第20話

 殺す



 そのワードは、漫画や小説、ドラマやお笑いの中でならよくお目にかかる。

 また、クラスメイトや友達たちも、何か気に入らない事などがあると、軽々しくそのワードを使う。


 しかし


 こんなに明確に、本当の殺意を持って言われた事など、1度もない。

 中邑ナカムラ李子リコは、自分に向けられた今まで感じた事のない害意に凍りついた。


 李子リコ以外の人間にとってもそうだった。

 身近にこんな悪意の塊のような人間はいない。

 なので、そんな人間が発するこれ以上な負の感情──明確な殺意が、絶対零度の冷気のように全員をその場に張り付かせた。


中邑ナカムラ李子リコ、お前を殺す!」

 女は、そう叫んで地面を蹴る。

 前に立ちはだかる刀義トウギに向かって蒸気が立ち上る右腕を振り下ろした。


 先ほどまでは殴られっぱなしだった刀義トウギに、誰しもがまた吹き飛ばされる予想をしたが──

 素早い動きで、殴りかかってきた彼女の腕を捉えて投げ飛ばした。

「なっ……!」

 投げ飛ばされた彼女は器用に空中で体勢をなんとか立て直して、地面に這いつくばるように着地する。

「なんで──」

 反撃できた?

 悔しげに下唇を噛み締め、女は立ち上がった。

「貴女はマスターに明確な敵意を示しました。その場合は例えマスターへの攻撃でなくとも反撃可能です。庇護対象の命を守り、危険を排除し安全な環境にする。それが子守ナニーオートマータの最優先事項です」

