第30話

 真輔シンスケの家から随分離れた場所にある公園の前まで辿り着き、ここから先どこへ逃げるべきか相談しようと、李子リコは足を止めて振り返った。


 しかし、そこには居るはずの真輔シンスケ四葉ヨツハの姿はなかった。


「なんで?!」

 てっきり後ろをついてきて居ると思っていた2人の姿が見えず、辺りをキョロキョロと見回す李子リコ


 しかし、周辺には誰の姿も見えなかった。


「もしかして、どっかではぐれちゃった……? ヤバイ、どうしよう」

 慌ててスマホを取り出す李子リコ

 メッセージアプリを立ち上げ、四葉ヨツハ真輔シンスケと3人のグループを作り、そこにメッセージを飛ばす。


 しかし、少し待ってみてもそのメッセージに『既読』マークはつかなかった。


 1人であるという事を実感した途端、夏とは思えぬ寒気が足元から立ち上ってくる感覚に襲われる李子リコ


 狙われている。

 しかし誰もいない。

 1人でなんとかしなければならない。


 突然命綱なしで崖を淵に立たされているかのような恐怖。

 孤独。

 視線を下げると、自分の小さな足が見えた。


 私の足って、こんなに小さくて細かったっけ……?


 自分が小人にでもなってしまったかのか、それとも世界が素っ気なく広くなってしまったのか。

 李子リコは笑い始めた膝を抑えて、公園の入り口にある柵に腰をかけた。

「大丈夫。戻って2人を探そう。きっと見つかる」

 両手を握りしめ、そうボソボソと呟き自分に言い聞かせる。

 

