第22話

 灼熱の日差しの名残が冷めやらぬ夜半。

 蝉の鳴き声もヒグラシの鳴き声もなくなったかわりに、ウシガエルの重低音が響いている。


 月が雲の合間から顔をのぞかせているのが、窓から見えていた。


「よし」

 ガーゼを止めたテープを小さなハサミで切り離し、津下ツゲ真輔シンスケは一言そう発した。

 使用した消毒液などを救急箱にしまっていると、はにかんだ声が。

「ありがとう……津下ツゲくん」

 ガーゼが貼られた膝を隠しつつ、四葉ヨツハは治療してくれた真輔シンスケにお礼を言った。

「器用なもんだね」

 横から覗いていた加狩カガリ弘至ヒロシが、真輔シンスケの手際に感心した。

「こんなの……普通」

 とくに恥ずかしがることもなく、また謙遜の色も無く、ぶっきらぼうに真輔シンスケは返事し、救急箱を持って立ち上がった。


 真輔シンスケにとっては、擦り傷や切り傷の手当てなど日常茶飯事だった。

 津下ツゲ真輔シンスケの家は金属加工を行う町工場だ。

 転んだ擦り傷どころか、加工機で自分の手に穴を開けた人も真輔シンスケは見た事がある。

 その時に見せた祖父の手際に比べたら、自分はモタモタしている方だと思った。



 ──ここは、津下ツゲ真輔シンスケの家。

 今彼らがいるのは、家族が生活する母屋ではなく、工場に併設された『大部屋』と呼ばれている仮眠室である。

 10畳ほどの畳の部屋に、

 窓の外を眺める中邑ナカムラ李子リコ

 その横に正座して付き従う大男・刀義トウギ

 ノートパソコンを開いてメールする中邑ナカムラ眞子マコ

 怪我を治療してもらい恥ずかしげに座る棚橋タナハシ四葉ヨツハ

 押入れの中に救急箱をしまう津下ツゲ真輔シンスケ

 手持ち無沙汰そうに座る加狩カガリ弘至ヒロシに、

 部屋にあった古い雑誌を読みふける鈴蘭スズランの、

 総勢7名が居た。



 あの後──白髪はくはつの美少女に襲われたが、なんとか彼女が退いていってくれた後。


 津下ツゲ真輔シンスケは家に電話して、大部屋を借りたい旨、人を連れて帰る事を家族に説明した。

 突然の事で当然難色を示す家族。

 いくら今は使用してない部屋といえど、突然使いたい、しかも年代も性別も様々な人間を連れ込んで、と言われても納得出来ない。

 家族が『うん』と言える要素が皆無だ。

 下町人情に溢れる町といえど、流石にそこまでお人好しにはなれない。


 それを説得したのは、教師である加狩カガリ弘至ヒロシであった。

 電話越しで、突然の無礼を丁寧にお詫びし、自分が真輔シンスケたちの学校の教師である事、迷惑はかけない事、何かあった時の責任は全て自分がとる旨を、相手が納得してくれるまで辛抱強く説明した。

