第28話

 行動起因判定処理に負荷がかかり、鈴蘭スズランはただ立ち尽くしていた。


 暴力事件発生中。介入不可。

 暴力事件発生中。介入不可。

 暴力事件発生中。介入不可。


 鈴蘭スズランのような用途で使用されるオートマータは、イザコザに巻き込まれて賠償金問題に発展する事を嫌がる企業の為に、事件性のある事への介入をしないようにプログラムされている。


 例えそれが、借主に危険が及んでいる場合でも。


 企業への連絡通信。エラー。接続不可。

 警察への連絡通信。エラー。接続不可。

 緊急時対応メソッドへの通信。エラー。接続不可。


 通常、事件性が認められた場合、所属している企業と警察へ連絡したのち、その場を離れるようにプログラムされている。


 しかし、未来のシステムで組まれた鈴蘭スズランでは、現代のシステムにアクセスする事が出来ない。

 連絡出来ない場合の行動規範への情報アクセスも出来ない。


 鈴蘭スズランは今、自分の中にあるだけの情報で行動しなければならなかったが、どの行動も条件が合わない。


 借主への接触。現在暴力事件発生中の為、選択エラー。

 企業や警察への連絡不能の場合、近隣にいる人間へと依頼し通報する。現在近隣に人間なし。エラー。


 弘至ヒロシが『子供たちを』と言っていたが、子供たちをどうすればいいのだろうか?


 守る?

 ──暴力事件発生中の為、関連していると思われる人物への接触不可。エラー。


 追いかける?

 ──借主、もしくは借主の自宅から100m以上離れる事は、企業及び借主自宅へと戻る時、留守番などの待機命令時以外は不可。エラー。


 子供たちを──どうすればいいのだ?

 弘至ヒロシを──どうすればいいのだ?


 鈴蘭スズランはただ、複数の独楽こまに蹂躙され続ける加狩カガリ弘至ヒロシを、見ている事しか出来なかった。


「うぐぅッ……!」

 全身に電流が駆け巡る痛みに、弘至ヒロシはくぐもった声を上げる。

 独楽こま同士の間を雷のように走る電流に触れたのだ。

 電流から解放された直後に弘至ヒロシは膝をつく。

 全力疾走した後のような絶大な疲労感と痛みに顔を歪めた。


 その様子を少し離れた場所で見ていたタカは、チラリと立ち尽くす美女──鈴蘭スズランを見る。

「やっぱりか」

 独楽こまを自分の元に引き寄せて頭上に待機するよう命令を出すと、動けない弘至ヒロシの横を通り過ぎて鈴蘭スズランの元へと近寄っていく。

「おい! グズ! こんな所で何してんだ! 説明しろ!」

 苛ついて額に青筋を立てつつ、棒立ちする彼女を怒鳴りつけた。

 しかし、鈴蘭スズランは男から一定の距離を取って離れるだけ。

 離れた後は、また呆然と立ち尽くしてタカと弘至ヒロシを交互に見ていた。

鈴蘭スズランっ……逃げろ……」

 詰まって上手く声が出ないのどを振り絞る弘至ヒロシ

 しかし、鈴蘭スズランはその声に困った顔をするだけだった。

鈴蘭スズラン? お前何名前つけられてんだよ。グズの分際で。オラ、こっち来い」

 タカが、離れようとする鈴蘭スズランの手首を掴んで引き寄せる。

 離れようとはしたが、手首を掴まれても鈴蘭スズランは抵抗しなかった。

「グズ、お前なんで言う事聞かねぇんだよ」

 タカの振り上げた右手が、鈴蘭スズランの柔らかそうな頬を打つ。

 叩かれてもなお、鈴蘭スズランは困った顔でタカを見返す事しかしなかった。


「お前……」

 そこでふと、タカは違和感を感じる。


 いつもと違う。

 何が違う?

 何処が違う?

