第20話
殺す
そのワードは、漫画や小説、ドラマやお笑いの中でならよくお目にかかる。
また、クラスメイトや友達たちも、何か気に入らない事などがあると、軽々しくそのワードを使う。
しかし
こんなに明確に、本当の殺意を持って言われた事など、1度もない。
身近にこんな悪意の塊のような人間はいない。
なので、そんな人間が発するこれ以上な負の感情──明確な殺意が、絶対零度の冷気のように全員をその場に張り付かせた。
「
女は、そう叫んで地面を蹴る。
前に立ちはだかる
先ほどまでは殴られっぱなしだった
素早い動きで、殴りかかってきた彼女の腕を捉えて投げ飛ばした。
「なっ……!」
投げ飛ばされた彼女は器用に空中で体勢をなんとか立て直して、地面に這い
「なんで──」
反撃できた?
悔しげに下唇を噛み締め、女は立ち上がった。
「貴女はマスターに明確な敵意を示しました。その場合は例えマスターへの攻撃でなくとも反撃可能です。庇護対象の命を守り、危険を排除し安全な環境にする。それが
これまでにないほど、
乳児の汚れたオシメを変えて清潔さを保つ。
幼児に好き嫌いを発揮させず、上手い具合に持ち上げて様々なものを食べさせる。
見ていないところで危険な事をする子供を叱って、何がいけないのかを知らしめる。
十人十色の学習差を
そんな彼等──
子供を守る事
例え自分が壊れるような事になっても。
いわば、それが
「よって、排除します」
低く辺りに響く声でそう短く呟くと、
一瞬にして女に肉薄し、
あまりの速さに避ける事もできず、腕でガードした女はそのまま後ろに吹き飛ばされる。
なんとか踏みとどまった女だが、身体に走った痛みに膝をついた。
「くっ……」
侮っていた相手に手こずるという事実に苛立ちを覚え、奥歯を噛み締めた。
こんなヤツ、全力を出せれば一瞬で壊せるのに──
女は地面が削れるのではないかと思うほど手を地面に爪を立てる。
焦燥感と課せられた使命、そして自分の中にある壮絶な破壊欲求がせめぎ合っていた。
そこに
「
ヒールが折れそうな程の勢いで、
怯えたように立ち
少し離れたところにしゃがみ込んでいる男性と、それに寄り添う女性。
悠然と立つ大男に、それを睨みつける女。
状況が分からず、
「えっ……どういう状況? 何これ……アイツらは?」
その代りに見知らぬ男女がいる。
「お姉ちゃん! 危ないよ!」
人を躊躇なくぶん殴る女がいる状況に飛び込んできた姉に、
「でもっ……」
「ちっ……」
女は舌打ちを一つして立ち上がる。
そして最後に、しゃがみこむ
「これで終わりじゃない」
女はそれぞれに視線を向けながらそう吐き捨てる。
そして、最初に現れた時のように、フワリと飛び上がった。
「この場に居合わせたお前達全て、私は常に監視している。逃げられると思うなよ」
地面に着地する事なく、そのまま闇にジワリと溶けていく。
「そして必ず、
闇の中から、そんな言葉だけが辺りに響いた。
女が消えて暫くすると、
街灯が最初にその姿を現し、次第に周りを囲むブロック塀や地面に引かれた白線が見えてくる。
「あれ……ここ……」
見覚えのある景色に
あれだけ長く路地を走ったのに、その駐車場は
「やっぱり……」
何らかの方法で、きっと空間が隔離なり歪みなりを起こさせていたんだ。
やっと立ち上がった
その存在を知っていたあの女も、おそらく未来から来ている。
きっと、未来の何かの技術が使われてたんだと、
辺りの状況が明確になり、近くにある家からかすかな生活音が聞こえてくる。
虫達の鳴き声が、夏の夜なのだと主張していた。
そのことにより、今まで耳が痛くなるほどの無音だった事に気づかされる
今まで気にもした事がなかったこの音たちが、日常の証なのだと改めて認識する。
凍り付いていた
「マスター!」
少し離れた場所に立っていた
立膝になり、震える小さな少女の肩に手を置いた。
「マスター?!」
妹がそう呼ばれた事に驚いて振り返る
「何? 何がどうなってんの? 誰か説明してくれない?」
オロオロとその場にいる
「説明は後回しにして、取り敢えずここから移動した方が良いと思います」
片手で腹を抑えた
振り返ってその顔を見上げ、声には出さなかったものの『誰?』と
「あ……この人は、私たちの学校の先生で、途中で出会って助けてくれようとしたんです」
『助けてくれようとした』
決して助けにはならなかった事を明示していて、
「あ、どうも。
素っ気なくそう言い放ち、
その行動が、
言葉の裏に『役立たず』と聞こえた気がして落ち込んだ
「先生の言う通り、ここにずっと居るのは危険です。あの男たちもいつ襲ってくるかも分かりません。早々に場所を移動しましょう」
それは、居なくなりざまにあの女が言い放った『この場に居合わせたお前達全て、私は常に監視している』という言葉のせいだった。
狙われているのは
「あの……
「今
その場にいた全員が『あ』と気づく。
警察に『これは誰だ』と聞かれても、誰も答えられない。
身分証もなさそうだ。あっても60年後のものでは意味がない。
しかも、どう説明したら良いものか。
突然、女性に殺すと言われたり、男たちに訳も分からず襲われました。
誰かは分かりません。
どういった方法かは分からないけど、周りと隔離する方法もあるようです。
大男をぶっ飛ばせるほどの力もあるみたいです。
助けてください。
とか?
