫?」

「ニコニコして、ハキハキ答えているつもりだが」

「それならいいんだけど……」


 それならば、合格できない問題点はどこにあるのだろう。兄はそこまで人見知りでもない気がするし、他人と普通に挨拶もできる。

 凛とした態度で臨んでいれば、不合格になることはないと思うのだが。


「さて、気を取り直してシャワーでも浴びてくるか」


 兄は椅子から立ち上がり、鞄の中身を整理し始める。


 そのとき、兄の鞄からフェルトでできた円らな瞳が私を覗いていることに気付いてしまった。

 間違いない。今のは確実にハワドだ。


 え?

 まさか、面接にまでハワドを連れ出しているの?


「ちょっと待って! お兄ちゃん、面接にハワドを連れて行ってるの!?」

「そうだが?」

「ずっと鞄の中に入れてるよね?」

「いや、膝の上に座らせて一緒に受ける」

「そんなの落とされて当たり前じゃん!」


 私は頭が痛くなり、自室に寝込んだ。

 ハワドも一緒に面接空間にいたと思うと恥ずかしい。どうしてまともなことは言えるのに、そこだけ世間とズレているのだろうか。


 一体、面接の担当者は膝にぬいぐるみを乗せる兄を見てどんな気持ちになったのか。私にはその衝撃の強さを測ることができない。一目見て不合格へ判定が振り切ったはずだ。

 若い人がほしい職場も、性格が温厚な店長も思うだろう。「こんな危なそうなヤツはほしくない」と。前代未聞の奇人を雇うリスクよ。


 兄がハワドを面接に連れ出す心理も分からない。ハワドが一緒にいることが自然だと思っているのだろうか。腕時計的な感覚で身に付ける。

 不思議ちゃんコンテストに応募すればぶっちぎりで合格しそうな、他人には決して理解できない領域に兄は踏み込んでいるのだ。

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