第54話

「ねぇ李子リコ、今どんな気分?」


 幼馴染が、薄い唇をこれ以上ないほど引き上げて問いかけてきたその言葉に、李子リコはカラカラになった喉でなんとか音を絞り出して答えた。


「分かんない……」


 今、自分がどんな気持ちなのか分からない。

 何故四葉ヨツハが突然こんな事をし始めたのか分からない。

 どうしていいのか分からない。


 もう、全部分からない。


四葉ヨツハ……なんでこんな事するの……?」

 友達だと──親友だと思ってた。

 現にそうやって、今までと変わらずずっと仲良く過ごしてきた。

 ──そう思っていたのは、自分だけだったのか?


「なんでって……アンタの事が嫌いだからに決まってんでしょ。コイツらと同じ。アンタが憎くて憎くて仕方ないの」

 物分かりの悪い幼馴染に、次第に苛ついてくる四葉ヨツハ

 しかし、分かっていた自分もいる。

 本性を見せたところで、李子リコはなかなか理解はしない、と。


 仕方ない。

 だって李子リコだから──


「ま、無理矢理にでも理解してもらうね」

 四葉ヨツハは諦めたかのような顔をして、手にしたカプセルのスイッチを押し、刀義トウギの襟首の中へと捩じ込んだ。

「バイバイ、刀義トウギさん」


 朗らかな笑顔で刀義トウギにそう告げ、四葉ヨツハはその場から離れた。


「ダメっ!!」

 咄嗟に李子リコが動く。

 刀義トウギへと飛びつき、その襟首に手を突っ込んだ。

「いけませんマスター!」

 刀義トウギは床についていた手で李子リコを強く突き飛ばす。

 その拍子に、李子リコが取り出したカプセルが床に落ちた。

「伏せろ!」

 誰かがそう叫んだとほぼ同時に──


 カプセルが弾け飛び、周囲に強烈な光と音を放った。



 光が収まって李子リコが薄っすらと目を開けると──


 倒れて動かない刀義トウギの姿が目に入ってきた。

刀義トウギ!」

 庇ってくれた眞子マコの腕から這い出し、床を四つん這いのまま移動した李子リコは、動かない彼の身体を起こそうとする。

 しかし、100kg以上ある彼の身体を動かす事は出来なかった。


「あはははは! 壊れちゃった! 壊れちゃったね! どう? 李子リコどんな気分?! 大切な物を壊されたら、どんな気持ち?!」

 起き上がった四葉ヨツハは、声を裏返させて笑う。しかし、楽しげな空気ではない。むしろ、それは狂気に近かった。


 刀義トウギに手をかけたまま、李子リコは今にも溢れ出しそうな涙を溜めた目を四葉ヨツハの方へと向けた。

「……悲しい……痛い。胸の真ん中が……痛い……」

 その言葉を聞けて、四葉ヨツハは心底嬉しそうな顔をする。

「そうよ! その気持ちよ! 分かった?! アンタが私に毎回毎回毎回毎回味あわせてくれていた気持ちよ! やっと分かった?! どんだけ辛いか!」

 そう笑いながらも、四葉ヨツハの目にも涙が溜まっていた。

 起き上がった弘至ヒロシに腕を掴まれながらも、李子リコに敵意をぶつけるのをやめない。


「いつもいつもいつもいつも! アンタは無意識に私を踏みつけて、そんな痛みを与え続けてきたの!

 無邪気っていいよね! 害意がなければ傷つけても誰にも怒られない!

 無垢なものっていいよね! 必ず誰かが助けの手を差し伸べてくれるから!

 私にはなかった!

 誰も助けてくれなかった!」

 肩で息をしつつ弘至ヒロシに制されながらも、四葉ヨツハは言葉を放ち続ける。

「言ってくれれば──」

 なんとか言い募ろうとする李子リコに、四葉ヨツハは更に被せた。

「助けたのにって?! 私は言った! 助けを求めた! なのに、アンタあん時なんて言ったか覚えてる?!

『たかがそんな事、気にする必要ない』ってほざいたのよ!

 たかが?! たかがって何?! そんな軽い問題じゃない!