信じてくれるのか?
信じてくれたとしても、警備を増やすとか、巡回します、ぐらいしか警察がとれる方法はなさそうだ。
しかも、女に至っては、恐らく──
この世に身分すら持たない人間を捕まえてくれ、なんて言ったところで無理ではないのか?
誰もが言葉に詰まってしまった。
その時、
「あの……俺んちで良ければ……今んとこ、大部屋空いてるし、一時的なら多分なんとかなる……」
おずおずとした声でそう告げたのは、
町工場をしている
工場にある事務所の横には、作業員たちが休憩や仮眠、場合によっては寝泊まり出来るように、ユニットバスや布団が備えられた『大部屋』があった。
「でも親御さんは……」
大丈夫なのか、
絶対大丈夫とは言えなかった。
すると
「俺からもお願いしてみるよ」
これぐらいの事は力になりたい、大人な自分なら出来るはず。
しかし、その声に待ったをかけたのは
「でも……
そこに続く言葉が、
離れてくれ
自分のせいで巻き込まれて友達や先生が危険な目に遭う事なんて、見てるだけでも嫌だ。
しかし
助けて欲しい
一人じゃ怖い。
味方だと言った
まだ心の底から信用できていない。
しかし……やはり危険な目には遭って欲しくない。
これ以上
誰も巻き込みたくない。
でも怖い。
離れてくれ、とも
助けてくれ、とも
どちらの言葉も言えない。
どうすればいいか、どう決断すべきか。
14歳の少女である
「だから放っとけって?! 馬鹿じゃないのアンタ!」
そう強くピシャリと言い放ったのは、誰でもない、姉の
「アンタ一人で何が出来るっていうの?! こういう時に誰かの力を借りなくてどうすんのよ! 私は姉よ?! アンタが真っ先に頼るのは私でしょうが!」
パチンと
「おっ……俺も! 俺は先生だ! 子供が助けを求めてたら、俺も力になりたい!」
自分で叩いたのに、その痛さにちょっと腰が引けた。
「
そんな
「俺も……あんま力になれないかもしれないけど……」
全ての言葉を言い切れなかった
『困ってる人にすかさず手を差し伸べるなんてなかなか出来る事じゃあねぇ。良くやった!』
ここで引いたら、そう言ってくれた祖父の期待を裏切る事になる。大好きな祖父の期待に応えたい。
「一緒に頑張ろう」
「
デカイ身体を丁寧に折り曲げて膝をつき、小さな少女の両手をとった
「必ず、貴女を守ります」
機械である筈の彼の大きな手が、人のように暖かい事に
自分を囲む人たちの顔を見上げる。
次第に、その視界がぼやけて歪んで来た。
「ありがとう……みんな……」
大きな水の玉がボロボロと彼女の目から零れ落ちた。
顔をクシャクシャにして大泣きする妹に
「不細工になってるぞ」
姉は妹の頭を撫でながら、そう笑った。
誰もが和んだ空気を発する中で
一人だけ
冷めた目で彼女の事を見ている事に
この時はまだ、誰も気がついていなかった。
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