第58話

 ピンポンピンポンピンポンピンポン。


 中邑ナカムラ家の呼び鈴が連打される。

 女が慌ててインターフォンを取ると、受話器の向こうからは渋く落ち着いた男の声と、それを遮ろうとする妙齢な女性の声が聞こえてきた。


 刀義トウギ胡桃クルミ京子キョウコである。


 今手が離せないから出直してくれと言うと、京子キョウコは分かった突然ゴメンねと謝ったが、刀義トウギがそれでも開けろ、すぐ済むからと粘った。


 女性は内心舌打ちする。

 今は間が悪い。

 油断してを外したままだったし、李子リコは麻酔で眠らせてしまっていた。

 しかし、断り切れる雰囲気ではなかった。

 無視すれば刀義トウギは無理矢理にでも家に押し入って来るだろう。それは困る。


 今行くからちょっと待っててと告げた女は、投げ捨てていたを拾い上げて自分の顔へと押し付ける。

 眞子マコの顔が、歪んで様々な表情を映し出し──馴染んで女を眞子マコへと変えた。


 李子リコを移動させてる時間はない。


 取り敢えず玄関で追い返そうと、眞子マコは気合を入れて玄関へと向かった。


「ごめんねまーちゃん。刀義この子がどうしてもりっちゃんに会いたいとか言い出して……」

 玄関の扉を開けると、申し訳なさそうに立つ京子キョウコとその後ろに立つ四葉ヨツハ、そして松葉杖をついた刀義トウギがいた。

「マスターの生体反応に異変あり。確認させてください」

 刀義トウギはそう告げると、眞子マコの返事も聞かず玄関の中へと押し入ってくる。

 押し留めようとした眞子マコだったが、いくら刀義トウギが半壊していても、100kg以上あるその体を止めることは出来なかった。


 中に入る刀義トウギの前へと回り込み、人差し指を唇へと押し当てる。

李子リコは今昼寝中。静かにしてね。起こさないでよ」

 刀義トウギはコックリと頷いて、なるべく音を立てずに茶の間の方へと入って行った。


 玄関から申し訳なさそうに入ってきた京子キョウコ四葉ヨツハ

 京子キョウコは何故か眉根を寄せていた。


 李子リコは、茶の間で大の字になって眠っていた。

 その横に膝をついて座る刀義トウギ

 李子リコの顔をマジマジと覗き込む。

「起こしちゃダメよ」

 眞子マコ刀義トウギの背中に再度駄目押しをした。

 刀義トウギはグルリと首だけで後ろにいる眞子マコたちの方へと振り返る。

 首の骨格が壊れているせいで、人ならざる勢いで首が回りすぎているが。

「眠っている時の眼球運動ではありません。いつからこの状態ですか?」

「ついさっきよ。突然眠いって言い出して、その場で横になっちゃったの」

「昏睡している可能性があります」

「昏睡?! 本当に? ……じゃあ、少し様子を見て、起きないようだったら病院へ連れて行くわ」


 自分が麻酔で昏倒させた事などおくびにも出さず、眞子マコはさも心配そうな顔をする。

 本音は、早くここから出て行って欲しい、だ。

「私ちょっとパソコンで仕事で手が離せないんだ。また後で連絡するから、今は遠慮してくれないかな」

 そう言って、刀義トウギに立つように促す。彼は李子リコの顔を心配げに見下げつつも、立ち上がろうとした。

 その時。

「まーちゃん、変わったね」

 腕組みして今まで様子を伺っていた京子キョウコが、突然そんな事を言い出す。

 横にいた四葉ヨツハも『いきなり何?!』といった顔で驚いている。

「突然なんですか?」

 眞子マコは、京子キョウコの言葉の意味が分からないといった風に、眉根を寄せる彼女へと顔を向ける。

「そりゃ変わりますよ。人間ですからね」

 そう言って眞子マコはケラケラ笑ってみせた。

「そう……昔は、ちょっと熱が出ただけでりっちゃん抱えて病院に駆け込んでたもんだったけど」

