第45話

『男の目を潰せ』

 音声入力に従って、鈴蘭スズランは男──弘至ヒロシの顔に指を突き立てようとする。


「ッ?!」

 違和感を感じていた弘至ヒロシは、寸でのところでそれをかわした。

 しかし、鈴蘭スズランのその行動が信じられない弘至ヒロシは距離を取らず、彼女の手を取って抱き寄せる。

『足を掛けて男を転ばせろ』

 更に飛んできた命令に素直に従い、鈴蘭スズランはすぐさま弘至ヒロシに足払いをかける。

 腰を寄せられていたため一緒に床に倒れこんだ。


『マウントとってボコボコに殴れ』

 鈴蘭スズラン弘至ヒロシから少し離れた所で、まるでゲームを楽しむかのようにニヤニヤしながらタカは命令を飛ばす。

 倒れた弘至ヒロシにすぐに馬乗りになり、鈴蘭スズランはその白くて細い腕で彼の顔を殴りつけた。

 弘至ヒロシは腕で顔を庇いつつも、彼女の目を覚まそうと何度も彼女に声を掛け続ける。

鈴蘭スズラン! どうしたんだ?! 俺が分からないのか!」

 しかし、彼女は不気味なまでに笑顔をたたえたままで口を開かない。

 ひたすら弘至ヒロシを殴り続けた。



 その様子を離れた所で隠れて観察しているのは、胡桃クルミ京子キョウコだった。

 当初、鈴蘭スズラン弘至ヒロシに襲いかかった時点で助けに入ろうかと思ったが、物陰から出て行かなかった。

 今姿を現すのは得策ではないと感じたからだ。

 胡桃クルミ京子キョウコでは腕力などでは到底勝てない。


 恐らく相手は最後の決着をつける為に、殺しにかかってくるかもしれない。

 そんな相手に勝つ為には、相手のペースに乗せられてはダメだ。


 自分のペースに持ち込まなければ。


 胡桃クルミ京子キョウコは、鈴蘭スズラン弘至ヒロシの様子を観察する。

 恐らく、あれが弘至ヒロシの言っていたロボットの彼女である事は予想がついた。

 あの男と会うまではまるで普通の人間のようだったと彼は言っていたが、今は機械じみた動きをしていると京子キョウコは感じていた。


 そして、少し離れた場所でニヤニヤしながら2人を見ている男──タカ。

 彼は手出しする事なく、何やらブツブツ独り言を言っていた。


 その様子を見てふと思い立った胡桃クルミ京子キョウコは、そばに置いた鞄の中から機械を取り出すと、横に置いて自分の端末を操作し始めた。



 鈴蘭スズランの猛攻は止まらない。

 声を掛けてもダメなのだと気づいた弘至ヒロシは、殴りつけてきた鈴蘭スズランの腕を取り、重心がズレた事を利用して全身のバネで彼女の身体を跳ね飛ばした。

 勢いに乗じて転がりつつ、掴んだ腕を引き寄せ彼女の身体に足を絡ませて、床にそのまま叩きつけた。


 腕ひしぎ十字固。


 鈴蘭スズランは足をバタつかせて逃れようとする。

 しかし、人間とほぼ同じ骨格を持つ鈴蘭スズランは、決まった関節技から逃れる事が出来なかった。

 なんとか抑え込めて息をつく弘至ヒロシ

 この隙に、どうしたら良いかを考えようとした。

 しかし──

『無理矢理でも逃れろ』

 鈴蘭スズランに命令が下される。

 それにより、鈴蘭スズランは無理矢理身体の方向を変え始めた。

 動こうとする鈴蘭スズランの腕を、更に強く締め上げて固定しようとした弘至ヒロシは、メリメリという嫌な音を聞く。

「やめろ鈴蘭スズランっ……」

 弘至ヒロシは恐ろしくなりつつも、手を離せなかった。


 バヂンっ


 くぐもった何かが弾け飛ぶ音。

 その瞬間、弘至ヒロシは恐怖に手を離してしまう。

 転がって鈴蘭スズランから離れ、素早く立ち上がった。


 解放された事により、鈴蘭スズランもゆらりと立ち上がる。

 ダラリと変な方向へと垂れ下がる右腕に首を傾た。


 信じられない事態に、弘至ヒロシの手が震える。

 鈴蘭スズランの肘を折ってしまった。

 傷つけるつもりはなかったのに、まさかあの状態になってまで動こうとするとは思わなかったのだ。

 普通の人間なら、痛みで動けなくなる筈だった。

 それで彼は痛感してしまう。


 鈴蘭スズランは人間ではない、と。


『再度男に近づけ』

 その命令により、鈴蘭スズランはまた弘至ヒロシの方を向く。

 そしてまた笑顔を張り付かせて、怯えた顔をする彼の方へと近寄って行った。


鈴蘭スズラン……」

 弘至ヒロシは迷っていた。

