第29話

 無我夢中で走り続ける。


 兎に角逃げなきゃ。


 逃がしてくれた、刀義トウギ加狩カガリ先生は大丈夫なのか。

 でも、狙われている自分が逃げなきゃ。

 じゃないと、今一緒にいる友達もどうなるか分からない。


 目的地はない。

 一瞬交番にと思ったが、何て説明すればいいのか分からない。


 だから、兎に角走る。


 中邑ナカムラ李子リコは、必死に足を動かす事に集中していた。


李子リコ待って! 早いよ!」

 段々と引き離される事に危機感を覚えた四葉ヨツハが、先を走る李子リコの背中にそう叫んだが、彼女の耳には届かなかった。


 T字路を右に曲がった時、四葉ヨツハは足に限界を感じて立ち止まった。

 それに気づいた真輔シンスケも足を止める。

中邑ナカムラ!」

 先を行く李子リコを呼び止めたが、彼女の耳には届かなかった。

 その背中は小さくなり、更に角を曲がった事により見えなくなってしまう。

 肩で息をした真輔シンスケが、ガードレールにもたれ掛かる四葉ヨツハの側へと寄ってきた。

棚橋タナハシ、大丈夫か?」

 真輔シンスケは心配げに四葉ヨツハの膝へと視線を落とした。

 昨日貼り付けたガーゼに血が滲んでいる事に気づく。

「大丈夫……ありがとう……でも……」

 呼吸を整えた四葉ヨツハは、背筋を伸ばして李子リコが消えた道の方へと視線を向けた。

李子リコ、行っちゃったね」

 はぁと大きく息を吐いて、四葉ヨツハは肩をガックリと落とす。

「時々、ああやって周りが見えなくなる時があるよね」

 ポツリと、四葉ヨツハはそう呟いた。

 真輔シンスケにはその状況は分からなかったが、よく一緒に居る四葉ヨツハだから気づく事なのだろうと思った。

「追いかけるにしても……李子リコ、何処に向かってるんだろうね」

 真輔シンスケから返事はなくとも、彼が話を聞いている事は理解している四葉ヨツハはそう続ける。

「1人じゃ……危ない」

 ギリギリ聞こえるか否かぐらいの声の大きさで囁かれた言葉が、四葉ヨツハの耳に届く。

 それに四葉ヨツハもコクンと頷き、背の高い彼の顔を上目遣いで見上げた。

「心配だよね」

 四葉ヨツハのその言葉に、真輔シンスケも頷いた。

 そして再度、李子リコが消えた曲がり角の方へと顔を向けた。


 その時──


「よォ。こんな所で奇遇だな」

 野太くひび割れた声が2人にかけられた。

 聞き覚えのある声に、四葉ヨツハは緊張して声のした方へと向き直る。


 そこには、

 暑苦しく迷彩服を着込んだ男──天龍テンリュウが、腕組みをしながら悠然と佇んでいた。


「っ!!」

 運動神経の悪い真輔シンスケにしては最速で反応し、四葉ヨツハの腕をとって男とは反対側へと走り出す。

 突然引っ張られた事でバランスを崩し、四葉ヨツハはその場に転んでしまった。

 弾みで掴んでいた手が外れ、真輔シンスケは急ブレーキで立ち止まる。

 そこへ

津下ツゲ くんは李子リコを探して!」

 四葉ヨツハの鋭い声が飛んだ。


 真輔シンスケはオロオロと、悠然と歩き寄ってくる天龍テンリュウと、転んだ四葉ヨツハを見る。

「行って! 私は大丈夫だから!」

 再度叫んだ四葉ヨツハに、真輔シンスケは申し訳なさそうな顔をした。

 そして

「ありがとう」

 四葉ヨツハに届くか届かないかの声量でそう伝え、李子リコが走り去った方向へと走り出した。


「美しい自己犠牲の精神ってか。子供の癖にやるじゃねぇか」

 立ち上がろうとしていた四葉ヨツハの横に、天龍テンリュウが並び立つ。

 ゆっくりと睨め上げた四葉ヨツハの視線と、ニヤつく天龍テンリュウの視線がぶつかった。

「そんなんじゃない」

 四葉ヨツハはゆっくりと立ち上がると、自分よりも遥かに背の高い男の目を真っ直ぐに見つめた。

 その顔に苛つきを感じる天龍テンリュウ

 大きく1つ舌打ちすると、ぶっとい腕を伸ばして四葉ヨツハの胸倉を掴み上げた。

 爪先立ちになり、胸倉を掴む腕を両手で鷲掴み、それでも四葉ヨツハは鋭く見つめるのをやめない。

「さぁて。お前には聞きたい事が沢山あんだよ」

 じわじわと寄せられる天龍テンリュウの顔から視線を外さず、四葉ヨツハは口を引きむすんで睨み返し続けるのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る