 何か引っかかる言い方をする老婆に、眞子マコは内心舌打ちする。


 ──この老婆、何かを疑っている。


 しかし、眞子マコはこの場を乗り切れる自信があった。

 この場にいる誰よりも賢いと自負しているから。

「やだなぁ胡桃クルミさん。李子リコも大きくなったんですから、今は流石にそこまではしないですよ」

 眞子マコは照れた顔をした。


 だ。

 刀義トウギに手を貸して立たせつつ、心の中でドヤ顔してみせた。


 言われた京子キョウコも、確かにねェと息をつく。

「そういえば、まーちゃんはどうしてもう私の事を『お婆ちゃん』って呼んでくれなくなったんだい?」

 その言葉に、眞子マコの手が一瞬ピクリと反応した。

「私ももう子供じゃないんですから、ちゃんと名前で呼ぶように変えたんですよ。もう、いい大人ですからね」

 眞子マコは更にそう言い繕って苦笑いした。


 頭の中では、事前に調べた情報を思い出そうと躍起になっていた。

 眞子マコは、前までに公開情報から非公開情報まで、中邑ナカムラ李子リコに関する情報全てを掻き集めて記憶してきた。

 しかし、どの情報の中にも姉である『中邑ナカムラ眞子マコ』や『胡桃クルミ京子キョウコ』についての詳しい情報があまりなかったのだ。

 京子キョウコに至っては、『李子リコが昔懐いていた近所に住む老女で、血の繋がりはなかったが実の祖母のように慕っていた』

 このレベルの情報しかない。

 ましてや、姉の眞子マコ京子キョウコのことを何て呼んでいたかなんて知る由もなかった。


 しかし。

 言い逃れてみせる。

 自分にはその能力がある。


 眞子マコは笑顔を崩さなかった。


「そうかい。寂しいねぇ。ねぇよっちゃん」

 京子キョウコはさも残念そうな顔をして、隣に立つ四葉ヨツハに同意を求めた。

 突然話を振られた四葉ヨツハは焦って同意する事しか出来なかった。

「それじゃあ──」

 京子キョウコの目が剣呑とした色を帯びる。

「その声変わりも、大人になったって事かい?」


 その場に突然、痛いほどの緊張感が充満する。

 その場にいた四葉ヨツハは、この緊張感の意味が分からず、京子キョウコ眞子マコを交互に見ていた。


「──声変わりなんてしてないですよ。やだなぁ」

 カマをかけられた。

 眞子マコはそれに気づいた。

 確かに、先程変声装置を外してしまった。

 自分としては手痛いミスだが、まだ誤魔化せる。声なんて、普通人には判別が難しい筈。

 焦ってはダメだ。

 この老婆は只者じゃない。

 こういう時は、ひたすらしらばっくれて話をはぐらかす方がいい。


「それよりも、津下ツゲくんと加狩カガリ先生は? いつ頃戻ってくる予定なんですか?」

 話題を変える為、今朝まで京子キョウコの家にいた2人の名前を出す。

「2人は夕方には戻ってくるよ。今日は事件解決のお祝いだからね」

 京子キョウコ眞子マコの質問に返答した。


 眞子マコは、チャンスだと思った。

 このまま畳み掛けて話題を違う方向へと持って行こうとした。

 が。


「……声紋認証検索履歴と一致。貴女は、紫陽シヨウ博士ですか?」

 刀義トウギが、緊張感のまるでない声で2人の会話を遮った。


「……は?」

 に激しく動揺してしまい、眞子マコは上手くかわす事が出来なかった。


紫陽シヨウ博士って?」

 突然出てきた聞き覚えのない名前に、四葉ヨツハは首を捻って刀義トウギに尋ねる。


 やっと立ち上がった刀義トウギは、眞子マコの顔を見下げながら答えた。

「マスターの執拗なストーカーである養育ロジックの研究者です。嫌がらせの如く事あるごとにマスターに突っかかってくる方で、恐らくマスターの才能に嫉妬しているのではないかと」