 鈴蘭スズランは人間ではない。

 命令されたら素直に従う機械である。

 恐らく、あの男は鈴蘭スズランの元の持ち主。

 そちらの方の命令を優先させる事は当たり前なのだ。


 だけど──


 彼女の、自分と一緒にいた時の笑顔が作り物だったとは思えなかった。


 弘至ヒロシが躊躇している間に、また手の届く範囲に鈴蘭スズランが足を進める。

 そして──

『男の喉を潰せ』



 その命令は、鈴蘭スズランには届かなかった。

「そりゃ聞けない命令だねェ」

 タカのインカムに、するはずのない声が届く。

 コロコロと楽しそうに笑う、妙齢の女性の声。


 驚いて鈴蘭スズランの方を見ても、鈴蘭スズラン弘至ヒロシの前で棒立ちしているだけ。

「あらあら。もしかして私、何か邪魔をしてしまったかしら?」

 更に嘲笑する声が聞こえて、タカは耳からインカムを毟り取って床へと叩きつけた。

「どこだババァ!!」

 聞き覚えのあるムカつく声に、タカは一気に激昂する。

 しかし、声の主は現れなかった。


「クソババァ……ッ!」

 タカは部屋の隅へと行き辺りを弄る。

 見つけたLANの接続口に荷物から取り出したコードを指して自分の端末にも接続した。

 キーボードを叩き、構築されたまま放置されている社内LANへ侵入し、監視カメラを起動させる。

「どこだっ……」

 監視カメラの映像を確認し、居るはずの女性の姿を探した。

 しかし、カメラには目的の人物は写っていなかった。


 イライラしながら端末を操作するタカの手が止まる。

 突然、メッセージがポップアップしてきたのだ。


『この時を待ってたよ』


 そのメッセージが出た瞬間、タカの端末の画面が同じエラーメッセージで埋め尽くされる。

 操作しようにも、キーボードの操作も画面タップも無効になっていて、手も足も出なくなってしまった。

 自分の端末が、勝手に操作されて初期化されていく様を、愕然と見ているだけしかできなかった。



「今の内だよ」

 笑顔のまま固まっている鈴蘭スズランをどうしたらいいか悩んでいた弘至ヒロシの耳に、小さな声が届く。

 驚いて周囲を見回すと、物陰から手招きする胡桃クルミ京子キョウコの姿が目に入った。

 弘至ヒロシは慌てて、鈴蘭スズランの腰を抱いてその物陰へと滑り込む。

 鈴蘭スズランはされるがままだった。

「様子はどうだい?」

 鈴蘭スズラン弘至ヒロシを見比べながら、胡桃クルミ京子キョウコは心配げにポソリと呟いた。

 その言葉に、弘至ヒロシは眉根を寄せて首を横に振る。

「もう、彼女じゃないのかもしれない……」

 悲しげに弘至ヒロシはそう漏らした。

 しかし、京子キョウコは首をひねる。

 いくら機械だとはいえ、突然変わる訳はない。

 むしろ、機械は

「前の彼女と、何か変わってる場所はないかい?」

 京子キョウコ鈴蘭スズランを今初めて見たのだ。前との違いは彼女には分からない。

 そう言われて、弘至ヒロシ鈴蘭スズランの顔や身体をマジマジと見てみた。

 しかし、前との違いはないように思う。

 もしかしたら内部的に何か変えられたのか──

 それだと自分にも分からない。


 弘至ヒロシが焦り始めた頃。


 ピピッ


 電子音がする。

 鈴蘭スズランの首に巻かれた黒いベルトの一部が光った。


 その瞬間、糸を引かれた傀儡のように不自然に起き上がる鈴蘭スズラン

 首を巡らせて周囲を見回し、弘至ヒロシ、そして京子キョウコの顔をマジマジと見る。

「排除します」

 抑揚のない声で一言そう告げると、突然弘至ヒロシに掴みかかった。


 京子キョウコは物陰から転がり出る。

 弘至ヒロシに襲いかかった鈴蘭スズランを見て、その不自然さに眉根を寄せた。

「見つけたぞババァ!」

 その背中に、ヒステリックな声が浴びせかけられる。

 スチール製の机の上に乗ったタカだった。

 オーケストラの指揮者のように両腕を不自然に広げている。

 いつのまにか黒の手袋をしていた。


「ぶっ殺してやるッ……!」

 タカは両腕を京子キョウコに向かって振り下げた。

 その瞬間、彼の背後から黒い小さな物体が6つ飛び出し、猛烈な勢いで京子キョウコに迫っていった。

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