第21話

 とある無駄に広い1LDKのマンションの一室。


 備え付けられた家具は、派手さは無くても洗練されたデザインで高級感を醸し出している。

 壁に埋め込まれた大型液晶テレビや、カウチソファが、そこに住む人間の上品さを表現していそうであるが、

 残念ながら、そこにいるのは上品とは無縁そうな2人だった。


 カウチソファにどっかりと腰を下ろして腕組みし、不機嫌そうに貧乏ゆすりする迷彩服を着た大男。


 その向かいには、ゴチャゴチャとコードやら工具類を床に散乱させ、細かいダンボールを積み重ねて壁のようにした場所に座り込む痩せぎすの男が。


 2人はお互いを気にすることも無く──むしろ、お互いがお互いを無視して好き勝手に過ごしていた。


 そこへ、玄関のドアが開いた音がする。

 ドタバタとした物音を立てて部屋に入ってきたのは、グレーの袖なしパーカーを着てフードを目深に被った女だった。

 肩には脱いだブーツを担いでいる。


 女が部屋に入ってきたことに気がついた迷彩服の男は、勢いよく立ち上がって彼女に詰め寄った。

 頭一つ小さい彼女に、上から覆い被さりそうな程顔を寄せる。


睡蓮スイレン、テメェどういうつもりだ!」

 ドスを効かせた低い声で威圧する。

 しかし、彼女──睡蓮スイレンのフードから覗く目はさして怯えた様子もなく、男の目を真っ直ぐに見返していた。

「何が?」

「何がじゃねェ! なんで邪魔した! 俺らの獲物だったんだぞ!」

 男──天龍テンリュウは目を血走らせ、額にクッキリと青筋を立てていた。

 唾を飛ばす勢いで怒鳴る天龍テンリュウに、睡蓮スイレンは嫌そうに顔を背ける。

「その獲物に逃げられそうになってたのは誰」

 天龍テンリュウの胸を肘で押し退ける。

 退くつもりはなかった天龍テンリュウだが、彼女の言葉に一瞬詰まって一歩下がった。

「追跡になったらアンタらじゃ無理。只でさえ身体が重すぎて足遅いのに、地の利で巻かれる寸前だった」

 睡蓮スイレン天龍テンリュウに背を向けて、ベランダ側に置いてある大きな黒いトランクの上に、担いでいたブーツを置いた。

 ゴッという、重く硬質な音がする。

 睡蓮スイレンが左腕のグローブに手をかけた時だった。


 半ばダンボールに埋もれた痩せぎすな男──タカが、妙な引き笑いで肩を揺らす。

「そう言うお前だって、光学障壁まで持ち出しておいて、あっさり逃げ帰って来てんじゃねェか」

 クマがクッキリと浮いた顔を睡蓮スイレンに向け、イヤらしく目を細めて彼女の方を見た。


 睡蓮スイレンは舌打ちを一つし、パーカーのポケットに入っていた掌より大きな四角い箱をタカの顔に向かって投げつけた。

 投げられたタカは『おっと』と言いつつ両手で受け止める。

「雑に扱うんじゃねぇって何度言ったら分かる! 予備はねぇんだぞ!」

 腰を浮かせて抗議するタカに一瞥もせず、睡蓮スイレンは左腕のグローブを外しにかかっていた。

「そろそろバッテリーもない。充電しとけ」

 背中越しにそう言われ、口の中でブチブチ文句を言いつつも、タカは受け取った箱にコードを刺して床に置いた。

「ちっ……変電機が少ないのが痛ェな」

 黒い箱に挿したコードは、更に一回り小さな箱から伸びている。

 小さい方の箱からも更に二本の細いコードが伸びているが、このコードが刺さっているのはコンセントではない。

 壁のコンセントカバーが剥かれて引きずり出された配線である。


 怒りの向け先が無くなった天龍テンリュウは、その場でドンっと足を踏み鳴らした。

「どうして逃した! せめてだけでもぶち壊して来いよ!」

 自分に背を向ける睡蓮スイレンに向かって怒声を張る。

 しかし、睡蓮スイレンはガン無視。

 左のグローブを外し終わって床に置き、今度は右のグローブを外しにかかっていた。

 そんな彼女に余計に苛立ちを煽られた天龍テンリュウは、鼻でわざとらしく盛大に笑う。

「ハッ。ビビって逃げ帰って来たのか。そうだよな。相手は怖い怖いナ──」

 彼の言葉は、最後まで吐けなかった。


 目にも留まらぬ速さで胸倉を掴みあげられ、壁に押し当てられる。

 言葉の代わりに呻き声が漏れた。


 彼を壁に張り付けているのは、彼よりも一回り背の低い睡蓮スイレンだった。

 蒸気の噴き出す右腕一本で、体格的には何倍も大きな男を掴み上げていた。

 落ちたフードから真っ白な髪が溢れて広がる。

「よく回る口だな。それだけまだエネルギーが有り余ってるなら、お得意の筋トレでもしてご自慢の筋肉量でもひたすら黙って増やしてろ」

