第59話

 未来の李子リコを殺した──


 その言葉に、四葉ヨツハの喉が締まって息がつまる。

 京子キョウコも露骨に嫌悪の顔をした。

「じゃあ、昨日未来へ送り返した3人は──」

「そう、アイツらは可愛い可愛い私の手足。ま、本当に可愛かったのは睡蓮スイレンだけだけど」

 紫陽シヨウのその言葉に、四葉ヨツハは首を小さく横に振った。

「そんな筈のないっ……だって、アイツらは最初から3人だった! もう1人いるなんて……」


 四葉ヨツハが『李子リコに復讐するのを手助けしてやる』と声をかけられた時。

 リーダーは睡蓮スイレンのように思えた。


「ああ。貴女をスパイに仕立て上げようって事になった時に、思ったのよ。

 だって。

 だから、念の為身を隠してたの。

 最後のアレを見た時、私は自分の直感が正しかった事を確信したわ。

 貴女、睡蓮スイレンと同じぐらい見所がある。今からでも、私の手助けしない?」

 紫陽シヨウはニッコリと笑って首を傾げた。

「笑えない冗談……」

 四葉ヨツハが絞り出すかのように言うと、紫陽シヨウは大袈裟に驚いてみせた。

「まさか! 本気よ。貴女がサポートしてくれたらとても物事がすんなり進むもの!

 成功した後に、莫大な利権を管理させてあげるわ。私は称賛さえあればいい。

 どう? win-winでしょ?」

 そう捲し立てる紫陽シヨウの目は本気マジだった。

 四葉ヨツハドン引き。


 紫陽シヨウの言葉に引っかかったのは、京子キョウコだった。

「成り代わる? アンタ……りっちゃんを殺そうとしてんじゃないのかい?」

 あの3人は間違いなく李子リコの命を狙っていた。

 追い詰めて追い詰めて、殺そうとしていた。

 なのに、リーダーである紫陽シヨウは違う事を言っている。

 京子キョウコは違和感を感じた。

「あの3人はねー。オートマータ撲滅派だから。でも私は違うわ。中邑ナカムラ李子リコを殺す事はでしかないの。

 そもそも、あの3人に事件起こさせたのは、追い詰めて精神的に姉に依存させる為だっただけだし。本当に殺してしまわないように、最後の戦いではずっと李子リコの側を離れなかったわ。

 天龍バカが暴走した時には流石にヒヤリとさせられたけど」

 鷹揚に肩をすくめて見せる紫陽シヨウに、四葉ヨツハは芝居掛かった嫌味な印象を受ける。

 こんな人間と組むのは勘弁、と心の中で辟易とした。

 四葉ヨツハは単純キャラ──李子リコのような人間の方が好きなのだ。


 その瞬間、紫陽シヨウに負けないほど大袈裟に胸を張り、京子キョウコがため息をついた。

「なるほどなるほど。そういう事ね。

 アンタはりっちゃんの立場が欲しかったのね。

 子守ナニーオートマトンの開発者なら、その懐に入ってくる金は莫大だし、その道の権威として崇められてる筈。

 だから、りっちゃんに成り代わろうとしたのね。

 アンタの頭ん中には、りっちゃんの構築した理論が入ってる。

 その理論を、りっちゃんが公表するの前に自分が出してしまおうと。

 なんてこすい。偉そうな口を叩く割には、考えてる事が小さい──」

「違う!!!」

 京子キョウコの言葉を遮って、突然紫陽シヨウが激昂した。

「私の理論は中邑ナカムラ李子リコのものなんか足元にも及ばない程素晴らしいものよ! もはや芸術の域だわ!!

 あんな女の理論なんか使わない!

 私は私が私の力だけで構築した理論を使って脚光を浴びるのよ!

 あの女が盗んだ私が受けるべきだった評価を、ただ取り戻すだけよ!!」

 紫陽シヨウ李子リコの上半身を起こして喉にナイフをあてがう。

 今にも切れてしまいそうなほど近くに。

「私がコイツから盗むのは、戸籍だけ。

 コイツを闇に葬りつつ、私の代わりの戸籍も用意できる。一石二鳥よ」

 ナイフの反射した光を目に映しながらウットリする様は、まさに『狂っている』という表現が似合っていた。

 当の紫陽シヨウは至って正気のつもりだが。


「なぁに言ってんだい。アンタ1人の力をじゃないだろうが」

 京子キョウコがハンっと鼻で笑った。

「アンタ20歳そこそこだろう? もう少し上だとしたっても、アンタが生まれた頃には、もう養育ロジックは出来上がってただろうが。

 アンタは自分だけでゼロからその『素晴らしい理論』とやらを考えたつもりでも、影響を受けてんだよ。

 養育ロジックだけじゃない。

 アンタが生まれてから享受してきた恩恵は全て、アンタが生まれる前から誰かが身を削って作り出して研磨されてったものだよ。

 それらを60年前に持ってきて、周りの人間を馬鹿呼ばわりしてチート無双しようってのかい?