 これまでにないほど、刀義トウギハッキリと告げた。


 乳児の汚れたオシメを変えて清潔さを保つ。

 幼児に好き嫌いを発揮させず、上手い具合に持ち上げて様々なものを食べさせる。

 見ていないところで危険な事をする子供を叱って、何がいけないのかを知らしめる。

 十人十色の学習差をかんがみて、その子に応じた勉強方法を提示する。


 子守ナニーオートマータが搭載している機能は大小様々にある。

 刀義トウギがいた時代でも、最も高価で複雑な機能を保持するのが彼等だ。

 そんな彼等──子守ナニーオートマータに課せられた一番の重要任務は


 子供を守る事


 例え自分が壊れるような事になっても。

 いわば、それが子守ナニーオートマータの存在意義そのものだった。


「よって、排除します」

 低く辺りに響く声でそう短く呟くと、刀義トウギは素早く地面を蹴る。

 一瞬にして女に肉薄し、刀義トウギはそのぶっとい腕を振り抜いた。

 あまりの速さに避ける事もできず、腕でガードした女はそのまま後ろに吹き飛ばされる。


 なんとか踏みとどまった女だが、身体に走った痛みに膝をついた。

「くっ……」

 侮っていた相手に手こずるという事実に苛立ちを覚え、奥歯を噛み締めた。


 こんなヤツ、一瞬で壊せるのに──


 女は地面が削れるのではないかと思うほど手を地面に爪を立てる。

 焦燥感と課せられた使命、そして自分の中にある壮絶な破壊欲求がせめぎ合っていた。


 そこに


李子リコっ!」

 ヒールが折れそうな程の勢いで、眞子マコがその場に駆け込んで来た。


 怯えたように立ちすく李子リコたち3人。

 少し離れたところにしゃがみ込んでいる男性と、それに寄り添う女性。

 悠然と立つ大男に、それを睨みつける女。


 状況が分からず、眞子マコは立ち止まって困ったように回りを見回した。

「えっ……どういう状況? 何これ……アイツらは?」

 李子リコたちを追っていたのは、男たちであったのにここにはいない。

 その代りに見知らぬ男女がいる。

「お姉ちゃん! 危ないよ!」

 人を躊躇なくぶん殴る女がいる状況に飛び込んできた姉に、李子リコは逃るように促す。

「でもっ……」

 李子リコがここに居るのなら、自分も逃げるわけにはいかない。

 眞子マコ李子リコの元へと駆け寄り、兎に角守らなければと子供達を庇うように、他の人間たちとの間に立った。


「ちっ……」

 女は舌打ちを一つして立ち上がる。

 李子リコの前に庇うように立つ眞子マコを一瞥し、そのまま刀義トウギへと視線を移した。

 そして最後に、しゃがみこむ加狩カガリ弘至ヒロシを睨みつけてから唇を腕で拭った。


「これで終わりじゃない」


 女はそれぞれに視線を向けながらそう吐き捨てる。

 そして、最初に現れた時のように、フワリと飛び上がった。


「この場に居合わせたお前達全て、私は常に監視している。逃げられると思うなよ」


 地面に着地する事なく、そのまま闇にジワリと溶けていく。


「そして必ず、中邑ナカムラ李子リコ──お前を殺す」


 闇の中から、そんな言葉だけが辺りに響いた。



 女が消えて暫くすると、李子リコたちが居る周りの空間の闇が消えていく。

 街灯が最初にその姿を現し、次第に周りを囲むブロック塀や地面に引かれた白線が見えてくる。


 李子リコたちは駐車場に佇んでいた。


「あれ……ここ……」

 見覚えのある景色に四葉ヨツハが首を巡らせる。

 あれだけ長く路地を走ったのに、その駐車場は李子リコの家から大して離れていない場所だった。


「やっぱり……」

 何らかの方法で、きっと空間が隔離なり歪みなりを起こさせていたんだ。

 やっと立ち上がった加狩カガリ弘至ヒロシは、この場に来た時の違和感が払拭された事を感じた。

 子守ナニーオートマトンの刀義トウギが、60年後の未来から来たと言っていた。

 その存在を知っていたあの女も、おそらく未来から来ている。

 きっと、未来の何かの技術が使われてたんだと、弘至ヒロシは納得した。


 辺りの状況が明確になり、近くにある家からかすかな生活音が聞こえてくる。

 虫達の鳴き声が、夏の夜なのだと主張していた。

 そのことにより、今まで耳が痛くなるほどの無音だった事に気づかされる津下ツゲ真輔シンスケ

 今まで気にもした事がなかったこの音たちが、なのだと改めて認識する。


 凍り付いていた李子リコが、ヘナヘナと腰砕けになって地面に座り込んだ。

「マスター!」

 少し離れた場所に立っていた刀義トウギが、地面にうずくま李子リコに気がついて走り寄って来た。

 立膝になり、震える小さな少女の肩に手を置いた。

「マスター?!」

 妹がそう呼ばれた事に驚いて振り返る眞子マコ。妹と大男と交互に見て、普段はキリッとした眉尻を下げて困った顔をする。

「何? 何がどうなってんの? 誰か説明してくれない?」

 オロオロとその場にいる四葉ヨツハ真輔シンスケの顔を見るが、二人は顔を見合わせて同じように困った顔をする。


「説明は後回しにして、取り敢えずここから移動した方が良いと思います」

 片手で腹を抑えた加狩カガリ弘至ヒロシが、困っている生徒に代わって口を開いた。

 振り返ってその顔を見上げ、声には出さなかったものの『誰?』といぶかしげに眉根を寄せる眞子マコ

「あ……この人は、私たちの学校の先生で、途中で出会って助けてくれようとしたんです」

 四葉ヨツハが代理で説明する。

『助けてくれ

 決して助けにはならなかった事を明示していて、四葉ヨツハの言葉が弘至ヒロシの胸を的確に抉った。


「あ、どうも。李子リコがお世話になっています」

 素っ気なくそう言い放ち、眞子マコ李子リコの方へと向き直った。

 その行動が、弘至ヒロシの心を更に鋭角に抉った。

 言葉の裏に『役立たず』と聞こえた気がして落ち込んだ弘至ヒロシの顔を、鈴蘭スズランが首を傾げて覗き込んでいた。


「先生の言う通り、ここにずっと居るのは危険です。あの男たちもいつ襲ってくるかも分かりません。早々に場所を移動しましょう」

 刀義トウギはそう言うが、一体何処へ? という言葉が全員の頭の中に浮かぶ。


 それは、居なくなりざまにあの女が言い放った『この場に居合わせたお前達全て、私は常に監視している』という言葉のせいだった。


 李子リコの家は一番の悪手だろう。

 狙われているのは李子リコだ。

 李子リコの家なんて、もしかしたら待ち構えられててもおかしくない。

「あの……胡桃クルミさんの家は?」

 四葉ヨツハが今まで居て一番安心できた場所の事を言う。

「今胡桃クルミさんの所には警察が来てるよ。警察に頼るんなら行ってもいいかもしれないけど……」

 眞子マコがそう答え、チラリと刀義トウギを見上げた。

 その場にいた全員が『あ』と気づく。

 警察に『これは誰だ』と聞かれても、誰も答えられない。

 身分証もなさそうだ。あっても60年後のものでは意味がない。

 しかも、どう説明したら良いものか。


 突然、女性に殺すと言われたり、男たちに訳も分からず襲われました。

 誰かは分かりません。

 どういった方法かは分からないけど、周りと隔離する方法もあるようです。

 大男をぶっ飛ばせるほどの力もあるみたいです。

 助けてください。


 とか?

 信じてくれるのか?