 そして、家に着いた時も、率先して家族に頭を下げて丁寧に謝罪とお礼を伝えた。

 その真摯な姿勢に、真輔シンスケの祖父が感嘆し、快く許可をくれたのだ。


 先生頼りになるんだ……


 李子リコは内心、先生を見直していた。

『見直した』という事は、それまでは『頼りない』と無意識に思っていた事に、李子リコは気づいていない。



「お婆ちゃん……大丈夫だったかな……」

 スマホ片手に窓の外をボンヤリと見つつ、李子リコはそうポツリと呟いた。


 先程、姉の眞子マコから胡桃クルミ京子キョウコの家に警察が来ていると聞いた。

 京子キョウコ自身が、センサーが勝手に切れると警察に通報が行く仕組みになっていると言っていた。

 具体的な方法は李子リコには想像もつかなかったが。

 窓ガラスも粉々に割れて、部屋も土足で踏み荒らされた。

 きっと、胡桃クルミ京子キョウコは困っているだろう。

 何も手助けできない自分に、李子リコは歯痒さを感じていた。


「マスターが心配する事はありません。胡桃クルミ様は大変聡明でいらっしゃると聞きました。きっと上手く対応なさっているでしょう」

 デカイ身体を折り曲げて、見た目にそぐわず『ちょこん』と李子リコの横に正座する大男──刀義トウギ李子リコの言葉に返事する。

「誰から聞いたの?」

「マスターから」

「……私から?? いつ?」

「未来で」

 今の自分が言ってないのなら未来の自分が。

 そりゃそうかと思い、李子リコはまた窓の外の月へと視線を戻した。


「そろそろ、説明して欲しいんだけど」

 改まった声でその場にいる全員に声をかけたのは、膝に置いたノートパソコンの画面を閉じた眞子マコだった。

 パソコンを横に退け、座ったままずいっと前ににじり出た。

 そう言われて、加狩カガリ弘至ヒロシ刀義トウギを見る。

 救急箱をしまい終わった真輔シンスケも、膝のガーゼを撫でていた四葉ヨツハも、刀義トウギに視線を向けた。

 窓の外を見ていた李子リコも、横に座る刀義トウギを見る。


 一手に視線を受けた刀義トウギは、各それぞれに視線を返した。

 身体を全員の方に向け直し、改まった様子で口を開く。

「まず。改めまして。私はNM058-03ベース、オリジナルカスタムオートマトン。子守りを用途としております。

 今からおよそ60年後の未来から来ました。私の所有者は、ここにいらっしゃる中邑ナカムラ李子リコ様です」

「オート……マトン? 未来から来た……??」

 出鼻から衝撃の告白をされ、眞子マコはあんぐりと口を開いた。

「オートマトンとは、俗に言うロボットです」

 言葉が続かない眞子マコに簡単に説明し、刀義トウギは話を続ける。


「これから、皆様が断片的にしかご存じない、ここまでの状況からご説明させて頂きます」

 落ち着いた低い声で、刀義トウギはゆっくりと語り始めた。


 未来から到着した時、そこが李子リコの家の茶の間のちゃぶ台の上であったところから、

 男たちから逃げる時に加狩カガリ弘至ヒロシに出会い、その後女に導かれて逃げこんだ先で女に襲われたところまで。

 刀義トウギからの視点の話だけだったが、それぞれが知らない物事の点と点が繋がり、今日全員が、刀義トウギが来てからこれまでの状況について共通認識をとる事が出来た。


 一旦切れた刀義トウギの話に、復活した眞子マコは自分の耳たぶに触りながら、視線を空中に巡らして口を開いた。

「貴方の正体はちょっと置いておくとして。

 胡桃クルミさんちに来た男たちと、白髪はくはつの女の子……。彼女の方は明確に李子リコを狙ってるらしいけど……男たちはどうなのかしらね」

 眞子マコの頭の中では、李子リコが迷彩服の男に首を絞められている映像が蘇った。

「恐らくは。襲ってきた女性もあの男たちも、マスターを狙って未来から来たのだと思われます。彼ら同士が敵なのか味方なのか、同じ時代であるかは不明です。

 過去へ飛ぶ為の機械は、私の時代では試験段階でした。なので、少なくとも私と同じ時代か、もしくはもっと未来からでしょう」

 刀義トウギのその言葉に、真輔シンスケは愕然とする。

「過去に飛ぶって……一体どうやって……?」

 真輔シンスケは時間跳躍などの物理分野には明るくなかったが、実現不可能と言われている事ぐらいは知っていた。

 ノンフィクションの世界でしか語られない技術が、60年で開発されるという事が信じられなかった。

「詳しい理論などは持っておりません。申し訳ありません」

 刀義トウギは腰を折って丁寧に詫びた。


「それよりも……なんで彼等は中邑ナカムラさんを狙ってるのかな……」

 加狩カガリ弘至ヒロシが腕組みしてうーんと唸る。

 弘至ヒロシから見た李子リコは、無害どころかいつも手伝いを率先してくれる良い子だった。

 ちょっと個性的はあるものの、他人に命を狙われるような事をしでかすようには見えない。

「それに……なんでなのかな……?」

 四葉ヨツハが漠然とした疑問を投げかける。

 刀義トウギといいその男たちといい、何故に現れたのか──

『偶然』と言われればそれまでだが、そんな偶然なんてあり得るのだろうか?