 笑わせんじゃないよ」

 そう強く言い放った。


 紫陽シヨウの顔がみるみる真っ赤に染まっていく。

 怒りが一定容量超えたのか、彼女はこめかみに青筋を立てて怒鳴り散らし始めた。


「うるさい! 団塊世代のお荷物の分際で偉そうに!」

「その団塊世代が高度経済成長期を支えたんだよ! 日本が先進国の仲間入り出来たのは誰のおかげだと思ってんだい!」

「役割が終わったなら大人しく棺桶入ってろ!」

「まだまだ現役さ! 早く死んで欲しけりゃ殺すんだね!」

「それが出来ないから医療費食い潰されたんだろうが! 空気読んで自殺しろ!!」

「前後不覚になって呼吸器繋がれて喜ぶ人間なんかいるか! 制度を見直しな! 尊厳死を認めさせてみな!」

「お前たちがそうさせなかったんだろうが!」

「民衆ごと動かしな天才様! 文句だけなら誰でも垂れられる!」

「そうやって苦労ばっかり押し付けやがって!」

「何言ってんだい! 団塊世代の片付けに苦心したのはお前じゃないだろう! りっちゃんたちの世代だよ! 昔の苦労をさも自分がしたかのような顔して! アンタはその後整備された世の中を安穏と生きただけだろうが!」

「く……胡桃クルミさんっ……」

 口喧嘩のようなものを始めてしまい、四葉ヨツハは心配になって京子キョウコを止めようとする。

 紫陽シヨウが手にしたナイフが、今にも李子リコの首を切り裂いてしまいそうで怖くなったのだ。

「望み通りお前から殺してやる!」

 挑発された紫陽シヨウは、李子リコから手を離し素早い動きで京子キョウコへと斬りかかって行った。

 京子キョウコはそれを読んでいた為、すぐさま後退してナイフの一撃をかわす。


 しかし、すぐに壁際に追い込まれてしまった。


「あら残念。もう終わり? 粋がってたババァの呆気ない幕切れね」

 ナイフを弄びながらジワジワと距離を詰めていく紫陽シヨウに、京子キョウコは顔色を変えない。

「私だって、子供達やりっちゃんたちのお荷物にはなりたくないんだよ。やるんならサッサとやりな」

 挑発をやめない京子キョウコに、四葉ヨツハはオロオロとする。

 京子キョウコは自分が知ってる大人の女性と違う。

 何かにしがみついていないと生きていけない女がいる中、彼女はどうしてこんなに潔く格好良く生きられるのか?


 その時、彼女は後ろから肩を叩かれてその顔を見上げた。


「じゃあね生ゴミ」

 紫陽シヨウがナイフを逆手に持ち、京子キョウコの胸に突き刺そうと腕を振り上げた。


 その手首を、力強い誰かの手に掴まれた。


 驚いて紫陽シヨウは振り返る。

 その場には居るはずのない人間の顔がそこにあった。


 加狩カガリ弘至ヒロシ

 肩で息をし、顔を真っ赤にして汗だくな彼が、しっかりと紫陽シヨウの手首を掴んで止めていた。

胡桃クルミさん、勘弁してくださいよ。挑発始めた時には間に合わないかと思った」


 紫陽シヨウは狭めていた視野を広げる。

 よく見ると、茶の間の窓が開け放たれ、そこから津下ツゲ真輔シンスケも乗り込んで来ていた。

 手にはスマホを持っている。

 まさかと思って、冷静になっていく頭で京子キョウコの方へ視線を戻すと、

 彼女は今まで袖で隠していた左手を出し、持っていたガラケーをヒラヒラさせていた。

「二台持ちは女の嗜みよ」


 紫陽シヨウが、先ほど京子キョウコが捨てたスマホがブラフだった事に気がつくのと、弘至ヒロシに投げ技を食らって宙を舞ったのは、ほぼ同時だった。


「賢さっていうのは、IQの高さを言うんじゃない。

 今あるもので、どう工夫して課題を乗り越えていくか。それを考えて実行に移せる事を言うんだよ」

 畳に叩きつけられた紫陽シヨウの顔を、京子キョウコは覗き込みながら言う。

 笑ってはいなかった。

 その代わりに、同じように顔を覗き込みに来た四葉ヨツハが笑っていた。

 嗜虐的に残酷な笑顔である。

「そんなにチート無双したいならすればいいじゃん。いつがいい? 江戸時代? 安土桃山時代? 魑魅魍魎が跋扈する平安時代がいいかな?」

 四葉ヨツハが、手にした円筒状の装置を弄びながら言う。刀義トウギが持っていた時間跳躍の装置だった。


「待って……やめて……」

 紫陽シヨウは、今されようとしている事に気がついて、声を詰まらせながら懇願する。

「本望でしょ? アンタの理論とやら、振りかざしてみれば神様として崇められるんじゃない? あ、でも気をつけてね。時代によっては今と口語体が違くて、そもそも言葉通じないかもしれないし」

 紫陽シヨウの言葉は聞こえてませんとばかりに無視する四葉ヨツハ。甲高い音をさせながら起動した装置を、紫陽シヨウの目の前に翳す。


 装置が稼働する瞬間、四葉ヨツハは倒れた紫陽シヨウの腹の上に投げた。

「やめ──」

 彼女の悲痛な懇願は、その後発生した音と光により全てが掻き消される。


 激しい光と音が巻き起こって──消えた。


 紫陽シヨウと一緒に、畳どころか床すら円形に消失し、中邑ナカムラ家の茶の間が床から崩壊しかける。

「どうすんだコレ……」

 床に空いた大穴に、真輔シンスケが冷や汗を垂らしながら呟いた。

 こんな状態、一朝一夕には直らない。

 李子リコが両親に詰められる姿が目に浮かんだ。

 しかし、そんな心配をよそに──


「もうちょっと食べたい……」


 呑気にムニャムニャ寝言を言い始めた李子リコ

 誰からともなしに笑い声が漏れ始め、終いには大爆笑になってご近所中に響き渡った。

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