 その瞬間、

 何故か刀義トウギの顔が浮かんだ。


 ボッコボコにされながらも自分を庇ってくれたオートマトン。

 守ると言ってくれた、大きな存在。

 李子リコは、歯を食いしばって両手で頬を思いっきり叩いた。


 バチンという小気味好い音が辺りに響く。

「よし! 探そう! 行くぞ!!」

 ヒリヒリとする頬に頭がスッキリし、李子リコは柵から立ち上がった。


 その時


中邑ナカムラ!」

 自分を呼ぶ声に李子リコはビクリとして左右を見回した。

 すると、こちらに全速力で走り寄って来る津下ツゲ真輔シンスケの姿が目に入る。

 彼は、李子リコのすぐそばまで辿り着くと、ガックリと項垂れて肩で息をしていた。

 真輔シンスケが来た事により、先ほどまで感じていた孤独と恐怖が消える李子リコ

 が、いるハズの人間がおらず、彼女は首をかしげる。

「あれ? 四葉ヨツハは?」

 一緒に居るハズの四葉ヨツハの姿がない事に気づいた李子リコは、彼女はどうしたのか尋ねた。

 しかし、真輔シンスケは答える事なく、李子リコの手首をむんずと掴み、公園の中へと駆け込んだ。

「どうし──」

 どうしたの、そう訊ねようとした李子リコの耳に、遠くで喚く野太い男の声が届く。

 あの声は聞き覚えがある。

 迷彩服の男──天龍テンリュウだ。


「隠れるぞ!」

 真輔シンスケは公園の中で急いで左右を見回しながら、隠れられる場所を探した。

 隠れられる場所、隠れられる場所──

「あ! 津下ツゲくんあそこは!?」

 李子リコはタコ型の滑り台を指さす。昔よくかくれんぼして遊んだ時の事を思い出したのだ。

 2人は急いで滑り台へと走り寄り、裏側にある空洞の中への滑り込んだ。


 子供用の空間である為狭い。

 特に170も超えた真輔シンスケにはとてつもなく窮屈だった。

 はみ出していたら見つかる。

 真輔シンスケは、壁を背にして座り小さな李子リコの身体を抱え込んだ。

 なるべく、外から見えないように入り口脇の壁際に小さくなる。


「畜生! アイツどこいった!?」

 少し離れた場所から男の野太い声が聞こえて来た。

 言葉の内容からして、李子リコを探しに来た迷彩服の男──天龍テンリュウで間違いない。


四葉ヨツハは……?」

 抱え込んだ李子リコが、か細く消え入りそうな声で囁く。彼女の声が耳からではなくダイレクトに身体を伝わってきた。

 李子リコの質問に、真輔シンスケは答えようかどうしようか悩む。

 声を出したら、天龍テンリュウに悟られてしまうのではないかという緊張感があった。

 しかし、その緊張感が逆にじっとしていられない焦燥感を生み、真輔シンスケは声が出るか出ないかのギリギリの声量で話す。

「さっき……」

 真輔シンスケがそうであっように、李子リコ真輔シンスケの声が耳からではなく身体にダイレクトに響く。

「あの男に追いつかれそうになって──」

 突然そこで言葉を切り、真輔シンスケはぎゅっと李子リコの身体を抱きしめた。

 地面をにじった足音が徐々に近づいてきていたからだ。

 出来るだけ息を詰め、存在感を消そうとする。

 李子リコも足音に気づいた為、真輔シンスケの胸に顔を埋めて出来るだけ細く呼吸をするようにした。


 どうか気づかないで。

 あっちへ行って。


 見つかるかもしれないという恐怖と緊張。

 少しずつ大きくなる足音。


 耳鳴りがするほどの沈黙が空間に流れる。


 静かにしているはずなのに、2人の耳にはやけに鼓動の音が大きく響いた。


 この音は、どちらの心音なのか。

 自分のか。

 相手のか。

 次第に早くなっていくそれが、外にいる天龍テンリュウに聞こえてしまうのではないか。

 2人はお互い出来るだけ小さくなるように身体を寄せ合い、気配を殺した。


「あん? なんだよ、お前勝手に戻ってんじゃねぇよ!」

 突然、天龍テンリュウが大きな声で誰かに文句を言う。

 しかし、相手の声は聞こえない。

「ちっ……位置探知はアイツの仕事だろうがよ使えねぇなぁ!」

 そう吐き捨て、天龍テンリュウはドスドスという足音を立てて遠ざかって行った。


 文句の声も足音も聞こえなくなるまで、2人はじっとその場を動かなかった。


「行ったかな……」

 李子リコのポツリと呟いた声に、真輔シンスケは無言で頷いた。

「あの……さ。ちょっとだけ、苦しいかな」

 モゴモゴと恥ずかしそうに呟かれる李子リコの言葉に、真輔シンスケは緊張で李子リコを強く抱き締めていた事を思い出す。

 あっと思い手を緩めて視線を落とすと、潤んだ瞳で見上げている李子リコと目があった。

「ごめん!」

 慌てて手を離す真輔シンスケ

 反射的に後ろに下がろうとするが、背中は壁にべったりくっつけていた為出来ず。

「大丈夫。ありがとう」


 李子リコが赤い顔で照れ笑いしたのはどういう意味か?


 真輔シンスケの頭はショート寸前。様々な考えが吹き荒れた。

 苦しかった?

 無理させた?

 乱暴だった?

 でも笑ってる。

 それは敵から守ったからで。

 いやいやそんな事ぐらいで?

 じゃあなんで?

 いや、悩む程の事か?

 そういえば小さい身体だった。

 今はそんな事どうでもよくて!

 でも柔らかい肩だった。

 それはそうだろ女の子なんだから!


 急激に顔へと血が上って色んな汗が吹き出てきた。

 真輔シンスケの胸に手をついて身体を起こした李子リコは、そのまま外へと這い出して行った。


 何焦ってるだ俺……


 平然としている李子リコに、真輔シンスケは自分だけが慌てふためいた事がなんだか馬鹿らしくなっていった。


 真輔シンスケの目には李子リコが平然としているように見えたが──


 どうしよう。

 男の子って力強いんだ。

 体も大きくて固かった。

 鍛えてるのかな?

 腹筋割れてたりする?

 同い年なのにこんなにも違うものなの?

 そうだよね、男の子なんだから。

 そうだよ、男の子なんだよね。

 でも今はそんな事考えてる場合じゃない!

 逃げなくちゃ!

 うん、でもいい身体──

 こらこらこら何を考えてんだ自分!


 李子リコの頭の中も葛藤が渦巻いていた。

 昨夜見た刀義トウギの腹筋や胸筋までオーバーラップしてきてアワワと妄想を消そうとする。

 頬をバチンと叩いて気合を入れた。


 なんだか恥ずかしくて真輔シンスケの顔が見れない。

 立ち上がっても彼の方へと向き直らず、取り敢えず周りに人が居ないかどうかを見回した。


 ノロノロと滑り台下から這い出てきた真輔シンスケと、その前に立つ李子リコ


李子リコ!」

 2人の死角から、不意に声がかけられた。

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