 ──あ。


「ちっ……制御装置が取れてんじゃねぇかよ」

 彼女の細い首を見て、そこにあるはずのものがなくなっている事に気づく。


 成る程。

 だから初期化されて言う事を聞かないのか。

 大方、過去へ移動した時に何かがあって外れてしまったんだろう。


 納得したタカは、鈴蘭スズランの顔を両手で鷲掴んでその琥珀色の瞳を覗き込む。

「オラ、さっさと登録しろグズ」

 顔を間近に寄せられると、鈴蘭スズランはやっとタカの手首を掴み顔を背けて抵抗する。

 しかし、さほど強い力でもない為、タカの腕は外れない。

 鈴蘭スズランのこの行動は、あくまで『嫌がっている』という事を相手に知らしめる為の表現行動だ。

 本当に抵抗しているワケではなかった。

「出来ません。現在既に登録中。登録情報変更には、一時企業への返却が必要となります。申し訳ありません」

 タカの顔を真っ直ぐに見返して、鈴蘭スズランはそうハッキリと告げた。

「あっそ。じゃあいいわ」

 鈴蘭スズランの顔を掴んでいた手をアッサリと離すタカ。

 解放された事により、すぐさま距離を取ろうとした鈴蘭スズランの肩が、またすぐに掴まれる。

「あとでまたゆっくり可愛がってやるよ」

 いやらしく、下卑た笑い方をして舌舐めずりしたタカは、腰についていたポケットに手を突っ込んだ。

 すぐに引き抜いたその手を、鈴蘭スズランの腰へと押し付ける。


 バヂンッ


 激しい電流音がした直後、鈴蘭スズランは目を見開いたままその場に崩れ落ちた。


鈴蘭スズラン!」

 膝に手をかけて何とか立ち上がった弘至ヒロシは、地面に倒れこむ鈴蘭スズランを見て、悲鳴にも似た声を上げる。

 歯を食いしばり、痛みと疲労感で笑う膝に力を入れ、弘至ヒロシに背を向けるタカへとタックルを仕掛けた。


 しかし、その事にすぐに気づいたタカは、体を翻してタックルを避けた。

 自分の体の勢いすら殺す力が残っていない弘至ヒロシは、そのまま倒れた鈴蘭スズランの上へと覆いかぶさる。

「触んじゃねぇ!」

 途端、激昂するタカ。

 起き上がれない弘至ヒロシの脇腹を思い切り蹴り飛ばした。

 弘至ヒロシは激しい痛みで横に転がる。

 すかさずタカは弘至ヒロシの腹へと蹴りを入れて追撃した。

「コレは俺ンだ! 気安く触んじゃねぇよ!」

 腹を蹴られて息が詰まる弘至ヒロシ

 苦しさにお腹を抱えてその場にうずくまり、タカを睨めあげる事しか出来なかった。


 タカは、動けない弘至ヒロシを嫌悪感丸出しの顔で見下げる。

「たかがに入れあげてんじゃねぇよ気色悪い」

 そう吐き捨てて、タカはインカムのスイッチを入れた。

「こちらTK。目標ロスト。代わりに無くしたモノ回収。一時帰還するわ」

 一方的に報告を入れてスイッチを切る。

 そして、鈴蘭スズランの側へとしゃがみこんだ。


 倒れた弘至ヒロシからは見えなかったが、嫌な予感しかしない。

鈴蘭スズラン……」

 呼びかけるが、返事はなかった。

 返事の代わりに

「緊急コード確認。入力された座標へと移動を開始します」

 機械じみた抑揚のない鈴蘭スズランの声。

 傀儡が糸を引っ張られるかのように不自然に起き上がった鈴蘭スズランは、倒れる弘至ヒロシを一瞥する事なくスタスタと何処かへ歩いて行ってしまった。


「さてと」

 よっこいしょと言いながら立ち上がったタカは、起き上がろうとする弘至ヒロシの肩を蹴り上げた。

「ぐぅ!」

 走った痛みに顔を歪めて地面に転がる弘至ヒロシ

 そんな彼を、再び嗜虐的に妙な熱を持った目で見下げる。

「人のモノにベタベタ触った代償は払ってもらうぜ」

 そう言うや否や、タカはゆっくりと両手を広げた。

 その瞬間、今まで彼の頭上でクルクル回って待機していた独楽こまたちが反応し、大きく空中への散開する。

「死なない程度にしといてやるよ」

 ゆっくりと舌舐めずりし、タカは腕を振りさげた。


 その瞬間──


 ブシャァッ


 容赦ない放水が、弘至ヒロシに肉薄しようとしていた独楽こまへと浴びせかけられる。

 水の一撃を食らった独楽こまたちは、押し流されて地面へと転がった。

「なっ……」

 予想外の出来事に、タカは地面に転がった独楽こまたちの元へと駆け寄る。

 拾い上げて付いた水滴を拭くが、くぐもったショート音をさせるだけで、独楽は動かなくなっていた。


「あらまァ。防水仕様ではないのかい? なんて雑な作り」

 コロコロと笑う妙齢の女性の声が、タカの背中の方から浴びせかけられた。

 慌ててそちらへと振り返り、タカはギリリと歯軋りした。

「婆ァ……」


 そこには、大量に水を垂れ流して小さな虹を作るホースを手にした、胡桃クルミ京子キョウコが立っていた。


「ま、アタシのセンサー壊したお返しだよ。ありがたく受け取りな!」

 すかさず京子キョウコは、怒れるタカの顔面へとホースの水を浴びせかける。

 腕で顔を庇いつつ、タカは京子キョウコの方へと近寄ろうとした。

 しかし

「このォ!」

 全身の残りの力を振り絞った弘至ヒロシがタックルを仕掛けた。


 膝カックンの要領で地面に崩れ落ちるタカ。

 なんとか地面に腕をついて顔面から着地するのは防いだ。

「離せクソがっ!」

 膝に抱きつく弘至ヒロシの頭を殴りつけ、腕が緩んだ隙に、更に彼の肩に蹴りを入れる。


 転がって離れたタカは、怒りに震える拳を地面に叩きつけてから立ち上がった。

「婆ァ……テメェ……」

「あらあら。水も滴るなんとやら──とはならないねェ。残念だこと」

 相手の怒りなどどこ吹く風とばかりに、胡桃クルミ京子キョウコはコロコロと笑った。

 しかし、次の瞬間には剣呑とした目つきに変わる。

「早朝といえど、騒ぎを聞きつけて人が集まってくるよ。さっさと消えな」

 その言葉に、タカは目だけで周囲を伺う。

 確かに、近隣の家からは人が動く音が聞こえ始めていた。

「ちっ」

 京子キョウコから視線を外さず、転がった独楽こまを拾い上げてポケットへとしまう。

「覚えてろよ婆ァ!」

 雑魚敵さながらのセリフの吐き捨てて、タカは走って逃げて行った。

「最近物覚えが悪いから保証はできないね!」

 そんな彼の背中に言葉を投げつけ、胡桃クルミ京子キョウコはタカがいなくなるまで、その姿を見送った。


 蛇口閉めてホースを地面に起き、京子キョウコは地面に転がる弘至ヒロシへと視線を落とす。

「大丈夫かい、アンタ。アイツに酷い事されてたようだけど、ひょっとして……」

 肩で息をしながら、敵が消えた事に安堵して地面に大の字になる弘至ヒロシ

 誰だろうと京子キョウコの顔を見上げる。

「りっちゃん──中邑ナカムラ李子リコちゃんの、知り合いかい?」


 その言葉に、弘至ヒロシは身体を硬直させた。

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