 気にするな?! 気にせずにいられたら相談なんてしないわよ!」

 叫ぶ四葉ヨツハの胸に、当時の鋭い痛みが蘇る。


 誰にも言えず、母親にも相談できない事。

 ただ唯一、この人だけは大丈夫。

 きっと親身になってくれる。

 だって、幼馴染で親友なんだから──


 そう信じて相談した人──李子リコから放たれた言葉に、四葉ヨツハは足元が崩れ去ったかのような絶望を感じた。

 鋭い刃物で胸の真ん中を突き刺されたかのような痛みに襲われた。


 その日以来、四葉ヨツハは誰にも心の内を吐露するのをやめた。

 期待するから裏切られるのだ。

 それなら、期待しないほうがいい。

 一人で解決すればいい。

 誰も助けてくれない。

 なら、自分でどうにかするしかない。

 自分でどうにかしなければ、ただ潰されて壊されて終わってしまうのだから。

 誰も助けてくれない。

 なら、自分の足で立ち上がるしかないのだ。


 李子リコ四葉ヨツハのその告白に愕然とした。

 自分はそんな事を言った覚えがないのだ。

 でも、四葉ヨツハがそう言うなら、事実そんな酷い事を自分はしでかしたのだ。

 記憶に残らないほど、無意識に、適当に。


 それで、四葉ヨツハは激しく傷ついたというのに。


「ごめんなさい……」

 李子リコの目から、大粒の涙がボロボロと零れ落ちた。


 強くなりたい。

 強くなる。

 そして、みんなを守るんだ。


 そう決意したばかりだったというのに。

 守るどころか、自分が一番傷つけていたのだ。

 大切な友達を。

 最悪だ。

 傷つけてしまっただけでなく、他人を平気で傷つけるような人間にしてしまった。

 あの、優しかった幼馴染を。

 何かあったら、一番に心配してくれた人を。

 呆れながらも、協力してくれた人を。

 落ち込んでいたら、いの一番に慰めてくれた人を。

 それなのに自分は──


「ごめんなさいィ……」

 李子リコは溢れ出る涙をそのままに、詰まる喉で友人へと謝罪の言葉を口にする。

「許すわけないでしょうが! 泣けば許されると思ってんの?! 馬鹿バッカじゃないの!」


 四葉ヨツハはその場で地団駄を踏む。

 子供っぽい行動だと自分で分かっていたが、やらずにはいられなかった。

 しかし、李子リコの次の言葉で四葉ヨツハはその動きを止めた。


「許さないでー……」


 四葉ヨツハは耳を疑う。

 今、何て?


「許さないでいいよー……許す必要なんてないよー……酷い人間なんだからァ」

 泣きながらそう訴える李子リコは、ヨロヨロと立ち上がると、しゃくりあげながら四葉ヨツハの方へと近寄っていく。

「痛かったんだね……ごめんね……やっと分かった。四葉ヨツハがどんだけ辛かったのか……この数十倍、数千倍辛がったんだっで……じゃないど……ごんな事ずるはずないもん」

 幼児のように泣きべそをかき、手で涙をゴシゴシ擦りながらそう訴える友人に、四葉ヨツハの涙は引っ込んだ。


「アンタ、自分が今何言ってるのか分かってる?」

「わがってるー……わだじ四葉ヨヅハに酷い事をじだ。わだじやざじい四葉ヨヅハに酷い事さぜだー……」

 涙どころか鼻水でズルズルの李子リコに若干引き気味の四葉ヨツハ

「ちょっと……アンタ馬鹿ァ?! 私が、酷い事を、したの! アンタのロボット壊したの! ぶっ壊したの! 私は元から酷い人間なの!」

「ぢがうもんー……わだじ四葉ヨヅハやざじいもんー……」


 そんな二人のは微妙に噛み合わないやり取りに水を差したのは、先程から沈黙していた刀義トウギだった。


「お言葉ですが、まだ壊れていません。損壊率67.19%で立てないだけです」

「充分壊れてるでしょうがっ!」

 思わず刀義トウギの言葉にツッコミを入れてしまう四葉ヨツハ

 いつのまにか、四葉ヨツハの身体を抑えていた弘至ヒロシの手が離されていた。

 涙を拭い終わった李子リコの手が、四葉ヨツハの手にそっと触れる。

「許ざなぐでいいから……お願いだがら、友達どもだぢやめないで……またわだじ四葉ヨヅハを傷づげようどしだらおごっでよ……頑張るがら……傷づげないように次は頑張るがら……」

「なんで私が……」

「好ぎだから!」


 その言葉に、四葉ヨツハの身体が硬直する。


わだじ四葉ヨヅハの事が好ぎだがら!」

 李子リコの精一杯の言葉に、四葉ヨツハは目を見開く。


 この子は、今なんて?


 喉から手が出るほど欲しかった言葉を、

 今この子はアッサリ言わなかったか?


「……なんで私が好きなの? 優しくしたから? バカ話を聞いてくれるから?」

四葉ヨヅハだがら!」


 四葉ヨツハは、自分の体から一気に力が抜けていくのを感じる。

 立っていられなくて、ヘナヘナと床に崩れ落ちると、心配した弘至ヒロシが肩へと手を置いてくれた。


「私は……何の為に……」

 復讐しようと思っていたのか。


 傷つけられた。

 だから傷つけ返してやろうと思った。

 そして、傷つけ返してやった。

 希望に溢れる瞬間を滅茶苦茶にしてやり、長い時間をかけて裏切ってやった。


 なのにこの子は、自分の事が好きだって。

 四葉ヨツハだから好きだって。


「ホント、馬鹿じゃないの…」

 思わず口から溢れたその言葉は、李子リコに向けて言ったのか、自分へなのか──



 ただ彼女は、今まで常に胸の奥に突き刺さっていた大きな棘が抜け落ちて、その痛みが消えた事を感じていた。

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