 ミシミシと壁から音がする。

 天龍テンリュウは、胸倉を掴んだその拳がそのまま喉元も押さえつけている為、声も出せずにいた。

 代わりに彼女の腕と細い首を掴む。

 その手に力を込めようとして、喉が潰されそうな衝撃を感じて力が抜けた。


 睡蓮スイレンの目には、確かに殺気が籠っていた。


「ウルセェなぁ! 集中できねぇだろうがッ!」


 そう怒鳴り散らしたのは、パソコンに向かっていたタカだった。

中邑ナカムラ李子リコが画像を投稿した! 解析すっから黙ってろや!」


 タカの叱責で場の緊張感が霧散し、睡蓮スイレン天龍テンリュウから手を離す。

 何事もなかったかのように、またベランダ側のトランクの方へと向かい、右腕のグローブを外しにかかった。

 床に崩れ落ちたのは天龍テンリュウ

 ゲホゴホと咳き込みながら、非難の視線を睡蓮スイレンの背中に向けたが、彼女は気づかなかった。

「チィッ!」

 舌打ちにしては大きな声で天龍テンリュウは自分の不満を撒き散らすと、胸元を正してまたカウチソファにドッカリと座った。

 一瞬、暇なら筋トレでも──と脳裏に浮かんだが、先程の睡蓮スイレンのセリフが頭の中に蘇り、やめる。

 そして、余ったエネルギーが貧乏ゆすりへと変化した。


 タカは、やっと静かになった事に満足し、画像解析への取り掛かる事にした。

「お。月が写ってんな。あと……こりゃなんだ? 橋か?」

 端末に表示された画像を見つつ、別ウィンドウを立ち上げてキーボードに指を走らせる。

 別ウィンドウには、地図と座標が表示されていた。

「はぁはぁ、なるほど。橋の角度とぉー高さ……月の位置がここだから……」

 さっきは散々他人ひとに煩いと喚いておきながら、独り言にしては大きな声で呟きつつ画面をタップしたりキーボードを叩く。

 彼が食い入るように見つめる端末の画面には、様々なウィンドウがポップアップしては消えていく。

 最後にタタンッとキーボードを叩くと、タカはニヤリと楽しそうに笑った。

「座標確認っと。ははぁ。獲物ターゲットが写した写真は、津下ツゲ金属加工株式会社ってトコで撮影されたな。

 えーっとぉ。ちょっと待てろよぉ……確か道案内画像の中に……あったあった自動販売機っと。えーとぉ……メーカーは……」

 タカは先程から誰かと会話してるかのような声量で、ただひたすら独り言を言う。

「チッ。生意気に……ロックかけてやがる。ま、このレベルならクラックは……楽勝ォ」

 最後にニヤリとイヤラシイ笑いを浮かべた。


「自動販売機に付けられた監視カメラ何台かハックして、獲物ターゲットの動画確認したぜー。人数は……7人。時間は……さっきの画像の時間より前か。移動中だな」

 ニヤニヤ楽しそうに笑うタカのセリフに、天龍テンリュウが豪快に笑った。

「ほんっとに、はザルだな」

 自分が抱えるフラストレーションを、他人を罵倒する事で発散する天龍テンリュウ

「セキュリティのセの字もねェ」

 心底侮蔑の声でそう吐き捨てた。

「ネットリテラシーも低いなんてレベルじゃねぇな。原始人かよ。監視カメラなんてモノによっては初期値デフォルトのまま……最悪パスロックすらついてないんだぜ? 考えらんねぇな。顔写真も平気で載せてっし。位置情報もそれ以外の情報も消してねぇし、写った手とかから余裕で指紋情報とれたぜ。怖ェ時代だな……」

 そう言うタカの口調は、全く怖いとは感じていなさそうな、大好きな玩具の小さな不満を楽しそうに言ってるかのようだった。


 そんな時、ベランダの方を向いていた女──睡蓮スイレンが、音もなくクルリと振り返った。

 視線を右側に向けてはいるが、何かを見ている様子はない。

 何かを口の中だけでブツブツ喋っている。


「次の行動が決まった」

 整った顔になんの感情も浮かべずにそう告げる睡蓮スイレン

獲物ターゲットを追い込む。開始時間は追って通知する。いつでも出られるように準備しろ」

 その場にいる全員がそれを聞いて頷くのを見ると、睡蓮スイレンはまた全員に背中を向けてベランダの方を見た。


 鏡のように自分の姿を写す窓ガラス。

 その奥には住宅街の夜景が広がっていた。

 しかし、彼女の目はどちらも見てはいない。


 窓の奥──写った自分の姿のその向こう、暗がりに怯えて縮こまる──少女。


「やめろ……もう私は──」


 誰にも聞こえないほどの声で、睡蓮スイレンは憎々しげに、彼女にしか見えないその少女に向かって吐き捨てた。

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