転結
第56話
今年の夏は去年よりも暑い。
そんな感想をいつも誰かが口にする。
実際にこの年の夏は例年以上に猛暑日が続き、各自治体が熱中症の注意報を町内アナウンスで流すほどだった。
蝉がうるさく鳴きわめく午後、どこかの家に吊るされた風鈴の音が遠くに聞こえるが、それでも涼しく感じる事は無理なほど、日中の気温は高かった。
窓の外の蝉の声を締め切られた窓越しに聞きながら、
昨夜までの人生観を揺るがす程の出来事が、嘘だったんじゃないかと思えるほど、ノンビリとした午後だった。
数ヶ月間の出来事のように感じられるが、実際のところはたった2日間だった。
本当に濃密な2日間だった。
この2日間の話で1本映画作れるんじゃね?
両親が帰ってきたら、
身体が半壊しているが、直す事は今の技術では無理だと
お構いなく、と
彼は今、
全てが終わった後──
深夜帯だった為、一度全員で
流石に近所ということもあり、
翌日遅く起きたそれぞれ。
目の前に、昨日まで一緒に居た人達が居ないと、全部の出来事が本当は夢だったんじゃないかと錯覚しそうだった。
しかし、チラリと横目で確認すると、茶の間の真ん中の畳がベッコリと凹んでいる。
あれが、昨日までの出来事が夢ではなかったんだと知らせてくれた。
しかし──なんて両親に説明しよう。
なんとか誤魔化す事はできないだろうか?
両親が戻って来る前に直してしまうとか。
「お姉ちゃん、お母さんたちが戻って来るのっていつだったっけ?」
「明後日だね」
耳たぶを触りつつそう答えた。
「明後日かー。そうだ。お姉ちゃん、お母さんたちを空港まで迎えに行くんでしょ? 車メンテしなくって大丈夫なの?」
庭に鎮座する真っ赤なイタリア車。
姉がアメリカに出向になってから一度も動かされていない。
運転狂の姉の事だから、一時的にでも帰国したら嬉々としてドライブに繰り出すかと思ったが、特にそうする様子は見られなかった。
とても意外だった。
「あー……いや」
「たまには動かさないと……なんだっけ? バッテリーがダメになるとか何とか言ってなかったっけ?」
そう問いかけつつも、
姉が垂れる車についての蘊蓄も右から左へ。いくつかの単語だけを覚えているレベルである。
「いや、大丈夫だと思うよ? それに、タクシーを使う予定だから、車はいいかなって」
姉は、耳たぶを触りながら苦笑した。
そんな姉の言葉に違和感を感じてへぇーと声を上げる。
「意外。お姉ちゃんなら、絶対車で迎えに行くって言うと思ってた。だって、久々に愛車運転するチャンスじゃん?」
そう更に言い募った
「運転飽きたっていうか、もういいかなって。そのうち車も売るつもりだし」
「なんで?! あの車、私が運転免許取ったらくれるって言ってたじゃん!」
それは昔した約束。
あの車を姉が買った時。
まだ小学生だった
妹にベタ甘な
姉も、時々思い出した時にその約束の話をしてくれていたので、本気だと思っていたのに。
「ああ……あの約束ね。でも、あんな車、
「……あんな車? ボロ車?」
姉の口からあり得ない言葉が飛び出した事に驚いた。
「あの車は、お姉ちゃんの命でしょ……?」
それこそ、耳にタコが出来るほど繰り返されて来た言葉。
アメリカに旅立つ前日ですら、洗車しながら愛おしそうにそう言っていたのに。
「お姉ちゃん……どうしちゃったの? 最近変だよ? まるで別人みたい」
姉らしくない言動。
姉らしくない行動。
アメリカから帰って来てからというもの、それはまるで全く違う価値観を持った別人になってしまったかと思うぐらいだった。
それほどまでに海外での暮らしは過酷なのかと、姉が戻ってきてすぐの時は心配したぐらいだった。
「そうかな……。まぁ、私も人間だからね。考え方ぐらい変わるよ」
見慣れた天井を見つめつつ、両親が帰ってきた後の事を考え始めた。
畳の事、
特に、
どんなものになるのか、全く想像がつかず──
ふと、視界が阻まれた事に気がつく。
頭の辺りにフラリと立つ姉が、そのまま
逆光となり、その表情は見えない。
「お姉ちゃん……?」
姉の突然の行動に驚いて、
「……細かい事は気にせず、違和感を感じないようにしなさい」
酷く冷たい姉の言葉に、
しかも──どこかで聞いたことがある。
「おね──」
出来ずに再度畳の上に大の字になって転がる。
首に鋭い痛みを感じた。
「ついでに、車の約束も忘れなさい。
姉の言葉が、途中から変な響き方をしている気がする。
身体に力が入らず、目を開けているのもしんどくなってきた。
目を回した時のように頭の中がグラングラン揺れ、心臓が早鐘のように打ち始めて手足の感覚がなくなっていく。
「もう一度言うわ。車の約束は忘れなさい。そして、違和感を抱かない事。抱いても他の事を考えて追求しないこと。そして──」
姉の言葉がハッキリと聞こえなくなってきた。
「忘れろ」
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