 信じてくれたとしても、警備を増やすとか、巡回します、ぐらいしか警察がとれる方法はなさそうだ。


 しかも、女に至っては、恐らく──刀義トウギと同じく未来から来てる。

 この世に身分すら持たない人間を捕まえてくれ、なんて言ったところで無理ではないのか?


 誰もが言葉に詰まってしまった。

 その時、


「あの……俺んちで良ければ……今んとこ、大部屋空いてるし、一時的なら多分なんとかなる……」


 おずおずとした声でそう告げたのは、津下ツゲ真輔シンスケだった。

 町工場をしている真輔シンスケの家は、工場と母屋が同一敷地内に別で存在している。

 工場にある事務所の横には、作業員たちが休憩や仮眠、場合によっては寝泊まり出来るように、ユニットバスや布団が備えられた『大部屋』があった。

「でも親御さんは……」

 大丈夫なのか、眞子マコはそう尋ねると、真輔シンスケは言葉に詰まる。

 絶対大丈夫とは言えなかった。

 すると

「俺からもお願いしてみるよ」

 弘至ヒロシが手を挙げた。

 これぐらいの事は力になりたい、大人な自分なら出来るはず。

 弘至ヒロシは凹みに凹んだ教師としてのプライドを復活させたかった。


 しかし、その声に待ったをかけたのは李子リコだった。

「でも……津下ツゲくんも先生も四葉ヨツハも……巻き込まれただけだよ。私から離れれば危ない目に遭わなくて済むようになるかもしれない。お姉ちゃんも……危ないよ。だから……」

 そこに続く言葉が、李子リコは言えなかった。


 離れてくれ


 李子リコはそう思った。

 自分のせいで巻き込まれて友達や先生が危険な目に遭う事なんて、見てるだけでも嫌だ。

 しかし


 助けて欲しい


 一人じゃ怖い。

 味方だと言った刀義トウギも、本当に味方なのだろうとは思うが、会ったばかりだ。

 まだ心の底から信用できていない。

 眞子マコは姉で守ってくれる。

 しかし……やはり危険な目には遭って欲しくない。

 胡桃クルミ京子キョウコは、もう家を破壊されるという憂き目に遭っている。

 これ以上京子キョウコに被害を受けて欲しくない。


 誰も巻き込みたくない。

 でも怖い。


 離れてくれ、とも

 助けてくれ、とも

 どちらの言葉も言えない。


 どうすればいいか、どう決断すべきか。


 14歳の少女である李子リコには、まだ判断がつけられなかった。


「だから放っとけって?! 馬鹿じゃないのアンタ!」

 そう強くピシャリと言い放ったのは、誰でもない、姉の眞子マコだった。

「アンタ一人で何が出来るっていうの?! こういう時に誰かの力を借りなくてどうすんのよ! 私は姉よ?! アンタが真っ先に頼るのは私でしょうが!」

 パチンと李子リコの両頬を両手で挟み込み、頬肉をプヨプヨさせながら眞子マコは妹を一喝する。


「おっ……俺も! 俺は先生だ! 子供が助けを求めてたら、俺も力になりたい!」

 弘至ヒロシが、ドンっと胸を叩いた。

 自分で叩いたのに、その痛さにちょっと腰が引けた。

弘至ヒロシさん素敵ですよ!」

 そんな弘至ヒロシをヨイショする鈴蘭スズラン


「俺も……あんま力になれないかもしれないけど……」

 全ての言葉を言い切れなかった津下ツゲ真輔シンスケだったが、頭の中では祖父の声が響いている。

『困ってる人にすかさず手を差し伸べるなんてなかなか出来る事じゃあねぇ。良くやった!』

 ここで引いたら、そう言ってくれた祖父の期待を裏切る事になる。大好きな祖父の期待に応えたい。


「一緒に頑張ろう」

 四葉ヨツハも、姉にプヨプヨされている李子リコの肩に手を置いた。


中邑ナカムラ李子リコ──マスター。私は貴女の間違いを正す為にここに来ました。しかし、一番は貴女の安全です。貴女を守る事が、第一の使命であり存在意義です」

 デカイ身体を丁寧に折り曲げて膝をつき、小さな少女の両手をとった刀義トウギ


「必ず、貴女を守ります」


 機械である筈の彼の大きな手が、人のように暖かい事に李子リコは気がついた。

 自分を囲む人たちの顔を見上げる。

 次第に、その視界がぼやけて歪んで来た。

「ありがとう……みんな……」

 大きな水の玉がボロボロと彼女の目から零れ落ちた。

 顔をクシャクシャにして大泣きする妹に

「不細工になってるぞ」

 姉は妹の頭を撫でながら、そう笑った。




 誰もが和んだ空気を発する中で


 一人だけ


 冷めた目で彼女の事を見ている事に

 この時はまだ、誰も気がついていなかった。

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