「嫉妬なんかしてない!!」


 咄嗟に否定してしまい、眞子マコはしまったという顔をする。

 四葉ヨツハ眞子マコの言動に驚いていた。

 京子キョウコだけは、片目をつぶって刀義トウギに悪戯っぽく笑いかけている。

「……アンタ、挑発なんかも出来たんだね。子守りだけさせとくなんて勿体ない」

「恐縮です」

 そんな2人のやりとりを、眞子マコは苦々しい顔をして睨め上げた。


 言い逃れは無駄か。


「アンタたち本当に執念しつこいのよ。眞子マコだと思っとけば──不幸なシーンなんて見なくて済んだのに」

 運動不足と言っていたのが嘘のような体捌きで紫陽シヨウは身を翻すと、捕まえようとしてきた刀義トウギの手をかわして眠る李子リコの側へと着地する。

 太腿に隠していた細身のナイフを素早く抜き放ち、李子リコの喉元へとピタリと止めた。


 その只者ではない動きに、京子キョウコ四葉ヨツハも言葉を失う。


「もっと穏便に済ませたかったわ。

 ああ、可哀想な中邑ナカムラ李子リコ。元・親友と、血の繋がりのない赤の他人の前で眠ったまま殺されるなんて」

 眩しそうに目を細めて、それはそれは楽しそうな声でそう言葉を紡ぐ紫陽シヨウ

「そうは──」

 させない、と京子キョウコが言い切る前に、紫陽シヨウの手が動く。

 李子リコの喉元から、赤い一筋の液体が垂れた。


「私はあの3人ほど甘くもないし愚かでもないわ」

 部屋の温度が急激に下がったかと思うほどの殺気を放ち、紫陽シヨウ刀義トウギたちを牽制する。

「スマホを捨てなさい。──特に、そこの老害」


 着物の袖に手を突っ込んで腕組みしていた京子キョウコがビクリと反応する。

 李子リコの喉元を上下するナイフに促され、京子キョウコは右手を袖から抜き出す。

 そこには、スマホが握られていた。

「アンタが考えそうな事はお見通しよ。さ、捨てなさい」

 言われて、京子キョウコはスマホを畳の上へと落とした。

 同時に困惑する四葉ヨツハもポケットから出したスマホを畳へと投げた。

 2台のスマホが畳の上に転がった所を見て、紫陽シヨウは満足げに笑う。

 それを、京子キョウコは再度袖に腕を突っ込み腕を組んで眉をひそめながら見返した。

「フンっ。違和感をもっと早く掘り下げておくべきだったよ。

 私の事を『胡桃クルミさん』なんて呼ぶし、妙に余所余所しいし。李子リコへの態度も何もかもおかしかった。

 しかし、声が違変わるまで確証が持てないとは……私も耄碌もうろくしたもんだ」

 鼻を鳴らしてふんぞり返る。

「あのっ……良く分かってないんだけど、アレは誰?」

 猫を被るのをやめた四葉ヨツハが、敬語をやめて京子キョウコ刀義トウギへと尋ねる。

 刀義トウギ四葉ヨツハの方へは向かず、紫陽シヨウを真っ直ぐに見たまま答えた。


紫陽シヨウ博士。経歴の詳細は省きますが、私と同じ時代にいた、マスターと同じ養育ロジックの研究者です。

 しかし、色々黒い噂の絶えぬ方で、明確な証拠はありませんがオートマータを破壊して人間の世界を取り戻す事を目的とした過激集団のリーダーだと、私は状況的に判断しております。

 マスター──李子リコの家に放火して、彼女を殺した集団です」


 李子リコを殺した──


 刀義トウギのその言葉に、京子キョウコ四葉ヨツハは、恐怖で体温が如実に下がった事を感じた。

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