「マスターがそう仰っていたので」

 刀義トウギがそう言い、李子リコに視線を向ける。

「私っ?!」

 予想してなかったタイミングで自分が呼ばれ、李子リコは声が裏っ返った。

『自分が言った』と言われても、当然記憶にない。

 自分に集まった視線をどうすればとアワアワした。

「はい。マスターが『中学二年の夏休みが、自分の人生の契機であった』と。その契機についての具体的な内容は誰も存じ上げませんが。なので私もを選びました」

 刀義トウギのその言葉に、李子リコはうーんと唸る。


 確かに今は中学二年の夏休みである。

 しかし、今のところ契機になるような、人生が変わるような事は起こっていない。

『今』を除いては。


「じゃあ、そのの為にに来たとして、どうして中邑ナカムラが命を狙われるのかな?」

 加狩カガリ弘至ヒロシは腕組みしたまま鈴蘭スズランを見た。

 鈴蘭スズランは細くて白い首を捻る。

 その様子を見ていた刀義トウギは、こっくり頷いた。

「それについてはこれからご説明します」

 その言葉に、全員が再度刀義トウギに注目した。


 全員の視線が集まった事を確認すると、刀義トウギはゆっくりと語り出した。

「未来の状況を少しだけ説明しますと、これから約20年後に日本は国家維持の危機に瀕します。

 そもそもの人口減少だけでなく、深刻な労働人口の不足による国力低下が理由です。

 日本が消滅するかしないかの瀬戸際になりました。

 そこでとられたのが『労働環境改善法』と『人口増加法』です。

 子供を産み育て易い環境を作り、誰しもが自分の能力を存分に発揮して労働出来るようにする為の法案です。

 その施策の一つが『オートマータによる養育』でした」


 誰もが、刀義トウギの言葉に息を飲んだ。

 彼がここで初めて話した『未来の状況』

 現在でも社会問題として上がっており、時々思い出したかのようにニュースに取り上げられる話題だ。

 現時点でも『少子化対策』として様々な方策がとはれてはいるが──刀義トウギのその言葉は、現在漠然とした不安としての問題が、解決されないまま深刻な問題として未来を迎えると、

 刀義トウギは言っていた。


「今から約20年後、深刻な労働人口の減少の為、義務教育以下の子供以外、殆どの日本人が労働せざるを得ない状況になります。定年制は廃止され、年齢、性別、既婚、子供の有無、ハンディキャップに関係なく、能力に似合った責任のある仕事が任されます。

 誰しもが能力に合った仕事を効率的にこなす事により、労働人口の減少をカバーする事になったのです。

 これが、労働環境改善法です。

 勿論、育休・産休は自由に取る事が出来ます。むしろ、人口を増やす意味では、率先して産み増やす事は推奨されます。

 しかし子供を授かると、どうしても養育の為長時間労働に携わる事が出来ません。

 人口を増やしたいけど労働力と低下させたくない、そのジレンマに人々は苦しみました」

 刀義トウギは一度そこで話を切った。

 聞いている人達の顔が青ざめている為である。

 特に、李子リコを始めとする子供達だ。


 自分たちが大人になった頃──ちょうど30代ど真ん中の頃に、地獄の時代が来ると言っているのだ。

 ノストラダムスの大予言さながら──李子リコたちはそれを知らないが──未来に絶望しかないように感じられた。


 横に座る青ざめた李子リコの背中を、刀義トウギは軽くさする。

 その手の大きさと暖かさに、李子リコの胸に安心感がジワリと広がった。


 刀義トウギは話を続ける。

「そこで、子育てを何かに代替させる方法が模索されました。

 人口増加法が本格稼働される前までは、オートマータ──ロボットには、子供を育てられる程の機能はありませんでした。

 しかしある時、俗に『養育ロジック』といわれるアルゴリズムの実用化の目処がたちます。

 AIに搭載出来る、子育てに関する基本ロジックです。

 それにより、オートマータが子育てをする事が出来る事が実証され、人口増加法が可決されました。

 法案可決後、『養育ロジック』を搭載したオートマータが国家プロジェクトとして量産され、国民に貸与されるようになります。

 日本人の殆どが子供を授かった後はオートマータに子育てを任せ、労働に従事する事が当たり前の世の中になるのです。

 目論見は成功し、私が来た60年後には、日本は人口増加、及び、国力を取り戻します」


 淡々と、語る刀義トウギ

 未来の話を、まるで過去の出来事のように語る事に、聞いていた各々は違和感を抱いた。

 実感が伴わない。

 しかし、目の前に刀義トウギが──証拠がある。

 なんとも奇妙な空気になった。


 刀義トウギは言葉を切り、床に手をついて身体を回転させる。

 そして、李子リコに真っ直ぐに向き直った。


「日本の危機を救った『養育ロジック』。その原案を作成し、実用化までこぎつけたのは──中邑ナカムラ李子リコ──マスター。貴女です」

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