第47話

 所々が千切れて吹き飛んだ鈴蘭スズランの身体が、不快な音を立てて床に転がった時。


 受け身を取って起き上がった加狩カガリ弘至ヒロシは、足が地面に縫い付けられたかのように動けなくなった。


「オけガ、は、あ、りマ、せ、んカ……?」

 ブツブツ途切れる音声は、彼女が精一杯発したものだという事が分かった。

鈴蘭スズランッ!」

 彼女の声を聞き、金縛りが解けた弘至ヒロシは、形が崩れた彼女へ駆け寄ろうとする。

 しかし、

「くそッ! 邪魔するじゃねぇよクズがっ! 道具の分際でッ!」

 手にした機械を投げ捨てて地団駄を踏むタカの声が耳に届く。


 その瞬間、目の前が真っ赤に染まるかと思うほど、弘至ヒロシは血の逆流を感じた。

 鈴蘭スズランに迫られた時の比ではない程の獰猛な感情が、頭の先から噴き出す。

 自分が叫んでいたのは喉の痛みで感じたが、音は聞こえなかった。

 離れた場所に立つ男に弾丸のように走り寄る。

 男が腕を振り上げて何かしていたが、弘至ヒロシは顔を腕で庇うだけで、身体に四方八方からぶつかる物体を勢いに任せて無視した。


 息を鋭く吐き、眼前にある相手の伸びた襟や服ではなく、爪が食い込む勢いで喉元と腕を直接掴む。

 相手がおののいて身体を引いた瞬間、腰で浮かせて思い切り床に叩きつけた。

 受け身の取れない相手が、硬い床に叩きつけられた事により鈍い骨折音がしたが、弘至ヒロシは気にはならなかった。



 胡桃クルミ京子キョウコは、床に倒れた鈴蘭スズランを抱き起すより、憎々しい相手にとどめを刺す事を選んだ。


 加狩カガリ弘至ヒロシの全力の体落としを喰らい、床に呻いて転がるタカの側へと音もなく近寄る。


 弘至ヒロシが我を忘れて絞め殺してしまう前に彼を手で制し、懐から掌より少し大きな物体を取り出した。

津下ツゲさんちの息子も凄いもんだ。こんなものまで作っちまうんだから」

 手にしたソレは、スイッチを入れると青白い光を放ってバチバチと音を立てた。

「あの子が痛みを感じたんなら、こんなもんじゃ済まないだろうよ」


 そう苦々しく言い放ち、胡桃クルミ京子キョウコは倒れたタカの身体に、躊躇なくスタンガンを押し当てた。



 激しい目眩に前後不覚になりながらも、加狩カガリ弘至ヒロシは倒れた彼女へとヨロヨロと歩み寄る。

 早く側に行きたかったのに、眼前が揺れて上手く歩く事が出来なかった。


 床に散らばるのは彼女の部品か。


 膝をつき、床に転がる彼女の肩を抱き起し、落ちそうだった頭に手を添えた。

 もう、彼女は何も音を発しなかった。

 穏やかな笑みをぽってりとした唇にたたえたまま、目を見開いて稼働停止していた。

 震える指で彼女の瞼を閉じると、その顔はまるで、いつものように部屋の片隅で充電している時のように見えた。


 おやすみなさい──


 彼女に、自分がスリープモードに移行する前にはそう言うんだよ、と彼が教えたのだ。


 おやすみなさい──


 彼女の動かない唇から、そんな言葉が漏れたような気がした。


 彼女は、『自分の意志』で行動する事が出来たんだろうか?

 彼女が欲しがっていた『友達』に、俺はなれたんだろうか?

 俺にとっては──



 彼は彼女の安らかな顔に自分の顔を寄せる。

 そっと唇を彼女に押し当て、口から漏れ出る嗚咽おえつをそのままに、彼女の動かない身体を抱き締めた。

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